京大生の読書傾向を覗き見♪ 年間ルネベスト2023
2024.03.16
本企画では、昨年1年間に京大生協ブックセンター「ルネ」で売れた書籍のランキングと、そこにランクインした本から編集員が選んだ3冊の書評を掲載する。並ぶタイトルは、毎年お馴染みのものから、世相を反映したものまで様々だ。厳しい寒さも緩み、日に日に近づく春の足音に胸が膨らむ今、気になる本を手に取って、静かな春の訪れを堪能してはいかがだろうか。(編集部)
第5位 壁の街と現実、境目の不確かさ 村上春樹『街とその不確かな壁』
第5位 「ナチの功績」は本当に「功績」か? 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
「あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人なんてこの世にはいないということなんだ。」書店に平積みにされた本の帯に書かれたこのセリフに安易に共感した自分が恥ずかしくなるような一冊だった。『何者』で直木賞を受賞した朝井リョウのデビュー10周年記念作品。累計発行部数はすでに50万部を超え、年間ルネべストでは3位にランクインした。
物語は複数の人物のエピソードが並行して進み、絡み合っていく。そしてその人物の多くが、いわゆるマイノリティに属し、登場人物の一人、夏月の言葉を借りれば「地球に留学している」感覚を抱いている。彼らは特殊性癖の持ち主なのだ。彼らは水に興奮する。水が外部の力によって変形されたり、隙間から吹き出していく様に魅力を感じるのだという。
夏月と佳道はその特殊性癖を持ち、それぞれ寝具店と食品販売会社で働いている。「正欲」を持ち合わせない二人はそれぞれ睡眠欲と食欲にかかわる仕事をしているのだ。そして二人はともに、人生に絶望している。彼らからすれば世の中は「明日いきていることが当たり前」の人達の世界であり、二人にとってはそうでない。学生時代は周りの恋愛話に共感できず、今は職場の人や親から恋人の一人もいないことに対してプレッシャーを受ける。睡眠欲や食欲をみたそうとしたところでは埋められない孤独を二人は抱えている。
かつて同級生だった二人は、同窓会で再会する。そして、中学時代のあるエピソードを通じて互いの性癖を確信していた二人は距離を縮め、同居を始める。もちろんそこに恋愛感情はない。周りの目を逃れるために始めた「偽装結婚」だ。しかし、一緒にいることで、明日を生きることへの戸惑いが薄れていく。そんな二人の様子に胸が打たれる。貸し借りを作らないために、自分のことは自分でする、料理も片付けも別々のきまりだった二人が、駅前で値引きされていたメンチカツを分け合う。なんてことのない日常がリアルに、美しく描き出される。読み進めれば、この二人の関係を誰も邪魔してほしくないと願わずにはいられない。
しかし、この小説は優しくない。そんな感情を抱くたびに、小児性愛など、ここに書くのが憚られるような加害性を持つ性癖の存在が示唆される。実際に、二人の生活はその一つが原因で終わりをむかえる。彼らに抱いていた同情や安心感は、「水」という比較的無害なものによって担保されたものだったのではないかということに気づかされる。例えばそれが「水」ではなく「血」だったら。「あってはならない感情なんて、この世にない。」というセリフに共感できるだろうか。
そして、そもそも自分は彼らに同情する側にあるのか、なぜ自分をその側だと思ったのか。物語はそんなことさえも読者に突きつける。同情するということは自分が「正しい側」にいると認識しているからではないのか。大学生がミス・ミスターコンを廃止して「ダイバーシティフェス」を開催し、テレビにはLGBTQを題材にしたドラマが流れる。そんな世の中の「多様性」を登場人物の一人は「自分の想像してる多様性を礼賛して、秩序だてている」だけだと突き放す。そして、自分を「理解する側の人間」だと思っている人間の傲慢さを指摘する。
物語を通じて痛感するのは自分の想像力の乏しさと「正欲」だ。冒頭のセリフを素敵な言葉だと思った。小説を読みながら自らを無意識のうちにマジョリティに位置づけ、登場人物たちに同情した。そして、この場でも、自分は物語をいかにも正しく理解したかのように書評を書いている。それらは全て、自分の乏しい想像力のもとでの「正欲」にまみれた行為なのではないのかと思わせられる。そんなことを考えていると、冒頭のセリフに安易に首を縦に振ることも、生きるために手を結んだ二人の暮らしを「美しい」などと評することも憚られ、自分の「正欲」に嫌悪感を抱かせられる。しかし、ハッピーエンドとはいえない結末で夏月と佳道が互いに言い放った、「いなくならないから」というセリフの根底にある、二人の明日を生きる決意は、読者に希望を抱かせてもくれる。この小説を他人に勧めること自体も「正欲」によるものなのかもしれない。それがわかっていても紹介したくなってしまう、そんな一冊だ。(省)
17歳の「ぼく」とひとつ年下の「きみ」は、エッセイコンクールの表彰式で出会った。文通を通して仲を深め、互いの住む街を行き来する。二人は互いに恋に落ちていた。ある時、少女が「自分は影であり、本物は、遠くの街で別の生活を送っている」「あなたが本当に望むなら、その街に行くことができる」と語り出す。「ぼく」は、一夏を通して、少女が語る「壁に囲まれた街」の光景を書き留めた。
高さ8㍍のレンガの壁で囲まれたその街には、川と3つの石造の橋、図書館と望楼がある。人々は古い共同住宅に住み、簡素だが不自由のない生活を送っている。街に住む人間は影を持たない。街中には金色の体毛の単角獣がおり、夜になると壁の外に移動する。街の時計には針がなく、時間は「現在」に留まっている。
充実した内容にかかわらず読み心地が軽いのは、描写が明瞭で、架空の街をストレスなく想像できるからだろう。「動きを持たない、言葉少ない」その街は、動きや言葉が過剰で、ときに息苦しいわたしたちの現実に比して、理想郷のようだ。ここではないどこかに「本当のわたし」がいるという想像も、少女らしくて甘美である。
秋になって少女からの手紙が途絶えた。ひとり残された主人公は、孤独に耐え生きていくが、45歳のある日、とつぜん現実世界から「落下」して、壁に囲まれたその街に入り込む。図書館で働く「きみ」と再会し、書庫に収められた古い夢を読む「夢読み」として、街で働き始める。
本文では、高校生の「ぼく」と夢読みの「わたし」、ふたつの視点が短いスパンで入れ替わる。読み進めるうち、現実と非現実の境が曖昧になるような不安が濃くなっていく。その不安は、結末まで解消されない。虚と実の境に何度も落ち込み、自分の立つ場所を見失う。そんな不安定な主人公の心情が、作品全体を貫いている。
主人公は、現実世界でも壁の街でも、人の言葉を聞く立場に徹している。現実では少女の語る空想を、街では古い夢を読んだ。しかし、彼女は彼のもとから去ったし、夢から意味のある言葉を拾うこともできなかった。彼には、他者への関心はあるが、それに向き合う能動性や根気がないようだ。そんな主人公を補うのが、再び壁の外に出て出会った子易(こやす)という男性らとの交流である。
子易は、死んでなおこの世に残る幽霊だ。影を持たない点で、その存在は、壁に囲まれた街に住む人間に近い。彼との交流は、生と死の境も曖昧にしている。彼も、深く愛した妻と息子を亡くしており、「いちど純粋な愛を味わった者は、その熱で心が焼け切れてしまうのだ」と、主人公の心の傷に理解を示す。
子易は主人公に、街への出入りを決めたのは、外的な要因ではなく「あなたの本当の意思」だと言った。「本当の望み」「本当のわたし」「本当の意思」と、繰り返される「本当」という言葉。しかし作中では、本当と嘘は容易に入れ替わる。本体と影は入れ替わり、自分がどちらであるかを決めるのは、自己認識や他者からの認識でしかない。現実か空想か、本体か影か、意思か運命か、生か死か。それらは言葉では明確に区別されるが、存在としての区別はほとんど描かれない。相対するようで表裏一体な、ふたつのあり方の境目が「不確かな壁」なのかもしれない。
本作は、単行本655ページにおよぶ長編だ。しかし、想像よりずっと読みやすく、わたしのような村上春樹初心者に好適な一冊であった。(桃)
「ナチスは良いこともした」という主張を目にしたことはあるだろうか。本書においてこの主張は、ホロコーストや政治的に対立する者の抑圧など「悪い」側面について広い共通理解が成立する中、アウトバーン建設や出産への優遇措置など、ナチによる諸政策を取り上げて「良いこと」もした、とする言説を指す。著者の小野寺拓也氏、田野大輔氏はドイツ現代史を専門とする歴史学者で、本書では歴史についての認識を3層に整理し、SNSや一部の書籍でみられるというこうした主張を専門的な視点から検証する。
著者らは冒頭で、歴史をめぐる主張について「事実」「解釈」「意見」の3つの層に分けて整理した。すなわち、歴史学においては「事実」に立脚し、その目的や文脈を研究の蓄積をもとに「解釈」したうえで、「意見」を持つ必要がある。著者によれば、このうち「解釈」の側面が社会ではしばしば軽視されており、「事実」から「意見」へ飛躍することが、誤った判断を生んでいる。そして、「ナチスは良いこともした」という主張の多くが、こうした飛躍による誤りの結果だというのである。
本書中盤では、ヴァイマルの民主制からナチの独裁が成立し、独裁が当時のドイツ国民にある程度受け入れられていた経緯や、ナチのした「良いこと」としてしばしば挙げられるアウトバーンの建設や家族政策といった諸政策について、政策自体がしばしば模倣であること、政策の背景や目的に優生思想や特定の人種・思想の排除があることを明らかにし、その多くがナチの功績とは言えないと論じている。
さらに筆者らは教科書がナチスを一種の「絶対悪」として扱うことで、ナチスと「政治的正しさ(いわゆる「ポリコレ」)」は密接に結びついていると指摘した。その上で、「ナチスは『良いこと』もした」と声高に主張する人が、そのことを通して「政治的正しさ」に挑戦しているのではないか、と考察した。
本書が整理する「事実」「解釈」「意見」の3層の認識や、しばしば研究の蓄積に基づく「解釈」が軽視されるという指摘は、分野を超えて重要性を持つと感じた。昨今は事実に立脚した意見の重要性は広く叫ばれている一方、既往研究を通した「解釈」の重要性に光をあてた言説はそれほど多くない。とくに自分が事実に立脚しているからといって、既存の研究を無視する飛躍した意見を無責任に発することがないよう、改めて気をつけたいものである。
本書はSNSや一部の書籍にみられる「ナチスは良いこともした」とする具体的な主張に対する応答としての性格が強く、そうした主張において例示されるナチスの功績を多くの場合否定している。ただ、著者らがナチスについての評価を批判的に検討することをも否定しているわけではなく、あくまで「ナチスは良いこともした」という主張における「事実」から「意見」への飛躍に警鐘をならしていることには注意する必要があるだろう。
戦争やユダヤ人の迫害の裏で、ナチドイツが世界恐慌からの急速な立ち直りを経験したこと、国民車(Volkswagen)の開発など大衆消費社会の萌芽を見たことや、ナチによる独裁が民主的な過程を経て成立したことは、多くの人が知るところである。だが、一見好ましいナチドイツの社会的状況や、ナチによる独裁が実際のところどのように成立したのかなど、一歩踏みこんだ解説に触れる機会はあまりないように思う。本書は約100ページ、価格も820円と手ごろな体裁だが、専門的な分析による良質な解説を提供する。戦争やホロコーストで悪名高いナチスについて少しでも関心を抱いたことがあるなら、ぜひ一読をお勧めしたい一冊である。(汐)
目次
第3位 突きつけられる「多様性」の限界と希望 朝井リョウ『正欲』第5位 壁の街と現実、境目の不確かさ 村上春樹『街とその不確かな壁』
第5位 「ナチの功績」は本当に「功績」か? 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
| 順位 | 書名 | 著者 |
|---|---|---|
| 1 | 暇と退屈の倫理学 | 國分功一郎 |
| 2 | 言語の本質 | 今井むつみ、秋田喜美 |
| 3 | 正欲 | 朝井リョウ |
| 4 | 傲慢と善良 | 辻村深月 |
| 5 | 検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? | 小野寺拓也、田野大輔 |
| 5 | 街とその不確かな壁 | 村上春樹 |
| 7 | 四畳半神話大系 | 森見登美彦 |
| 8 | 夜は短し歩けよ乙女 | 森見登美彦 |
| 9 | 現代思想入門 | 千葉雅也 |
| 10 | アリストテレスの哲学 | 中畑正志 |
| 11 | 君たちはどう生きるか | 吉野源三郎 |
| 12 | 読んでいない本について堂々と語る方法 | ピエール・バイヤール |
| 13 | 逆ソクラテス | 伊坂幸太郎 |
| 13 | 言語哲学がはじまる | 野矢茂樹 |
| 15 | 目的への抵抗 | 國分功一郎 |
| 16 | 問いの立て方 | 宮野公樹 |
| 17 | スピノザ | 國分功一郎 |
| 18 | 一人称単数 | 村上春樹 |
| 19 | 因果推論の科学 | ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー |
| 20 | ゼロからの『資本論』 | 斎藤幸平 |
| 20 | 大規模言語モデルは新たな知能か | 岡野原大輔 |
| 22 | 近代美学入門 | 井奥陽子 |
| 23 | 学問からの手紙 | 宮野公樹 |
| 23 | 客観性の落とし穴 | 村上靖彦 |
| 25 | 金閣寺 | 三島由紀夫 |
| 25 | クスノキの番人 | 東野圭吾 |
| 25 | 人新世の「資本論」 | 斎藤幸平 |
| 25 | データ分析の力 | 伊藤公一朗 |
| 29 | 華氏451度 | レイ・ブラッドベリ |
| 30 | 推し、燃ゆ | 宇佐美りん |
| 30 | 思考の整理学 | 外山滋比古 |
| 30 | 開かれた社会とその敵 第一巻(上) | カール・ポパー |
| 30 | 52ヘルツのクジラたち | 町田そのこ |
| 34 | 汝、星のごとく | 凪良ゆう |
| 34 | 世界でいちばん透きとおった物語 | 杉井光 |
| 34 | 唐―東ユーラシアの大帝国 | 森部豊 |
| 37 | 老人と海 | アーネスト・ヘミングウェイ |
| 38 | 中世哲学入門 | 山内志朗 |
| 38 | リサーチのはじめかた | トーマス・S・マラニー、クリストファー・レア |
| 38 | アルジャーノンに花束を | ダニエル・キイス |
| 41 | 言語が違えば、世界も違って見えるわけ | ガイ・ドイッチャー |
| 41 | ChatGPTの頭の中 | スティーヴン・ウルフラム |
| 43 | 精神の生態学へ(上) | グレゴリー・ベイトソン |
| 43 | 基礎からわかる 論文の書き方 | 小熊英二 |
| 43 | 細胞の中の分子生物学 | 森和俊 |
| 43 | 現代フランス哲学 | 波名喜庸哲 |
| 43 | J・S・ミル | 関口正司 |
データ提供:京大生協ブックセンタールネ
※ただし、教科書類は編集部で除外しています。
※ただし、教科書類は編集部で除外しています。
第3位 突きつけられる「多様性」の限界と希望 朝井リョウ『正欲』
「あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人なんてこの世にはいないということなんだ。」書店に平積みにされた本の帯に書かれたこのセリフに安易に共感した自分が恥ずかしくなるような一冊だった。『何者』で直木賞を受賞した朝井リョウのデビュー10周年記念作品。累計発行部数はすでに50万部を超え、年間ルネべストでは3位にランクインした。
物語は複数の人物のエピソードが並行して進み、絡み合っていく。そしてその人物の多くが、いわゆるマイノリティに属し、登場人物の一人、夏月の言葉を借りれば「地球に留学している」感覚を抱いている。彼らは特殊性癖の持ち主なのだ。彼らは水に興奮する。水が外部の力によって変形されたり、隙間から吹き出していく様に魅力を感じるのだという。
夏月と佳道はその特殊性癖を持ち、それぞれ寝具店と食品販売会社で働いている。「正欲」を持ち合わせない二人はそれぞれ睡眠欲と食欲にかかわる仕事をしているのだ。そして二人はともに、人生に絶望している。彼らからすれば世の中は「明日いきていることが当たり前」の人達の世界であり、二人にとってはそうでない。学生時代は周りの恋愛話に共感できず、今は職場の人や親から恋人の一人もいないことに対してプレッシャーを受ける。睡眠欲や食欲をみたそうとしたところでは埋められない孤独を二人は抱えている。
かつて同級生だった二人は、同窓会で再会する。そして、中学時代のあるエピソードを通じて互いの性癖を確信していた二人は距離を縮め、同居を始める。もちろんそこに恋愛感情はない。周りの目を逃れるために始めた「偽装結婚」だ。しかし、一緒にいることで、明日を生きることへの戸惑いが薄れていく。そんな二人の様子に胸が打たれる。貸し借りを作らないために、自分のことは自分でする、料理も片付けも別々のきまりだった二人が、駅前で値引きされていたメンチカツを分け合う。なんてことのない日常がリアルに、美しく描き出される。読み進めれば、この二人の関係を誰も邪魔してほしくないと願わずにはいられない。
しかし、この小説は優しくない。そんな感情を抱くたびに、小児性愛など、ここに書くのが憚られるような加害性を持つ性癖の存在が示唆される。実際に、二人の生活はその一つが原因で終わりをむかえる。彼らに抱いていた同情や安心感は、「水」という比較的無害なものによって担保されたものだったのではないかということに気づかされる。例えばそれが「水」ではなく「血」だったら。「あってはならない感情なんて、この世にない。」というセリフに共感できるだろうか。
そして、そもそも自分は彼らに同情する側にあるのか、なぜ自分をその側だと思ったのか。物語はそんなことさえも読者に突きつける。同情するということは自分が「正しい側」にいると認識しているからではないのか。大学生がミス・ミスターコンを廃止して「ダイバーシティフェス」を開催し、テレビにはLGBTQを題材にしたドラマが流れる。そんな世の中の「多様性」を登場人物の一人は「自分の想像してる多様性を礼賛して、秩序だてている」だけだと突き放す。そして、自分を「理解する側の人間」だと思っている人間の傲慢さを指摘する。
物語を通じて痛感するのは自分の想像力の乏しさと「正欲」だ。冒頭のセリフを素敵な言葉だと思った。小説を読みながら自らを無意識のうちにマジョリティに位置づけ、登場人物たちに同情した。そして、この場でも、自分は物語をいかにも正しく理解したかのように書評を書いている。それらは全て、自分の乏しい想像力のもとでの「正欲」にまみれた行為なのではないのかと思わせられる。そんなことを考えていると、冒頭のセリフに安易に首を縦に振ることも、生きるために手を結んだ二人の暮らしを「美しい」などと評することも憚られ、自分の「正欲」に嫌悪感を抱かせられる。しかし、ハッピーエンドとはいえない結末で夏月と佳道が互いに言い放った、「いなくならないから」というセリフの根底にある、二人の明日を生きる決意は、読者に希望を抱かせてもくれる。この小説を他人に勧めること自体も「正欲」によるものなのかもしれない。それがわかっていても紹介したくなってしまう、そんな一冊だ。(省)
◆書誌情報
朝井リョウ『正欲』(新潮文庫刊)
2021年3月発売
850円+税
朝井リョウ『正欲』(新潮文庫刊)
2021年3月発売
850円+税
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第5位 壁の街と現実、境目の不確かさ 村上春樹『街とその不確かな壁』
17歳の「ぼく」とひとつ年下の「きみ」は、エッセイコンクールの表彰式で出会った。文通を通して仲を深め、互いの住む街を行き来する。二人は互いに恋に落ちていた。ある時、少女が「自分は影であり、本物は、遠くの街で別の生活を送っている」「あなたが本当に望むなら、その街に行くことができる」と語り出す。「ぼく」は、一夏を通して、少女が語る「壁に囲まれた街」の光景を書き留めた。
高さ8㍍のレンガの壁で囲まれたその街には、川と3つの石造の橋、図書館と望楼がある。人々は古い共同住宅に住み、簡素だが不自由のない生活を送っている。街に住む人間は影を持たない。街中には金色の体毛の単角獣がおり、夜になると壁の外に移動する。街の時計には針がなく、時間は「現在」に留まっている。
充実した内容にかかわらず読み心地が軽いのは、描写が明瞭で、架空の街をストレスなく想像できるからだろう。「動きを持たない、言葉少ない」その街は、動きや言葉が過剰で、ときに息苦しいわたしたちの現実に比して、理想郷のようだ。ここではないどこかに「本当のわたし」がいるという想像も、少女らしくて甘美である。
秋になって少女からの手紙が途絶えた。ひとり残された主人公は、孤独に耐え生きていくが、45歳のある日、とつぜん現実世界から「落下」して、壁に囲まれたその街に入り込む。図書館で働く「きみ」と再会し、書庫に収められた古い夢を読む「夢読み」として、街で働き始める。
本文では、高校生の「ぼく」と夢読みの「わたし」、ふたつの視点が短いスパンで入れ替わる。読み進めるうち、現実と非現実の境が曖昧になるような不安が濃くなっていく。その不安は、結末まで解消されない。虚と実の境に何度も落ち込み、自分の立つ場所を見失う。そんな不安定な主人公の心情が、作品全体を貫いている。
主人公は、現実世界でも壁の街でも、人の言葉を聞く立場に徹している。現実では少女の語る空想を、街では古い夢を読んだ。しかし、彼女は彼のもとから去ったし、夢から意味のある言葉を拾うこともできなかった。彼には、他者への関心はあるが、それに向き合う能動性や根気がないようだ。そんな主人公を補うのが、再び壁の外に出て出会った子易(こやす)という男性らとの交流である。
子易は、死んでなおこの世に残る幽霊だ。影を持たない点で、その存在は、壁に囲まれた街に住む人間に近い。彼との交流は、生と死の境も曖昧にしている。彼も、深く愛した妻と息子を亡くしており、「いちど純粋な愛を味わった者は、その熱で心が焼け切れてしまうのだ」と、主人公の心の傷に理解を示す。
子易は主人公に、街への出入りを決めたのは、外的な要因ではなく「あなたの本当の意思」だと言った。「本当の望み」「本当のわたし」「本当の意思」と、繰り返される「本当」という言葉。しかし作中では、本当と嘘は容易に入れ替わる。本体と影は入れ替わり、自分がどちらであるかを決めるのは、自己認識や他者からの認識でしかない。現実か空想か、本体か影か、意思か運命か、生か死か。それらは言葉では明確に区別されるが、存在としての区別はほとんど描かれない。相対するようで表裏一体な、ふたつのあり方の境目が「不確かな壁」なのかもしれない。
本作は、単行本655ページにおよぶ長編だ。しかし、想像よりずっと読みやすく、わたしのような村上春樹初心者に好適な一冊であった。(桃)
◆書誌情報
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社刊)
2023年4月発売
2700円+税
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社刊)
2023年4月発売
2700円+税
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第5位 「ナチの功績」は本当に「功績」か? 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
「ナチスは良いこともした」という主張を目にしたことはあるだろうか。本書においてこの主張は、ホロコーストや政治的に対立する者の抑圧など「悪い」側面について広い共通理解が成立する中、アウトバーン建設や出産への優遇措置など、ナチによる諸政策を取り上げて「良いこと」もした、とする言説を指す。著者の小野寺拓也氏、田野大輔氏はドイツ現代史を専門とする歴史学者で、本書では歴史についての認識を3層に整理し、SNSや一部の書籍でみられるというこうした主張を専門的な視点から検証する。
著者らは冒頭で、歴史をめぐる主張について「事実」「解釈」「意見」の3つの層に分けて整理した。すなわち、歴史学においては「事実」に立脚し、その目的や文脈を研究の蓄積をもとに「解釈」したうえで、「意見」を持つ必要がある。著者によれば、このうち「解釈」の側面が社会ではしばしば軽視されており、「事実」から「意見」へ飛躍することが、誤った判断を生んでいる。そして、「ナチスは良いこともした」という主張の多くが、こうした飛躍による誤りの結果だというのである。
本書中盤では、ヴァイマルの民主制からナチの独裁が成立し、独裁が当時のドイツ国民にある程度受け入れられていた経緯や、ナチのした「良いこと」としてしばしば挙げられるアウトバーンの建設や家族政策といった諸政策について、政策自体がしばしば模倣であること、政策の背景や目的に優生思想や特定の人種・思想の排除があることを明らかにし、その多くがナチの功績とは言えないと論じている。
さらに筆者らは教科書がナチスを一種の「絶対悪」として扱うことで、ナチスと「政治的正しさ(いわゆる「ポリコレ」)」は密接に結びついていると指摘した。その上で、「ナチスは『良いこと』もした」と声高に主張する人が、そのことを通して「政治的正しさ」に挑戦しているのではないか、と考察した。
本書が整理する「事実」「解釈」「意見」の3層の認識や、しばしば研究の蓄積に基づく「解釈」が軽視されるという指摘は、分野を超えて重要性を持つと感じた。昨今は事実に立脚した意見の重要性は広く叫ばれている一方、既往研究を通した「解釈」の重要性に光をあてた言説はそれほど多くない。とくに自分が事実に立脚しているからといって、既存の研究を無視する飛躍した意見を無責任に発することがないよう、改めて気をつけたいものである。
本書はSNSや一部の書籍にみられる「ナチスは良いこともした」とする具体的な主張に対する応答としての性格が強く、そうした主張において例示されるナチスの功績を多くの場合否定している。ただ、著者らがナチスについての評価を批判的に検討することをも否定しているわけではなく、あくまで「ナチスは良いこともした」という主張における「事実」から「意見」への飛躍に警鐘をならしていることには注意する必要があるだろう。
戦争やユダヤ人の迫害の裏で、ナチドイツが世界恐慌からの急速な立ち直りを経験したこと、国民車(Volkswagen)の開発など大衆消費社会の萌芽を見たことや、ナチによる独裁が民主的な過程を経て成立したことは、多くの人が知るところである。だが、一見好ましいナチドイツの社会的状況や、ナチによる独裁が実際のところどのように成立したのかなど、一歩踏みこんだ解説に触れる機会はあまりないように思う。本書は約100ページ、価格も820円と手ごろな体裁だが、専門的な分析による良質な解説を提供する。戦争やホロコーストで悪名高いナチスについて少しでも関心を抱いたことがあるなら、ぜひ一読をお勧めしたい一冊である。(汐)
◆書誌情報
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
小野寺拓也・田野大輔(著)
岩波書店
2023年7月発売
820円+税
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
小野寺拓也・田野大輔(著)
岩波書店
2023年7月発売
820円+税
