企画

〈特集〉緊急シンポ 「立て看・吉田寮問題から京大の管理強化を考える」

2018.03.16

2月13日、文学部講義室で、立て看板規制と吉田寮退去通告の問題を考える緊急シンポジウムが開催された。シンポは、立て看板の設置場所や設置者、大きさを制限する「京都大学立看板規程」と吉田寮生に2018年9月までの退去を命じる「吉田寮生の安全確保についての基本方針」が昨年12月19日に制定されたことを受け、学内外の有志が企画した。問題の当事者である学生や寮生に加え、教育学研究科教授の駒込武氏と一橋大教授の鵜飼哲氏が登壇し、京大の管理強化を問うた。会場には400人近くの人が足を運び、立ち見が出るほどの盛況となった。(編集部)

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老朽化問題のこれまで

吉田寮生1

こんにちは。今回私は12月19日に出された「吉田寮生の安全確保についての基本方針」 の概要に関して説明します。詳しくは、寮自治会が12月の末に出した抗議声明特設サイト を見てください。

まず、吉田寮は、1913年建造の京都大学の学生寄宿舎、自治寮です。現在約270人が住んでいて、すべての寮生を構成員とする寮自治会が自治・自主管理を行っています。たとえば、入寮選考を寮自治会で行っており、その結果として、国籍や学籍、性、年齢で一律の基準を定めない入寮選考を可能にしています。

現在の吉田寮は、1913年建造の現棟と、2015年に補修が完了した寮食堂、同じく15年に完成した新棟からなります 。寮食堂は、1980年代に1回目の在寮期限問題があったときに、炊フの配置転換により食堂の機能が停止し、それ以降はイベントスペースとして、学内外の人たちが広く使う場所となっています。現棟と寮食堂は、長年老朽化問題を抱えていましたが、寮食堂については補修を終えることができています。

さて、12月19日に出された「基本方針」では、以下の4点のことが言われています。まず、1点目は今後吉田寮の新規入寮を認めないということ、2点目は2018年の9月末までで全ての寮生は退去させること、ただしここで、学部生院生以外の寮生に関しては3月末までに退去しなければならないこととされています。また3点目に、「学部生・院生で修業年限以内の者」で希望者に対しては、「代替宿舎」としてアパートの一室をあてがうとしています。最後4点目に、老朽化対策については「検討を進める」と書かれています。

この基本方針のどういった点が問題かということを、分かりやすい点から挙げていきます。まず第一に、寮生・寮自治会にとって重大な影響がある問題であるにもかかわらず、当事者に対して何ら説明されることもなく、一方的に決定・通知されていることが問題です。従来、吉田寮自治会は、京都大学当局と、団体交渉という、全ての関係当事者が参加出来る公開の場で話し合いを持ち、合意形成を図ってきました。最も基本的なこととして、「吉田寮の運営に関して寮自治会との合意形成なく一方的に決定しない」という確約を結び、歴代の学生担当理事・副学長が交代するたびにこの確約を再締結してきました 。ところが、現在の副学長の川添信介氏は、就任当初から、この団体交渉への出席を拒否し、これまでの確約を無視して、寮自治会と何ら話し合いをしないまま、こういった方針を打ち出してきたのです。川添副学長は、団体交渉ではない形式での話し合いを望んでいることを明らかにしています。しかしだからといって、これまで結んできた確約を、前任者が結んだことだから承認できないという態度を取るのは、公的な組織として非常に間違っていると考えます。次に、退去通告は、現在住んでいる寮生の生活や寮を使って利用している人たちの活動を破壊することでもあります。大学当局は代替宿舎を用意すると言っていますが、アパートの一室への移住を強制することは、共同で助け合いながら寮で生活している寮生の生活や人間関係、そして共同性のもとで営まれてきた自治活動を軽視していると言わざるを得ません。そういった点で、大学当局の退寮を迫る「基本方針」に対して危機感を感じているのです。

また、大学当局は、10月以降に寮に住み続けることは「不法占有」にあたると、寮生やその親元に通知し、なかば恫喝的に寮からの退去に応じさせようとしています。また、「不法占有」という言葉は、在留ビザの発行などの手続きが必要な留学生に対して、強い圧力になることは間違いありません。このように、寮生ひとりひとりの生活や学業を真摯に考えているとは到底言いがたいのが大学当局の姿勢です。

ここでは省きますが、このほかにも「基本方針」には問題が多くあります。では、どのようにして大学当局はこれを正当化するのかというと、老朽化問題や寮生の「安全確保」のためだと説明します。しかしながら、これまでの歴史経過を辿ってみると、大学当局がこれまで、寮生の安全確保をどれほど検討してきたのか疑問を感じる点があります。寮自治会との話し合いの積み重ねで進捗してきた老朽化対策に関する議論が、川添氏が副学長に就任して以降、完全に停滞しているという事実があるのです。

簡単に2012年頃からの経緯をさらいますと、当時の赤松明彦副学長との交渉の中で、食堂の補修と新棟建設が合意されて、同時にこの現棟の建築的意義が認められ、「その意義をできうるかぎり損なわない補修の実現に向けて、今後も協議を続けていく」という文言の確約が結ばれています 。その後、老朽化が著しかった寮食堂の補修が実現しました。これは川添副学長が建設的な話し合いができないと言う団体交渉を積み重ねた成果です。そして、赤松副学長と、その後任の杉万俊夫副学長との間で、現棟の補修方法に関して議論を煮詰めていって、京都市の条例を適用して現棟の歴史的価値を最大限損なわない形で補修しようという寮自治会の提案に関して、赤松副学長・杉万副学長とも、基本的に同意しました。しかし、その後杉万副学長が、補修に同意する旨の発言をした後、団体交渉が開かれなくなってしまいました。これには、他の理事からの圧力があったことが後に明らかになっています。川添副学長の就任以降は、補修案に関して大学当局が検討状況を開示していません。この点について寮自治会が16年8月、公開質問状を出して問いただしたところ、「自治会側の案も含めて今後検討していく」とメールで返答があったのみで、その後1年半に渡って何の報告もないという状況が続いています。

このように老朽化問題に関して、当事者との話し合いを放置し続けているにもかかわらずその一方で、寮生の生命の安全のために退去を通告しているというのが現状です。また、本来安全性の点で何ら問題がないはずの、2015年に建てられた新棟からも退去を求めています。これは明らかに論理が破綻しています。したがって、寮生をとにかく寮から追い出すということが目的化していると考えざるを得ないわけです。川添副学長が考えているのは、寮自治を大きく変容させることを、今回の老朽化対策を通じてやろうとしていると考えられるのではないかと思っています。

私たち寮生としては、老朽化問題に関して、実際に住んでいる身として、実感していますし、早急な対策は必要であると考えています。しかしその解決方法として、福利厚生施設である寮に、学生が住めないようにしたり寮生を全部追い出したりして、当局の好きなように解決しようというのは、やはりそれに対しては明確に反対します。これまで寮自治会は、段階的に補修を行うことで、寮生が一斉退去しなくても安全を確保できると、耐震化できるということを示しており、改めて、早急な安全確保のためには、抜本的な老朽化対策に関する話し合いが速やかに設けられるべきだと思います。

差別・選別を許さない吉田寮の現在の在り方について

吉田寮生2

皆さん、こんばんは。私は吉田寮当事者の発言として私は差別・選別からみた吉田寮問題を語りたいと思います。具体的には差別・選別に抗することでこそ吉田寮の存在意義が見えてくるのではないかということを述べます。

今現在、京都大学当局の一方的な「基本方針」の通告を受けている吉田寮は、一見すると、体制から弾圧され、それに対して抵抗しているような存在に見えるかもしれません。しかしながら、もともと吉田寮というのは、1913年に、旧制三高の寮としてつくられたのがその始まりであり、元々は国家に貢献する「エリート」を育てる「装置」であり、吉田寮は特権的な存在であったわけです。つまり、吉田寮という場所は、体制に奉仕する人間を育てていくことを期待されてきたゆえに、支配層の側の人間を再生産する寮であり、吉田寮も体制の一部であることは100年前も現在においても変わっていません。そうだとすれば、吉田寮の自治、これまでの寮のあり方というものは、体制の要請によって必然的に変わっていかざるを得ないということになります。

一方で吉田寮は、「エリート」育成の寮であることを自ら問い直し、差別・選別に自治寮の特性を活かして取り組んできた歴史というものも持っています。例えば、経済的な事情で修学を断念せざるを得ないような学生がはじかれてしまわないように、寮自治会は何十年にも渡って低廉な寮費を大学当局との交渉で勝ち取ってきました。また、かつては「男子」学部生のみで留学生不可だった入寮資格を1985年以降、徐々に拡大し、学籍の種類、ジェンダー、国籍を問わず京大の学籍を持つ者なら誰でも入寮できるような形に90年代にはなりました。また、2015年に新築された新棟では、トイレとシャワーを個室形式のオールジェンダー型とすることで、「女性」と「男性」というような性別二元論の枠に収まらない人への配慮を有するような設備を、寮の要求で実現することができました。また、1980年代の後半以降、寮食堂をさまざまな活動のために寮外の人に開放してきました。

さて、差別・選別の観点から見れば、今回の「基本方針」には問題が多いと思います。まず、新規の入寮を禁止することによって、例えば京大で学ぶために経済的支援・福利厚生施設が必要な人などをはじくことを、当局は容認してしまっています。また、「代替宿舎」は、科目等履修生、研究生、聴講生といった「非正規生」には提供されていません。これまで吉田寮は在籍年数や成績といった個々の修業状況で寮生を選別するようなことはしてこなかったにもかかわらず、大学当局は今、それをやろうとしています。そもそも今の京都大学は、年間の授業料が53万円で、昔に比べれば高騰しています。奨学金や授業料免除といった学生への経済的支援は、成績、親の年収により選別されていて、非常に基準も画一的であり、経済的な支援を必要とする学生に行き届いているとはいえません。実際、様々な事情で留年や休学をしている学生の多くが、授業料免除も奨学金も得られないという理不尽なことが起きています。そうした状況がもう既にある中で、吉田寮に対する「基本方針」の中で、新たな選別を寮生に対して行う大学当局の方針は、一部の経済的に非常に裕福な階層にのみ教育の機会を与えて、差別・選別を推進し、時代を逆行させていくようなものではないでしょうか。今までの吉田寮の、エリート寮としてのあり方を問い直してきた試み、そうした問題意識を真っ向から否定するものであると言えるでしょう。

以上、ざっくりと語りましたが、吉田寮が自治寮であることの社会的な意義は、自ら主体的に寮のあり方を決めていくことで当局による学生の差別・選別の問題に向き合い、より平等で開かれた大学を形作ることに貢献していくことにあります。したがって、吉田寮が時代に抗して生き残って、自治を守っていくためには、単なる「人材」育成の場所にとどまらず、外部に対して開かれ、多様な人間が寮の恩恵に与れるようにしていく、その過程で寮の存在意義が一部の特権的な人間のみならず、あまねく多くの人々にとって実感あるものにしていく必要があります。そして、それを実現していく過程でこそ、自己決定権を有する自治寮であるということが大事なのだと思います。近年の京大のみならず全国の大学を取り巻く環境を見ますと、以前にも増して吉田寮自体のあり方を問わなければならないのではないかと思います。もちろん、私自身を含めて今の吉田寮において、差別の問題、選別の問題にどこまで真摯に向き合えているかというと、そこは厳しく問われないといけないと思います。留学生の言語の壁の問題や現棟や食堂のバリアーフリー化は、これから取り組んでいかないといけない課題です。

ただ、吉田寮が自治寮としての自己決定権を使うことによって、元々国家の意向によってつくられたときのエリート寮としての存在とは異なった、多くの人が寮を利用できるような、そうした社会との関わりを実現するために努力してきた歴史があるのは確かだと思います。そうした取り組みを今後も進めていくことに、自治寮として存続していくことの意味もあるはずです。そして、今回の問題においては、大学当局の「基本方針」に反対していくことがひとつ、差別・選別に抗していくことではないでしょうか。

文化・芸術活動の拠点としての寮食堂

劇団関係者

こんにちは。私は、劇団愉快犯という、京都大学の演劇サークルの者です。現在吉田寮食堂で、まさに演劇の仕込みをやっていて、その合間を縫って来ました。既に寮生の立場からのお話はあったと思いますので、食堂使用者の立場から軽くさらっと話をします。

まず吉田寮食堂は現在、文字通りの食堂としての機能はなく、ライブや演劇を催すイベントスペースとして活用されていて、我々劇団愉快犯も使用していいます。単管という金属のパイプみたいなものがありまして、写真にあるように、脚立使って、舞台を組んで作ります。劇団が使う小屋については、劇場やスタジオでは、最初から形や配置が決まっていますが、一方で寮食堂はなにもないので、労力と時間をかけさえすれば非常に自由な舞台づくりができる上に、費用もかかりません。費用がかからなければ、浮いたお金でいろんな挑戦ができるので、文化活動や芸術活動の面から見ても、吉田寮は重要な拠点であるといえます。しかし、現在、吉田寮に退去通告が出されており、イベントスペースである食堂も、取り壊されはしないかもしれませんが、どう使われていくのか分からない状況です。食堂使用者という立場から、管理強化に反対するというか、困っているということを伝えました。

食堂では、我々の団体の他にもいろんな団体がイベントやっています。「食堂酒場」ライブも予定されています。誰でも入れますので、少し興味がある企画に、遊びに来て、親近感を持っていただければ嬉しく思います。

立て看規制問題の概要

司会から、昨今の京大の立て看板規制について、その問題点も含めて軽く説明します。京都大学当局は昨年12月19日、「京都大学立看板規程」 を制定・公表しました。この規程は、設置団体を公認団体に、大きさについては縦横それぞれ2㍍以内に制限するほか、設置は各団体1枚まで、大学当局の指定した場所にしか認めていません。さらに、立看板に設置団体名のみならず設置責任者氏名や設置期間、連絡先を記載することを義務付けています。

この「京都大学立看板規程」には、いくつも問題があります。まず第一に問題なのは、この規程を定める理由が示されていないということです。昨年11月、立て看板が京都市条例で設置を制限する「屋外広告物」であること、歩行者に危険であるなどの指摘が近隣住民からあることを理由に、条例などの法令遵守するよう通知することがありました。京都市からの行政指導をうけたことをきっかけに京都市条例に沿って立て看板を設置せよと命じてきたわけです。しかし、学内の立て看板規制である「京都大学立看板規程」は、京都市の指導と直接の関係はありません。規程制定の理由は、当事者である我々に何も説明されていません(参照;学内有志団体のサイト)。

次に問題なのは、根拠が示されていないことからもわかるように、立て看板規制の議論・決定プロセスが隠匿され、当事者を排除したまま一方的に決定が下されていることです。いま追うことができるのは、ごく断片的に公開されている学内の会議の議事録のみです。立て看板規制の重要な方向性がどこで、どのような理由から決められたのかは、明らかにされていません。仮に立て看板の設置・管理に問題があるとしても、それへの対応を当事者抜きで決めることが本当の解決につながるのでしょうか。大学職員の一括管理で事態が良い方向に進むのでしょうか。答えはノーだと思います。さらに、立て看板規制は現場の職員の労働強化でもあります。わたしたちとしては当事者同志の現場の調整を軽視する、問題解決方法としての管理に同意できません。

そしてそもそも、学内に立て看板を出すことのどこが問題なのでしょうか。これについての議論はこれまで十分になされているとは思えません。そういった議論や当事者との話し合いなしに立て看板を規制することは、学生による自主活動を委縮させるものであるし、ひいては大学の自治をないがしろにする管理強化であると言えます。

最後に、立て看板の設置者を当局公認の団体のみに制限することは、「開かれた大学」という理想からかけ離れたものであるということが問題です。京都大学は、「京大生」のみが使う教育研究活動の場ではありません。近隣住民ら様々な人たちの活動場所としても機能してきましたし、大学とは本来、すべての人が学び・研究し・遊ぶことができる開かれた場所、人が集う場所であるべきです。従来、立て看板は、そうした様々な人たちが、自らの意見を主張したりイベントや活動を告知したりする手段として用いてきました。この公益性からみて、立て看板の設置者を当局公認の団体のみに制限することは、問題であると言えます。

立て看規制の発想の乏しさ

西連協関係者

人間環境学研究科のD3の田所大輔と言います。今回この場に呼ばれたのは、西部講堂連絡協議会のメンバーだからです。ただ、これから話すことは西連協の見解ではなく、私個人の見解です。また、学内組織としては「自由と平和のための京大有志の会」 にも所属しております。

立て看板は結構作るのが大変で、素人がばっと簡単に作ることはできません。まずは、ベニヤと角材といった材料が必要ですし、色の数にこだわるとペンキは高価なので、総経費は2万円くらいかかります。つまり、それなりに高価で労働力がいるもので、製作者にとっては自然と思い入れも入ります。当然ですが、一日では創り上げることはできず、週単位での作業になります。講義やアルバイトの時間も考慮すると月単位の仕事になることもあります。そこで、サークル内に立て看板を作る部署ができるわけです。卒業までのサークル活動の全てを看板の製作に費やす人もいるそうです。したがって、今回の立て看板規制というのは何年、何十年先の学生の経験を奪うのです。

はじめに自分は西部講堂の関係の人間だと言いました。西部講堂は学生や非学生問わず企画を受け入れることがアイデンティティです。この写真に映る2つの立て看は、それぞれ向かってそちらから見て左が野外演劇で、右側は性がテーマの映画祭のものです。それぞれのグループの代表的な役割を担われている方は、現在は非学生です。そして、こうした人たちが、今回の規制によってアオリを受けることになります。どうして、非学生が立て看を出してはいけないのでしょうか。たとえば、食堂やトイレは、誰でも利用でき、利用に際して学生証をチェックすることなどありません。もう少し、広げて考えてみると、大学は、学問の自由が保証されている公的な機関ですので、公共に開かれていなければ、失っていくものは多いでしょう。この点についてはもっと掘り下げていく必要があります。

最後に、私は、立て看板は京都大学が長く来てきた服として捉えられるのではないかと考えています。今回の件は、長く着てきた服を一方的に剥ぎ取り、制服を押しつけようとしているわけです。服を剥ぎ取り、一部分にだけ前当をつけとけという、愚劣なものです。服を身につけている当事者との議論なしにはありえない行為です。さらに、長く着てきた服であるので、歴史を横断した議論が必要だと思っています。

ブラック企業化する京大

駒込武・京大教授

教育学研究科の駒込です。教員の立場ということで、学生の皆さんと立場が違うことを踏まえながら、どうしたらこの状況を一緒に打開していけるのか、少し考えてみたいと思います。まず、ざっくりいうと、今までの話にあったように学生管理が強まっています。その学生を管理しているのは教職員、その教職員に対する管理も強まってきています。とりわけ2014年ごろから、「トップダウン」方式の「ガバナンス」ということが言われるようになりました。その結果、たとえば今回の吉田寮の問題に関しては、教授会では、いくつもある会議の「報告事項」のひとつとして扱われるのみで、実質的な審議はありません。かつては、重要なことは、部局長会議の後、一旦部局の教授会で議論して、それを踏まえて再度部局長会議で検討するというプロセスがあったのですが、現在は骨抜きになっています。吉田寮や立て看の話からはいったん離れますが、わたし自身が「当事者」であるそうした現実から考え始めたいと思います。

このような変化の前兆は、2008年、前総長の松本紘氏が就任したころからありました。私は、当時全学の人権委員会の委員として、ハラスメントのガイドラインを作る仕事をしていたのですが、松本総長が就任した頃にいきなり、現在国際高等教育院長であられる先生がオブザーバーとして委員会に入ってきて、そのガイドラインは京都大学当局にとって不利な側面が強いといいう考えからガイドラインを廃止させてしまいました。総長の意向を受けたと思われる人間が会議に入ってきて、合議の結果を否定するという動きがそのころから出てきたわけです。

2014年には、教職員の投票による総長選出にかかわる意向選挙を廃止しようとする動きがありました。これに対しては、廃止反対の署名運動が展開され、意向選挙は残り、山極さんを総長に選ぶことができました。しかし、同じ年に学校教育法および国立大学法人法が「改正」 され、教授会の権限は縮小されました。これまで「重要な事項を審議する」と規定されてきた教授会はこの改正により「教育研究に関する事項について審議する機関」とされ、決定権者である総長に対して「意見を述べる関係にある」に止まることを明確化する法改正がなされたのです。

このように教授会自治を骨抜きにした上で、2015年には、人文・社会系学部の廃止・縮小の議論が出てきました。今、大学の予算がどんどん減らされているなかで、産学協同・軍学共同という名前がつく研究に予算が流れていっています。文科省からの予算としては、運営費交付金が毎年1㌫ずつ減らされる中で、とにかく改革をしたところに「機能強化促進費」というお金が回るようになっており、無意味な改革が進められています。これを、「ブラック企業化する京都大学」と表現しました。教員のポスト削減も進められており、基本的に教員がやめてもその後のポストが補充されません。しかし、仕事量は変わらないどころか増えています。さらに、一つ一つの授業について、シラバスを非常に細かく書くように求められたり、シラバスのチェックが入ったりしているほか、研究成果についても、英文の雑誌に何本論文を掲載したといったような「客観的指標」を示すことが求められます。事務職員に対しては、正規事務職員が減少し、たとえば教育学部の約20人の事務職員の中で文字通り京大の職員である人は6人ぐらいです。それ以外は非正規職員です。非正規職員は、いつ首を切られるかわからないという不安定な立場に置かれています。そういう人に残業はさせられないので、正規職員が毎日のように遅くまで働いています。そうした形で「正規」と「非正規」の分断が生じているのです。分断は職員についても、教員についても、そして学生についても起きてきています。それぞれ不安定であるか、極度に多忙であるか、もしくは不安定でかつ多忙であるという状況が作られてきています。

昨年12月8日に閣議決定された「新しい経済政策のパッケージ」 では、高等教育無償化にひどい条件をつけています。無償化による支援対象となる学生に関しては、大学進学後単位取得数が6割以下であったり、GPAと称する平均成績が下位4分の1であったりすれば、打ち切るといった条件が課されています。また、支援の対象となる大学については、産業界などの外部人材を理事に2割以上ふくめた大学だけという条件があります。こうした形で、官僚の天下りのみならず、産業界からの天下りを受け入れて企業の下請け研究所のようなものにしていこうとする力が働いています。

こうした動きに関して、ノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典さんという方の文章を読んで、はっとさせられるところがありました。大隅さんは、すぐに「役に立つ」研究を求めることのおかしさということを指摘し、たとえばこういうことを言っています 。「科学の波及効果に対して長年『役に立つ』ことを求められてきた弊害が現れている。理学部はすぐには役に立たないことをやるから存在意義があったが、いまは学生から『役に立たないことをやっていていいのか』と問われる。科学が育たない状況が生まれている」。「寄付を通して科学に関わり、市民にとって科学を身近なものにしたい。効率だけを求め、それに反する人を攻撃するような社会から脱却するきっかけになれればと思っている」。とても重要な指摘だと思います。ただ従来の「学問の自由」、「大学の自治」を守るというだけでなく、市民との関係のなかで自由や自治の空間を育てていく。攻撃的な社会から脱却していく流れのなかで、上からの破壊的な「ひとづくり革命」に対抗していくことが大切なのではないか。今日は沢山の人に集まっていただけたので、この集まりが市民と学問の接点を作る出発点、きっかけになればと思っています。
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駒込武(こまごめ・たけし)
教育学研究科教授(教育学講座・教育史学)。専門は植民地教育史、台湾近現代史。

どのような視座から問題を捉えるか

鵜飼哲・一橋大教授

こんにちは。鵜飼です。いまは東京の一橋大学で教員をしています。私はあと一ヶ月と少しで定年退職を迎えるのですが、そのタイミングでこのような問題が起き、京大に来ることになったのにはやはり浅からぬ因縁があると思います。私が大学院生の時の1980年に、さらに前の78年くらいから竹本処分が強行されてしまった後、直ちに京都大学は寮の正常化に乗り出したわけです。その時は農学部の沢田さんが学生部長で、80年には医学部の翠川さんが学生部長になり、今言われているような、吉田寮熊野寮あわせて一気に団交拒否、それからこれまでの確認書の全面的な破棄がありました。その時にいろいろな経緯があったわけですが、基本的にはこの攻撃をなんとか凌いで、その後私が京都を離れてから今までの時間、代々の寮生の人たちが様々な工夫と力を凝らして、ここまで寮自治を維持してきたということに、まず心打たれるものがあります。それと同時に、今回の賛同団体で言うと、私は文学部自治会学友会と西部講堂連絡協議会、この二つの団体のOBです。その二つの立場からも、今回のことには強い当事者意識があります。

立て看についてはそもそも京都の景観条例で京大の立て看板が景観を損なっているという論理がなぜ出てくるのだということにもひとこと触れておきます。やや昔話になりますが、まちにポスターやビラが貼られることがなくなったというのも大体80年代くらいからだと思います。それまでは、様々な呼びかけのポスターやチラシが、例えば電信柱や一定の壁に貼られていました。たとえば、74年にモハメド・アリがジョージ・フォアマンに勝った直後には「コングラッチュレーションズ・アリ!」というポスターがあらゆる電信柱に貼られていて、よほど嬉しかった人がいるのだと思いました。70年代後半になると、在日韓国人で祖国政治犯・留学生の徐兄弟救援のポスターが京都のまちの辻々に貼られていきます。当然、それは、京大に限りません。京都の学生たちは、単に学内に立て看板を出したりポスターを貼ったりするだけではなくて、外にもそうしたアピールをしに出掛けていたわけですね。私は現在、東京で東京オリンピックに反対する運動をやっています。すると東京のまちの中で、どういうアピールができるかということを真剣に考えなければならないわけです。圧倒的な物量で、オリンピック一色にまちが変わっていく中で、抵抗は、大学ではなく、まちの中でしていかなければならない。現在は、まちの中でジェントリフィケーションが進行していってしまっていて、まちの風景は無標で、京大の周辺は有標である状況になっているのです。大きな流れでは、視覚に入る様々なメッセージを排除していくことが求められています。今回のここまでの説明を聞いている限りだと、京大の場合は、これまで形式的だった行政指導を口実に学内に規制をかけてきたということをよく考えてみる必要があると思います。非常に凡庸な言い方をすれば、共謀罪の「実質化」が進んでいると言えます。遡れば、マルクス主義の研究サークルが弾圧された1925年の京都学連事件が、治安維持法による最初の大きな弾圧だったわけで、果たして当時と現在とではどちらが戦争までの距離が近いのか考えると、重要な局面を迎えていると思います。また、駒込さんの話にあったような状況が当然私の勤める一橋大学でもあります。こういう中で、京大でこの立看板規制という問題が出てきていることから、この機会に、立看板やビラ、ポスターと、SNSは、「どこが違うのか」、「なぜ、SNSでは代替できないのか」を一回じっくり考えてみる必要があると思います。私にとっては、キャンパスは立て看板があることによって感じられる緊張感、テンションが必要な場所だと思っています。たった一つの立て看板でもテンションを生み出すことができる。様々な立て看板が立っていて、それを眺めることで、いろいろなことを知ることができます。ちなみに私は外部の人間なわけで、時々仕事で京都に寄ったとき、京大の前を通ると立て看板から最近起きていることを知ります。たとえば、川添さんという人の名前もそれで知ったわけです(笑)。

今回の問題は、景観条例を持ち出してしまったために、教員、学生、そしてこの京大に何らかの形でかかわってこれまで活動してきた、あらゆる人に開かれた運動として始まろうとしています。その芽を育てて、当局の圧力に抵抗する輪を広げていっていただきたいと思っています。

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鵜飼哲(うかい・さとし)
一橋大学言語社会学研究科教授。専門は現代フランス文学および思想。

講演後には意見交換があり、様々な立場の人から意見表明がありました。ただし、紙面の都合から割愛しました。(編集部)

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