企画

【11月祭講演録】小説家・平野啓一郎氏(法学部卒)「小説に希望はあるか」

2025.03.16

【11月祭講演録】小説家・平野啓一郎氏(法学部卒)「小説に希望はあるか」
自分の文章に価値があると思う人は、「いかに読まれるか」を考えないといけない

インターネットが高度に発達した現代、人々は手軽にコミュニケーションを取ることが可能となった。一方で、デマや中傷、差別的発言が溢れ、人の命をも奪う状況がある。現実社会では戦争やテロ行為が次々と起こり、我々は混沌とした世界を生きている。今、物語を通して人間や社会の姿を描く「小説」はどのような意義を求められているのだろうか。

1999年より小説家として活動してきた平野啓一郎氏は、その時々で社会情勢を反映した作品を執筆してきた。本紙の第4回文学賞開催を記念し、昨年の11月祭で「小説に希望はあるか―現代における小説の意義と役割―」と題して平野氏の講演会を開催した。その模様をお届けする。(=24年11月23日文学部新棟第3講義室にて。史)

プロフィール:平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)
1975年愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。99年在学中に『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。著書に、小説『葬送』 『決壊』 『ドーン』 『マチネの終わりに』 『ある男』 『本心』、エッセイに『私とは何か――「個人」から「分人」へ』 『「カッコいい」とは何か』 『三島由紀夫論』等がある。24年に短篇集『富士山』を刊行した。

目次

はじめに
「文学は終わった」言説に見舞われた
複雑な要素を1本の線に織り込む
『葬送』で近代小説に挑戦
激変する衝撃経て新たな書き方へ
中心化しえない人間模様を描く
本は読みたい人だけ読む
芸術の本質は「広告」にある
情報は物理的実体を伴い広まる
プロダクトデザインを小説に応用
書き手の変化が小説を面白くする
同時代的な刺激になりたい
凝り固まった考えをほぐす
「良いことは何度言っても良い」


はじめに


今日は賑やかな学祭の喧騒を離れて、このような非常に渋いイベントにご参加いただき、ありがとうございます。かれこれ、30年くらい前にこの学校に在籍していました。一般教養を受けていた吉田南キャンパスはかなり様変わりしていましたが、食堂やグラウンドなど変わらない景色を見ていると、当時に戻ったような錯覚を覚えます。ただ、歩いている子は非常に若いので、自分が年を取ったなと痛感しながら、ノスタルジーに浸りつつ1時間ほど散策していました。

僕は94年に大学に入学しました。入学以前から文学自体は非常に好きで、高校時代も小説を書いていました。しかし、北九州の田舎にいたので、小説家になることを真面目に考えることはできなかった。今東京に住んでいて、出版や執筆に携わる人が身近にたくさんいるため、出版との距離が非常に近いと感じます。大学生になって京都にいた頃も、本を出版することを真剣に考えられなかったので、同じ時期に東京で小説家になりたいと思っていた人とは随分と違う環境にいたと感じます。

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「文学は終わった」言説に見舞われた


「小説に希望はあるのか」ということは、なかなか難しい問いです。僕自身の創作を通じて考えてきたことを中心に話していきます。

「〇〇は終わった」という言説は、文学に限らず昔から色々な場面でよく語られてきました。19世紀末にステファヌ・マラルメという詩人は「なべての本は読まれたり」と言いました。20世紀後半のボルヘスを読んでいると、小説という分野はもう終わりを迎えていると語っています。以後、様々な人が「小説は終わった」「文学は終わった」という言説を繰り返してきました。

終わりを語る言説では、自分を終わりゆくものの側に含めながら、未来はないという語り方が典型的です。三島由紀夫は、「日本の文化は自分の世代で終わりで、これからはニュートラルな無国籍的な文化になる」と述べています。ボルヘスも、自分は最後の小説というジャンルに属している人間だが、もう終わりつつあると話しています。

90年代の末に、小説家を志していた人間は「文学が終わった」言説に見舞われ、気がめいるような経験をしました。偉大な小説は書かれ尽くしていて、あとはパロディーしかやることがないと強調され、今さら小説を書くのは、よっぽどおめでたい人間だと言う人が大学にもいました。ただ、小説が終わったという主張は、大体軽薄で、ルサンチマンに満ちているところもあり、僕は感心しなかった。

当時、小説とは何かということが批評理論を通じて議論され、非常に単純化された還元主義的な小説観が語られていました。小説を説明する言葉として、「小説とは物語の批評である」という言明がありました。

80年代から90年代に、世界の物語は最終的に何通りかの類型に還元されると言われ、「この話は物語類型に収まっているからダメだ」という乱暴な議論がありました。中上健次だけは物語の類型に収まらずに、物語を食い破って小説になっているといったレトリックもあり、非常に特権化されて語られていました。しかし僕は、食い破っているかのように見えるという類型にあてはまっているだけではないかと感じていました。一本調子で小説を論じようという、単純化された小説観の文脈と「小説が終わった言説」は非常に相性が良かったです。

平野啓一郎 著『三島由紀夫論』(新潮社刊)



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複雑な要素を1本の線に織り込む


そもそも、小説とは何でしょうか。形式に着目すると、見開きのページをめくりながら読むのが一般的です。日本語で言うと、縦書きで、上から下まで文章が行って、下まで行くと次の行に行ってと繋がるように書かれています。もし巻き尺のようなものに小説が書かれるとすると、冒頭の書き出しの一言から、最後の結びの言葉まで、何メートルにもわたって1本の文章が連なる形で物語が書かれていく。つまり、空間的に併存して発展する様々な出来事が、1本の線に練り上げられて、直線的に続いているのが小説です。

小説は、文体やキャラクターの造形、物語やプロット、構造的な美観、繊細な心理描写など、複雑な要素が絡み合ってできています。総合的にうまく構成されていると良い小説だし、全体的には不出来でも、非常に光るものがあれば、その魅力だけで成り立ちます。小説の存在を否定しようとすると、全ての要素を否定しなければいけません。小説は非常に雑多なものなので、何かの価値が残り続けている限りは、ジャンルを全否定することはできません。

文学ではなく、「近代小説は終わった」という言明もありました。近代に形作られた小説の形式が無効になりつつあるという意味では、予言的なことだったかもしれません。

19世紀、エミール・ド・ジラルダンという新聞王と呼ばれた人がいました。鹿島茂さんが書いた伝記を見ると、元々フランスでは新聞がジャンルごとに分かれていたそうです。経済や文化など個別に分かれた新聞があって、カフェのような場所で新聞を立ち読みしていた。しかし、経済が発達すると、機能的に分化した様々な社会的なジャンルは、非常に密接に結びついていきます。そこで、ジラルダンは、個別に分かれた新聞を編集して、総合新聞のようなものを発行するようになった。さらに、総合新聞の定期購読者を地方都市にまで増やすために、連載小説が掲載されるようになります。デュマやバルザック、ウージェーヌ・シューの連載小説を載せると、飛躍的に販売部数が上がったと言われています。

近代では、労働環境で分業体制が進み、機能的に分化することで、様々なセグメントが生まれました。ただ、社会全体を考える時には、散らばったものを統合しなければ、何が起こっているのかが分かりません。逆に言うと、社会全体について考えないと、近代社会に生きる人が置かれている状況が見えてきません。

ハンナ・アーレントは、古代ギリシャ以降、公的領域と私的領域が分かれており、近代になると、人間の心情など、完全に私的なものと言えない中間的な領域として社会的領域が生まれたと言いました。アーレントは、それと小説が対応して発展してきたのだと『人間の条件』で書いています。

なぜ社会的領域が広がってきたか考えてみましょう。アラン・コルバンの研究では当時、睡眠や夫婦生活の夜の管理が非常に進んでいたと書かれています。きちんと休息を取らないと労働に響くので、労働者が余暇の時間を適切に過ごすことに企業や政府が関心を持ちました。公的な領域と私的な領域が連続性を持ち、人間の心や疲労が社会的な関心事になっていく。社会と人間の心の両方にまたがった物語が紡がれ、人々が小説に関心を持つようになりました。

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『葬送』で近代小説に挑戦


デビュー時に散々触れた「小説は終わった」という言説について考えるために、3作目に原稿用紙にして2500枚にわたる『葬送』という小説を2002年に発表しました。音楽家のショパンと芸術家のドラクロワという実在の人物を登場させて、近代という時代と近代小説を考え直す試みを行いました。

ショパンを主人公にしたのは、扱うことのできる問題が多いと感じたからです。フランスからポーランドに移住した彼の父親が、現地でポーランド人の女性と結婚してショパンが生まれました。ショパンは、ポーランドの11月蜂起の頃から、実質的な亡命者として七月王政期の間、フランスに住んでいました。彼は自分をポーランド人だと感じていて、非常に強い愛国心を持っていましたが、社交界では七月王政期のパリを代表する芸術家として生きました。

他にも、19世紀の国民国家の成立期のナショナリズムの問題を考えることもできます。七月王政期は、ロスチャイルド家に代表されるブルジョアが非常に大きな力を持っていました。彼らが新しい響きを持った音楽を求めて、ロマン主義派の音楽家たちのパトロンになっていく。ブルジョワジーと芸術、あるいは市民社会と芸術の問題も扱うことができます。ちょうど七月王政期から二月革命の時期は、ブルジョワ革命から労働者の革命が起こったという、ヨーロッパ近代化の中で非常に大きな展開点を取り上げられる。ロスチャイルド家はユダヤ系の非常に大きなお金持ちのコミュニティです。当時の外国人のミュージシャンをどのようにバックアップしたのかも扱うことができる。

また、ロシアとドイツ、オーストリアの三国がポーランドを分割したことで、ショパンは特にロシアに対して強い反発心を持っていました。一方、ジョルジュ・サンドのようなフランスの左派は、知的な関心を持ってポーランド問題に関わっていこうとする。ショパンとサンドは恋人で、ポーランド問題を共有しています。しかし、ショパンにとって、ポーランド問題はナショナリズムに起因するのに対し、サンドは当時のフランスの左派の知識人として、ヨーロッパに対するロシアの防波堤のようにポーランドを捉えて、ポーランド問題に積極的に関与しようとする。ヨーロッパの国が、東欧を挟んでロシアと対峙するという、今に至るまで続く大きな問題になっています。

近代の小説は、多くのテーマが1本の線になる時間芸術を体験できるという特徴があります。それを扱うのにショパンがうってつけだと思い、『葬送』を書きました。19世紀半ばの二月革命前後は、社会が大きく激動した時代で、社会の変化と個人のパーソナリティーや感情生活の間で非常に関連性がみられます。

フローベールの書いた『感情教育』という小説も、二月革命前後を舞台にしています。トクヴィルは、『フランス二月革命の日々』という回想録を書いています。それを読むと、現実の政治の中で、いかに政治家のパーソナリティーが大きな意味を持っているのかがよくわかります。トクヴィルは本当に人間の描写がうまい。当時関わった一人ひとりの政治家の特徴を的確に捉えて、読んでいて心地の良い文体で描いています。僕は『葬送』を書く時に随分と影響を受けました。個人と社会の関係を、改めて近代小説という枠組みを通じて考えることが当時の僕の課題でした。

平野啓一郎 著『葬送 第一部〔上〕』(新潮文庫刊)



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激変する衝撃経て新たな書き方へ


『葬送』を書いていた時に、現実の世界では、9・11アメリカ同時多発テロが起こりました。執筆の最中に、世界が激変する衝撃をメディア越しに受け止めながら、自分は果たして19世紀の半ばのフランスを舞台にした小説を書いている場合なのかと強く感じました。現実社会の変化の中で、個人が現代の世界をどう生きるかを考えなければいけない時に、近代小説の意義を問い直すことが有意義かどうか悩みました。

さらに当時、インターネットが急速に広がっていきました。インターネットがある世界への移行を経験したことは、非常に大きな影響がありました。当初は、電話回線を繋いで、用事が終わったらすぐ切っていました。しかし、常時接続になると、回線が太くなり、滞在時間が増えるほど、インターネットの世界は1つの世界性を備えてきて、現実の世界に対するオルタナティブなものとして大きくなっていく。まさにその過程に関わって、従来の小説の書き方だと現実をうまく捉えられないという印象を強く持ちました。

バルザックのような典型的な19世紀の小説から、20世紀後半のガルシア=マルケスの『百年の孤独』に至るまで、小説は、都市空間やコスモス全体のメタファーとして、一定程度閉鎖された空間の中に生きる人々を描くことで、我々の世界を表現してこようとしました。ただ、インターネットの世界には閉ざされた空間というイメージがなく、情報が常に四方八方から押し寄せてきます。小説が現実を反映したものだとすれば、取り入れるべき情報量が飛躍的に増えました。

情報のレイヤーを考えた時にも、対面コミュニケーションで生活を完結させていた段階からマスメディアが登場すると、情報量が増えます。さらにインターネット上の情報も加わります。例えば、非常に古い社会のある小さな村で殺人事件が起こったなら、村の人たちだけで事件を共有していたのが、テレビや新聞の時代になると、マスメディアを通じてさらに規模の大きな人に共有される。インターネットが登場すると、さらに別のレイヤーが登場する。1つの殺人事件を書くにあたり、扱うべきレイヤーが増えて、小説自体が膨大なものになります。現実を映し取るためには新しい小説の書き方が必要だと考えました。

小説が想定する空間の外部をどう描くのかを考えるために、実験的な短編を色々書きました。ただ、この第2期と呼んでいる創作期間の作品は、非常に評判が悪く、随分と読者の数が減りました。しかし、現実世界を捉えるために第2期で行った実験は、長編小説を書くにあたって大きな意味がありました。

例えば、小説を朗読してカセットテープに録音すると、小説が1本の線になることが物理的にわかる。一方、雑誌では必ずしも文字がぎっしり詰まっておらず、1つのページにメインの記事だけでなく、小さなコラムやお役立ち情報もある。見開きページ単位で、マルチタスクができるデザインになっており、読者は苦もなく読んでいます。そこで、雑誌のレイアウトのように複数のストーリーを並列した形にして、現実を反映することができるかを試してみました。

そうすると、読者が強いストレスを感じるようになりました。美術やクラシック音楽でも、昔から実験的な作品は人を怒らせます。実験的な作品が人を怒らせるのは、実体験としてよくわかります。雑誌であれば、苦もなくブロック化された複数の情報を楽しむことができるのに、様々な情報が1本の線に練り上げられていく体験を求めている小説ではそうもいかないようです。

雑誌の編集にヒントを得て、小説へ応用ができないかを考えていた人たちは歴史的に存在していたと思います。ダニエレブスキーが書いた小説『紙葉の家』や、マラルメの詩『骰子一擲』のように、文字の大きさなどを変えるタイポグラフィで展開する作品があります。

マラルメは『最新流行』というモード雑誌を編集していました。雑誌の編集では、文字の大きさを変えたり、レイアウトの位置を考えたりするのは、普通のことです。僕は雑誌のレイアウトの経験が、彼の詩に大きな影響を及ぼしていると考えています。

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中心化しえない人間模様を描く


24年10月、『富士山』という短編集を刊行しました。これは次の長編シリーズの方向性を定めるために書いた作品です。これに収録した「ストレス・リレー」では、ストレスがリレー形式に、社会の中で受け継がれていく様を描いています。

この話は、新型コロナウイルスが流行した時、ウイルスの感染経路を散々聞かされたことが関係しています。これまでストレスは内面に湧き起こってきて、個人が処理しなければいけないと考えがちでした。しかし、ウイルスのようにストレスを実体的に捉えて、社会の中にどう伝播していくかを描くと面白いのではと思いました。コロナ禍に、クラスターやスーパースプレッダーなど色々な用語が生まれました。ストレスの伝播に当てはめると、スーパースプレッダーのようなハラスメント気質の人がいて、周囲の人はみんなすごくストレスを感じて、それぞれが家に帰ると家族がまたストレスを感じていく。クラスターの発生が社会で観察できます。小説自体も多少ユーモラスに書いていて、冗談のような作品ですが、実は非常に真面目な文学的野心を持って書かれた小説です。

小説は、限定された主要な登場人物が活動する空間が準備されていて、彼らの喜怒哀楽は基本的に登場人物間のやり取りを通じて発生します。一般に、主要な人物以外の感情の動きは描かれません。ところが現実の感情生活は、必ずしも主要な人間関係の中、内部だけで起こっているわけではありません。現実世界では些細なきっかけが、継続的に関係する人へ影響を与えることがあります。

『葬送』は、実際の資料であるドラクロワの日記とショパンの手紙に基づいています。ドラクロワの日記を参照し、全体の小説としての大きなストラクチャーを構想しました。彼がフランスの国会図書館の天井画の大作を仕上げたタイミングで二月革命が起こり、虚脱状態を迎えるも、そこから新しい創作に向けて意欲を復活させていく。これと並行して、ショパンが二月革命直前に非常に素晴らしいコンサートをパリで開催したのち、イギリスに逃れ体調が悪化して亡くなる。ドラクロワが芸術家として創作意欲を回復する過程とショパンの死を対比しながら、盛り上がる構造にしています。小説が芸術家としてのドラクロワとショパンの死に焦点をあてようとする頃の日記を忠実に読むと、毎日新しい名前が出てくる。ドラクロワの周囲には、様々な中心化され得ない人間関係があった。現実に忠実に小説を書こうとすると、物語の終盤になっても次々と新しい登場人物が登場して、新しい話が始まってしまう。必然的に中心化されない関係性を全部捨象して、小説に仕上げるわけです。

全て主要な関係の中だけで起こるという小説のモデルを内面化しすぎると、例えば不機嫌な態度を取っている人がいる時に、自分が悪いことをしたのではないかと思ってしまいます。現実的には、途中に立ち寄った店で店員の態度が悪かったとか、水溜まりの水を車にかけられたとか、自分と関係ないことで怒っている可能性があります。本来小説の中に含まれないものを取り上げて、ストレスが実体的に社会に蔓延した様を描こうと思って、エピソードが数珠状に繋がっていくスタイルを採用しました。

平野啓一郎 著『富士山』(新潮社刊)



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本は読みたい人だけ読む


インターネットが登場した後に現実をいかに捉え直すかを考えて、2008年に『決壊』という小説を出版しました。この時期、多くの人が常時接続できるようになり、人々がとにかくインターネットに長時間を割くようになりました。同時に、相対的に読書量が減っていくのではないかと出版業界で危惧されました。日本の出版物の売り上げは98年以降は右肩下がりで、出版業界は規模が縮小していました。この時期は「失われた30年」と呼ばれている経済不況の時期とも重なっているため、本を買うお金自体の減少も大きな要因として指摘できます。

作家になって改めて思いますが、人に「小説を読め」と言っても、本人が自発的に読みたいと思わない限り、絶対に読みません。僕は、これが実は小説の非常に良いところだと思います。つまり、僕たちは人に本を押し付けることができません。自分の考えが例外なく人に押し付けられるならば、作者は自由な思想を展開することができません。しかし、本は読みたい人だけが読む前提があるから、自由に思想を語ることができる。もう読みたくないと思えば読まない自由もある。自分の本が強制されないことは、小説にとって非常に重要な前提だと思います。

その上で、小説はゲームやインターネット、スポーツ観戦と、横一列にあるうちの1つの選択肢になっています。どうすれば小説が読まれるかという問題が作家に突き付けられています。読後に良い時間の使い方ができたという実感があれば、また小説を読みますが、映画を見た方がよかったと思えば、もう読まない。小説は、他ジャンルよりも良いものとして選ばれなければいけません。

外国の作家と話していると、国の人口が3千万人以上くらいになると純文学の売り上げが一定になるという法則を耳にします。各国の作家に純文学の売り上げを聞くと、人口の幅があっても、数千部くらいだと言います。1万部売れれば御の字で、10万部売れればベストセラーという感覚は、韓国ほどの人口規模の国からアメリカの作家まで、ほぼ一致しています。希望的な観測を言えば、今後日本の人口が5千万人くらいにまで減っても、純文学作家の売り上げはあまり変わらないのではないかとポジティブに考えています。

一方、経済学者の藻谷浩介さんは「国民総時間」という概念を提唱し「人口×24時間=1日の国民全員が使える時間」だと定義しています。現代では爆発的にコンテンツ産業が増えています。人口減少に伴い、国民全体で使える労働時間や余暇時間が減っていく中で、エンタメ産業やコンテンツ産業が増えていく。文学は競争の中に晒されています。また、かつては適当なところで本は絶版になりましたが、今では本はデジタルデータとしてネット上に残り続けます。過去の作品からも圧迫されて、現代作家はなかなか大変です。

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芸術の本質は「広告」にある


小説がどう読まれるかに対しては、2つの態度があります。1つは、文学は自己表現であって、多くの人に読まれたいと考えること自体が不純であるという考え方です。主観的な印象では、好景気の時代にデビューした作家の作風はポップですが、考え方は割と高踏的で、中には読者のことなんか考える必要はないと言い切る人もいます。

一方で、氷河期世代は食べていくのが大変だという前提があるので、たくさんの人に読まれたいと考える傾向にあります。ただ、多くの人に読まれたいというと、商業主義に魂を売っていると捉えられることがありますが、僕は少し違う印象を持っています。

『決壊』を書いた頃から、死刑制度や貧困など、現代社会の問題に具体的に取り組むようになりました。僕はいわゆるロストジェネレーションで、就職に非常に苦労した世代です。2000年代以降の新自由主義的な風潮の中で自己責任論が唱えられましたが、僕はアンチ自己責任論の立場です。

小説では、登場人物の運命が個人の性格に起因するという書き方をしがちです。そうすると、個人が幸福になったり、不幸になったりするのは性格的特徴のせいであると、小説まで自己責任論になってしまいます。しかし、僕は自己責任論に否定的な書き手として、構造的な問題の中から、個人の運命を描く必要があると考えます。小説の中でキャラクターに偏重せず、構造的な社会背景も描いていきたい。

そのために、背景となる知識を専門書を読んで勉強したり、NPO法人の専門家に話を聞いたりして勉強します。心を打たれたのは、貧困やマイノリティの問題に向き合っている人たちが広報に対して非常に熱心なことです。なぜなら、広報しないと目の前の課題が社会に存在していないことにされるからです。やはり小説家も、自分が書いていることが社会的に重要だと信じるなら、1人でも多くの人に伝えようとするべきだと痛感しました。

そもそも、芸術作品は広告性に意味があると考えます。僕はグラフィックデザインに関心を持っています。グラフィックデザイナーとして活躍され、後に画家に転身された横尾忠則さんの展覧会では、多くの人が広告表現の芸術性を語り、古典的な芸術に限らず広告にも非常に高い芸術性があるのだと言われます。

それはそうでしょうが、僕は逆に、芸術の広告性こそが本質的なことだと考えています。つまり、表現しなければ誰も気にも留めないようなものが、ここに存在していると社会に伝える、「広告する」ことは、芸術の本質として備わっているのです。

芸術に限らず宗教でも哲学でも同様のことが言えます。例えばキリスト教ではイエスがどのように殺されたかを聖書を通じて、広告していきます。言葉が理解できない人たちにも、絵を通じて伝え続ける。西洋哲学でもソクラテスがよくわからない理由で死に追い詰められてしまった時、弟子たちは一体何だったのかを文章に書くことで訴えていきます。

平野啓一郎 著『決壊(上)』(新潮文庫刊)



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情報は物理的実体を伴い広まる


現代社会には、フェイクニュースやヘイトが溢れ返っています。僕たちは、戦うことも考えなければいけない。ただ、正しいことを言い続けていればいつか勝利が訪れるということは決してありません。南米でチェ・ゲバラと一緒に戦って戻ってきたという非常に異色の経歴を持つ哲学者、レジス・ドゥブレは、メディオロジーという学問を提唱し「良い情報が必ず広まっていくということはない」と言っています。物理的な実体に担保されて初めて情報は広まるのだと。マルクス主義のような思想が広まったのは、教育機関や書籍という物理的実体があったからです。必ずメディアには具体的な実体があると言います。

これは当たり前のことですが、良いものは放っておいても売れて広まっていくだろうという信奉を持っている僕たちに冷や水を浴びせるような、現実的な話です。とにかく今フェイクニュースをまき散らす人たちは、影響力の拡大を自己目的として追求しています。たとえ嘘であっても、とにかく影響力を拡大することが目的になっている。

抵抗するためには、物理的実体を伴って情報を拡散することを戦略的に考えないといけません。Xというソーシャルメディアが、イーロン・マスクの時代になってから非常にヘイトまみれになり、企業が撤退する動きも進んでいるという指摘があります。

僕は、以前のツイッターが牧歌的で懐かしむほど良い場所だったとは全く思いません。既にヘイトまみれで、差別まみれでした。何度も色々な差別投稿を報告しましたが、対処された試しは1回もありません。対談を通じて知り合ったryuchellさんという友人は、ツイッター時代に散々バッシングされて死まで追い詰められてしまいました。

ただ、今までと比べて現在の状況が悪化しているのは事実だと思います。リベラル系のメディアの一部はXから撤退しています。しかし、数百万人のフォロワーを抱えるメディアが撤退すると、数百万人に届けうる物理的な情報の場を自ら放棄することになります。物理的な実体に担保された情報のネットワークから撤退すれば、社会に対する影響力は確実に低下します。自らの倫理的な立場の潔癖さにこだわり、関わらないという態度を取るのか、Xに居続ける限りは利益に加担しているという釈然としない思いを抱えつつ、フェイクに対抗する情報を流し続けるべきかは、議論が分かれるところです。ウェーバーは、心情倫理と責任倫理の葛藤という問題があって、心情的な理想があっても、現実的に泥を被ることも必要だと問題提起を行っています。二者択一は難しい。

文学作品の話に戻すと、自分が書いていることに価値があると思っている人は、「いかに読まれるか」を考えていかないと、文学に希望はないと思います。

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プロダクトデザインを小説に応用


僕は物語の時間経過をいかに楽しむかを、色々なモデルを参照しながら考えました。『プリズン・ブレイク』や『ER緊急救命室』など、流行っていたアメリカのテレビドラマを参考にしました。これには、数人の主要登場人物がいて、各自の物語がある。1人のエピソードが面白くなってきた時に切って、別の人に切り替わる。その後も一旦切って他の人を描くという形で期待を遅延させながら、複雑な物語を1本の線にまとめていきます。『決壊』を書いた時に、この方法を参照しました。

ただ、直線的な物語の中に小間切れになった要素を配置すると、スムーズに物語をたどりたい読者は、次の話を読んでいる間に前の話を忘れてしまうことがあってストレスを感じます。物語全体にとって実は非常に重要でも、一見すると直接的な物語の流れに沿っていないという課題を考えるために、プロダクトデザインを参考にしました。

プロダクトデザインは、機能的なデザインを追求します。デザイナーは、生活空間での人間の行動を見て、アフォーダンス(編集部注:環境の中に存在する全てのものが、知覚者の行為を促す可能性のこと)のような理論を、デザインに引き寄せて解釈する。デザインを通じ、モノの側から指示を受け、人間が自然に行動する形状を追求しています。デザイナーの深澤直人さんは、「モノのデザインは、そもそもコミュニケーションの中に内在している」と言っています。そして、内在しているけれども形を与えられていないモノの形を探り当てるのがプロダクトデザイナーの仕事である、と。人間の動作とモノの関係を緻密に考えるプロダクトデザインを参考にして、小説の中で背景的なものと登場人物の関係を見直しました。

さらにデジタル化が進み、プロダクトデザインでは、インターフェースの考え方が強くなっています。ATMやスマートフォンが動くメカニズムはあまりにも複雑でよくわかりませんが、利用者は非常に簡単に操作できるインターフェースに慣れています。

エンジニアリングの部分がむき出しの小説に対しては、読者がインターフェースのデザインが悪いという感覚を持つ気がします。そこで、表面をスムーズに追える設計をする一方、下部には積層的に複雑な問題を置いたり、メカニズムの主題をレイヤー化したりすることができると考えました。それ以来、表面的なプロットや物語は読みやすく、少し深読みができる人は社会的な問いや言語化できない複雑な問題にたどりつけるデザインを意識するようになりました。直線的な書き方から積層的な構造に変えることで、物語のページ数を圧縮することができ、原稿用紙1500枚ほどあった『決壊』に対して、18年に出版した『ある男』は大体600枚くらいにまで短くなりました。

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書き手の変化が小説を面白くする


小説では、常に読者がいて、作品があって、自分がいます。社会の中でどう伝わっていくかを考えないと、小説に希望はありません。

僕がデビューした頃は、作者の意図を考えないというテクスト批評が非常に流行っていました。とにかく作者の意図を追求していくという、国語の授業でのやり方とは違う読解が随分と強調されました。もちろん、本の読み方は色々とあります。作者の意図や作者のパーソナリティーと関連付ける方法と同じように、作者の意図でなくテクスト間の影響に着目する方法もあるでしょう。

しかし、僕はテクスト批評に反対の立場です。作者の意図を完全に捨象して、大江健三郎や三島由紀夫、あるいは長崎で被ばくした林京子が書いたテクストの分析だけをして本当に面白いだろうかと。読者は、作家が実際に生きて書いたことの事実性を否定できません。23年に出版した『三島由紀夫論』では、反動的なくらいに三島のパーソナリティーにこだわり、作者の意図を汲み取ろうとしました。

ただ、現代においてテクスト分析の重要性を指摘するならば、AIの登場があります。テクスト批評的な文章読解と、AIが学習してテクストを織りなすことは、非常に相性が良いです。欧米では、AIを創作に利用する人たちが出てきています。最近の調査で、イギリスの有名な詩人の詩を学習したAIに書かせた詩と、人間のオリジナルの詩を準備して、ブラインドテストで読者にどちらが良いかを尋ねると、高確率でAIが書いた詩を選んだと言います。今後ますます、AIを創作に活用するとか、AIが書いたものを部分的に利用することが起こり得ます。

しかし、僕たちが人間が書いたものを読みたいと思うのは、1人の人間が描く作品にコミュニケーション性があることを評価するからです。AIは年老いることはないし、調子が悪くなっておかしくなることもない。人間が小説を書いていると、若い時から年を取るまで非常に大きな変化があります。大江さんであれば、障がいのある光さんが生まれてからノーベル賞をとった。若い時と、光さんとの共生を描き出してからの大江さんは、違うと感じます。そこに小説を読む面白さがあると評価するなら、変化のある人間が書いたものを読みたいです。

また、現時点では、AIは言語化されたものしか学習できません。文学の最も重要な仕事は、なんとなく感じているけどうまく言葉にできないことを、第一に言語化することです。例えば、有名な作家についてChatGPTに質問すると、かなり正しい答えが返ってきますが、ほとんど知られていないけれど非常に重要な作家についてChatGPTに聞くと、とんでもなく間違った返答をします。

批評の最も重要な特徴は、まだ社会に知られていない作家の価値を語ることにあるので、まだまだ人間がやるしかない。語り得ないことを語るという作業を重視すると、AIにできない仕事があるので、人間への注目は続くと思います。


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1時間半にわたる講演の後、平野氏は参加者からの質問に答えた。

同時代的な刺激になりたい


―映画化など、小説が違う形になって拡散することをどのように考えているか。

先ほどの話に忠実に言うと、映画化する方がより多くの人に読まれる機会が生まれると思います。ただ、2時間の映画は長編小説を映像化するには短すぎます。黒澤明が芥川龍之介の短編を映画化したように、短編小説を監督のイマジネーションで膨らませて映画化する方がふさわしいと感じますが、現実には、長編でそれなりの成功を収めた作品だけが映画化されることが多いです。

僕は小説を書く時に、色々な映画や音楽など他の表現に非常に影響を受けてきました。自分の作品が表現活動している人たちに何も影響を及ぼさないのは寂しいと感じており、同時代的な刺激になりたい気持ちが強いです。

映画制作は多くの資金や人材を必要とします。その上で、監督がどうしても映画化したい、俳優もやる気になっていると聞くと、単純に嬉しいです。ただ、映画は映画、小説は小説だと割り切らないといけない時もある。映画化に際していつも葛藤はありますが、基本的に一定水準以上の形で実現してくれる期待を込めて「よろしくお願いします」と伝えています。

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凝り固まった考えをほぐす


―読んでもらえるものを作りながらも、自分の伝えたいことを書くというバランスをどうとっているか。

文字を大きくしたり行間を広くしたりするなど、物理的に読みやすくすることには、一定の効果があると思います。ただ、内容を易しくしたり、漢字を減らしたりすることの効果は薄く、読者が満足できなくなると考えています。

文学作品の社会的な効果は、非常に微妙な性質を持っていると思います。カフカやドストエフスキーは、執筆当時に社会で圧倒的な影響力を持っていなかったですが、長い時間を通じて大きな力を発揮してきました。ある国の人口が1億人だとすると、大ベストセラーと呼ばれる100万部は、人口の1%です。文学的に御の字と言われている1万部は0・01%になります。逆に言うと99・99%が読んでいないので、社会全体で見ると読者はほとんどいません。10人に1人が賛同するものを書くのは非常に難しいが、1万人に1人くらいが賛同することを目指せば、1万部程度は売れる作家になる可能性がある。社会との関わりの中で、それで良いかという問題がジレンマとして生まれます。

内容はともかく、1つの「思想」を抱くに至るのは、その人の人生が影響していると思います。ソーシャルメディアで人から少し批判されるだけでは、なかなか考え方は変わりません。自分自身、死刑を存置するか廃止するかという死刑廃止問題に関わる中で、人が感情的になる話題を扱う時に議論では埒があかないと痛感します。当事者として議論すると感情的になるし、相手に論破されると、ますます意固地になることもあります。対して、観客としてネット上の議論を見ている時には、感情的に巻き込まれるおそれがないので、客観的に問題に向き合うことができる。議論自体はどこかで行われるべきだと思います。

また、小説は直接的な議論とは違った形で、考え方に影響を及ぼす力があります。色々な立場の登場人物に感情移入しながら、しかも日常では味わえない圧縮された経験を味わえる。今まで議論しても決して変わらなかった考えが、ほぐされる可能性があります。これが着実に積み重なり、社会に影響を及ぼすことが期待できます。

加えて、具体的な政治問題について、小説以外で発信することも必要です。僕は、トーマス・マンや三島由紀夫、大江健三郎など、政治に関心を持っていた作家が好きです。創作する衝動の根底には、社会に対する不適応があると思います。自分が生きづらく、苦しいということを表現したいと思った時に、必ず政治制度や社会思想の問題に突き当たるはずです。文学を通して表現活動を行い、一方で政治に関与することは、同根的な問題の現れだと思います。僕はXで、20万人のフォロワーに即時的に情報を届けながら、根源的な体験として、人を変える可能性を文学に期待しています。

この世界に完全に満足して楽しく生きている人は、文学作品を読む必要がないと思います。文学に切実な言葉を求めている人は、うまく表現できない気持ちを共有したいと望んだり、自分の生に対する問いを持ったりしています。

力になる言葉をかけたいと願いながら小説を書く一方、小説によって現実社会を変えたいという情熱がなだめられる懸念もあります。今の状況が続くように願う人が、体制を強化するために小説を利用するおそれがある。文学作品は読者の慰めになりつつ、現実社会に向き合うように背中を押すという2つを同時にやるものだと思います。

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「良いことは何度言っても良い」


―伝え方が重視されると同時に、読者に何を伝えるかも非常に大切だ。読者に正しく伝わらない事態に対して、書き手としてどう向き合うべきか。

プラトンが「良いことは何度言っても良い」と言っているように、継続的に伝えることは重要です。そして、人にとって良いことだと思えることでないと繰り返せない。自分が信じられることを語るべきです。

僕は、人は確固たる「本当の自分」があるわけではなく、状況に応じて複数のペルソナ(人格)を生きているという「分人主義」を十数年前から提唱しています。自分がしつこいかなと思って繰り返すのをやめると、そこで理解の広まりと深まりが止まってしまいます。

また、一方的に作者が教える関係は良くないと思います。個人はそれぞれに複雑な問題を抱えているものの、適切な言葉がないとうまく考えられない。それぞれについて自分で考えられる言葉を提示することが重要だと思います。

「分人」という言葉は、自分の多面性を表現する適切な言葉がないという考えから生まれました。これまで哲学や心理学で分人主義に近い話はあったと思います。ただ、20世紀の哲学の出発点である現象学は、単語がやたらと難しいです。本当に心が弱っていて、人生を変えたいと切実に思っている人に、「超越論的間主観性」など難解な言葉を提示しても、自分の人生を考える言葉として使うことができない。辛い状況の人ほど自分のことを考えられるように、作者はデザインを工夫する必要があると思います。〈了〉

平野啓一郎 著『私とは何か――「個人」から「分人」へ』(講談社刊)



当日、約100名の参加者が平野さんの講演に耳を傾けた



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