文化

青木昌彦氏講演会「経済学をどう学ぶか」 抄録(下)―グローバルな視野で世界を捉えよ―

2009.08.12

サブプライム・ショックで明らかになったのは、空前のドル安政策で世界中の富とリスクを一身に背負ったアメリカの、絶頂とその空虚な内実だった。これからの世界を担うのは、「中国」「エコロジー」など多元的で実効的な新時代の経済学だと青木氏は語る。

“保証を保証する”リスクの鎖

昨年の金融危機は、基準以下の低所得者に貸し付けられたサブプライムローンが原因のひとつであると言われています。これらの人々には普通より数パーセントも高い金利で住宅抵当金融が行われ,かつては住宅金融供給「公社」であったフレデリック・メイなどによって保障されました。こういうあまり優良でない金融資産をプールしてそれをちょうど分離器にかけるように優良資産と、中くらいの資産(メザニン)、ハイリスクな資産(トクシックウェスト)の三種類の資産を加工するのが,いわゆるクオーツと呼ばれたウオールストリートの金融エンジニアの仕事でした。彼らは過去十年、二十年くらいに大学のザ・ベスト・アンド・ブライテストの中からリクルートされた人たちです。Aクラスの金融資産は安全ですから日本や中国の政府など手堅い投資家に需要があります。トクシックウェスト(まさに毒性の屑)はリスクが高いけれども、うまくいけば高いリターンを得られます。メザニンはあまり需要がありません。しかし、ザ・ベスト・アンド・ブライテストたちのあいだのエゴの競争で、彼らはだんだんとリスクを内生的につくりだすような危険な競争に走っていきます。皆さんはご承知かもしれませんが,彼らはリスクを避けるために、クレジット・デフォールト・スワップという仮想資産までつくりあげます。誰かが他の人にお金を貸す際に、借りた方が破産するなどしてお金を返してくれない事態に対し保険を掛けることがあり得ますが、この保険は,実際にお金を貸してなくとも,仮想的に貸したとして保険会社に保険をかけてもらうというものです。いわば他人に死亡保険をかけて、その人が死んだらもうかるわけです。そういう保険を大々的に売ったAIGのような保険会社が破産しそうになり、政府に救済されたのも有名な話しです。

信用の摩天楼「アメリカ」

バブルのさなか、日本や中国で膨張した貯蓄はアメリカに流れ,一見優良な金融資産をどんどん買ったわけです。戦後アメリカでは家計の資産(住宅、自動車、株、債券…)と所得の比率は歴史的に4対1でした。これがバブルの最中には6対1にまでなります。そこでアメリカ人は気前よくなって,家を買う,自動車を2台、3台と買う、クレジットカードをどんどん新しく作るという事になります。それで日本から自動車が、中国から電気機器などが、アメリカに流れます。日本の低金利政策は効かないと言われていましたが,アメリカの消費が増大することで日本の景気が回復します。グローバルで見ると一見うまく回ったような具合になったわけです。ところが、そのそこにあるのは,先ほど言ったウオールストリートの金融エンジニアリングでしたから,それが破裂すると危機はたちまち 実物経済に波及しました。

アメリカの家計の資産所得比率は6対1からまた歴史的な4対1へと調整過程にありますから,アメリカに工場を構える日本の自動車会社などに打撃を与えることになります。アメリカでは年間1500万台の自動車需要がありましたが、1000万台未満に落ち込みます。一方で中国では自動車需要が1000万台以上に高まっていますから、アメリカに代わり中国が世界一の自動車市場になろうとしています。アメリカの景気が悪化して資産所得比率が下がるという現象は一朝一夕で改善できるものではないですから、アメリカ政府による8000億ドル二上る緊急支出は資産価値の下落による消費の縮小を埋めるにはなかなかいかないでしょう。マクロの経済のパフォーマンスは厳しい状態にあります。日本は、かつてアメリカに輸出することによって「失われた10年」を克服したようにはなかなかうまく行かないというわけです。そうなるとここで大きな可能性を持つのが中国です。中国は過去二十年ばかりのうちに2億人の農村人口を都市に移動させ増したが,さらに2億の人口をうつす計画です。日本の人口以上の数です。もっとも農村人口から都市人口の移動と行っても,皆が皆、物理的に移動するわけではなく、行政区画の変更,戸籍の変更にもよりますが,それだけに社会保障とか保険などの含みもあり,中国市場が成長する潜在性を持つのは確実です。

毎年3月、全人代の後に中国政府が海外の経済学者や著名な経営者を集め、中国にはこれから先どのような経済政策が必要かを議論するフォーラムが開かれるのですが、今年はコンセンサスとして、中国のこうした国内政策を実現するには8%の経済成長(実際には6%くらいかもしれませんが)が必要であるということになりました。

そういう意味で中国政府は今までの輸出依存から国内需要の拡大に政策の重点をシフトしていくでしょう。これがグローバルな需要の拡大を喚起し、世界的な景気の回復につながるのではないか、その意味で中国は経済危機を克服するためのエンジンになるであろうというのが経済学者たちの希望的な見解です。こうした世界的な潮流の中において日本はグローバルな視野で考えていく必要があります。現在の日本では昔のように道路建設で景気が回復するわけではありません。これまで,輸出主導の経済であったか,これからは内需でいこう、と言っても、そううまくいかないばかりでなく,貴重な機会をも失う事になります。アメリカや中国がどのような状況に置かれているかをグローバルな視野で観察し、戦略を立てる事が必要になります。そこでキーとなるのが今申し上げたように中国の存在ですが、中国にはアキレス腱もあります。それが環境エネルギー問題です。

閉塞打開の突破口

中国の環境問題はニュースでも話題になっていますが、その一つが自動車や工場による空気汚染です。オリンピック前は太陽が滲んで見えない状況でしたが、自動車の台数を制限して交通量を強制的に制限するなど改善の兆しが見られるようです。私が最近北京を訪れた際にも、大分空がきれいになった印象を受けました。この他、中国は広大な国土を持つ国ですから、長江や黄河といった大河から工業用水を引込んだり、工業廃水を流し込むと、生活用水にも多大な影響が見られます。

もう一つ、中国は計画経済思想が未だしぶとく浸透していますので、大規模企業に対する一種の信仰が根強く存在しています。彼らの当面の目標は世界的にマーケットシェアの高い企業を作ることです。フォーチュン500に中国の会社ができるだけ数多くリストアップされるように、というわけです。ところが現在のような中国の環境エネルギー問題の解決と大規模政策が両立できるのかという問題があります。エネルギー浪費的な大規模設備への崇拝から、より効率が高く環境にやさしい技術パラダイムにシフトしていかなくてはならない。あるいは、8%成長を実現するために政府に依存しすぎると政府の干渉が強まるので民間企業が制限を受けることもかなり心配されています。そういうわけで中国が今日直面している環境問題の分野で、日本は2,30年間蓄積してきた技術が非常に大きな意味を持つのではないかと考えられます。実際中国に対する日本の貿易依存度は今やアメリカ以上のパートナー関係になっています。

経済学は新たな「フェイズ」へ

もう一つは日本とアメリカの関係でも、これからは環境技術などにおいて競争関係であると同時に協調関係が求められます。オバマ大統領は当面経済分野では景気刺激を行うほか、自動車産業におけるGMとクライスラーの破綻の収拾を図るとみられます。しかし学者の間でオバマの閣僚の人選において最も評価が高かった一人は、物理学者のスティーブン・チューをエネルギー長官に指名したことです。チューはスタンフォード大学の物理学教授をして、レーザー研究でノーベル賞を受賞した人物です。最近はバークレーのローレンスラボという著名な究機関の所長になってグリーンテクノロジー、あるいはクリーンテクノロジー、例えばエタノール燃料、バッテリーといった環境技術の開発に力を入れていました。彼がエネルギー長官に就任したことは、オバマ政権がポジティブな経済政策として、再生可能なエネルギー技術を梃子にしてアメリカ経済をもう一度回復させることを計画しているというシンボルです。地球温暖化に対処するのには、単に炭酸ガスの排出量を減らすという対応だけでなく大規模なジオエンジニアリングが必要であると言われています。たとえば数年前にインドネシアで大規模な火山噴火が起こった際に気温が低下した事がありました。これは火山噴火物中の硫黄分が大気中に発散されたため太陽熱を反射したのが原因とみられています。その意味で大気圏にごく少量の硫黄分を拡散して地球温暖化を防ぐ事はできないか解決でないかと言浮ことも考えられています。このように、技術革新にも日米の技術の協力が必要です。

その意味で、これからは過去20年以上続いてきた金融市場のグローバル化、あるいは株主支配の企業モデルの勝利の時代にはひとつの区切りがくるでしょう。イェール大学のハンスマンやハーバード大学のクラークマンといった会社法の大家が、十年ほど前に「会社法の歴史の終わり」という論文を発表したことがあります。その10年以上前にフランシス・フクヤマというアメリカ人思想家により、ソビエト連邦が崩壊して資本主義対社会主義のイデオロギーの対立の時代が終わったという内容の「歴史の終わり」という本が書かれましたが、それを受け前述二名の論文では、株主支配の会社モデルが世界で実践的にも歴史的にも証明されたことが明らかになったと言う事でした。実際には,ウオールストリートの支配を正統化するような物言いであったわけです。その論文が書かれて10年と経たないうちに金融危機が起こったわけで、証券市場や資本主義利益の一本槍で企業を経営するのが果たして適切かどうか今再び問題になっています。 昨年まで国際通貨基金のチーフエコノミストであったサイモン・ジョンソンというMITの教授は、アメリカの金融危機は国家が金融オルガルキー(寡頭支配)に乗っ取られたからとまで言っています。その意味で、もう一度経済学も反省が求められていると言ってよいでしょう。

危機により、例えばアメリカの過剰消費、中国の環境・エネルギー問題、日本の高齢化や世代間問題,産油国の脱石油問題など、各国が様に特有の経済・社会問題を抱えていることが露呈してきました。それぞれの問題を解決するには、国々によってことなる制度様式、経済の発展段階、人口構成における相違などを頭に入れる必要があるので,これから経済学を勉強する諸君もぜひそのつもりでがんばってください。

長い時間、ご静聴ありがとうございました。(了)


【編集部より】 今号にて、青木昌彦講演会録は完結しました。読者の皆様には、掲載間隔が間延びしたことをお詫び申しあげます。

関連記事