複眼時評

駒込武 教育学研究科教授 「戦争バブルに色めき立つ大学?」

2017.05.16

戦争バブルに色めき立つ大学。とは言っても、現在のことではない。1930年代から40年代前半にかけての戦時中のことである。具体的にどのようなことを指しているのか。戦時下の学問統制にかかわる共同研究(駒込武・川村肇・奈須恵子編『戦時下学問の統制と動員』東京大学出版会、2011年)の内容に基づいて記すこととしたい。

カケン、すなわち科学研究費は今日の大学の研究活動において重要な位置を占めており、知らない人はまずいない。だが、その由来についてはさほど知られていない。文部省が科学研究費という枠を設けて本格的に研究助成に乗り出したのは、1939年のことである。陸軍大将荒木貞夫が文部大臣として予算を計上したのだった。当初は自然科学部門のみを対象としていたが、43年度から人文科学部門に対しても交付することになった。「大東亜戦争ノ遂行ヲ第一絶対ノ目標」として、兵器開発のような狭義の軍事研究のみならず、占領地の資源・地理・民族にかかわる研究調査から、「大東亜戦争」の正当性にかかわる哲学的弁証まで、ありとあらゆる領域の学者を「国家有用」という観点から組織化しようとする試みがなされた。戦時下の『京都帝国大学新聞』(第364号、43年5月20日付)をひもとくならば、「本年度科学研究費 本学関係は百二十一件」という見出しがおどり、採択された研究題目・研究代表者・補助金額の一覧がずらりと記されている。科研費の総額は39年度の300万円から始まり、43年度に570万円44年度には1870万円と急増していった。そこには、「学徒出陣」からイメージされる戦時下の大学とは異なる姿、いわば戦争バブルに色めき立つ大学の姿がうかがわれる。

科研費の配分審査にあたったのは学術研究会議、今日の日本学術会議の前身である。1943年に学術研究会議は従来の自然科学部門にくわえて人文科学部門を設置、45年初頭にはそれぞれの部門に研究動員委員会を設けた。法律学・政治学分野では穂積重遠、山田三良、南原繁、経済学分野では森荘三郎、神戸正雄、哲学・史学・文学分野では今井登志喜、和辻哲郎、矢野仁一など、戦後にも活躍する錚々たる学者が委員に名を連ねた。委員としての言動の質は具体的に見極めねばならないものの、敗色濃厚の戦争末期、「研究動員」という旗印のもとで学者を糾合する動向がつくられていたことは着目に値する。ちなみに、科研費にかかわる事務を取り扱う文部省科学課(1940年設置)の初代課長・本田弘人は京都帝大文学部哲学科卒業、45年7月に京都帝大事務監に転出、新制京都大学の事務局長に就任した。「事務」レベルにおける、驚くべき連続性の一端である。

他方、本田同様に京都帝大哲学科に学んだ戸坂潤は、天皇機関説事件の余波さめやらぬ1936年の時点で、研究費交付などの手法による「優先権の附与や不平等待遇」という学問統制の特質について論じて、「停滞させられた可能性から見れば、統制は自由の抑圧(実は自由への転化の阻止)だが、自由展開に放任された可能性から見れば、統制はそれ自身自由を意味するわけである」と鋭く指摘した(戸坂『唯物論講話』1936年)。助成を受ける立場からすれば「自由」の展開にほかならない「統制」に対して、どのように向かい合えばよいのか。戸坂自身はこの問いを十分に敷衍する余裕をあたえられないまま、治安維持法違反で検挙・投獄され、日本の敗戦直前に長野刑務所で獄死した。

ひるがえって現在。文部科学省による国立大学法人への運営費交付金は年々削減されている。そのために正規職員はどんどん少なくなり、学生の授業料は私立大学にさほどひけをとらぬほど高騰し、教員の研究費は驚くほど減少している。教員にとっての頼みの綱は科研費を含む「外部資金」となるが、科研費総額は2012年度以降、ほとんど増えていない。人文系の学部については、その「整理」「廃止」さえもが取り沙汰されている。戦時下に人文科学部門を含めて科研費の交付額が急増した事態が、「羨ましい」とさえ思えてしまうような状況である。

このような状況の中で、防衛装備庁「安全保障技術研究推進制度」なるものが2015年度から登場した。その予算は発足当初の約3億円から、今年度はおよそ110億円へと激増した。研究室維持のために藁にもすがりたくなる状況で目の前にぶら下げられたニンジンである。わかっていても…ということで、そのニンジンに手をのばしたくなる心情を否定することは困難である。とはいうものの、それがあからさまな誘導であることもまた確かである。何に向けての誘導か。「国家有用」の研究に向けての誘導である。しかも、何が「国家有用」かを決めるのは、研究者自身でなく、学会・学界の代表でもなく、防衛装備庁の委嘱した「外部専門家」である。そこには、きわめて狭く、近視眼的に考えられた「国家有用性」が、学問研究のあり方を左右する構図が見え隠れしている。

戦争バブルに色めき立つ大学。それはさしあたって現在のことではないかもしれない。だが、近未来のことではあるかもしれない。政府によるあからさまな誘導に対して、研究領域を越えて、大学を越えて、「待った」をかけることが必要なのではないだろうか。
(こまごめ・たけし 教育学研究科教授。専門は教育史)