文化

〈書評〉魅力的な余白 「はだかの部屋」

2025.12.01

1人旅の道中、欠かせないものがある。本だ。ただの本ではだめで、駅のホームでの待ち時間などに長く暇をつぶせる本でなくてはならない。分厚いと荷物になるので、ある程度薄いものが良い。このような、長く読めて荷物にならないという矛盾を、一見すると孕んだ本が、星新一の掌編小説だ。彼の作品は、オチの見事さやシチュエーションの巧妙さに加えて、物語の余白に魅力がある。彼は物語を完璧にまとめた後に、その物語の外にひょいっと1本の線を引いて見せる。そのたったの1本が余白の存在を明確にする。読者は物語の先を予感し、気づきの快感を得る。そして補助線を頼りに、物語はどんどんと膨張していく。短編の中に、巨大な物語が詰まっているのだ。本評では、そんな彼の余白の魅力がふんだんに詰まった作品を紹介する。短編集『おみそれ社会』の一編、「はだかの部屋」だ。

作品の舞台は、大きなダブルベッドに大型テレビ、いわゆる高級住宅の一室だ。主人公は独身の青年、三郎。金持ちの叔父叔母の旅行中、留守番を任されている。部屋には1畳半の押し入れがあり、中には電気掃除機が1つしまってある。1人の時間をもてあました三郎は、部屋に彼の恋人を呼ぶ。しかし部屋に入ってきたのは叔父の不倫相手。2人は裸になり良い雰囲気になるが、そこに三郎の恋人がやってくる。三郎は急いで叔父の不倫相手を押し入れに押し込む。三郎と恋人は良い雰囲気になり、やがて恋人は裸になるが、そこに叔母の不倫相手が訪れ、三郎は恋人を急いで押し入れに押し込む。このように、裸になった来訪者を別の来訪者のために押し入れに入れることを数珠つなぎに繰り返していく。結局押し入れに入るのは総勢5名。①叔父の不倫相手(女)②三郎の恋人(女)③パパラッチに尾行されている、叔母の不倫相手(男)④隣家の婦人の不倫相手(男)⑤水商売風の謎の女(女)だ。最後に旅中のトラブルで叔父叔母が早くに帰ってきて、三郎は家を追い出される。叔父叔母の睦言に、押し入れの中の裸の男女が発情するのではないか。帰宅途中の三郎の悶々とした想像で、物語は終わる。

物語の最中、押し入れの中の描写は電気掃除機のくだりのみ。読者は物語の展開を追うのに必死で、押し入れの中を想像する暇がない。最後の三郎の独白で、押し入れの中へと想像が一気に向かう。1畳半の空間の中、5人の裸の男女。中々にセクシーな状況だ。しかし、ここではたと気が付く。色々な可能性があるにしろ、1人あぶれる奇数であることに違和感がある。女性3人に男性2人。男性が1人足りないのではないか。そして、来歴を明かされない⑤の謎の女。存在だけがほのめかされる、③の男を尾行するパパラッチや④が不倫する婦人の夫。物語に、意図的な不完全さを感じる。評者の中に疑問と想像が湧いてくる。押し入れの中には電気掃除機の前に、本当はパパラッチの男など別の誰かが居たのではないか?居たとして、その更に前に人はいなかったのか?叔父叔母の帰宅で、押し入れの連鎖は本当に止まったのか?1畳半に本当に5人も入るのか?押し入れは閉められた時、1畳半ではなくなる?電気掃除機が男女を吸い込んでしまった?例えば……。次第に星新一の術中にはまり、物語は想像によって元々のサイズをはるかに上回るものになっていく。

評者はあらゆる物語に想像の余地があると考えているが、星新一は読者に余地の存在を明白に示すのが巧妙だ。薄い短編集に、書かれた文章以上の物語が詰まっている。暇を持て余す1人旅にぴったりな掌編だ。ただし、注意しなくてはならない。評者のように、現実の電車を見逃すこともある。押し入れに入り込んだ最後の1人として。(雲)

◆書誌情報
『おみそれ社会』
星新一著、新潮社
1985年
649円

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