〈書評〉「夜」への招待状 森見登美彦 『夜行』
2025.12.16
本を選んでいるときが一番好きかもしれない。本との出会いは多種多様である。表紙に一目ぼれした本もあれば、まったく興味が無かったのに買ってしまった本もある。この本との出会いは少々奇異なものであった。初めてこの本を見たときにはあまり惹かれるものを感じなかったが、店頭に1冊だけ残っていたこの本を何気なく手に取り、最初の数ページを読んで驚いた。なんと物語の始まりが京都で慣れ親しんだ出町柳駅だったのだ。さらに、第一章の舞台となる尾道は、評者が夏休みに旅行へ出かけたばかりの場所であった。それだけで評者にとってはこの本を買う十分な理由になった。
物語は出町柳駅の叡山電鉄改札口から始まる。10年ぶりに英会話スクールの仲間4人と再会した「僕」は、仲間たちと連れ立って鞍馬の火祭に出発する。10年前の鞍馬の火祭の日、長谷川さんが姿を消した。彼女の存在をどこか意識しながら、5人は雨が降りしきる貴船の宿での夜、旅先であった不思議な出来事をおのおの語り始める。尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡、そして舞台は鞍馬へと戻る。それぞれの語りは夜の美しさ、不気味さ、寂しさを描きながら、岸田道生という銅版画家の描いた《夜行》という連作絵画へとつながっていく。5人はそれぞれの旅先で必ず《夜行》に出会っていた。《夜行》に魅せられ、恐れるうちに怪異が彼らの身に起こる。終盤、連作絵画と共に存在した茫漠とした夜が明け、全てが「裏返り」、物語は終わりを告げる。
いずれの章も別々の地での出来事を描いているが、共通するものとして「夜の魔力」が存在する。夜になると、慣れ親しんだいつもの風景でさえ異なった表情を見せ始める。昼間と異なった姿を見せるのは景色だけではない。人もまたそうだ。さっきまで隣にいたよく知っているはずの人が、次の瞬間には別人のような雰囲気をまとい始め、時には夜に吸い込まれて消えてしまう。そんな恐怖が作中では常に付きまとってくる。作中で描かれる土地ごとの夜の美しさがその恐怖を一層強めている。夜の魔力を前にしては、昼間では当たり前のことですら当てにならない。いずれの章においてもラストシーンで語り手は「魔境」としての夜に迷い込み、読者もまた、つかみどころのない夜にとらわれてしまう。2周、3周とこの本を読んだ評者でさえ、この深い「夜」に捕まり、さまよい、夜明けに近づいては連れ戻されを繰り返し、いつまでも抜け出すことは出来なかった。ただし、夜は必ず明ける。夜が深く恐ろしいものであればあるほど、「夜明け」は美しく、輝きに満ちたものとなるはずだ。いつか来る夜明けを信じながら夜の魔力に負けずに読み進めてほしい。
この本では、旅ができる。怪談が読める。遠い過去の青春を味わえる。鉄道好きならば、近年失われつつある夜行列車での旅情を味わえる。人によっては、幼少期の何とも言えない寂しさを呼び覚まされるかもしれない。喧噪に包まれた昼ばかりを生きるすべての人に読んでほしい1冊である。(仁)
物語は出町柳駅の叡山電鉄改札口から始まる。10年ぶりに英会話スクールの仲間4人と再会した「僕」は、仲間たちと連れ立って鞍馬の火祭に出発する。10年前の鞍馬の火祭の日、長谷川さんが姿を消した。彼女の存在をどこか意識しながら、5人は雨が降りしきる貴船の宿での夜、旅先であった不思議な出来事をおのおの語り始める。尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡、そして舞台は鞍馬へと戻る。それぞれの語りは夜の美しさ、不気味さ、寂しさを描きながら、岸田道生という銅版画家の描いた《夜行》という連作絵画へとつながっていく。5人はそれぞれの旅先で必ず《夜行》に出会っていた。《夜行》に魅せられ、恐れるうちに怪異が彼らの身に起こる。終盤、連作絵画と共に存在した茫漠とした夜が明け、全てが「裏返り」、物語は終わりを告げる。
いずれの章も別々の地での出来事を描いているが、共通するものとして「夜の魔力」が存在する。夜になると、慣れ親しんだいつもの風景でさえ異なった表情を見せ始める。昼間と異なった姿を見せるのは景色だけではない。人もまたそうだ。さっきまで隣にいたよく知っているはずの人が、次の瞬間には別人のような雰囲気をまとい始め、時には夜に吸い込まれて消えてしまう。そんな恐怖が作中では常に付きまとってくる。作中で描かれる土地ごとの夜の美しさがその恐怖を一層強めている。夜の魔力を前にしては、昼間では当たり前のことですら当てにならない。いずれの章においてもラストシーンで語り手は「魔境」としての夜に迷い込み、読者もまた、つかみどころのない夜にとらわれてしまう。2周、3周とこの本を読んだ評者でさえ、この深い「夜」に捕まり、さまよい、夜明けに近づいては連れ戻されを繰り返し、いつまでも抜け出すことは出来なかった。ただし、夜は必ず明ける。夜が深く恐ろしいものであればあるほど、「夜明け」は美しく、輝きに満ちたものとなるはずだ。いつか来る夜明けを信じながら夜の魔力に負けずに読み進めてほしい。
この本では、旅ができる。怪談が読める。遠い過去の青春を味わえる。鉄道好きならば、近年失われつつある夜行列車での旅情を味わえる。人によっては、幼少期の何とも言えない寂しさを呼び覚まされるかもしれない。喧噪に包まれた昼ばかりを生きるすべての人に読んでほしい1冊である。(仁)
◆書誌情報
『夜行』
森見登美彦著、小学館文庫
2019年
610円+税
『夜行』
森見登美彦著、小学館文庫
2019年
610円+税
