文化

〈書評〉他者通し 母の死と向き合う 平野啓一郎『本心』

2024.11.16

〈書評〉他者通し 母の死と向き合う 平野啓一郎『本心』

11月祭講演会開催記念


命あるものはいつか必ず死ぬ。死は決して珍しくはない出来事だが、大切な人が亡くなったとき、遺された人は悲しみに暮れ、再び言葉を交わしたいと願う。もしも故人ともう一度会えたなら、遺された人はどんな言葉を望むのだろうか。

舞台は、合法的な自死である「自由死」が認められた2040年代の日本。主人公の朔也が、半年前に事故で亡くなった母のVF(バーチャルフィギュア)の製作を依頼する場面から始まる。朔也は生前の写真や動画、遺伝子情報、生活環境などを学習して作られるVFに心はないことを理解しつつも、生前、自由死を希望していた母の「本心」を知ることができるのではないかと期待を寄せる。

朔也はVFの〈母〉と対面し、かつての日常的なやりとりを追体験できたことを喜ぶ。ある日、朔也が自由死についての考えを問うも、〈母〉は自由死のことを一切知らないと言う。学習材料に自由死の動機が刻まれていなかったからだ。そこで、生前母と関わりのあった同僚の三好と主治医の富田、かつて親交のあった小説家・藤原に面会を依頼し、母の真意に迫ろうとする。

朔也に影響を与えるのは、バーチャル上の〈母〉との対話よりむしろ、現実世界での人との出会いによるものが大きい。巨大な台風により家が被害を受けた三好は、朔也の家に転がり込み、共同生活を始めることになる。ひょんなことから、叱責されるコンビニ店員を朔也がかばう動画が拡散されヒーローとなり、バーチャル世界で衣装を制作する有名アーティスト・イフィーにも出会う。母の本心を探すために踏み出した一歩が、朔也の人生自体を後押しするのだ。

2040年代という近未来を描きながらも、その描写が現実味を帯びていることが特徴的であろう。VFの製作を可能にした、AIやVRの恩恵だけに光を当てるわけではない。製作会社が故人を商売に利用する様子や、VFの作製後の様々なオプションの提案で課金を促すなど巧みに資金を吸い上げる仕組みが見て取れる。随所からは、技術発展によって人間が仕事を持つことが難しくなっていることも伺える。持つ者は富み、持たない者は貧困に喘ぐ構造がさらに深まることの一端を、最新の技術が担っているようにさえ思える。また、朔也の友人が、インターネットを介して依頼された犯罪行為を代行する場面もある。これは、昨今ニュースを騒がせている「闇バイト」と共通点が多く、筆者の先見性に驚く。

朔也が懸命に母の本心を知ろうとするのは、母の死に立ち会えなかったことへの強い懺悔の念があるように思える。母は、自由死を望む理由として「朔也に看取られて死ぬのが一番の願い」と語っていた。しかし、朔也の出張中にドローンの墜落に巻き込まれて母は命を落としてしまう。母の言葉を聞きつつも、それを尊重できなかったことへの後ろめたさから、自分に語らなかった「本心」があると信じて〈母〉を製作したり、母を知る人を訪ねたりしたのだろう。

筆者は『私とは何か』で、人は確固たる「本当の自分」があるわけではなく、状況に応じてペルソナを使い分けているという分人主義を唱える。藤原が「最愛の人の他者性」と表現しているように、母も朔也に見せなかった一面がある。意図せず、朔也は母の死をきっかけに他者と交流し、自らの生と向き合うきっかけを持つことになった。死との向き合い方を、他者との関係から見つめ直す一作である。(史)

◆書誌情報
『本心』
平野啓一郎/著
文藝春秋
2021年5月
1800円+税

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