「踊らされるな、自分で踊れ―大学の今とこれからを語る集い―」吉田寮自治会主催で学内集会
2019.01.16
昨年12月19日、京大構内で、吉田寮自治会主催の学内集会「踊らされるな、自分で踊れ――大学の今とこれからを語る集い――」が開催された。12時から時計台前で、18時半からは法経第七教室で催された集会は、吉田寮自治会や教員、学部自治会などの呼びかけで、14の団体・個人が登壇し、参加者は300名を超えた。
この集会は、吉田寮に関する話題だけでなく、いま京都大学で起こっている様々な問題について取り上げたいと考え企画しました。吉田寮でこれまで、当事者たちが様々な取り組みを積み重ねてきたように、京大で起こっている諸問題にもそれぞれ、当事者たちが内外に向けていろいろ取り組んできました。今日はそういう人達も集まって、経験や情報を共有し、呼びかけ合い、共に考える場にしたいと思います。
ちょうど1年前の今日、吉田寮の「退去期限」が一方的に通告され、今まで以上に強硬化した大学当局に取り組む中で、京大において様々な管理強化、制度の改悪、ひどい状況が起こってきたことが分かりました。京大だけでなく他大学においても、さらに大変なことが起こってきた・起こっていることも知りました。今日12月19日は、吉田寮の「基本方針」ともう一つ、「立看板規程」が発表された日でもあります。こちらも、当事者に事前の説明がなく、学生から大学当局へ申し込まれた話し合い要求も無視されたままです。立て看などの大学における学生らの表現活動について、他大学では京大より何年も前から規制が行われていて、中には、当局が検閲し許可が出ないと看板やビラが出せない大学もある、という話も聞きました。
自分が直面している問題は、その場所だけで完結しているのではなく、大学や社会において起こっている、色々な問題と繋がっていることが分かります。ですから、自分が直面している問題に取り組むということはすなわち、自分ではない誰かが直面している問題にも目を向けて取り組むことにも繋がっているのだと言えると思います。
私にとっては吉田寮から、今日集まっていただいた皆さんにとっては、それぞれ取り組まれている足もとの問題や現場から、そこから始めて考えを深め、繋がりを広げていって、この状況に総体として取り組めるような、そういう決起の場としたいです。
まず2017年12月19日に出された「吉田寮生の安全確保についての基本方針」の前半部分では、主に吉田寮現棟の老朽化問題の経緯について「70年代、大学当局は老朽化は知っていて、話し合いをしたが対策されず老朽化が進んだ」と言っています。また、「2009年には現棟を建て替える方針を示し、2015年になっても老朽化問題はそのままであった」と述べています。こうした経緯を受けて大学当局は、「現棟は老朽化が進んでいて地震が来た時に壊れる恐れがある。よって可及的速やかに寮生の安全を確保する必要がある。」として次の4つの方針を打ち出してきました。1つ目、2018年1月以降の新規入寮を認めない。2つ目、同年9月末までに全員退去しなければならない。3つ目、希望する一部の寮生には同じ家賃で代替宿舎を用意する。4つ目、現棟の老朽化対策は収容定員増加を念頭に検討を進める。
次にこれら基本方針のどこが問題だと我々は考えるのか説明します。今回皆さんに知っておいてもらいたいと思うのは4点です。
1つ目に、基本方針策定が一方的で、確約書にあるような、当事者間での話し合いによる合意形成を蔑ろにしているという問題点があります。一般論として、何か問題がある場合、それに関わる当事者たちが話し合って解決を図るのが当事者たちにとって最も納得のいく解決方法だと思います。吉田寮では話し合いの原則というのがあり、今言ったことを原則的に実践し寮に関わる大小様々なことを決めてきました。とりわけ寮生の生活、寮の運営といった多くの人に関係あることは当事者である寮自治会との話し合いが必要だと思います。確約書とは、吉田寮自治会と大学当局の間で結ばれる様々な約束が書かれた物です。学生担当理事が変わるたびに結んでいますが、残念ながら今の理事は結ばないと言っています。確約書には、項目1として、「大学当局は吉田寮の運営について一方的な決定を行わず、吉田寮自治会と話し合い、合意の上決定する。また、吉田寮自治会が団体交渉を希望した場合は、それに応じる」とあります。また、「確約書は次期の理事に責任を持って引き継ぐ」ともあります。このことについて、今の理事は「事務的な引継は完了している。ただしその内容を自動的に承認することが『引継』であるとは考えていない。」と言って確約書を無視してきています。
2つ目の問題点は、入寮選考権を侵害していることです。先ほど説明した確約書に「入退寮者の決定については、吉田寮現棟・新棟ともに現行の方式を維持する」とあります。「現行の方式」とは、今まで入退寮選考権は吉田寮自治会が持ってきたということを意味します。寮自治会が選考権を持つことで、当局がそれを持った際に考えられる画一的な選考ではなく、希望者の個別の事情に配慮した柔軟な対応ができます。また特定の思想や運動、国籍、在学年数、学籍種別などで当局から排除されることがなくなります。吉田寮では今まで、入寮希望者の個々の経済・就学状況について寮生が面接を行い会議を経て決めています。
3つ目の問題点は、現棟老朽化問題の歴史的経緯を無視していることです。まず1970年代、基本方針で当局は「話し合いに努めたが現棟の改善整備はされず老朽化が進んだ」と言っていますが、この時寮自治会は補修を求めていました。また当時の学生部長は、大学当局が行うべき補修をサボったことで寮が老朽化したことを認めていました。ここ十数年でいうと、当局は「現棟を建て替える方針を2009年に示したが、それは行われず今に至るまで老朽化問題はそのままになった」と言っていましたが、2012年から2015年にかけて、吉田寮自治会と大学当局は現棟を補修していく方向性で話し合い老朽化問題を解決しようとしてきました。ところが今の学生担当理事に変わった途端、補修の方向性であったことを一切無視し、老朽化問題に関しては「検討中」としか言わなくなりました。よって当局は歴史的経緯に関して恣意的な事実誤認をしていると思われます。
4つ目の問題点は、今まで話した3つと次元の違う話、つまり大学当局の土俵に立って考えてもおかしい点なのですが、「安全確保」を理由としておきながら築3年の耐震性に問題のない新棟・西寮からも出ていくように求めていることです。基本方針は「安全確保」のため、すなわち当局は「現棟が老朽化して危ないから出て行け」と言っています。耐震性に全く問題のない西寮からも出ていくのは筋が通りません。
ここからはこれらの問題点が今年に入ってどう推移したのか説明します。
自治会と大学当局は確約書にあるように「団体交渉」で話し合いをしてきたのですが、今の理事はその形式を嫌い、全く異なる条件を付した少人数の話し合いなら応じると言ってきていました。そこで今年の7月と8月に自治会がそれらの条件を全て受け入れ、2回の交渉が持たれました。交渉の場で理事は「合意形成はしない、意見を聞くだけ」といい、またある場面では自治会側の出席者を恫喝し、それについてこちらが指摘すると、あろうことか「恫喝と取ってもらって構わない」と居直りました。2回目の交渉の終わりには、議題があるにもかかわらず話し合いを終わらせようとし、寮生が話し合いを一方的に打ち切らないように求めると、「意見は聞いた」とだけ言って、寮生が話すのを遮って強引に退出していきました。理事は「少人数交渉にすることで理性的で建設的な話し合いをしたい」と言っておきながら、いざ交渉に出ると自らそれを否定するような言動が目立ちました。
9月30日以降、3回目の交渉申入れや公開質問状に対する応答はありませんでした。私たちは窓口に行きましたが、交渉に関しては「伝えておく」、質問状に対しては「回答しないことになった」と繰り返すばかりで、まともな応答がありませんでした。そこで11月9日、学内の会議が終わって帰る理事のところに直接会いに行きました。上記のことに関して聞くとただ「どきなさい」と言うだけで応じません。タクシーの前や窓近くにいってちゃんと答えてほしい旨を抗議していると、取り巻きの職員総勢30人近くが、理事に詰め寄って抗議する寮生を、腕を引っ張ったり胴体に抱きついて引き剥がそうとしたり怒声を浴びせ暴力的に排除してきました。またその数分後には、当局の職員による通報で警察10人近くが構内にやってきました。こうした大学当局のふるまいは、意見の違う者は力ずくで排除するのみだという当局の姿勢がよく現れていると思います。私たちは、話し合いを求めて、応答がないから直接会いに行くしかなかっただけです。それなのに、行っただけで暴力を振るわれ警察まで呼ばれたのです。大学当局には、微塵も学生のことを思って話し合いをする気がないように感じられ、本当に悲しいです。
次に入寮選考権の侵害についてです。大学当局は2018年の春、吉田寮への入寮を妨害するために「吉田寮には入寮できません」と書かれた紙を新入生全員に配布したり、web上で同様のことを宣伝したりしました。私たちは「入寮募集をやめさせたいのであれば話し合って決めよう」と当局に呼びかけましたが応答はありませんでした。「代替宿舎」は今の時点で寮に住んでいる人の一部だけしか与えられず、福利厚生施設としての吉田寮のあり方としては不十分です。毎年吉田寮を本当に必要とする人は必ずいます。そうした人々のために門戸を閉ざす訳にはいかないので、私たちは2018年も入寮募集を継続しました。
先ほどは現棟老朽化問題の歴史的経緯の話をしましたが、ここでは現棟老朽化問題が少人数交渉でどう話しあわれたか説明します。私たちがこの問題について意見を擦り合わせるために検討中の段階でも良いので当局側の案を状況を教えてほしいと言うと、川添理事は「検討途中で公開すると混乱を招く」と言って公開しませんでした。「混乱を招く」とはどういうことでしょうか。それは吉田寮自治会、あるいは学生などから反発の声が出るということだと考えられます。ということは、理事たちは反発が出ると思われる案を考えていて、その方向で進めていきたいという意図が垣間見えます。また私たちは1回目の少人数交渉で現棟を補修する3案を提示しました。理事はその時「フィードバックする」と言いましたが、2回目の交渉では「検討する」と答えるだけで、これは2016年以降と言っていることが何ら変わらず、実質無回答が続いています。これらのことから、当局にはこの現棟老朽化問題を自治会と議論するつもりがないことがわかります。
4つ目の問題点、耐震性に問題のない西寮からの退去要請についてですが、川添理事は最初、西寮からも出ていかないといけない理由として、寮生の誰がどちらの棟に住んでいるかわからないからと言っていました。そこで私たちは現棟・西寮を区別できる形式に寮生の名簿を一部変更して提出しました。すると理事は「君たちが出してきた名簿は信用できない」と言ってきました。そして西寮退去の理由として、理事は京大生全体での福利厚生という観点で、現在の吉田寮は接近し難く福利厚生施設として不適切だからという旨を言ってきました。また私たちが現棟が危ないと言うなら西寮だけに住む用意がある事を伝えると、理事は、出ていってもらってから福利厚生の再編のため西寮をどう使うか考えると言いました。これらのことから、川添理事、大学当局は当初の「安全確保」という目的を逸脱し、全員退去という結論ありきでしかないと言えると思います。
今まで話してきたことか、推定される大学の思惑を説明します。数年前の交渉で当時の学生担当理事になぜ補修案だとダメなのか聞くと、「現棟の東側部分に講義棟を建てたいという理事がいる」と話していました。こうした土地の有効利用などの背景があって、今回の基本方針は策定されたものだと思われます。そしてこれまでの大学当局の言動を鑑みるにわざわざ「代替宿舎」を用意することで、宿舎に入る人・入らない人という寮生の分断を謀り、自治会を弱体化・形骸化させることが当面の狙いだと思われます。つまりは実質的な廃寮化・管理寮化を目的としていると思われます。
最後に吉田寮自治会が言いたいことを伝えます。まず、大学当局には話し合いのテーブルについてほしいと思います。私たちは自らの主張を無理に押し通そうとしたいのではありません。より良い、より万人にとって居心地のよい、寮にしていくためにあくまで話し合いを求めていきます。そして、真摯な話し合いを通じて合意形成をしていきたいとも思っています。この中で、大学当局には、現棟老朽化の対策として補修も含めて考えてほしいです。私たちは自分たちで考え案も出しています。何が最善なのか、話し合って決めましょう。最後に、確約書を尊重して寮自治を継続すること、これが求めていることです。寮自治の中で寮生自身が当事者として何が必要か考え抜いて生きたからこそ、これまで低廉な寮費を勝ち取ったり、入寮資格を拡大したりして、より良い福利厚生を実現してきたと思いますし、これをこれからも続けていきたいと思います。
伝統的に大学はそのような場ではありません。経済的・能力主義的な条件をクリアした人しか大学にアクセスできず、性別や民族による差別や偏りが当たり前のようにあります。大学自体の性質として、研究と称して先住民族や在野のコミュニティーを搾取してそこで得られたものを研究者の所有物にしてきた歴史があります。しかしそうした大学の役割に抗う人が出てきて、変わってきた側面もあると思います。個々の経緯があるので一括りにするのはよくないですが、例えば民族学校出身者の受験資格を認めさせたり、吉田寮においては性や国籍や学籍の正規/非正規による入寮資格の差別をなくしたり、吉田寮食堂の使用方法を学内外の様々な人々が話し合って決めるようになってきたことなど。そのように様々な人々が関わる中で、既存の大学や寮のあり方、見えていなかったもの・排除されてきたものを問いなおす作業が、更に積み重ねられてきたのではないかと思います。その基盤となってきたのが自治活動であり、今「とにかく上で決めたルールに従え」と言って壊されようとしているものではないでしょうか。
憎悪とともに「学外者」という言葉が職員の口から飛び出る現状は、あまりに傲慢で閉鎖的な京大の現状の一端ではないでしょうか。このような現状を変えていくためにも、まず私たち自身が大学生か否かや学籍の「正規」/「非正規」、寮生かそうでないか等による、差別・分断やマジョリティの特権意識に慣らされてはいけないと思います。
日本の社会というのは厳格で孤独なものです。暮らしていくことにつらさを感じたので、私は寮を探し始めました。吉田寮を訪れて、私は好感を持ちました。たくさんの人達が話しかけてくれるので、友達が簡単に出来ました。また、吉田寮は非常に創造的で、多くの人が自分自身を表現していて、あらゆるところに芸術があり、みんな考えを持っていると感じました。重荷が取れ、自由になった気がしました。良い友人もでき、このコミュニティーの一部になれると感じました。吉田寮は学生生活の創造的なエネルギーと青春時代の象徴です。京都のその他の場所と異なり、吉田寮はまったく退屈でなく、興味深くてディープな場所なのです。
私には京都大学在学中に鬱になって引きこもりになってしまった留学生の友人が多くいます。何人かは勉強を諦め、自分たちの国に帰ってしまいました。一人は自殺してしまいました。どうやら、自殺が原因で友人を失ってしまった友達が他にもいるようでした。私もまた大変落ち込んで、困難な時を過ごしました。京都大学は学生の生活の質に関して、何を間違っているのでしょうか。間違っていることはとてもたくさんあって、そしておそらくこの大学にはその問題すべて、あるいはその原因について話す余裕が無いのでしょう。
ですので、私は解決策について話します。あらゆる国において、青年期の日々を華々しいものにしたいなら、若い世代を力強く、創造的で、明るい未来を持つものにしたいなら、彼らを若いままにしておく必要があります。「若いまま」というのは、自分や世界をより調査し、新しいことを創造し、多くの疑問を生み多くの失敗をする、そういったことをする自由を持つことです。失敗は、どうすればより良くなるか、より良い決定ができるかを教えてくれます。吉田寮は多くの新しいことに取り組み、また多くの失敗を積み重ねることで発展してきました。昔の吉田寮は女性も外国人留学生も受け入れませんでした。今では、様々なジェンダー・アイデンティティ、年齢、背景、そして国籍を持った人々が同じ空間を共有しています。寮をあらゆる人にとって良い場所にしていくために、寮生たちによって決断がなされ、多くの闘いがありました。吉田寮は常に変化発展して、現代社会の変化に順応しています。もちろん吉田寮には多くの改善すべき部分があります。だから、京都大学は、我々の敵ではなく、寮の物理条件の改善を助けより暮らしやすい場所にしてくれる味方として必要です。
自らに問いかけない文化、変化あるいは適応しない文化は必ず消滅するでしょう。世界が変わっていくなかで、教育や大学と学生との関係も変わる必要があります。学生生活を向上させる解決策を見つけたいなら、対話をより良くすることと、負荷を減らすことが必要です。吉田寮のような場所があるということ、常に現状に疑問を投げかけ、新しい方法について議論し、青春時代の力の象徴であるようなコミュニティーがあるということは、ただ良いことであるだけでなく、必要なことでもあるのです。もし京都大学が吉田寮を潰したら、それは京大の学生の青春時代の大きな部分を殺すことになるでしょう。吉田寮を潰すということは、そこに長年暮らしている人を追い出すだけでなく、創造性、批判的思考、そして青春を立ち退かせることも意味するのです。
青春も、創造性も、そして自己批判能力もない大学は、退屈で、退化し、現代的な必要性や要望に答えられないことが運命づけられています。従って、もし大学側が我々と共に取り組めば、京都大学において、吉田寮とは悩みの種ではなく、学生の青春時代が花開くことを助ける解決策であると理解できる、私はそう願っています。 (本文章は英語でのスピーチを日本語訳したものです。)
2017年12月に大学から「基本方針」が発表されて以来、吉田寮生は2018年9月末までの全面退去を迫られている状況にあります。大学は退去の理由として、基本方針において「安全確保」という名目を挙げていますが、築3年の新棟からも寮生を退去させようとしており、また現棟・食堂・新棟含む吉田寮の建物の9月以降の扱いについて、何一つ明らかにしておりませんでした。このような状況において、ただ大学に対して話し合いを求めていくだけでは吉田寮の建物の今後や寮自治会の存続について大学側から何の回答も引き出せず、一向に建設的な議論が進まないのではないかとわれわれ実行委員は懸念しました。そして、この状況を打開すべく、市民を交えて、自由に吉田寮の今後の方向性についてアイデアを提示して語り合えるような場をつくり、具体性をもって吉田寮の可能性を感じられるようにする必要があるのではないかと考えました。そこで、寮生有志が中心となり、「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」を立ち上げました。
本プロジェクトでは、6月から9月にかけて、条件を問わず、広く市民の方々から吉田寮を保全・改修していくためのアイデアを募集しました。応募された26もの提案を吉田寮食堂で展示し、たくさんの方々に見ていただきました。そして、9月23日には、これらの集大成として、尾池和夫元総長を含む10名以上ものコメンテーターをお呼びして、シンポジウムを開催しました。このシンポジウムでは、京大の人間・環境学研究科棟地下大講義室にて、午前の部に提案者によるポスターセッションがあり、午後の部ではコメンテーター・市民・寮生の三者が意見交換をしました。150名ほどの来場者と5団体のメディアにお越しいただきました。
本プロジェクトでは再生デザイン部門と継承プログラム部門の2部門で提案作品を募集し、投票形式で、注目を集めた作品を各部門3つずつ決定しました。詳しくは本プロジェクトの公式サイトをご覧ください。
最後にこのプロジェクトを運営していく中で感じたことを少しだけ話します。市民の方々から作品を募るにあたっては、実際の寮の姿を知ってもらったうえで作品を制作してもらいたいという思いがあり、吉田寮見学会に参加してもらうことを推奨していました。7月から8月までの間に計7回の見学会を開催し、応募しなかった方も含め、数百名の方が吉田寮を訪れました。その際に感じたのは、当然ですが、吉田寮生と来場者の方では感じることが全く違っているということです。例えば、吉田寮生の感覚では、比較的綺麗だと感じているところでも、来場者の方にとっては汚いとしか思えないということも少なくありません。色々な吉田寮の運営の在り方などについて、寮生の立場から、理屈を並べて説明しても、必ずしも納得してもらえるわけではありません。勿論、吉田寮が培ってきた意見を強く持って主張するということ自体は大切だと思います。しかし、私たちが意図していたのは市民を交えて自由に語りあってもらうことであり、これまで寮生が考えていなかったようなアイデアが出てくることを期待していました。そのため、既存の考え方を強く訴えすぎることは本来の趣旨を壊してしまうと考え、シンポジウムの場では、基本的に寮生は黒子の立場に徹し、コメンテーターや来場者の意見を尊重するという形をとりました。
そういったイベントばかりであるべきだとは思いませんが、身内だけで集まるのではなく、これまで知りもしなかったような人たちにも関心を抱いてもらい、いま問題となっている事態を知ってもらうことは極めて重要だと思います。自分の感覚にそぐわないような意見に直面する一方で意外なアイデアとの出会いもある、そうした体験を多くできました。
私たちの活動については公式ウェブサイト上で詳しく掲載しています。最新の情報についてはツイッターで告知していますので、興味のある方はフォローお願いします。
さて、京大は2017年12月に「吉田寮生の安全確保についての基本方針」を公表し、2018年9月30日までに吉田寮生全員の退去を求めるという一方的な通告をしました。私たちは、山極総長と川添理事をはじめとする大学当局が、吉田寮自治会との話し合いを誠実に進めない状況を深く憂慮し、学生との対話と、京大らしい解決を大学当局に求め、「京都大学学生寄宿舎吉田寮の保全と活用を求める卒寮生と市民の共同声明」を提出することを決めました。卒寮生と市民に広く呼びかけ、9月27日に一次集約として、642人の連名で京大当局に提出しました。
当会が呼び掛けた共同声明だけでなく、さまざまな人や団体が、吉田寮について憂慮する声を届けているにもかかわらず、京大当局は10月1日、寮生への退舎の通告書を、職員が吉田寮の玄関などに無言で貼るとともに、寮の事務員を引きあげ、火事の通報や急病などの連絡でも必要不可欠なライフラインである電話回線を、通告なく遮断しました。そして、11月9日に吉田寮自治会が川添理事に話し合いを求めて行ったアピール行動を暴力的に排除し、さらに警察に通報して学内に導入するという暴挙にでました。学生を守り育てる教育機関として、あるまじき対応を繰り返す京大当局に対し、あらためて強く抗議の意を表します。
最後に、吉田寮の自治について、思うところを話します。
吉田寮の出身者に、ノーベル賞を受賞した赤崎勇氏がいます。赤崎氏は、矛盾を高い次元で解決する「アウフヘーベン(止揚)」を、京大で学んだと語っています。青色発光ダイオードという、到底不可能とされた課題に立ち向かった赤崎氏の姿勢は、矛盾は高い次元でこそ止揚されるという、アウフヘーベンの考え方があったからこそです。そんな赤崎氏は、吉田寮の自治にあこがれて、寮に入ったといっています。吉田寮は、赤崎氏が暮らした時代も、私たちが生活した時代も、そして現在も、寮生が顔を合わせ、お互いの違いを理解しながら、妥協ではなく、高い次元で物事を解決しようと、話し合いを尽くしてきました。それが吉田寮の自治です。アウフヘーベンとつながるものです。
そして京大も、大学自治、学部自治というかたちで、困難を解決してきた歴史があります。それがいまや、どうでしょうか。立て看の問題を見れば、京大の現状は明らかです。社会に存在するさまざまな矛盾や理不尽を可視化して、分断を乗り越えつながっていくことを止めようとしているのが、いまの京大です。
現在の世界と日本は、分断と抑圧に満ちています。いまこそ、矛盾や理不尽を高い次元で解決する自治の内実が問われているのではないでしょうか。私たちは吉田寮に心を寄せていただいている市民や大学関係者と共に、京大当局に矛盾や困難を超え、未来につながる「京大らしい解決」を求めていきたいと考えております。
留学生としての私たちは、短い期間ではあるものの、自分たちのものとは別の、京都大学の「自由とデモクラシー」という学生文化に身を置くことができます。京都の文化的風土の中で、吉田寮は非常に貴重な部分を占めています。 廉価な居住施設であるだけでなく、この寮は創造的な芸術、音楽、さまざまな活動の中心地でもあります。 このような並外れた性質はこの大学の長所です。 訪れる人に強烈な印象を与えるものです。
留学生は、時に受け入れ先の大学に馴染むために大変な苦労があることはよく知られています。吉田寮という活気に満ちた歓迎の空間は、外国人学生と日本の学生コミュニティを結びつける重要な目的を果たし、異文化間コミュニケーションの良い機会を提供しています。
私たちは、京大への入学を検討している学生のためのユニークなサポート機能であるものを守ることは、大学の関心にも非常に合致するものだと感じています。教育機関は居住者を追い出さずに、学内の歴史的な機能を安全に保護する必要があると考えます!
学生こそが大学の主体です。当局は学生の話を聞く必要があります。私たちは、京大当局の人間が寮生との対話の歴史を尊重し、寮自治会との話し合いの場を開くことを強く要求します。
吉田寮の跡地に何ができるかにかかわらず、この大学が長い歴史の中で培ってきた固有の根幹部分を失うことは大変な不幸であるといえます。 (この文章は英語の声明を日本語訳したものです。)
京都大学を受験することに決めたのは高校3年生の夏でした。はじめは他の大学に行きたかったのですが、親からの勧めに反発して説得するエネルギーもなく、漠然と京大を受けることに決めました。
そこで、京大について調べていて、ある日ふとネット上で見つけたのが吉田寮です。ぼろそうで、「なんだこれはやばそうだな」というのが最初の感想でした。とりあえず公式サイトを見てみたら、「2015年熊野寮祭企画ストームにおけるセクシュアル・ハラスメントに対する声明文」というものを見つけました。中学生、高校生の頃から、自分自身のセクシュアリティは、日本社会で当たり前になっているものと全く相いれないことを感じていました。それを受け入れるときの摩擦を感じており、性やセクハラなどのテーマが、私にとって切実な問題でした。だから、この声明にはとても心動かされるものがありました。なぜかというと、学校という狭い社会では、自分が嫌だと思ったことを告発する人は私のそばにはいなかったし、私自身もできなかったからです。
ジェンダーやセクシュアリティについて書かれた本を自分から手にすることはあったのですが、経験豊富で、「強さレベル100」みたいな、上野千鶴子や江原由美子などが書いた本を読めば読むほど、「この人たちインテリですごいな」、「自分にはこんな風にものを見たり、行動したりすることはしんどいな」と、距離を感じ、自分を卑下していました。ネット上の情報を見ても、それらはあくまで画面の向こう側の知らない人たちが書いたもので、自分はできないかもなと思っていました。
そんなときに、吉田寮の声明を読み、「学生寮が出している声明なのだからきっと学生が書いているんだろう。すごいなあ、大学ではこんなことをしている人がいるんだ。自分たちの生活の空間を丁寧に見つめて、丁寧に言葉を紡ぎだしていくことが、学生にもできるんだ。私だってやっていいんだ」と初めて思え、エンパワメントされました。
今の私は、吉田寮などの「その場」は自然に出来上がっていくものではなく、誰かの熱意や行動によって「作られていくものだ」ということを、知り始めているので、吉田寮全体がこうしたことにまじめに取り組む人がいる素敵な場所だと言いたいわけではありません。公式サイト上に声明文を載せる際にも、いろいろな反発があったはずだと想像します。
ただ、そういう人間が集まり、語れる環境が醸成されている、空気が用意されているのもまた事実なのかなと感じています。こういう場所があることはとても大切なことで、そういう意味で私にとって吉田寮は大切な場所です。
京都大学で多くの有意義な経験をし、多くの素晴らしい教授や仲間に出会えたことはとても幸運でした。しかし、同時に私は京都大学で勉強することが正しい選択だったかどうか疑問に思うことがしばしばありました。「京大で大丈夫か」と初めて思ったのは、入学式のときでした。 私は、女性の先生があまりに少ないことにとてもショックを受けたことを覚えています。まるで時代が逆戻りしたようで、自分がどこにいるのか分からなくなりそうなほどでした。
実際に京都大学が出した資料を見ると、ジェンダーに関する問題は過去数十年に前進がありません。現在京大には2416人の男性教員がいるのに対し、女性教員は283人しかいません。学生に関する数字も大差ありません。京大の学部には、10248人の男子生徒が居ますが、女子学生は、たったの2979人しかいません。大学院には、6879人の男子学生がいますが、女子学生は、2548人しかいません。簡単に予想できる通り、京大の理事会メンバーは、9人中8人が男性です。世界ランキングのシステム自体の批評は置いておくとして、この数字を見ると日本がグローバル・ジェンダー・ギャップ指数で114位にランクインしていることは、全く驚きではありません。
京都大学が最も基本的な平等基準を満たすには、まだ遠い道のりがありますが、一方同時に学生が自治権を有する吉田寮やそこで行われる多様な活動があることも驚きでした。吉田寮は、現在に残る貴重な歴史的な場所であると同時に、新たな知を生み出す創造の場でもあります。率直に言うと、寮で学生が運営するイベントに出席したり、そこの住民と交流したりした経験が、私の京都大学における学生生活の中で最も刺激的な側面の1つでした。これらの出会いによって、京都大学の学生たちの歴史と創造性、ビジョンの深さを知ることができました。
吉田寮には入ろうと思えば入れましたが、セクシュアルハラスメントや圧倒的な男性中心主義的な世界といった吉田寮の問題について話を聞き、機会があっても私は寮に入りませんでした。しかし、これらは寮のみに帰する問題ではなく、人事や入学生の選考のあり方によって再生産され続けている京都大学におけるジェンダーの不平等を反映していると考えます。ドナルド・トランプやヴラティミア・プーチン、先日選ばれたジャイール・ボルソナロに代表される権威主義的リーダーが幅を利かせ、人々を国内外において恐怖に陥れているこの世界で必要なのは、その「場」の自治権を強化し、自治空間を維持・構築することによって権力を分散することであり、権力を集中させることではありません。
吉田寮を守るための現在の闘いは、民主主義と独裁主義を巡る戦いの縮図と言えます。私は、それを破壊する企てに強く反対します。京都大学には見直されるべき問題が多くありますが、それでも学生自治圏がまだ存在する貴重な高等教育機関の一つとして、より民主主義的な機関を発展させるモデルとなる可能性がまだ残されています。大学が学生の声に真摯に耳を傾けるよう求めます。 (この文章は英語でのスピーチを日本語訳したものです。)
京都大学は今年5月から京都大学立看板規程を施行しました。これは、京大の内外に立てられてきた立て看の設置を大学内のごく一部の場所に限定し、また設置期間や大きさ、立てられる団体についても非常に厳格に規制しています。またこの規程は大学が一方的に制定したものであり、その過程で学生など立て看を設置する当事者の声を聞くこともありませんでした。
学生に関わる大学の運営は、大学が当事者の学生との対話を通して行われるべきものです。少なくとも京大ではそのようになされてきました。2004年に京大が百万遍に面した石垣を撤去して遊歩道を作る計画を打ち出した際も、石垣に立て看を出している学生の抗議があって、大学は石垣に立て看を出す当事者との話し合いを行い、石垣の大部分を残して遊歩道を作るということで双方の合意に至ったのです。
しかし今回の立て看の規制に関して、京大側は立て看設置の当事者との対話を頑なに拒んでいます。近隣の住民からも立て看の規制に反対の声が上がっていますが、大学はそれらを聞き入れようとしていません。これが大学のやり方として許されるのでしょうか。
京大の立て看規制は各種メディアでも取り上げられ日本中で話題となっていましたが、立て看の設置者や近隣住民など当事者の訴えはあまり詳しく知られておらず、今京大で起こっている問題をよく理解しないまま立て看規制を擁護する声も世間では少なからず上がっていました。
立て看規制の何が問題なのか、多くの人に知ってほしい。そう考えた私たちは先月の京大11月祭で、立て看の歴史や現在敷かれている規制を取り扱った展示企画を実施しました。800名近くが来場してくださり、なぜ立て看規制が問題なのか、なぜ規制に反対する人がいるのかがよく分かった、という趣旨の声が多く寄せられました。また、京大までタクシーで来たという方は、「立て看がないおかげでタクシーの運転手も今日が学祭だと分からなかった」というエピソードも紹介してくださいました。
立て看は学生たちが考えていることや行動していることを外に向けて表す媒体であり、サークルのイベントの宣伝から政治批判までありとあらゆるメッセージの立て看が大学内外に向けて設置されて然るべきです。それが認められない今の京大では、年に1度の大学祭まで存在を隠されてしまうのです。ましてや、規制以降どれだけの行事が忘れ去られたことでしょう。どれだけの意見がもみ消されたことでしょうか。
大学が学生に果たすべき最たる役割は、自由と責任の中で主体的に生きる経験を学生に与えることだと私は考えます。つまり、小学校のように、先生の言うことに聞き従うのではなく、そういったしがらみのない環境だから得られる経験や学びを保障してこその大学なのです。学生の自由な活動を制限し学生を管理下に置こうとする今の京大は、大学として取るべき選択を問いただされるべきです。私たちは学生として、正当性のない立て看規制に抗議するためにこれからも声を上げていきたいと思います。
最初に原則から申しますと、京大当局の立て看撤去は、京都市条例を口実、根拠にして内規が作られて、それをもとに行われていますが、そもそも、この京都市条例は憲法違反ではないかと思います。京都市条例は元々景観を守るためのもので、念頭においていた規制対象は、商業広告の看板です。これらが歴史的な建造物などの大事な、伝統のある景観を害してしまうのを規制するための条例です。商業広告でないものについては適用外であるという解釈が十分に成り立つ条文の作りになっています。ですから、学生さんの文化的な活動や、アピールなどは規制対象外であるという解釈が本来合理的です。したがいまして、京大の場合は、京都市条例が目的としているところと外れた立て看撤去の実態となってしまっているのです。そもそも、この京都市の景観条例が守ろうとしているものは何なのか考えたときに、むしろ京大の立て看は、京大の歴史・文化・伝統だと言えます。だからこれこそが排除されるべきものではなくて守らなければならないものです。それだけでなく、憲法上保障されている表現の自由に対する規制にもなっていますし、大学の地域社会への貢献という意味でも大きな問題が生じていると思います。立て看は、意見やメッセージを表現しているものもありますし、学生のいろいろな文化的な催し、また我々研究者が行っている公開シンポジウムや公開講演会などの催しの告知にもなってきました。今までは、キャンパスの周りに出ている看板を見て、地域の方々もたくさん来てくださっていたのに、看板がなくなったことで、インターネットなどでしっかり検索ができる立場の方でないと催し物に来られなくなってしまっています。
それ以外に形式的に見てもおかしいと私が考えていることがあります。この京都市条例では、一区画あたりで出せる看板の面積が2平米となっているのです。一切禁止にしてしまうと表現の自由の過度の規制になりますので、そうはできないのです。しかし、許可なく出して良い看板が1区画で2平米とまでと規制されていますので、区画が小さいところと、京大のようにものすごく大きな区画のところで著しい格差が生じてしまっています。京大なんかむしろ看板を出すニーズは他よりも高いので、不合理な格差が生じてしまっていると思います。薬事法違憲判決では、薬局を出せる距離が不合理に制限されていた昔の薬事法の制限は憲法違反であり、その法律は無効であると最高裁が判断しました。京都市条例の面積規制も、表現の自由が不必要に大きく規制されている不当な距離制限の一種だと私は思います。この点も憲法違反の点です。他にもあるのですが、細かいところは省きます。
さらに、労働組合の看板については、実は、条例で適用除外対象と明記されています。条例第9条第5号は、労働組合の立て看について、許可がいらない対象と書いています。本来は、学生の看板もこれと同じのはずですが、特に労働組合の看板は条例の適用が除外されるのです。それにもかかわらず、一方的に撤去したことは、仮に条例が憲法に適合している、無効ではないと考えた場合であっても、おかしいです。
次に、立て看に関する京都大学の内規「立看板規程」で、キャンパス周辺に看板が出せなくなったのですが、この内規は非常に不備がありまして、大学に公認されている学生団体と労働組合を一緒くたに扱おうとしています。労働組合は憲法上の労働基本権と、それから労働組合法を根拠に設立されているものですので、大学が公認する学生団体とは全く性質が違うものです。労働者が自主的に組織しているものなのです。したがって、この大学の立て看の内規は、労働組合には適用されないと組合は考えていたのですが、ある朝一方的に看板が撤去されてしまいました。これはあきらかにおかしいと思います。今まで労使の関係で、立て看は外に出せていたのに、内規にも明記されていないにもかかわらず、一方的に撤去することは、明らかに違法ですね。こういった状態を見ますと、大学の今の法令遵守体制は機能してないのではないかと思います。 組合は、11月7日に北部キャンパスの2箇所で、元の位置に看板を設置することができています。組合としては全部の看板をもとに戻したいので、いまどうやって次のステップに進むか考えていて、地方の労働委員会に申し立てることも検討しています。そうしたことをせずに、大学当局が自主的にもとに戻すことを認めてくれればよいので、まず第一ステップとして、団体交渉において看板の再設置を求めていこうと考えています。
立て看問題は、学生団体と比べると組合が大学との交渉では強いポジションにありますので、学生さんの分まで権利を実現していけるように、まず組合が頑張っていくことが必要だと思っています。ぜひ皆さん一緒に注目してみていただいて応援していただきたいと思います。
私は、琉球の石垣島で生まれた者です。専門は、島の経済を勉強しています。去年から、琉球の今帰仁村にある百按司墓琉球人遺骨の返還運動を京都大学に対して、行ってきました。1929年に、京都帝国大学の助教授であった金関丈夫が地域の住民や親族の了解を得ずに、遺骨を持ち出した、つまり盗んだわけですね。その遺骨が現在26体分、京大総合博物館に保管されています。2017年2月頃から、地元の新聞、特に『琉球新報』という新聞において、遺骨盗掘問題は、琉球人の自己決定権にかかわる大きな問題であると、考えて連載が組まれて以降、琉球で大きな運動、返還運動が起こるようになりました。
私は、京都で働いておりますので、これまで何回か京都大学へ行って、まずは、その遺骨についていくつか質問をして、話を聞きたい、また場合によっては返還してもらいたい、ということを、交渉をしてきました。しかし、京大側としましては、個別の問い合わせには応じられませんという回答だけで。なぜ回答しないのか、というその理由も、全く聞かされませんでした。
私は、情報公開制度に基づいて、琉球人の遺骨の情報を公開するよう求めましたけど、やはり百按司墓の遺骨に関する情報は、公開されませんでした。また、京大総長に対しても、質問をし、また返還の要望書も出しましたが、それに対しても一切答えないと。また、この遺骨の問題に関して、今後京都大学に来るなという内容の回答ももらいました。また去年の暮れには、コタンの会の代表でアイヌ民族の清水裕二さんと一緒に、京都大学に行って色々と質問をしたのですが、京都大学の総務部総務課の職員は、絶対に我々の前に出てきませんでした。京大の警備員は、我々に内線電話も使わせないで、私の携帯電話を使うことを命じました。全く、非常に冷たい対応でありました。また清水さんが、名刺交換をしようと言ったときにも、名刺も交換する必要がないと、暴言を吐きました。
私は少なくとも京大は「学問の府」ですので、質問には答えてくれると思っていたのですが、それもできないということが分かりました。本当に学問を語る資格が京大当局にはあるのでしょうか。わたしが知っている国会議員の、照屋寛徳・衆議院議員にお願いして、国政調査権を使って、質問をしてもらいました。その結果、京大は初めて公式に、京大総合博物館に遺骨が存在することを認め、遺骨がプラスチックの箱に入っていると答えました。しかし、照屋さんから出されたその他の遺骨に関する質問に全く答えないという、我々の国会議員を軽視する態度を示しました。照屋さんは、京大総長に対して、公開質問状を2回出したのですが、それにも全く答えておりません。つまり我々琉球人が選んだ、国会議員のことも、京都大学総長は対等な人間として扱っていない、という大きな問題があります。
こうした経緯から、2018年12月4日に、京都地裁に遺骨の返還を求めて、提訴を行わざるを得なくなりました。本来であれば裁判などをせずに、色々と議論ができると思ったのですが、京大当局による対話拒否という植民地主義の扱いを受けたので、そうするしかなくなったわけです。 この琉球人の遺骨の返還運動は、10年ほど前から始まった琉球人の自己決定権回復運動、またその行使運動と、密接に結びついております。日本政府が、辺野古・高江の米軍基地を、琉球人の民意を無視して建設を強行しているのですが、それに対して、「いやいや、われわれの意見を聞いてくれ」と言うのは、自己決定権に基づいた主張です。それから我々の先祖の骨を、先祖が生まれた島に返してもらう、というのも、自己決定権に根拠があります。アイヌ民族、世界の先住民族も自らの先住権に基づいて先祖の遺骨を大学や博物館から取り戻し、再埋葬、再風葬をしてきました。
この自己決定の権利というのは、琉球民族が先住民族であるということからも来ております。国連は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択しており、ここでは先住民族の自己決定権を明記しています。また、2008年から国連は、琉球民族を先住民族として認めております。日本政府は認めていませんが。そういった先住民族として、遺骨の返還を求めているのです。また、今度の裁判では、5人の原告のうち2人は、この百按司墓の遺骨の子孫、つまり第一尚氏末裔の方です。琉球は、かつて琉球国という、日本とは別の国だったのが、1879年に、軍隊を派遣した日本に併合され、植民地になりました。その不平等な関係性の中で、京都帝国大学助教授の金関丈夫は遺骨を持ち出すことができたわけです。これは当時においてすら、刑法違反です。にもかかわらず、金関が遺骨を持ち出すことができたのは、琉球が植民地であったからです。琉球民族にとって先祖の遺骨は、骨神(ふにしん)として認識されています。それは研究者が研究の対象にする研究資料ではないわけです。我々の祖先の、神が宿っているもので、それの遺骨がちゃんと墓の中に存在していることが前提となって、生きている子孫と先祖が交流する儀式として清明祭、十六日祭の儀礼が現在でも行われているのです。そのような重要な骨神が、京大にあることが、まさに現在も続く植民地主義を象徴していると思います。これは我々琉球民族の信仰、慣習を冒涜し、破壊する行為を京大が1929年だけでなく、現在も行なっていることを意味しています。
現在、京都大学は盗んだ遺骨を保管しています。これはまさに共犯と、言えます。これは国内法、国連法違反でもありますので、今回京都大学を訴えるという行動に出たわけです。吉田寮の問題に関しても、住んでいる学生の自己決定権を踏みにじるような態度を、京都大学当局はしていると聞いています。まさに琉球の遺骨問題と同じような、植民地主義の対応を、京大がやってきていると。立て看問題にも同じような要素があると思います。京大当局は、所属学生とともに、日本に併合された植民地の民族である琉球民族に対しても、現代的植民地支配の手を緩めないという状況にあります。お互い連帯、協力し合い、「京大植民地主義」を変えていく運動を展開していかなければならないと考えております。
琉球民族遺骨問題に関しては、現在、裁判を支援する全国の団体(琉球民族遺骨返還請求訴訟全国連絡会)ができておりまして、ウェブサイト「琉球遺骨の返還を求めて」(https://ryukyuhenkan.wordpress.com)に、いろんな情報が掲載されております。京都地方裁判所大法廷において2019年3月8日から裁判も始まりますので、是非とも京大の学生、教職員の皆さん、地域の方々に裁判傍聴の呼びかけをさせて頂きます。この問題を、自分の問題として、考えていただきたいと思います。ともに協力して頑張りましょう!
私たちは、申し入れの日にあわせて、クスノキの木の下で、毎年アイヌ民族の先祖供養であるイチャルパをして、ウポポリムセという歌と踊りをささげています。遺骨の供養についても、元来であれば大学自身が行うべきものだと考えています。この間、長年のアイヌ民族の闘いによって、北海道大学から遺骨の返還が実現しています。私たちとともに、京大を追及している旭川アイヌ協議会の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんも、今年6月に遺骨の返還と再埋葬を勝ち取りました。しかし、アイヌ民族が求めていた謝罪や賠償は一切なく、多くのアイヌ民族はなぜ勝手に盗んでいったものなのに、裁判をしないと返さないのかと憤っています。返還が勝ち取られる一方で、全国にあるその他の遺骨は現在もそのまま留め置かれています。その遺骨は、北海道白老に2020年開設予定の白老の慰霊・研究施設に収容されて、これからも遺骨を使ったDNA研究などがおこなわれようとしています。来年2019年には、ここ京大から遺骨が移送されてしまうかもしれないのです。遺骨がいったん白老に運ばれてしまえば、京大の固有の責任がうやむやになってしまいます。京大の遺骨は、1924年から26年に、元京都帝国大学の教授・清野謙次がサハリンや北海道から取ってきたものです。清野が遺骨を収集した1924年当時は、サハリンは日本の植民地支配下にありました。アイヌ民族はそこから強制移住をさせられて、その無人となった場所で清野は墓を暴いて破壊して遺骨を略奪しました。このような行為は、アイヌ民族に対する人権蹂躙であり、侵略行為だと考えています。
清野に関してはさらに重大な問題があって、731部隊の生体実験とか細菌戦に深く関与している人物です。アイヌ民族の遺骨を研究材料にすることと他民族を実験材料にする、そういう侵略研究は、その根底においてひとつながりのものだと考えます。これらのことがらが、単に清野個人の問題ではなくて、京都大学の侵略戦争責任の問題であると考えています。京大は今もって、アイヌ民族の遺骨略奪にも、731部隊に関しても、その侵略戦争責任に口を拭って、学問の在り方と内容を一切反省していません。
さらに京大は、琉球からも大量の遺骨を略奪していますし、琉球民族は返還を要求しています。これまでは、アイヌ民族に対するのと同様、一切門前払いの対応でした。琉球民族遺骨返還研究会は12月8日、京大に対して提訴しました。京大はこれまで、私たちの要求をないがしろにして責任逃れをしてきましたが、学問の名のもとに民族差別研究を行って、それによって他民族への侵略と同化を推し進めてきたという事実を重く受け止めるべきですし、この問題に真摯に向き合って真相を明らかにして、二度とこうした歴史を繰り返さないように反省すべきです。京大の侵略戦争と侵略戦争責任の問題を踏まえるなら、その犠牲となった遺骨を保管し続けるということは許されません。京大はアイヌ民族への謝罪と賠償を行って、遺骨と副葬品はすべてアイヌ民族のコタン(郷土)に返すべきだと考えています。遺骨の返還に向けては、学内からの追及の声が本当に不可欠です。遺骨の問題も吉田寮の問題も京大総体の問題であって、大学の在り方自身が問われていると思います。連携してともに闘っていきたいと思っています。よろしくお願いします。
なぜ京大に多数のアイヌ民族や琉球民族の遺骨があるのでしょうか。それは戦前、清野謙次や金関丈夫ら医学部の教官たちが民族に何の断りもなく、勝手に墓を暴き盗み取ったからです。その遺骨が今も総合博物館に閉じ込められたままです。
医学部病理学教室の清野謙次は、1924年夏、日本の植民地支配下にあった樺太(サハリン)に出かけ、栄浜・魯礼(ロレイ)のアイヌ民族墓地から50数体の遺骨を発掘しました。
清野謙次はその発掘の生々しい様子を「樺太アイヌに関する人類学的紀行」に書いています。それによれば発掘の目的は、アイヌ民族は「絶滅しつつあるから至急骨格を蒐集(しゅうしゅう)する必要がある」、「現代樺太アイヌのできるだけ純粋な骨格を集める」ということでした。当時魯礼にアイヌ民族は住んでいませんでした。樺太庁がアイヌ民族を「土人部落」に囲い込むために、2年前(1922年)に白浜に強制移住させたからです。それをよいことに清野は遺骨を略奪し、そして「今日の人骨は割合に新鮮で木棺が腐朽していないものが多かった」とか、なかには亡くなって間がない遺体もあり「非常に臭くて嘔吐しそうになった」、「人骨が多く馬車一杯になった」などと平然と言っています。その発掘の跡は、四肢骨や腰骨は折られたまま散乱し、棺の蓋は開かれたまま横倒しになり、副葬品は散らばっていて、まるで戦場のような有様でした。これほどひどいアイヌ民族にたいする侮辱、人権侵害があるでしょうか。これが研究者や大学が「研究」と称しておこなってきたことの実態です。
アイヌ民族の墓地は、民族の長い歴史を刻んだ生活の拠点・コタン(集落)と一体であり、したがって墓地を勝手に掘り返すことは、アイヌ民族の精神的なよりどころとその共有地を破壊することであり、民族とその歴史を抹殺する侵略行為です。
清野謙次ら人類学者と人類学は、アイヌ民族を「劣った民族」、「滅びゆく民族」だと見なし、それを「証明」するために頭の大きさや形を測り、「日本人は優秀」だと宣伝し思い込ませようとしました。そこには優勝劣敗の社会進化論、「劣った民族」を撲滅し「優秀な民族」を育むという優生思想が貫いています。
天皇制国家のアイヌ民族絶滅・同化政策を推し進めるために、このような考え方にもとづく「アイヌ研究」、人類学研究が1930年代を前後して盛んにおこなわれました。人類学と人類学者は、天皇制国家の政策がつくりだしたアイヌ民族の疲弊と窮状を、民族の「素質が悪い」からだとすりかえ、その国家政策に批判が向かわないよう隠蔽する役割を果たしてきたのです。
このようなアイヌ民族の遺骨略奪は、京大のみならず北大、東大、阪大、札幌医大など旧帝国大学を中心に全国的におこなわれ、2013年の文部科学省調査でも遺骨の数は1600体を超えています。人類学は帝国主義の民族絶滅・同化政策に歩調を合わせて発展してきた植民地主義の理論・学問です。したがってアイヌ民族の遺骨略奪は単に清野謙次個人の仕業ではなく、日本天皇制国家とその国策研究に奉仕してきた京都大学と医学部総体の犯罪です。
「先住民族の権利に関する国連宣言」にも明らかなように、遺骨返還はアイヌ民族、琉球民族など先住民族の民族自決権の重要な内容をなすものです。京大は遺骨返還を拒否することによって、民族自決権を蹂躙し続けているのです。
さらに京大、同医学部と清野謙次、中山英司に直接かかわって、もう一つの重大な戦争犯罪があります。731部隊(関東軍防疫給水本部)に多数の弟子を送り込み、生物兵器研究開発、人体実験、細菌戦に深く関与したことです。731部隊は、天皇制国家と日本軍の最高秘密戦略として遂行され、京都帝大、東京帝大を頂点に、北海道帝大、大阪帝大などすべての帝国大学、研究機関を巻き込んでいました。
清野謙次の弟子、石井四郎は陸軍軍医学校防疫研究室の主幹となって、ハルビンからシンガポールまでの生物兵器開発、研究のネットワーク・「石井機関」を動かし、「石井機関」は、「防疫研究室」の嘱託研究員制度を使って全国の大学から多数の研究者を動員しました。
清野は、木村廉、戸田正三、正路倫之助らとともに嘱託研究員となって、石川太刀雄丸、岡本耕造、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸一郎、田中英雄等を731部隊に送り込み、これを育成しました。清野の弟子、中山英司も731部隊への加担が明らかになっています。遺骨の略奪者が731部隊に深く関わったということはきわめて深刻な問題です。しかもこれらの731部隊に関わった人々はその戦争犯罪に口を拭って、戦後医学界で高い地位を占めてきました。こうした京大と医学部の組織的犯罪については、もっと多くの人に知ってもらい追及していきたいと考えています。
731部隊は1980年代以降、次々と新しい資料が発見され、労働者、学生、市民の告発の取り組みが進んできましたが、なおその全貌は明らかではありません。この重大な戦争犯罪の核心は、日本国家、大学と医学部、研究者ら総ぐるみの隠蔽によって深い闇に包まれています。2014年2月に完成した京大医学部資料館に展示された、731部隊に関するたった2枚のパネルはすぐさま撤去されました。この一事をもってしても大学当局がいかに隠蔽に必死になっているかは明白です。
このような京大の侵略戦争責任の隠蔽、棚上げがまかり通っているかぎり、遺骨の返還は望むべくもありません。なぜなら遺骨返還のためには、731部隊に現れた侵略的、植民地主義的学問とそれを推し進めた大学の真の反省が不可欠だからです。
その反省はいまだに果たされていません。戦後京大に本当に民主主義はあったのでしょうか。大学の自治とは何だったのか、問い返さなければなりません。その深い反省のなかから吉田寮と大学の真の自治を奪い返すことと遺骨返還を勝ち取ることは、ひとつのことだと考えます。ともに闘いましょう。
「自由の学風」や対話を根幹とする自学自習などここでは問題外です。大学一般における問題なのです。一つの話題について――例えば予算や人事、そしてそれに関連する有象無象の事象――各々が考え、判断することが肝要であると言っているのです。なぜならば、私たちは様々な機会を通して、いま‐ここにある政治に否応なしに参加させられているからです。この場が一つの例だ。弁論者が立ち、提起する。これはアテナイの時代からずっと行われてきたはずのものです。
課題をすでにある権威で切り抜けることもできましょう。だが、それはあなたの課題を乗り越えたことにはならない。なぜならば、「権威に訴える論証」が往々にして誤謬であるように、権威で対処することは批判的思考によるものではないからです。少なくとも自分に関わることについて、外部に任せきるのはあまり理知的でないでしょう。人を頼りながらでもいいですから、独力で考える力を涵養すべきです。むろん独力で考えることは非常に難しく、人はそのことを簡単に放棄してしまえます。誰もが思いつくような紋切型的な解釈で満足すること、既成の鋳型に飛びつくことで判断を端折ることなどが、その典型例です。具体的には、TOEFL‐ITPの導入や入試における民間試験の採用などが挙げられましょう。
従って、政治的動物としての私たちが、政治的必要のために自ら考えることを始める時、様々な人が集まって勉強することは非常に有意義です。このために、理学部有志では「学生自治のための学習会」を実施しています。「学習会」ではさまざまな話題を素材として、参加者同士で判断し議論をすることを行っています。時には哲学的な問答が繰り返されることもあります。様々な衝突や事故もありますが、それもまた醍醐味です。
学習会第二回は12月26日18時半から、 S自ボックスにて開催します。是非お運びください。
もう1つは、同じ2015年の6月に文部科学省が出した通達です。そのなかに、教員養成系や人文社会系の学部・大学院の組織を改編して、社会的要請の高い分野に転換するように求める内容が含まれていました。私たちは、財界や政権の近視眼的な意向によって大学における教育や研究のあり方が歪められることに危機感を抱き、この点でも反対の意思を示したいと考えました。
この2つの問題には、共通する点があります。ともに、権力の中枢にいる集団が、1つの方向に向かう決定を下し、それが上から降りてきて強行されるという点です。現場でどれほど多くの人びとが反対しても、いかに多くの問題点が指摘されても、権力の中枢にいる側は真剣に向き合って議論しようとせず、適当にごまかして批判の声をやりすごし、反対を無視して強行しようとする。現在、沖縄の辺野古の基地建設をめぐって起こっていることも、これと同じ構図です。
そして、こういうトップダウン方式のミニチュア版が、京都大学のなかでも繰り返されています。最近では、立て看の規制がこのやり方でした。大学の執行部で立て看を規制することが決められ、教授会には報告事項となって降りてくる。審議事項ではないので、部局の個々の教員の目には、意思決定に関与する権限がない問題と受けとめられ、教授会で十分な議論がおこなわれることがないままに通ってしまう。吉田寮の問題も、大学当局は、同じやり方で処理しようとしています。
トップダウン方式に対抗するには、どうしたらよいのでしょうか。
1つは、「あきらめないこと」ではないかと思います。「上で決めたことだし、下から反対しても、いまさら何も変わらないさ」とあきらめると、理不尽なことがそのまま通ってしまい、それが積み重なっていくと、ほんとうに引き返すことができなくなります。
もう1つは、「つながり合うこと」ではないでしょうか。「有志の会」では、軍事研究の問題、立て看規制の問題、吉田寮の問題など、その都度、声明をだして、意見を表明してきました。それなりに反響があった場合もありますが、小さな会ですので、単独ではやはり限界があります。それぞれの現場にいる人たちが、自分たちの持ち場のなかで、自治の文化をもういちど建て直す。そのうえで、自治的にものごとを決めていくたくさんの小さな集団が、ゆるやかなネットワークでつながり合って、上からの理不尽な押しつけに異議申し立てをする。トップダウンには、幅広く連帯してボトムアップで向き合う。迂遠なようですが、結局のところ、そういうやり方しかないように思います。この集会も、そのようなネットワークに支えられた、ボトムアップの試みだろうと思います。
「自由と平和のための有志の会」では、「ひろば」という名前のもとに、いろいろな企画を主催してきました。京都大学の学生や教職員だけでなく、学外の市民の方にも開かれた催しです。そのような「ひろば」の一環として、今年に入ってから、「本を読む会@吉田寮」を3回開催しました。吉田寮新棟の会議室をお借りして、毎回、1冊の本をとりあげて、自由に語り合う集まりです。参加者は多くて20名程度で、こじんまりした会ですが、参加した市民のみなさんからは、これからも吉田寮でこのような会を開いてほしいという希望をうかがっています。大学の教室を使うこともできますけれども、吉田寮には、学外の方でも、くつろいで自由に議論ができる、独特の雰囲気があります。こういう開かれた空間があることは、京都大学にとって、たいせつなことだと感じています。
さきほど、小さな集団がゆるやかにつながり合って声をあげる、ということを申しました。つながり合ってネットワークをつくるためには、「つなぎ役」が必要です。今回の集会は、主催者である吉田寮自治会の呼びかけがあって、可能となりました。むずかしい状況のなかで、「つなぎ役」として、大学の今とこれからを語る会を企画し、実行した吉田寮自治会のみなさんの勇気と努力に敬意を表したいと思います。
まず、簡単に一橋大学の学内の寮について簡単に紹介すると、中和寮は留学生も住む院生寮で学内で唯一寮自治会が存在しています。小平寮は学部生と留学生が一緒に住んでいる寮で、疑似的な自治組織はありますが実質的な自治権はありません。国際交流会館は留学生の寮で、小平寮と同じく形式的な自治組織はありますが、実質的には自治はありません。
まず最初は寮費の値上げの問題です。今年5月に大学から小平寮と国際交流会館に一方的に値上げの決定を通知されました。寮費を、約5千円から、4、5倍引き上げるというものでした。大学は説明会を開いて、「赤字を回収するために値上げをする」と説明しましたが、この値上げの妥当性について具体的なデータは示されていませんし、また、院生自治会および中和寮自治会が交渉したいと言っているのに答えず、学生らの意見をまともに聞いていないというのが今の状況です。
ほかの問題としては、留学生が追い出されるという問題があります。今年の11月に、大学から小平寮と国際交流会館の老朽化のために寮を改修するので、入寮者の枠を大幅に減らすと通知が来ました。もともと住んでいた寮生たちは、来年度もう一度入寮選考のための抽選に参加しなければいけないとされました。今年度から留学生の入寮選考方式が変更され、抽選割り振り方式から第三希望まで届け出る方式になったため、相対的に安価な中和寮に希望が集中することが予想されます。一橋大では、留学生の入寮選考は新規入寮希望者の受け入れが優先されるので、もともと住んでいた留学生が追い出される危険があります。中和寮からは、留学生を筆頭に留年している学生や、休学している学生やオーバードクターとかも優先的に追い出される危険があります。さらに、留学生にとっては、もともと、保証人制度という、留学生がアパートを借りるときに大学が連帯保証人になる制度があったのですが、これが今年9月で打ち切られたため、非常に困難な状況になっています。こういう問題がいろいろあるため、中和寮自治会は一橋大のあらゆる寮生の居住権を守るために、大学当局との交渉を開始しています。
最後に、このような問題には、さらに大きな問題が存在していることを指摘します。それは、大学の意思決定のプロセスにおける学生の不在です。一橋大学でも2015年以来、学生との交渉は一回もありません。学生たちはいろいろ要望し、説得しようと思っているのですが、大学当局は無視して一方的に決定してきました。こうした現象は一橋大学だけでなく京大もそうですし、全国の各大学で起きている大きな問題であると考えています。私の母国である韓国でも同じような問題が起きているので、私はこのような大きな問題をみんなが協力して、みなさんと学生自治を守っていきたいと思っております。
(このスピーチは、中和寮自治会が作成した原稿を要約して代読したものです。)
* * *
本記事は、集会でのスピーチを編集部で編集・再構成したものです。
集会については、集会公式サイトをご覧ください。
「181219京大集会」
https://sites.google.com/view/181219-kyodai-assembly/
【目次】
主催からの趣旨説明
現在も吉田寮に住む寮生の多くが同じく経験していることだと思いますが、吉田寮に住んでから、大学当局による「退去期限」通告問題が持ち上がってから、吉田寮のことや寮内部で取り組んできたことについて、人前で話す機会が増えました。これらの取り組みの中には、私が自分で捉えていた以上に重要なこともありました。この集会は、吉田寮に関する話題だけでなく、いま京都大学で起こっている様々な問題について取り上げたいと考え企画しました。吉田寮でこれまで、当事者たちが様々な取り組みを積み重ねてきたように、京大で起こっている諸問題にもそれぞれ、当事者たちが内外に向けていろいろ取り組んできました。今日はそういう人達も集まって、経験や情報を共有し、呼びかけ合い、共に考える場にしたいと思います。
ちょうど1年前の今日、吉田寮の「退去期限」が一方的に通告され、今まで以上に強硬化した大学当局に取り組む中で、京大において様々な管理強化、制度の改悪、ひどい状況が起こってきたことが分かりました。京大だけでなく他大学においても、さらに大変なことが起こってきた・起こっていることも知りました。今日12月19日は、吉田寮の「基本方針」ともう一つ、「立看板規程」が発表された日でもあります。こちらも、当事者に事前の説明がなく、学生から大学当局へ申し込まれた話し合い要求も無視されたままです。立て看などの大学における学生らの表現活動について、他大学では京大より何年も前から規制が行われていて、中には、当局が検閲し許可が出ないと看板やビラが出せない大学もある、という話も聞きました。
自分が直面している問題は、その場所だけで完結しているのではなく、大学や社会において起こっている、色々な問題と繋がっていることが分かります。ですから、自分が直面している問題に取り組むということはすなわち、自分ではない誰かが直面している問題にも目を向けて取り組むことにも繋がっているのだと言えると思います。
私にとっては吉田寮から、今日集まっていただいた皆さんにとっては、それぞれ取り組まれている足もとの問題や現場から、そこから始めて考えを深め、繋がりを広げていって、この状況に総体として取り組めるような、そういう決起の場としたいです。
吉田寮「退去期限」問題について
吉田寮自治会
今回ここでは昨今の吉田寮「退去期限」問題について、大学当局は何を言っていてどういうことをしてきたのか、そしてそれに対して吉田寮自治会がどう反論し行動をとってきたのか、説明します。まず2017年12月19日に出された「吉田寮生の安全確保についての基本方針」の前半部分では、主に吉田寮現棟の老朽化問題の経緯について「70年代、大学当局は老朽化は知っていて、話し合いをしたが対策されず老朽化が進んだ」と言っています。また、「2009年には現棟を建て替える方針を示し、2015年になっても老朽化問題はそのままであった」と述べています。こうした経緯を受けて大学当局は、「現棟は老朽化が進んでいて地震が来た時に壊れる恐れがある。よって可及的速やかに寮生の安全を確保する必要がある。」として次の4つの方針を打ち出してきました。1つ目、2018年1月以降の新規入寮を認めない。2つ目、同年9月末までに全員退去しなければならない。3つ目、希望する一部の寮生には同じ家賃で代替宿舎を用意する。4つ目、現棟の老朽化対策は収容定員増加を念頭に検討を進める。
次にこれら基本方針のどこが問題だと我々は考えるのか説明します。今回皆さんに知っておいてもらいたいと思うのは4点です。
1つ目に、基本方針策定が一方的で、確約書にあるような、当事者間での話し合いによる合意形成を蔑ろにしているという問題点があります。一般論として、何か問題がある場合、それに関わる当事者たちが話し合って解決を図るのが当事者たちにとって最も納得のいく解決方法だと思います。吉田寮では話し合いの原則というのがあり、今言ったことを原則的に実践し寮に関わる大小様々なことを決めてきました。とりわけ寮生の生活、寮の運営といった多くの人に関係あることは当事者である寮自治会との話し合いが必要だと思います。確約書とは、吉田寮自治会と大学当局の間で結ばれる様々な約束が書かれた物です。学生担当理事が変わるたびに結んでいますが、残念ながら今の理事は結ばないと言っています。確約書には、項目1として、「大学当局は吉田寮の運営について一方的な決定を行わず、吉田寮自治会と話し合い、合意の上決定する。また、吉田寮自治会が団体交渉を希望した場合は、それに応じる」とあります。また、「確約書は次期の理事に責任を持って引き継ぐ」ともあります。このことについて、今の理事は「事務的な引継は完了している。ただしその内容を自動的に承認することが『引継』であるとは考えていない。」と言って確約書を無視してきています。
2つ目の問題点は、入寮選考権を侵害していることです。先ほど説明した確約書に「入退寮者の決定については、吉田寮現棟・新棟ともに現行の方式を維持する」とあります。「現行の方式」とは、今まで入退寮選考権は吉田寮自治会が持ってきたということを意味します。寮自治会が選考権を持つことで、当局がそれを持った際に考えられる画一的な選考ではなく、希望者の個別の事情に配慮した柔軟な対応ができます。また特定の思想や運動、国籍、在学年数、学籍種別などで当局から排除されることがなくなります。吉田寮では今まで、入寮希望者の個々の経済・就学状況について寮生が面接を行い会議を経て決めています。
3つ目の問題点は、現棟老朽化問題の歴史的経緯を無視していることです。まず1970年代、基本方針で当局は「話し合いに努めたが現棟の改善整備はされず老朽化が進んだ」と言っていますが、この時寮自治会は補修を求めていました。また当時の学生部長は、大学当局が行うべき補修をサボったことで寮が老朽化したことを認めていました。ここ十数年でいうと、当局は「現棟を建て替える方針を2009年に示したが、それは行われず今に至るまで老朽化問題はそのままになった」と言っていましたが、2012年から2015年にかけて、吉田寮自治会と大学当局は現棟を補修していく方向性で話し合い老朽化問題を解決しようとしてきました。ところが今の学生担当理事に変わった途端、補修の方向性であったことを一切無視し、老朽化問題に関しては「検討中」としか言わなくなりました。よって当局は歴史的経緯に関して恣意的な事実誤認をしていると思われます。
4つ目の問題点は、今まで話した3つと次元の違う話、つまり大学当局の土俵に立って考えてもおかしい点なのですが、「安全確保」を理由としておきながら築3年の耐震性に問題のない新棟・西寮からも出ていくように求めていることです。基本方針は「安全確保」のため、すなわち当局は「現棟が老朽化して危ないから出て行け」と言っています。耐震性に全く問題のない西寮からも出ていくのは筋が通りません。
ここからはこれらの問題点が今年に入ってどう推移したのか説明します。
自治会と大学当局は確約書にあるように「団体交渉」で話し合いをしてきたのですが、今の理事はその形式を嫌い、全く異なる条件を付した少人数の話し合いなら応じると言ってきていました。そこで今年の7月と8月に自治会がそれらの条件を全て受け入れ、2回の交渉が持たれました。交渉の場で理事は「合意形成はしない、意見を聞くだけ」といい、またある場面では自治会側の出席者を恫喝し、それについてこちらが指摘すると、あろうことか「恫喝と取ってもらって構わない」と居直りました。2回目の交渉の終わりには、議題があるにもかかわらず話し合いを終わらせようとし、寮生が話し合いを一方的に打ち切らないように求めると、「意見は聞いた」とだけ言って、寮生が話すのを遮って強引に退出していきました。理事は「少人数交渉にすることで理性的で建設的な話し合いをしたい」と言っておきながら、いざ交渉に出ると自らそれを否定するような言動が目立ちました。
9月30日以降、3回目の交渉申入れや公開質問状に対する応答はありませんでした。私たちは窓口に行きましたが、交渉に関しては「伝えておく」、質問状に対しては「回答しないことになった」と繰り返すばかりで、まともな応答がありませんでした。そこで11月9日、学内の会議が終わって帰る理事のところに直接会いに行きました。上記のことに関して聞くとただ「どきなさい」と言うだけで応じません。タクシーの前や窓近くにいってちゃんと答えてほしい旨を抗議していると、取り巻きの職員総勢30人近くが、理事に詰め寄って抗議する寮生を、腕を引っ張ったり胴体に抱きついて引き剥がそうとしたり怒声を浴びせ暴力的に排除してきました。またその数分後には、当局の職員による通報で警察10人近くが構内にやってきました。こうした大学当局のふるまいは、意見の違う者は力ずくで排除するのみだという当局の姿勢がよく現れていると思います。私たちは、話し合いを求めて、応答がないから直接会いに行くしかなかっただけです。それなのに、行っただけで暴力を振るわれ警察まで呼ばれたのです。大学当局には、微塵も学生のことを思って話し合いをする気がないように感じられ、本当に悲しいです。
次に入寮選考権の侵害についてです。大学当局は2018年の春、吉田寮への入寮を妨害するために「吉田寮には入寮できません」と書かれた紙を新入生全員に配布したり、web上で同様のことを宣伝したりしました。私たちは「入寮募集をやめさせたいのであれば話し合って決めよう」と当局に呼びかけましたが応答はありませんでした。「代替宿舎」は今の時点で寮に住んでいる人の一部だけしか与えられず、福利厚生施設としての吉田寮のあり方としては不十分です。毎年吉田寮を本当に必要とする人は必ずいます。そうした人々のために門戸を閉ざす訳にはいかないので、私たちは2018年も入寮募集を継続しました。
先ほどは現棟老朽化問題の歴史的経緯の話をしましたが、ここでは現棟老朽化問題が少人数交渉でどう話しあわれたか説明します。私たちがこの問題について意見を擦り合わせるために検討中の段階でも良いので当局側の案を状況を教えてほしいと言うと、川添理事は「検討途中で公開すると混乱を招く」と言って公開しませんでした。「混乱を招く」とはどういうことでしょうか。それは吉田寮自治会、あるいは学生などから反発の声が出るということだと考えられます。ということは、理事たちは反発が出ると思われる案を考えていて、その方向で進めていきたいという意図が垣間見えます。また私たちは1回目の少人数交渉で現棟を補修する3案を提示しました。理事はその時「フィードバックする」と言いましたが、2回目の交渉では「検討する」と答えるだけで、これは2016年以降と言っていることが何ら変わらず、実質無回答が続いています。これらのことから、当局にはこの現棟老朽化問題を自治会と議論するつもりがないことがわかります。
4つ目の問題点、耐震性に問題のない西寮からの退去要請についてですが、川添理事は最初、西寮からも出ていかないといけない理由として、寮生の誰がどちらの棟に住んでいるかわからないからと言っていました。そこで私たちは現棟・西寮を区別できる形式に寮生の名簿を一部変更して提出しました。すると理事は「君たちが出してきた名簿は信用できない」と言ってきました。そして西寮退去の理由として、理事は京大生全体での福利厚生という観点で、現在の吉田寮は接近し難く福利厚生施設として不適切だからという旨を言ってきました。また私たちが現棟が危ないと言うなら西寮だけに住む用意がある事を伝えると、理事は、出ていってもらってから福利厚生の再編のため西寮をどう使うか考えると言いました。これらのことから、川添理事、大学当局は当初の「安全確保」という目的を逸脱し、全員退去という結論ありきでしかないと言えると思います。
今まで話してきたことか、推定される大学の思惑を説明します。数年前の交渉で当時の学生担当理事になぜ補修案だとダメなのか聞くと、「現棟の東側部分に講義棟を建てたいという理事がいる」と話していました。こうした土地の有効利用などの背景があって、今回の基本方針は策定されたものだと思われます。そしてこれまでの大学当局の言動を鑑みるにわざわざ「代替宿舎」を用意することで、宿舎に入る人・入らない人という寮生の分断を謀り、自治会を弱体化・形骸化させることが当面の狙いだと思われます。つまりは実質的な廃寮化・管理寮化を目的としていると思われます。
最後に吉田寮自治会が言いたいことを伝えます。まず、大学当局には話し合いのテーブルについてほしいと思います。私たちは自らの主張を無理に押し通そうとしたいのではありません。より良い、より万人にとって居心地のよい、寮にしていくためにあくまで話し合いを求めていきます。そして、真摯な話し合いを通じて合意形成をしていきたいとも思っています。この中で、大学当局には、現棟老朽化の対策として補修も含めて考えてほしいです。私たちは自分たちで考え案も出しています。何が最善なのか、話し合って決めましょう。最後に、確約書を尊重して寮自治を継続すること、これが求めていることです。寮自治の中で寮生自身が当事者として何が必要か考え抜いて生きたからこそ、これまで低廉な寮費を勝ち取ったり、入寮資格を拡大したりして、より良い福利厚生を実現してきたと思いますし、これをこれからも続けていきたいと思います。
目次へ戻る
「学外者」という言葉に思うこと
吉田寮生
2018年11月9日の行動ではある職員から参加者に向かって「お前は誰だ! …俺が知らないならお前は学外者や! 出て行け!」というような発言が飛び出しました。京大では2016年に "学外者による教育研究活動を妨害する一切の活動を禁ずる。違反したものは構内立入禁止など厳正に対処する"という、大学構成員でない人間に限って恣意的に表現活動を規制する告示が出て以来、「学外者」というワードが流布し差別的に使われています。しかし、膨大な情報や技術を集約する公的空間である大学は、誰もが自由に出入りし、交流し、情報や技術や考えをシェアし、様々な活動を行えることが最低限必要だと私は思います。伝統的に大学はそのような場ではありません。経済的・能力主義的な条件をクリアした人しか大学にアクセスできず、性別や民族による差別や偏りが当たり前のようにあります。大学自体の性質として、研究と称して先住民族や在野のコミュニティーを搾取してそこで得られたものを研究者の所有物にしてきた歴史があります。しかしそうした大学の役割に抗う人が出てきて、変わってきた側面もあると思います。個々の経緯があるので一括りにするのはよくないですが、例えば民族学校出身者の受験資格を認めさせたり、吉田寮においては性や国籍や学籍の正規/非正規による入寮資格の差別をなくしたり、吉田寮食堂の使用方法を学内外の様々な人々が話し合って決めるようになってきたことなど。そのように様々な人々が関わる中で、既存の大学や寮のあり方、見えていなかったもの・排除されてきたものを問いなおす作業が、更に積み重ねられてきたのではないかと思います。その基盤となってきたのが自治活動であり、今「とにかく上で決めたルールに従え」と言って壊されようとしているものではないでしょうか。
憎悪とともに「学外者」という言葉が職員の口から飛び出る現状は、あまりに傲慢で閉鎖的な京大の現状の一端ではないでしょうか。このような現状を変えていくためにも、まず私たち自身が大学生か否かや学籍の「正規」/「非正規」、寮生かそうでないか等による、差別・分断やマジョリティの特権意識に慣らされてはいけないと思います。
目次へ戻る
私が吉田寮に暮らす理由
吉田寮生・留学生
私は約一年前に吉田寮に引っ越してきました。なぜ吉田寮に引っ越そうと思ったのか、と聞く人がいます。というのも、彼らは吉田寮が汚くて暮らしていくのに適さないと考えているからです。吉田寮での暮らしがどうやって実際に私の生活の質を向上させたか、それを皆さんに説明します。 日本に来て最初、私は御陵にある国際交流会館に入りました。しかし、そこは6ヶ月までしか居住できないので、その後アパートに引っ越しました。ですが、生活はとても難しいものになりました。国際交流会館では多くの友人がいて、夕食会やパーティーがたまに催されるなど、容易に人と出会うことができました。しかし、アパートに引っ越してからというもの、私はすっかり孤立してしまい、冬の間外に出ることはほとんどありませんでした。日本の社会というのは厳格で孤独なものです。暮らしていくことにつらさを感じたので、私は寮を探し始めました。吉田寮を訪れて、私は好感を持ちました。たくさんの人達が話しかけてくれるので、友達が簡単に出来ました。また、吉田寮は非常に創造的で、多くの人が自分自身を表現していて、あらゆるところに芸術があり、みんな考えを持っていると感じました。重荷が取れ、自由になった気がしました。良い友人もでき、このコミュニティーの一部になれると感じました。吉田寮は学生生活の創造的なエネルギーと青春時代の象徴です。京都のその他の場所と異なり、吉田寮はまったく退屈でなく、興味深くてディープな場所なのです。
私には京都大学在学中に鬱になって引きこもりになってしまった留学生の友人が多くいます。何人かは勉強を諦め、自分たちの国に帰ってしまいました。一人は自殺してしまいました。どうやら、自殺が原因で友人を失ってしまった友達が他にもいるようでした。私もまた大変落ち込んで、困難な時を過ごしました。京都大学は学生の生活の質に関して、何を間違っているのでしょうか。間違っていることはとてもたくさんあって、そしておそらくこの大学にはその問題すべて、あるいはその原因について話す余裕が無いのでしょう。
ですので、私は解決策について話します。あらゆる国において、青年期の日々を華々しいものにしたいなら、若い世代を力強く、創造的で、明るい未来を持つものにしたいなら、彼らを若いままにしておく必要があります。「若いまま」というのは、自分や世界をより調査し、新しいことを創造し、多くの疑問を生み多くの失敗をする、そういったことをする自由を持つことです。失敗は、どうすればより良くなるか、より良い決定ができるかを教えてくれます。吉田寮は多くの新しいことに取り組み、また多くの失敗を積み重ねることで発展してきました。昔の吉田寮は女性も外国人留学生も受け入れませんでした。今では、様々なジェンダー・アイデンティティ、年齢、背景、そして国籍を持った人々が同じ空間を共有しています。寮をあらゆる人にとって良い場所にしていくために、寮生たちによって決断がなされ、多くの闘いがありました。吉田寮は常に変化発展して、現代社会の変化に順応しています。もちろん吉田寮には多くの改善すべき部分があります。だから、京都大学は、我々の敵ではなく、寮の物理条件の改善を助けより暮らしやすい場所にしてくれる味方として必要です。
自らに問いかけない文化、変化あるいは適応しない文化は必ず消滅するでしょう。世界が変わっていくなかで、教育や大学と学生との関係も変わる必要があります。学生生活を向上させる解決策を見つけたいなら、対話をより良くすることと、負荷を減らすことが必要です。吉田寮のような場所があるということ、常に現状に疑問を投げかけ、新しい方法について議論し、青春時代の力の象徴であるようなコミュニティーがあるということは、ただ良いことであるだけでなく、必要なことでもあるのです。もし京都大学が吉田寮を潰したら、それは京大の学生の青春時代の大きな部分を殺すことになるでしょう。吉田寮を潰すということは、そこに長年暮らしている人を追い出すだけでなく、創造性、批判的思考、そして青春を立ち退かせることも意味するのです。
青春も、創造性も、そして自己批判能力もない大学は、退屈で、退化し、現代的な必要性や要望に答えられないことが運命づけられています。従って、もし大学側が我々と共に取り組めば、京都大学において、吉田寮とは悩みの種ではなく、学生の青春時代が花開くことを助ける解決策であると理解できる、私はそう願っています。 (本文章は英語でのスピーチを日本語訳したものです。)
目次へ戻る
吉田寮再生100年プロジェクトについて
同実行委員会
市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト実行委員会です。まず手短に6月から9月にかけて行ってきた活動の報告と、どのような経緯・趣旨のもとで活動をしていたのかをお伝えします。2017年12月に大学から「基本方針」が発表されて以来、吉田寮生は2018年9月末までの全面退去を迫られている状況にあります。大学は退去の理由として、基本方針において「安全確保」という名目を挙げていますが、築3年の新棟からも寮生を退去させようとしており、また現棟・食堂・新棟含む吉田寮の建物の9月以降の扱いについて、何一つ明らかにしておりませんでした。このような状況において、ただ大学に対して話し合いを求めていくだけでは吉田寮の建物の今後や寮自治会の存続について大学側から何の回答も引き出せず、一向に建設的な議論が進まないのではないかとわれわれ実行委員は懸念しました。そして、この状況を打開すべく、市民を交えて、自由に吉田寮の今後の方向性についてアイデアを提示して語り合えるような場をつくり、具体性をもって吉田寮の可能性を感じられるようにする必要があるのではないかと考えました。そこで、寮生有志が中心となり、「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」を立ち上げました。
本プロジェクトでは、6月から9月にかけて、条件を問わず、広く市民の方々から吉田寮を保全・改修していくためのアイデアを募集しました。応募された26もの提案を吉田寮食堂で展示し、たくさんの方々に見ていただきました。そして、9月23日には、これらの集大成として、尾池和夫元総長を含む10名以上ものコメンテーターをお呼びして、シンポジウムを開催しました。このシンポジウムでは、京大の人間・環境学研究科棟地下大講義室にて、午前の部に提案者によるポスターセッションがあり、午後の部ではコメンテーター・市民・寮生の三者が意見交換をしました。150名ほどの来場者と5団体のメディアにお越しいただきました。
本プロジェクトでは再生デザイン部門と継承プログラム部門の2部門で提案作品を募集し、投票形式で、注目を集めた作品を各部門3つずつ決定しました。詳しくは本プロジェクトの公式サイトをご覧ください。
最後にこのプロジェクトを運営していく中で感じたことを少しだけ話します。市民の方々から作品を募るにあたっては、実際の寮の姿を知ってもらったうえで作品を制作してもらいたいという思いがあり、吉田寮見学会に参加してもらうことを推奨していました。7月から8月までの間に計7回の見学会を開催し、応募しなかった方も含め、数百名の方が吉田寮を訪れました。その際に感じたのは、当然ですが、吉田寮生と来場者の方では感じることが全く違っているということです。例えば、吉田寮生の感覚では、比較的綺麗だと感じているところでも、来場者の方にとっては汚いとしか思えないということも少なくありません。色々な吉田寮の運営の在り方などについて、寮生の立場から、理屈を並べて説明しても、必ずしも納得してもらえるわけではありません。勿論、吉田寮が培ってきた意見を強く持って主張するということ自体は大切だと思います。しかし、私たちが意図していたのは市民を交えて自由に語りあってもらうことであり、これまで寮生が考えていなかったようなアイデアが出てくることを期待していました。そのため、既存の考え方を強く訴えすぎることは本来の趣旨を壊してしまうと考え、シンポジウムの場では、基本的に寮生は黒子の立場に徹し、コメンテーターや来場者の意見を尊重するという形をとりました。
そういったイベントばかりであるべきだとは思いませんが、身内だけで集まるのではなく、これまで知りもしなかったような人たちにも関心を抱いてもらい、いま問題となっている事態を知ってもらうことは極めて重要だと思います。自分の感覚にそぐわないような意見に直面する一方で意外なアイデアとの出会いもある、そうした体験を多くできました。
私たちの活動については公式ウェブサイト上で詳しく掲載しています。最新の情報についてはツイッターで告知していますので、興味のある方はフォローお願いします。
目次へ戻る
元寮生として京大に求めること
21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会
私たちは、かつて京大吉田寮で生活した元寮生でつくる「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」といいます。元寮生の会は、京大の学生寄宿舎の同窓組織が行ってきた世代を超えた交流を、卒寮生と、現在の寮生も含めて改めてつくり、吉田寮が歴史的に果たしてきた教育的役割が、21世紀においてもより発揮されるようにと願い、昨年10月に発足しました。1950年代に吉田寮に在籍した世代から、最近卒業した世代までが会員になっており、さらに広く参加を呼びかけております。さて、京大は2017年12月に「吉田寮生の安全確保についての基本方針」を公表し、2018年9月30日までに吉田寮生全員の退去を求めるという一方的な通告をしました。私たちは、山極総長と川添理事をはじめとする大学当局が、吉田寮自治会との話し合いを誠実に進めない状況を深く憂慮し、学生との対話と、京大らしい解決を大学当局に求め、「京都大学学生寄宿舎吉田寮の保全と活用を求める卒寮生と市民の共同声明」を提出することを決めました。卒寮生と市民に広く呼びかけ、9月27日に一次集約として、642人の連名で京大当局に提出しました。
当会が呼び掛けた共同声明だけでなく、さまざまな人や団体が、吉田寮について憂慮する声を届けているにもかかわらず、京大当局は10月1日、寮生への退舎の通告書を、職員が吉田寮の玄関などに無言で貼るとともに、寮の事務員を引きあげ、火事の通報や急病などの連絡でも必要不可欠なライフラインである電話回線を、通告なく遮断しました。そして、11月9日に吉田寮自治会が川添理事に話し合いを求めて行ったアピール行動を暴力的に排除し、さらに警察に通報して学内に導入するという暴挙にでました。学生を守り育てる教育機関として、あるまじき対応を繰り返す京大当局に対し、あらためて強く抗議の意を表します。
最後に、吉田寮の自治について、思うところを話します。
吉田寮の出身者に、ノーベル賞を受賞した赤崎勇氏がいます。赤崎氏は、矛盾を高い次元で解決する「アウフヘーベン(止揚)」を、京大で学んだと語っています。青色発光ダイオードという、到底不可能とされた課題に立ち向かった赤崎氏の姿勢は、矛盾は高い次元でこそ止揚されるという、アウフヘーベンの考え方があったからこそです。そんな赤崎氏は、吉田寮の自治にあこがれて、寮に入ったといっています。吉田寮は、赤崎氏が暮らした時代も、私たちが生活した時代も、そして現在も、寮生が顔を合わせ、お互いの違いを理解しながら、妥協ではなく、高い次元で物事を解決しようと、話し合いを尽くしてきました。それが吉田寮の自治です。アウフヘーベンとつながるものです。
そして京大も、大学自治、学部自治というかたちで、困難を解決してきた歴史があります。それがいまや、どうでしょうか。立て看の問題を見れば、京大の現状は明らかです。社会に存在するさまざまな矛盾や理不尽を可視化して、分断を乗り越えつながっていくことを止めようとしているのが、いまの京大です。
現在の世界と日本は、分断と抑圧に満ちています。いまこそ、矛盾や理不尽を高い次元で解決する自治の内実が問われているのではないでしょうか。私たちは吉田寮に心を寄せていただいている市民や大学関係者と共に、京大当局に矛盾や困難を超え、未来につながる「京大らしい解決」を求めていきたいと考えております。
目次へ戻る
吉田寮廃寮反対声明
みずき寮・さつき寮・吉田国際交流会館・京大留学生有志
私たちは京都大学の留学生です。吉田寮生が彼らの住まいを守るという運動を、私たちは全力で支持します。留学生としての私たちは、短い期間ではあるものの、自分たちのものとは別の、京都大学の「自由とデモクラシー」という学生文化に身を置くことができます。京都の文化的風土の中で、吉田寮は非常に貴重な部分を占めています。 廉価な居住施設であるだけでなく、この寮は創造的な芸術、音楽、さまざまな活動の中心地でもあります。 このような並外れた性質はこの大学の長所です。 訪れる人に強烈な印象を与えるものです。
留学生は、時に受け入れ先の大学に馴染むために大変な苦労があることはよく知られています。吉田寮という活気に満ちた歓迎の空間は、外国人学生と日本の学生コミュニティを結びつける重要な目的を果たし、異文化間コミュニケーションの良い機会を提供しています。
私たちは、京大への入学を検討している学生のためのユニークなサポート機能であるものを守ることは、大学の関心にも非常に合致するものだと感じています。教育機関は居住者を追い出さずに、学内の歴史的な機能を安全に保護する必要があると考えます!
学生こそが大学の主体です。当局は学生の話を聞く必要があります。私たちは、京大当局の人間が寮生との対話の歴史を尊重し、寮自治会との話し合いの場を開くことを強く要求します。
吉田寮の跡地に何ができるかにかかわらず、この大学が長い歴史の中で培ってきた固有の根幹部分を失うことは大変な不幸であるといえます。 (この文章は英語の声明を日本語訳したものです。)
目次へ戻る
吉田寮の「ストーム」総括にエンパワメントされた経験
井上未芙ゆ(農学部2回生・地塩寮生)
農学部の学生の井上と言います。地塩寮という自治寮に住んでいます。みなさん、吉田寮の公式サイトに、ストームにおけるセクハラについての声明文が載っているのをご存知ですか。私は、その文章を高校3年のときに読みました。それに関する話をします。京都大学を受験することに決めたのは高校3年生の夏でした。はじめは他の大学に行きたかったのですが、親からの勧めに反発して説得するエネルギーもなく、漠然と京大を受けることに決めました。
そこで、京大について調べていて、ある日ふとネット上で見つけたのが吉田寮です。ぼろそうで、「なんだこれはやばそうだな」というのが最初の感想でした。とりあえず公式サイトを見てみたら、「2015年熊野寮祭企画ストームにおけるセクシュアル・ハラスメントに対する声明文」というものを見つけました。中学生、高校生の頃から、自分自身のセクシュアリティは、日本社会で当たり前になっているものと全く相いれないことを感じていました。それを受け入れるときの摩擦を感じており、性やセクハラなどのテーマが、私にとって切実な問題でした。だから、この声明にはとても心動かされるものがありました。なぜかというと、学校という狭い社会では、自分が嫌だと思ったことを告発する人は私のそばにはいなかったし、私自身もできなかったからです。
ジェンダーやセクシュアリティについて書かれた本を自分から手にすることはあったのですが、経験豊富で、「強さレベル100」みたいな、上野千鶴子や江原由美子などが書いた本を読めば読むほど、「この人たちインテリですごいな」、「自分にはこんな風にものを見たり、行動したりすることはしんどいな」と、距離を感じ、自分を卑下していました。ネット上の情報を見ても、それらはあくまで画面の向こう側の知らない人たちが書いたもので、自分はできないかもなと思っていました。
そんなときに、吉田寮の声明を読み、「学生寮が出している声明なのだからきっと学生が書いているんだろう。すごいなあ、大学ではこんなことをしている人がいるんだ。自分たちの生活の空間を丁寧に見つめて、丁寧に言葉を紡ぎだしていくことが、学生にもできるんだ。私だってやっていいんだ」と初めて思え、エンパワメントされました。
今の私は、吉田寮などの「その場」は自然に出来上がっていくものではなく、誰かの熱意や行動によって「作られていくものだ」ということを、知り始めているので、吉田寮全体がこうしたことにまじめに取り組む人がいる素敵な場所だと言いたいわけではありません。公式サイト上に声明文を載せる際にも、いろいろな反発があったはずだと想像します。
ただ、そういう人間が集まり、語れる環境が醸成されている、空気が用意されているのもまた事実なのかなと感じています。こういう場所があることはとても大切なことで、そういう意味で私にとって吉田寮は大切な場所です。
目次へ戻る
京大におけるジェンダー不平等と自治
内野クリスタル(留学生)
人間・環境学研究科の大学院生の内野クリスタルです。私がこの京都大学に留学してきたのは、自治権を求め、また学生に関わる問題を学生も含めた民主的プロセスを経て解決しようと求めて活動する、すべての学生たちを支援するためです。今回、京都大学での留学生としての経験について話して欲しいと頼まれました。京都大学で多くの有意義な経験をし、多くの素晴らしい教授や仲間に出会えたことはとても幸運でした。しかし、同時に私は京都大学で勉強することが正しい選択だったかどうか疑問に思うことがしばしばありました。「京大で大丈夫か」と初めて思ったのは、入学式のときでした。 私は、女性の先生があまりに少ないことにとてもショックを受けたことを覚えています。まるで時代が逆戻りしたようで、自分がどこにいるのか分からなくなりそうなほどでした。
実際に京都大学が出した資料を見ると、ジェンダーに関する問題は過去数十年に前進がありません。現在京大には2416人の男性教員がいるのに対し、女性教員は283人しかいません。学生に関する数字も大差ありません。京大の学部には、10248人の男子生徒が居ますが、女子学生は、たったの2979人しかいません。大学院には、6879人の男子学生がいますが、女子学生は、2548人しかいません。簡単に予想できる通り、京大の理事会メンバーは、9人中8人が男性です。世界ランキングのシステム自体の批評は置いておくとして、この数字を見ると日本がグローバル・ジェンダー・ギャップ指数で114位にランクインしていることは、全く驚きではありません。
京都大学が最も基本的な平等基準を満たすには、まだ遠い道のりがありますが、一方同時に学生が自治権を有する吉田寮やそこで行われる多様な活動があることも驚きでした。吉田寮は、現在に残る貴重な歴史的な場所であると同時に、新たな知を生み出す創造の場でもあります。率直に言うと、寮で学生が運営するイベントに出席したり、そこの住民と交流したりした経験が、私の京都大学における学生生活の中で最も刺激的な側面の1つでした。これらの出会いによって、京都大学の学生たちの歴史と創造性、ビジョンの深さを知ることができました。
吉田寮には入ろうと思えば入れましたが、セクシュアルハラスメントや圧倒的な男性中心主義的な世界といった吉田寮の問題について話を聞き、機会があっても私は寮に入りませんでした。しかし、これらは寮のみに帰する問題ではなく、人事や入学生の選考のあり方によって再生産され続けている京都大学におけるジェンダーの不平等を反映していると考えます。ドナルド・トランプやヴラティミア・プーチン、先日選ばれたジャイール・ボルソナロに代表される権威主義的リーダーが幅を利かせ、人々を国内外において恐怖に陥れているこの世界で必要なのは、その「場」の自治権を強化し、自治空間を維持・構築することによって権力を分散することであり、権力を集中させることではありません。
吉田寮を守るための現在の闘いは、民主主義と独裁主義を巡る戦いの縮図と言えます。私は、それを破壊する企てに強く反対します。京都大学には見直されるべき問題が多くありますが、それでも学生自治圏がまだ存在する貴重な高等教育機関の一つとして、より民主主義的な機関を発展させるモデルとなる可能性がまだ残されています。大学が学生の声に真摯に耳を傾けるよう求めます。 (この文章は英語でのスピーチを日本語訳したものです。)
目次へ戻る
立て看規制に対する学生当事者としての取り組み
「立て看規制を考える集まり」準備会
「立て看規制を考える集まり」準備会に参加している京都大学の学生です。京都大学は今年5月から京都大学立看板規程を施行しました。これは、京大の内外に立てられてきた立て看の設置を大学内のごく一部の場所に限定し、また設置期間や大きさ、立てられる団体についても非常に厳格に規制しています。またこの規程は大学が一方的に制定したものであり、その過程で学生など立て看を設置する当事者の声を聞くこともありませんでした。
学生に関わる大学の運営は、大学が当事者の学生との対話を通して行われるべきものです。少なくとも京大ではそのようになされてきました。2004年に京大が百万遍に面した石垣を撤去して遊歩道を作る計画を打ち出した際も、石垣に立て看を出している学生の抗議があって、大学は石垣に立て看を出す当事者との話し合いを行い、石垣の大部分を残して遊歩道を作るということで双方の合意に至ったのです。
しかし今回の立て看の規制に関して、京大側は立て看設置の当事者との対話を頑なに拒んでいます。近隣の住民からも立て看の規制に反対の声が上がっていますが、大学はそれらを聞き入れようとしていません。これが大学のやり方として許されるのでしょうか。
京大の立て看規制は各種メディアでも取り上げられ日本中で話題となっていましたが、立て看の設置者や近隣住民など当事者の訴えはあまり詳しく知られておらず、今京大で起こっている問題をよく理解しないまま立て看規制を擁護する声も世間では少なからず上がっていました。
立て看規制の何が問題なのか、多くの人に知ってほしい。そう考えた私たちは先月の京大11月祭で、立て看の歴史や現在敷かれている規制を取り扱った展示企画を実施しました。800名近くが来場してくださり、なぜ立て看規制が問題なのか、なぜ規制に反対する人がいるのかがよく分かった、という趣旨の声が多く寄せられました。また、京大までタクシーで来たという方は、「立て看がないおかげでタクシーの運転手も今日が学祭だと分からなかった」というエピソードも紹介してくださいました。
立て看は学生たちが考えていることや行動していることを外に向けて表す媒体であり、サークルのイベントの宣伝から政治批判までありとあらゆるメッセージの立て看が大学内外に向けて設置されて然るべきです。それが認められない今の京大では、年に1度の大学祭まで存在を隠されてしまうのです。ましてや、規制以降どれだけの行事が忘れ去られたことでしょう。どれだけの意見がもみ消されたことでしょうか。
大学が学生に果たすべき最たる役割は、自由と責任の中で主体的に生きる経験を学生に与えることだと私は考えます。つまり、小学校のように、先生の言うことに聞き従うのではなく、そういったしがらみのない環境だから得られる経験や学びを保障してこその大学なのです。学生の自由な活動を制限し学生を管理下に置こうとする今の京大は、大学として取るべき選択を問いただされるべきです。私たちは学生として、正当性のない立て看規制に抗議するためにこれからも声を上げていきたいと思います。
目次へ戻る
立て看規制の問題点と職員組合の取り組み
高山佳奈子・法学研究科教授
京都大学職員組合副委員長、法学研究科教授の高山佳奈子です。京大職員組合も大学の外回りに立て看をいくつも出していたのですが、これが学生たちの立て看と同じ時期にやはり一方的に撤去されました。5月13日のことです。その前後に組合は、これに抗議する声明を何度か出しています。ただ、少し学生団体と職員組合は性格が違うところもあるので、今日はまずはじめに両方に共通する憲法的な問題を、次に組合の特別な事情についてもお話します。最初に原則から申しますと、京大当局の立て看撤去は、京都市条例を口実、根拠にして内規が作られて、それをもとに行われていますが、そもそも、この京都市条例は憲法違反ではないかと思います。京都市条例は元々景観を守るためのもので、念頭においていた規制対象は、商業広告の看板です。これらが歴史的な建造物などの大事な、伝統のある景観を害してしまうのを規制するための条例です。商業広告でないものについては適用外であるという解釈が十分に成り立つ条文の作りになっています。ですから、学生さんの文化的な活動や、アピールなどは規制対象外であるという解釈が本来合理的です。したがいまして、京大の場合は、京都市条例が目的としているところと外れた立て看撤去の実態となってしまっているのです。そもそも、この京都市の景観条例が守ろうとしているものは何なのか考えたときに、むしろ京大の立て看は、京大の歴史・文化・伝統だと言えます。だからこれこそが排除されるべきものではなくて守らなければならないものです。それだけでなく、憲法上保障されている表現の自由に対する規制にもなっていますし、大学の地域社会への貢献という意味でも大きな問題が生じていると思います。立て看は、意見やメッセージを表現しているものもありますし、学生のいろいろな文化的な催し、また我々研究者が行っている公開シンポジウムや公開講演会などの催しの告知にもなってきました。今までは、キャンパスの周りに出ている看板を見て、地域の方々もたくさん来てくださっていたのに、看板がなくなったことで、インターネットなどでしっかり検索ができる立場の方でないと催し物に来られなくなってしまっています。
それ以外に形式的に見てもおかしいと私が考えていることがあります。この京都市条例では、一区画あたりで出せる看板の面積が2平米となっているのです。一切禁止にしてしまうと表現の自由の過度の規制になりますので、そうはできないのです。しかし、許可なく出して良い看板が1区画で2平米とまでと規制されていますので、区画が小さいところと、京大のようにものすごく大きな区画のところで著しい格差が生じてしまっています。京大なんかむしろ看板を出すニーズは他よりも高いので、不合理な格差が生じてしまっていると思います。薬事法違憲判決では、薬局を出せる距離が不合理に制限されていた昔の薬事法の制限は憲法違反であり、その法律は無効であると最高裁が判断しました。京都市条例の面積規制も、表現の自由が不必要に大きく規制されている不当な距離制限の一種だと私は思います。この点も憲法違反の点です。他にもあるのですが、細かいところは省きます。
さらに、労働組合の看板については、実は、条例で適用除外対象と明記されています。条例第9条第5号は、労働組合の立て看について、許可がいらない対象と書いています。本来は、学生の看板もこれと同じのはずですが、特に労働組合の看板は条例の適用が除外されるのです。それにもかかわらず、一方的に撤去したことは、仮に条例が憲法に適合している、無効ではないと考えた場合であっても、おかしいです。
次に、立て看に関する京都大学の内規「立看板規程」で、キャンパス周辺に看板が出せなくなったのですが、この内規は非常に不備がありまして、大学に公認されている学生団体と労働組合を一緒くたに扱おうとしています。労働組合は憲法上の労働基本権と、それから労働組合法を根拠に設立されているものですので、大学が公認する学生団体とは全く性質が違うものです。労働者が自主的に組織しているものなのです。したがって、この大学の立て看の内規は、労働組合には適用されないと組合は考えていたのですが、ある朝一方的に看板が撤去されてしまいました。これはあきらかにおかしいと思います。今まで労使の関係で、立て看は外に出せていたのに、内規にも明記されていないにもかかわらず、一方的に撤去することは、明らかに違法ですね。こういった状態を見ますと、大学の今の法令遵守体制は機能してないのではないかと思います。 組合は、11月7日に北部キャンパスの2箇所で、元の位置に看板を設置することができています。組合としては全部の看板をもとに戻したいので、いまどうやって次のステップに進むか考えていて、地方の労働委員会に申し立てることも検討しています。そうしたことをせずに、大学当局が自主的にもとに戻すことを認めてくれればよいので、まず第一ステップとして、団体交渉において看板の再設置を求めていこうと考えています。
立て看問題は、学生団体と比べると組合が大学との交渉では強いポジションにありますので、学生さんの分まで権利を実現していけるように、まず組合が頑張っていくことが必要だと思っています。ぜひ皆さん一緒に注目してみていただいて応援していただきたいと思います。
目次へ戻る
琉球遺骨返還訴訟について
松島泰勝・龍谷大学教授
はいさい、ちゅーうがなびら、わんねー松島泰勝でやいびーん、ゆたさるぐとぅーうにげーさびら。(こんにちは、松島泰勝であります、よろしくお願いします)私は、琉球の石垣島で生まれた者です。専門は、島の経済を勉強しています。去年から、琉球の今帰仁村にある百按司墓琉球人遺骨の返還運動を京都大学に対して、行ってきました。1929年に、京都帝国大学の助教授であった金関丈夫が地域の住民や親族の了解を得ずに、遺骨を持ち出した、つまり盗んだわけですね。その遺骨が現在26体分、京大総合博物館に保管されています。2017年2月頃から、地元の新聞、特に『琉球新報』という新聞において、遺骨盗掘問題は、琉球人の自己決定権にかかわる大きな問題であると、考えて連載が組まれて以降、琉球で大きな運動、返還運動が起こるようになりました。
私は、京都で働いておりますので、これまで何回か京都大学へ行って、まずは、その遺骨についていくつか質問をして、話を聞きたい、また場合によっては返還してもらいたい、ということを、交渉をしてきました。しかし、京大側としましては、個別の問い合わせには応じられませんという回答だけで。なぜ回答しないのか、というその理由も、全く聞かされませんでした。
私は、情報公開制度に基づいて、琉球人の遺骨の情報を公開するよう求めましたけど、やはり百按司墓の遺骨に関する情報は、公開されませんでした。また、京大総長に対しても、質問をし、また返還の要望書も出しましたが、それに対しても一切答えないと。また、この遺骨の問題に関して、今後京都大学に来るなという内容の回答ももらいました。また去年の暮れには、コタンの会の代表でアイヌ民族の清水裕二さんと一緒に、京都大学に行って色々と質問をしたのですが、京都大学の総務部総務課の職員は、絶対に我々の前に出てきませんでした。京大の警備員は、我々に内線電話も使わせないで、私の携帯電話を使うことを命じました。全く、非常に冷たい対応でありました。また清水さんが、名刺交換をしようと言ったときにも、名刺も交換する必要がないと、暴言を吐きました。
私は少なくとも京大は「学問の府」ですので、質問には答えてくれると思っていたのですが、それもできないということが分かりました。本当に学問を語る資格が京大当局にはあるのでしょうか。わたしが知っている国会議員の、照屋寛徳・衆議院議員にお願いして、国政調査権を使って、質問をしてもらいました。その結果、京大は初めて公式に、京大総合博物館に遺骨が存在することを認め、遺骨がプラスチックの箱に入っていると答えました。しかし、照屋さんから出されたその他の遺骨に関する質問に全く答えないという、我々の国会議員を軽視する態度を示しました。照屋さんは、京大総長に対して、公開質問状を2回出したのですが、それにも全く答えておりません。つまり我々琉球人が選んだ、国会議員のことも、京都大学総長は対等な人間として扱っていない、という大きな問題があります。
こうした経緯から、2018年12月4日に、京都地裁に遺骨の返還を求めて、提訴を行わざるを得なくなりました。本来であれば裁判などをせずに、色々と議論ができると思ったのですが、京大当局による対話拒否という植民地主義の扱いを受けたので、そうするしかなくなったわけです。 この琉球人の遺骨の返還運動は、10年ほど前から始まった琉球人の自己決定権回復運動、またその行使運動と、密接に結びついております。日本政府が、辺野古・高江の米軍基地を、琉球人の民意を無視して建設を強行しているのですが、それに対して、「いやいや、われわれの意見を聞いてくれ」と言うのは、自己決定権に基づいた主張です。それから我々の先祖の骨を、先祖が生まれた島に返してもらう、というのも、自己決定権に根拠があります。アイヌ民族、世界の先住民族も自らの先住権に基づいて先祖の遺骨を大学や博物館から取り戻し、再埋葬、再風葬をしてきました。
この自己決定の権利というのは、琉球民族が先住民族であるということからも来ております。国連は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択しており、ここでは先住民族の自己決定権を明記しています。また、2008年から国連は、琉球民族を先住民族として認めております。日本政府は認めていませんが。そういった先住民族として、遺骨の返還を求めているのです。また、今度の裁判では、5人の原告のうち2人は、この百按司墓の遺骨の子孫、つまり第一尚氏末裔の方です。琉球は、かつて琉球国という、日本とは別の国だったのが、1879年に、軍隊を派遣した日本に併合され、植民地になりました。その不平等な関係性の中で、京都帝国大学助教授の金関丈夫は遺骨を持ち出すことができたわけです。これは当時においてすら、刑法違反です。にもかかわらず、金関が遺骨を持ち出すことができたのは、琉球が植民地であったからです。琉球民族にとって先祖の遺骨は、骨神(ふにしん)として認識されています。それは研究者が研究の対象にする研究資料ではないわけです。我々の祖先の、神が宿っているもので、それの遺骨がちゃんと墓の中に存在していることが前提となって、生きている子孫と先祖が交流する儀式として清明祭、十六日祭の儀礼が現在でも行われているのです。そのような重要な骨神が、京大にあることが、まさに現在も続く植民地主義を象徴していると思います。これは我々琉球民族の信仰、慣習を冒涜し、破壊する行為を京大が1929年だけでなく、現在も行なっていることを意味しています。
現在、京都大学は盗んだ遺骨を保管しています。これはまさに共犯と、言えます。これは国内法、国連法違反でもありますので、今回京都大学を訴えるという行動に出たわけです。吉田寮の問題に関しても、住んでいる学生の自己決定権を踏みにじるような態度を、京都大学当局はしていると聞いています。まさに琉球の遺骨問題と同じような、植民地主義の対応を、京大がやってきていると。立て看問題にも同じような要素があると思います。京大当局は、所属学生とともに、日本に併合された植民地の民族である琉球民族に対しても、現代的植民地支配の手を緩めないという状況にあります。お互い連帯、協力し合い、「京大植民地主義」を変えていく運動を展開していかなければならないと考えております。
琉球民族遺骨問題に関しては、現在、裁判を支援する全国の団体(琉球民族遺骨返還請求訴訟全国連絡会)ができておりまして、ウェブサイト「琉球遺骨の返還を求めて」(https://ryukyuhenkan.wordpress.com)に、いろんな情報が掲載されております。京都地方裁判所大法廷において2019年3月8日から裁判も始まりますので、是非とも京大の学生、教職員の皆さん、地域の方々に裁判傍聴の呼びかけをさせて頂きます。この問題を、自分の問題として、考えていただきたいと思います。ともに協力して頑張りましょう!
目次へ戻る
遺骨返還要求に対する京大の対応とその問題点
京大・アイヌ民族遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会
京大・アイヌ民族の遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会の佐藤です。アイヌ民族の遺骨は今、全国の大学や博物館に2000体近くあるといわれています。この京都大学にも、民族差別的な研究のために集められた87体の遺骨があります。私たちは遺骨を保管するに至った経緯や、その遺骨を使ってどのような差別研究をしてきたのか、そして、今、アイヌ民族から遺骨の返還の声があがっているのになぜ返さないのかと追及しています。私たちは、5年前から京都大学に対して遺骨の返還を求めて申し入れをしています。しかし、京大は当初から一貫して私たちの要求を無視し続けています。初めてアイヌ民族とともに京大を訪れた時には、本部棟の出入口のドアの向こう側にずらりと50人近くもの職員が立ちはだかって、私たちを威圧していました。北海道や関東から駆け付けたアイヌ民族に対し、大学は敵対的な態度をあらわにして、真っ向から対立姿勢を示してきました。申し入れに対する返答も、たった3行で「個別の対応には応じかねます」と伝えるだけで、大学という場でありながら、なぜこんなに人権無視の態度をとるのかと、強い驚きと怒りがこみ上げてきました。それ以来、申し入れ書は毎年受け取りを拒否され、2015年には、2000人近くもの署名を集めて、受け取らせようとしましたが、この際も京大は拒みました。後日郵送しても、開封もせずに返送してくる有様です。今年の11月の申し入れの時にも、京大は出入口に立つ警備員を使って、「対応しない」とその一辺倒で、担当者が全員出張で不在とか、適当な嘘をついて逃げ回るばかりでした。その姿勢は、一貫して官僚的で不誠実で無責任です。私たちは、申し入れの日にあわせて、クスノキの木の下で、毎年アイヌ民族の先祖供養であるイチャルパをして、ウポポリムセという歌と踊りをささげています。遺骨の供養についても、元来であれば大学自身が行うべきものだと考えています。この間、長年のアイヌ民族の闘いによって、北海道大学から遺骨の返還が実現しています。私たちとともに、京大を追及している旭川アイヌ協議会の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんも、今年6月に遺骨の返還と再埋葬を勝ち取りました。しかし、アイヌ民族が求めていた謝罪や賠償は一切なく、多くのアイヌ民族はなぜ勝手に盗んでいったものなのに、裁判をしないと返さないのかと憤っています。返還が勝ち取られる一方で、全国にあるその他の遺骨は現在もそのまま留め置かれています。その遺骨は、北海道白老に2020年開設予定の白老の慰霊・研究施設に収容されて、これからも遺骨を使ったDNA研究などがおこなわれようとしています。来年2019年には、ここ京大から遺骨が移送されてしまうかもしれないのです。遺骨がいったん白老に運ばれてしまえば、京大の固有の責任がうやむやになってしまいます。京大の遺骨は、1924年から26年に、元京都帝国大学の教授・清野謙次がサハリンや北海道から取ってきたものです。清野が遺骨を収集した1924年当時は、サハリンは日本の植民地支配下にありました。アイヌ民族はそこから強制移住をさせられて、その無人となった場所で清野は墓を暴いて破壊して遺骨を略奪しました。このような行為は、アイヌ民族に対する人権蹂躙であり、侵略行為だと考えています。
清野に関してはさらに重大な問題があって、731部隊の生体実験とか細菌戦に深く関与している人物です。アイヌ民族の遺骨を研究材料にすることと他民族を実験材料にする、そういう侵略研究は、その根底においてひとつながりのものだと考えます。これらのことがらが、単に清野個人の問題ではなくて、京都大学の侵略戦争責任の問題であると考えています。京大は今もって、アイヌ民族の遺骨略奪にも、731部隊に関しても、その侵略戦争責任に口を拭って、学問の在り方と内容を一切反省していません。
さらに京大は、琉球からも大量の遺骨を略奪していますし、琉球民族は返還を要求しています。これまでは、アイヌ民族に対するのと同様、一切門前払いの対応でした。琉球民族遺骨返還研究会は12月8日、京大に対して提訴しました。京大はこれまで、私たちの要求をないがしろにして責任逃れをしてきましたが、学問の名のもとに民族差別研究を行って、それによって他民族への侵略と同化を推し進めてきたという事実を重く受け止めるべきですし、この問題に真摯に向き合って真相を明らかにして、二度とこうした歴史を繰り返さないように反省すべきです。京大の侵略戦争と侵略戦争責任の問題を踏まえるなら、その犠牲となった遺骨を保管し続けるということは許されません。京大はアイヌ民族への謝罪と賠償を行って、遺骨と副葬品はすべてアイヌ民族のコタン(郷土)に返すべきだと考えています。遺骨の返還に向けては、学内からの追及の声が本当に不可欠です。遺骨の問題も吉田寮の問題も京大総体の問題であって、大学の在り方自身が問われていると思います。連携してともに闘っていきたいと思っています。よろしくお願いします。
目次へ戻る
遺骨問題と京大の侵略戦争責任
ピリカ全国実・関西
私達ピリカ全国実・関西は2013年以来、アイヌ民族、琉球民族とともに京都大学に対して、略奪した多数の遺骨と副葬品を返還するようチャランケ(話し合い)を求めています。なぜ京大に多数のアイヌ民族や琉球民族の遺骨があるのでしょうか。それは戦前、清野謙次や金関丈夫ら医学部の教官たちが民族に何の断りもなく、勝手に墓を暴き盗み取ったからです。その遺骨が今も総合博物館に閉じ込められたままです。
医学部病理学教室の清野謙次は、1924年夏、日本の植民地支配下にあった樺太(サハリン)に出かけ、栄浜・魯礼(ロレイ)のアイヌ民族墓地から50数体の遺骨を発掘しました。
清野謙次はその発掘の生々しい様子を「樺太アイヌに関する人類学的紀行」に書いています。それによれば発掘の目的は、アイヌ民族は「絶滅しつつあるから至急骨格を蒐集(しゅうしゅう)する必要がある」、「現代樺太アイヌのできるだけ純粋な骨格を集める」ということでした。当時魯礼にアイヌ民族は住んでいませんでした。樺太庁がアイヌ民族を「土人部落」に囲い込むために、2年前(1922年)に白浜に強制移住させたからです。それをよいことに清野は遺骨を略奪し、そして「今日の人骨は割合に新鮮で木棺が腐朽していないものが多かった」とか、なかには亡くなって間がない遺体もあり「非常に臭くて嘔吐しそうになった」、「人骨が多く馬車一杯になった」などと平然と言っています。その発掘の跡は、四肢骨や腰骨は折られたまま散乱し、棺の蓋は開かれたまま横倒しになり、副葬品は散らばっていて、まるで戦場のような有様でした。これほどひどいアイヌ民族にたいする侮辱、人権侵害があるでしょうか。これが研究者や大学が「研究」と称しておこなってきたことの実態です。
アイヌ民族の墓地は、民族の長い歴史を刻んだ生活の拠点・コタン(集落)と一体であり、したがって墓地を勝手に掘り返すことは、アイヌ民族の精神的なよりどころとその共有地を破壊することであり、民族とその歴史を抹殺する侵略行為です。
清野謙次ら人類学者と人類学は、アイヌ民族を「劣った民族」、「滅びゆく民族」だと見なし、それを「証明」するために頭の大きさや形を測り、「日本人は優秀」だと宣伝し思い込ませようとしました。そこには優勝劣敗の社会進化論、「劣った民族」を撲滅し「優秀な民族」を育むという優生思想が貫いています。
天皇制国家のアイヌ民族絶滅・同化政策を推し進めるために、このような考え方にもとづく「アイヌ研究」、人類学研究が1930年代を前後して盛んにおこなわれました。人類学と人類学者は、天皇制国家の政策がつくりだしたアイヌ民族の疲弊と窮状を、民族の「素質が悪い」からだとすりかえ、その国家政策に批判が向かわないよう隠蔽する役割を果たしてきたのです。
このようなアイヌ民族の遺骨略奪は、京大のみならず北大、東大、阪大、札幌医大など旧帝国大学を中心に全国的におこなわれ、2013年の文部科学省調査でも遺骨の数は1600体を超えています。人類学は帝国主義の民族絶滅・同化政策に歩調を合わせて発展してきた植民地主義の理論・学問です。したがってアイヌ民族の遺骨略奪は単に清野謙次個人の仕業ではなく、日本天皇制国家とその国策研究に奉仕してきた京都大学と医学部総体の犯罪です。
「先住民族の権利に関する国連宣言」にも明らかなように、遺骨返還はアイヌ民族、琉球民族など先住民族の民族自決権の重要な内容をなすものです。京大は遺骨返還を拒否することによって、民族自決権を蹂躙し続けているのです。
さらに京大、同医学部と清野謙次、中山英司に直接かかわって、もう一つの重大な戦争犯罪があります。731部隊(関東軍防疫給水本部)に多数の弟子を送り込み、生物兵器研究開発、人体実験、細菌戦に深く関与したことです。731部隊は、天皇制国家と日本軍の最高秘密戦略として遂行され、京都帝大、東京帝大を頂点に、北海道帝大、大阪帝大などすべての帝国大学、研究機関を巻き込んでいました。
清野謙次の弟子、石井四郎は陸軍軍医学校防疫研究室の主幹となって、ハルビンからシンガポールまでの生物兵器開発、研究のネットワーク・「石井機関」を動かし、「石井機関」は、「防疫研究室」の嘱託研究員制度を使って全国の大学から多数の研究者を動員しました。
清野は、木村廉、戸田正三、正路倫之助らとともに嘱託研究員となって、石川太刀雄丸、岡本耕造、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸一郎、田中英雄等を731部隊に送り込み、これを育成しました。清野の弟子、中山英司も731部隊への加担が明らかになっています。遺骨の略奪者が731部隊に深く関わったということはきわめて深刻な問題です。しかもこれらの731部隊に関わった人々はその戦争犯罪に口を拭って、戦後医学界で高い地位を占めてきました。こうした京大と医学部の組織的犯罪については、もっと多くの人に知ってもらい追及していきたいと考えています。
731部隊は1980年代以降、次々と新しい資料が発見され、労働者、学生、市民の告発の取り組みが進んできましたが、なおその全貌は明らかではありません。この重大な戦争犯罪の核心は、日本国家、大学と医学部、研究者ら総ぐるみの隠蔽によって深い闇に包まれています。2014年2月に完成した京大医学部資料館に展示された、731部隊に関するたった2枚のパネルはすぐさま撤去されました。この一事をもってしても大学当局がいかに隠蔽に必死になっているかは明白です。
このような京大の侵略戦争責任の隠蔽、棚上げがまかり通っているかぎり、遺骨の返還は望むべくもありません。なぜなら遺骨返還のためには、731部隊に現れた侵略的、植民地主義的学問とそれを推し進めた大学の真の反省が不可欠だからです。
その反省はいまだに果たされていません。戦後京大に本当に民主主義はあったのでしょうか。大学の自治とは何だったのか、問い返さなければなりません。その深い反省のなかから吉田寮と大学の真の自治を奪い返すことと遺骨返還を勝ち取ることは、ひとつのことだと考えます。ともに闘いましょう。
目次へ戻る
学習会についての短い宣伝
理学部自治会評議会
理学部学生自治会の者です。短い宣伝をさせてもらいます。いわゆる吉田寮に関する「基本方針」が出てから一年が経ち、吉田寮に関する話題は多くが関心を寄せるところです。吉田寮、立て看、アイヌ遺骨、様々な固有名を私たちは持っていますが、いずれも一つの、ある意味で哲学的な、問題意識を私たちにもたらしてくれます。問題の極致は、自分の理性の使い方に私たちがあまりに無頓着なことにあるのです。「自由の学風」や対話を根幹とする自学自習などここでは問題外です。大学一般における問題なのです。一つの話題について――例えば予算や人事、そしてそれに関連する有象無象の事象――各々が考え、判断することが肝要であると言っているのです。なぜならば、私たちは様々な機会を通して、いま‐ここにある政治に否応なしに参加させられているからです。この場が一つの例だ。弁論者が立ち、提起する。これはアテナイの時代からずっと行われてきたはずのものです。
課題をすでにある権威で切り抜けることもできましょう。だが、それはあなたの課題を乗り越えたことにはならない。なぜならば、「権威に訴える論証」が往々にして誤謬であるように、権威で対処することは批判的思考によるものではないからです。少なくとも自分に関わることについて、外部に任せきるのはあまり理知的でないでしょう。人を頼りながらでもいいですから、独力で考える力を涵養すべきです。むろん独力で考えることは非常に難しく、人はそのことを簡単に放棄してしまえます。誰もが思いつくような紋切型的な解釈で満足すること、既成の鋳型に飛びつくことで判断を端折ることなどが、その典型例です。具体的には、TOEFL‐ITPの導入や入試における民間試験の採用などが挙げられましょう。
従って、政治的動物としての私たちが、政治的必要のために自ら考えることを始める時、様々な人が集まって勉強することは非常に有意義です。このために、理学部有志では「学生自治のための学習会」を実施しています。「学習会」ではさまざまな話題を素材として、参加者同士で判断し議論をすることを行っています。時には哲学的な問答が繰り返されることもあります。様々な衝突や事故もありますが、それもまた醍醐味です。
学習会第二回は12月26日18時半から、 S自ボックスにて開催します。是非お運びください。
目次へ戻る
トップダウンに抗していくために
小山哲・文学研究科教授
文学研究科の教員の小山です。「自由と平和のための京大有志の会」の発起人の1人です。「自由と平和のための京大有志の会」は、今から3年前の、2015年7月に発足しました。私たちはなぜこの会を創ろうと考えたのか、その当時のことを振り返ると、2つの問題が背景としてありました。 1つは、安保法制です。安倍内閣は、憲法の解釈を変更して、集団的自衛権を容認する閣議決定を行ないました。この決定にもとづいて、2015年の5月から9月にかけて、国会で安保法案が審議されました。さまざまな問題点が指摘されたにもかかわらず、この法案は強行採決されました。私たちは、安保法制は日本国憲法第9条に違反しており、アメリカが行う戦争に日本が加担する可能性が高まると考えて、大学で教育・研究に携わる立場から、これに反対する声をあげたいと考えました。もう1つは、同じ2015年の6月に文部科学省が出した通達です。そのなかに、教員養成系や人文社会系の学部・大学院の組織を改編して、社会的要請の高い分野に転換するように求める内容が含まれていました。私たちは、財界や政権の近視眼的な意向によって大学における教育や研究のあり方が歪められることに危機感を抱き、この点でも反対の意思を示したいと考えました。
この2つの問題には、共通する点があります。ともに、権力の中枢にいる集団が、1つの方向に向かう決定を下し、それが上から降りてきて強行されるという点です。現場でどれほど多くの人びとが反対しても、いかに多くの問題点が指摘されても、権力の中枢にいる側は真剣に向き合って議論しようとせず、適当にごまかして批判の声をやりすごし、反対を無視して強行しようとする。現在、沖縄の辺野古の基地建設をめぐって起こっていることも、これと同じ構図です。
そして、こういうトップダウン方式のミニチュア版が、京都大学のなかでも繰り返されています。最近では、立て看の規制がこのやり方でした。大学の執行部で立て看を規制することが決められ、教授会には報告事項となって降りてくる。審議事項ではないので、部局の個々の教員の目には、意思決定に関与する権限がない問題と受けとめられ、教授会で十分な議論がおこなわれることがないままに通ってしまう。吉田寮の問題も、大学当局は、同じやり方で処理しようとしています。
トップダウン方式に対抗するには、どうしたらよいのでしょうか。
1つは、「あきらめないこと」ではないかと思います。「上で決めたことだし、下から反対しても、いまさら何も変わらないさ」とあきらめると、理不尽なことがそのまま通ってしまい、それが積み重なっていくと、ほんとうに引き返すことができなくなります。
もう1つは、「つながり合うこと」ではないでしょうか。「有志の会」では、軍事研究の問題、立て看規制の問題、吉田寮の問題など、その都度、声明をだして、意見を表明してきました。それなりに反響があった場合もありますが、小さな会ですので、単独ではやはり限界があります。それぞれの現場にいる人たちが、自分たちの持ち場のなかで、自治の文化をもういちど建て直す。そのうえで、自治的にものごとを決めていくたくさんの小さな集団が、ゆるやかなネットワークでつながり合って、上からの理不尽な押しつけに異議申し立てをする。トップダウンには、幅広く連帯してボトムアップで向き合う。迂遠なようですが、結局のところ、そういうやり方しかないように思います。この集会も、そのようなネットワークに支えられた、ボトムアップの試みだろうと思います。
「自由と平和のための有志の会」では、「ひろば」という名前のもとに、いろいろな企画を主催してきました。京都大学の学生や教職員だけでなく、学外の市民の方にも開かれた催しです。そのような「ひろば」の一環として、今年に入ってから、「本を読む会@吉田寮」を3回開催しました。吉田寮新棟の会議室をお借りして、毎回、1冊の本をとりあげて、自由に語り合う集まりです。参加者は多くて20名程度で、こじんまりした会ですが、参加した市民のみなさんからは、これからも吉田寮でこのような会を開いてほしいという希望をうかがっています。大学の教室を使うこともできますけれども、吉田寮には、学外の方でも、くつろいで自由に議論ができる、独特の雰囲気があります。こういう開かれた空間があることは、京都大学にとって、たいせつなことだと感じています。
さきほど、小さな集団がゆるやかにつながり合って声をあげる、ということを申しました。つながり合ってネットワークをつくるためには、「つなぎ役」が必要です。今回の集会は、主催者である吉田寮自治会の呼びかけがあって、可能となりました。むずかしい状況のなかで、「つなぎ役」として、大学の今とこれからを語る会を企画し、実行した吉田寮自治会のみなさんの勇気と努力に敬意を表したいと思います。
目次へ戻る
一橋大学の学生寮をめぐる問題
一橋大学・中和寮自治会
今から、一橋大学の中和寮および小平寮・国際交流会館に生じた諸問題について、簡単に紹介したいと思います。私は、小平寮に住んでいる留学生です。まず、簡単に一橋大学の学内の寮について簡単に紹介すると、中和寮は留学生も住む院生寮で学内で唯一寮自治会が存在しています。小平寮は学部生と留学生が一緒に住んでいる寮で、疑似的な自治組織はありますが実質的な自治権はありません。国際交流会館は留学生の寮で、小平寮と同じく形式的な自治組織はありますが、実質的には自治はありません。
まず最初は寮費の値上げの問題です。今年5月に大学から小平寮と国際交流会館に一方的に値上げの決定を通知されました。寮費を、約5千円から、4、5倍引き上げるというものでした。大学は説明会を開いて、「赤字を回収するために値上げをする」と説明しましたが、この値上げの妥当性について具体的なデータは示されていませんし、また、院生自治会および中和寮自治会が交渉したいと言っているのに答えず、学生らの意見をまともに聞いていないというのが今の状況です。
ほかの問題としては、留学生が追い出されるという問題があります。今年の11月に、大学から小平寮と国際交流会館の老朽化のために寮を改修するので、入寮者の枠を大幅に減らすと通知が来ました。もともと住んでいた寮生たちは、来年度もう一度入寮選考のための抽選に参加しなければいけないとされました。今年度から留学生の入寮選考方式が変更され、抽選割り振り方式から第三希望まで届け出る方式になったため、相対的に安価な中和寮に希望が集中することが予想されます。一橋大では、留学生の入寮選考は新規入寮希望者の受け入れが優先されるので、もともと住んでいた留学生が追い出される危険があります。中和寮からは、留学生を筆頭に留年している学生や、休学している学生やオーバードクターとかも優先的に追い出される危険があります。さらに、留学生にとっては、もともと、保証人制度という、留学生がアパートを借りるときに大学が連帯保証人になる制度があったのですが、これが今年9月で打ち切られたため、非常に困難な状況になっています。こういう問題がいろいろあるため、中和寮自治会は一橋大のあらゆる寮生の居住権を守るために、大学当局との交渉を開始しています。
最後に、このような問題には、さらに大きな問題が存在していることを指摘します。それは、大学の意思決定のプロセスにおける学生の不在です。一橋大学でも2015年以来、学生との交渉は一回もありません。学生たちはいろいろ要望し、説得しようと思っているのですが、大学当局は無視して一方的に決定してきました。こうした現象は一橋大学だけでなく京大もそうですし、全国の各大学で起きている大きな問題であると考えています。私の母国である韓国でも同じような問題が起きているので、私はこのような大きな問題をみんなが協力して、みなさんと学生自治を守っていきたいと思っております。
(このスピーチは、中和寮自治会が作成した原稿を要約して代読したものです。)
目次へ戻る
* * *
本記事は、集会でのスピーチを編集部で編集・再構成したものです。
集会については、集会公式サイトをご覧ください。
「181219京大集会」
https://sites.google.com/view/181219-kyodai-assembly/