文化

〈書評〉「半身」で働く 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

2024.07.01

〈書評〉「半身」で働く 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
著者の三宅香帆氏は1994年生まれ、京都大学文学部卒の文芸評論家。卒業後は東京のIT企業に勤務しながら執筆活動を兼業するも退職し、京都に戻り専業の評論家になる。三宅氏は、本紙23年10月16日号に掲載した連載企画「京大出たあと、何したはるの?」で、自身の学生生活や専業の評論家になったきっかけを語った。同記事は公式ホームページから確認できる。

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」は今年4月に出版され、刊行から1週間で発行部数10万部を記録した。本書は「本を読む時間はあるのに、スマホを見てしまう」という筆者自身のリアルな悩みから出発し、日本の近現代労働史を俯瞰しながら、私たちを取り巻く社会の問題点をあぶりだしていく。

「読書」をめぐる近代労働史は明治時代から始まる。当時は、階級によって読書環境に大きな格差が見られた。インテリ層は文芸書を読んで教養を得る。労働者は実学的な自己啓発書を読んで自己研鑽を目指した。

一方、高度経済成長期の読書環境では、インテリ階級と労働者階級の中間に位置するサラリーマンにフォーカスする。テレビという新たな媒体に飛び乗って、読書の民主化・娯楽化が進展した時代だ。ベストセラーになった司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、NHK大河ドラマの成功が原作本のヒットに直結した。幕末の乱世を世渡りによって生き、日本の成長のために尽力する主人公に、サラリーマンが自分の組織論や仕事論を投影した。

「ノイズ」のない現代


現在の読書環境を特徴づけるのは、自己啓発書である。その背景には「『自分に関係ない知識』はノイズ」という共通認識があるという。この認識はバブル崩壊に端を発する。バブルがはじけて経済成長がマイナスに転じると、解雇制度が一般的ではない日本企業では人があまり、昇進のために評価を定める必要性が出た。そこで「自己啓発」という指標を導入し、会社外で資格の取得やセミナーへの出席、語学スキルの向上を社員に求めるようになった。

教育理念も、この時代の読書環境に大きな影響を与えていた。「好きなものを仕事にしなさい」という、自己実現を労働によって図ることを是とする「ゆとり教育」は、労働以外での自己実現の可能性を間接的に狭め、「労働者の実存が労働によって埋め合わされる」結果を招いた。

現代に溢れる自己啓発書には、『竜馬がゆく』に示される「仕事を頑張れば、社会が変わる」といった個人と社会との接続感は見当たらない。

自己啓発書に加え、近年急速に普及したインターネットは、自分が求める情報をその歴史性や文脈性などの「ノイズ」を排した状態で即物的に提供し、労働を通じた「自己実現」のための道具として機能した。

ノイズを取り戻す


「『全身全霊』をやめませんか」と題した最終章では、全身で仕事に浸かることをやめ、「半身(はんみ)」で働くことが提唱される。ノイズを排したインターネットや自己啓発書に対し、読書は、「何が向こうからやってくるのか分からない」という偶然性に溢れ、自分とは関係のない他者や社会の文脈に満たされた行為である。半身で働くことで、仕事以外・自分以外の文脈に触れる余裕ができ、うつ病や燃え尽き症候群を防いで、心の平穏を保てるという。

半身的な労働姿勢は、今日の社会運動である「働き方改革」によって徐々に人口に膾炙(かいしゃ)しつつあるが、その実践は十分とはいいがたい。また、語学や資格の勉強を社外に求めるなど、労働が個人の人生を侵食し、労働者側もその生き方を肯定・内面化して「自己実現の奴隷」と化す新自由主義的なマインドは、時を経るごとに先鋭化しつつあるように思う。

近現代労働史や読書史をさかのぼるボリューミーな内容は、ポップで親しみやすいタイトルとは対照的だ。情報量の多さにはじめは面食らうかもしれないが、本書が肯定する偶然性や他者性を十分に味わえる豊かな内容に仕上がっている。(順)

◆書誌情報
書名:なぜ働いていると本が読めなくなるのか
著者:三宅香帆
レーベル:集英社新書
発行日:2024年4月
定価:1100円+税

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