現実に切り込む物語の力 野木亜紀子氏インタビュー/11月祭講演/ドラマ評
2025.12.16
文太や四季、ノナマーレの仲間たち(テレビ朝日提供)
野木亜紀子(のぎ・あきこ)
2010年、『さよならロビンソンクルーソー』でフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、35歳でデビュー。主な脚本担当作品は、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ(海野つなみ原作)』(16、TBS)、『獣になれない私たち』(18、日本テレビ)、『海に眠るダイヤモンド』(24、TBS)/映画『罪の声(塩田武士原作) 』(20)、『カラオケ行こ!(和山やま原作)』(24)など。映画『ラストマイル』(24)は、ドラマ『アンナチュラル』(18、TBS)、『MIU404』(20、TBS)とのシェアード・ユニバース作品として話題を呼んだ。最新作はドラマ『ちょっとだけエスパー』(25、テレビ朝日)。
2010年、『さよならロビンソンクルーソー』でフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、35歳でデビュー。主な脚本担当作品は、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ(海野つなみ原作)』(16、TBS)、『獣になれない私たち』(18、日本テレビ)、『海に眠るダイヤモンド』(24、TBS)/映画『罪の声(塩田武士原作) 』(20)、『カラオケ行こ!(和山やま原作)』(24)など。映画『ラストマイル』(24)は、ドラマ『アンナチュラル』(18、TBS)、『MIU404』(20、TBS)とのシェアード・ユニバース作品として話題を呼んだ。最新作はドラマ『ちょっとだけエスパー』(25、テレビ朝日)。
目次
単独インタビュー講演 届くと信じて作り続ける
〈ドラマ評〉人生と愛の高らかな賛歌 『ちょっとだけエスパー』
単独インタビュー
話は重くしすぎない
―SNSで「講演の依頼は断り続けていた」と。今回講演した理由は。
身も蓋もない話ですが、返事をするのが遅れてしまい、断りづらかったんです(笑)。また、かつてテレビ局の京大出身プロデューサーに反対意見を言ったら、「君はもっと東大や京大の人と付き合った方がいい!」と理不尽に怒られたことがあり、そういう傲慢な人にならないでほしいと伝えに来ました。結局講演で言い忘れてしまいましたけど(笑)。
―作風に関して意識していることは。
最近はシリアスにしすぎないことかな。ずっとシリアスな人間なんていないじゃないですか。あと、今は世の中が明るくないので、重い物語は辛い、楽しいものが見たいと感じる人が増えている気がします。そういう世相も執筆時には踏まえます。
―セリフを書く上で心がけることは。
話し言葉にすることです。脚本を書きながら1人芝居をして、不自然なセリフになっていないか確かめます。
あとは、言葉で説明しすぎないこと。テレビでは、ある程度万人が分かるような書き方は必要だけど、感情を全て言葉にしたり、1から10まで説明したりすることが「分かりやすさ」ではないと思います。演出で表現できるラインをディレクターと相談しながら、行間を読み取ってもらう作品を目指しています。
―『ちょっとだけエスパー』は初のSF。手がけるジャンルにこだわりは。
飽き性なので、色々なジャンルを書きたいと思っています。SFは元々好きで、10年くらい書きたいと言い続けていました。今までなかなか本気にしてもらえなかったけど、ようやく機会をもらって。テレビ局は視聴率を取るために、刑事モノ・弁護士モノ・医療モノをすぐ作らせたがるんですよ、禁止すべきだと思うぐらい(笑)。この3つは当分書きたいと思わないですね。
―同じスタッフと組むことも多い。
スタッフで仕事を選ぶことは大いにあります。探り探りやっていく苦労はないし、信頼関係があるからこそ、新しいことに挑戦できる場合もあります。ただ、同じ人たちだけでずっと組んでいると、内輪ノリになってしまうことがあるので、緊張感を持って仕事をしたいですね。
―SNSの反応は参考にするのか。
SNSは見ますが、放送開始時にはほぼ書き終わっているので、反応を見てもどうしようもない(笑)。視聴者の考察を読んで「そうはならないよ〜」と思うのはちょっと楽しいです。時々「え、そんな風に思う?」という解釈もありますけどね。
「社会派」と呼ばれるが
―社会問題を描くにあたって気をつけていることは。
扱うときは、面白いストーリーに社会問題を付随させる、という意識でいます。社会問題が先にあるのではなく、登場人物の成長やストーリー展開の上で必要な題材を書く。だから題材にする社会問題も、制作時のニュースを即時的に取り入れるのではなく、これまで見てきたニュースの蓄積や問題意識に立脚して選ぶことが多いです。
ある事件を切り口に、背後の社会構造を描くことが多いですが、入口の事件はゼロから作るか、モデルが分からないように工夫することが多いです。元ネタがあからさまだと、罪を犯した人間そのものを批判する属人的な話になりがちです。背後にある貧困などの社会構造こそが問題で、入口の事件が必ずしも現実そのままである必要はない。安易につくると関係者へのバッシングを招く恐れもあるので、すごく気を遣います。
―題材決定後、取材はどのように。
基本的には当事者や詳しい方に話を聞いたり、資料を探したりですね。新聞の取材に似ていると思います。沖縄の基地問題を題材にした『フェンス』(23)では、たとえば弁護士に話を聞くにしても、米軍関係者側と日本人側の弁護人の双方に話を聞くなど偏らないようにしているうち、取材対象がどんどん増えていって、最終的には100人以上に聞き取りを行いました。朝から晩まで5人ずつ話を聞き、それを10日繰り返すという、恐ろしいスケジュールの時もありました。
―講演では「社会派を背負っているつもりはない」と。
日本では「社会派」と銘打ったドラマは敬遠されるから、「あんまり社会派って言われたくないな」と思ってしまいます。社会構造を掘り下げていくと、どんなジャンルでも結果的に社会派になってしまうんです。明確に社会派であることを意識して書いたのは『フェンス』くらいで、「社会派脚本家」と呼ばれるのはちょっと複雑です。
媒体ごとの違い
―ドラマと映画の脚本の違いは。
ドラマは話数の積み重ねがあるので、登場人物一人ひとりを掘り下げたり、物事を深く描いたりできますが、その分準備から完成まですごく時間がかかります。映画は尺がせいぜい2時間だから、どうしても1テーマくらいしか描けないけど、比較的短い時間で執筆できるので、ドラマよりは気が楽です。それぞれの面白さがあるから、どちらかをやっているともう一方をやりたくなります。
―アニメーションの場合は。
2022年にアニメ『犬王』の脚本を書きました。実写はロケーションの都合で脚本を変えないといけないことがあるし、CGを使うとすごくお金がかかるけど、アニメは自由度が高いですよね。その分、すべてを絵に起こさないといけないスタッフさんたちは大変だけど(笑)。
ドラマの撮影は3か月我慢すれば終わるけど、アニメは1クール12話の作品だけで3年ほどかかるんです。これで脚本がつまらなかったら台無しだから、脚本家としては責任重大で恐ろしい(笑)。アニメは大変すぎるので、実写の方が気が楽だなと思います。
―原作ありの作品とオリジナルの作品では、どちらを手がけたいか。
原作ものは「究極の二次創作」なんです。あくまで原作ありきだから、映像作品としてよりよい展開があっても、原作を踏み外してはならない。原作者・原作ファン・初見の客のすべてを満足させる細い道を探し当てるのは大変です。オリジナルはどこに向かおうが自由だし、自分の責任のもとに作れるので気が楽です。
―作品を制作する上で影響を受けたものは。
自信をもって言えるのは「THE BLUE HEARTS」の曲ですね。中高生の頃に最初のアルバム3枚を聴き倒しました。「ダンス・ナンバー」という曲では、どんな踊りでもいい、格好悪くてもいい、君のことを笑う奴は豆腐にぶつかって死んじまえ、と歌われていて、子供心に「本当だよ、笑う奴がおかしいんだよ」と思いました。ブルーハーツの曲からパンク精神を学んだし、生き抜くために必要なことが詰まっているので、ぜひ聴いてみてください。
―注目する脚本家や理想の脚本家は。
私より年下の脚本家の中で注目しているのは、朝ドラの『らんまん』(23)を手がけた長田育恵さん。演劇畑の人ですが、非常に優秀で、端正な脚本を書く方。将来大河ドラマも手がけるのではないでしょうか。
理想の脚本家は一色伸幸さんが近いかな。もう40年以上、古くは映画『僕らはみんな生きている』(1993)から、近年はドラマ『ペペロンチーノ』(2021)まで書いてらっしゃる大ベテラン。いつもプロットがしっかりしていて、芯のあるエンターテインメントとして成立しているんです。
―今後手がけたい作品について。
実は3年先まで作品が決まっているので、手がけたい作品を聞かれてもあまりない(笑)。デビューしてまだ15年なので、今後も何かしらは書き続けると思います。まだやっていないジャンルや題材は山ほどあるし、組み合わせ次第でも新規性を生み出せるので、常に今までと違うことをしていきたいですね。
―最後に、京大生へのメッセージを。
今、国立大学にお金がないことは本当に問題だと思っています。大学が終わったら国が終わりますから。それに、京大は自由な学風だと言われてはいるけど、今後どうなるかは分からないし、本当に自由を守ってほしいですね。若い君たちに未来がかかっているので、頑張ってください。
―ありがとうございました。(聞き手:晴・悠)
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講演 届くと信じて作り続ける
11月22日、第67回11月祭本部講演に脚本家の野木亜紀子氏が登壇した。野木氏は「フィクションの現在地」と題して講演を行い、会場には学内外から500人ほどが集まった。野木氏は自身のキャリアや制作の流れを紹介した後、日本のドラマ制作の問題点や、「フィクションは現実を変えられるか」という問いについて考えを述べた。
冒頭では、自身の経歴を紹介した。高校卒業後、映画監督を目指して映画学校に入学し、その後制作会社でドキュメンタリー番組の制作に携わった。脚本家を目指した理由は、臨機応変な対応が求められる「現場」に向いていないと認識したから。派遣社員やアルバイトとして働きながら脚本を書き、6年ほどコンクールに応募を続けた。この時期を野木氏は、脚本家になれるのかさっぱり分からない「暗黒時代」だったと振り返った。
ドラマ制作の流れについても説明した。昔から「映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの」と言われるが、脚本家はあくまで設計者で、映像責任者であるディレクターとスタッフを統括するプロデューサーとの3者のバランスが、良い作品を生み出すために重要だという。そしてドラマや映画は3者と役者の演技とスタッフの技術が合わさった「総合芸術」だと表現した。多くのスタッフが少なくとも数か月間1つの作品に集中するからこそ、設計図である脚本は強固で面白いものでなければいけない、という責任を常々感じながら執筆していると語る。また、自分の世界の内側で書き続けられる小説家と比べて、脚本家は撮影の都合に合わせて「いかに書き直すか」が問われることも多く、全部が思い通りにいくわけではないと語った。
野木氏は日本のドラマ制作の問題について、23年に自身が語った制作者向け講演の内容を引用し、▼制作本数が年々増えているのにスタッフの絶対数と予算が変わらない状況下で、「短いサイクルでイージーに」作らざるを得ない点▼漫画原作のドラマが増えた時期に、オリジナルドラマを作る技術を持った人材の育成が途絶えた点▼脚本家を雇用・育成する仕組みがなく、ギャラが安いので個人のマンパワーで生き残るしかない環境の3点を挙げた。脚本家のスキルにドラマの出来をすべて委ねると、脚本家の能力値以上のものは作れないが、優れた作品を作るにはその上限を突破する必要があり、脚本家に優れた意見を言えるプロデューサーが欠かせない。そのためテレビ局や制作会社に対し、プロデューサーの育成と「量より質」への転換を訴えた。
続いて、テレビドラマと配信ドラマの違いについて、一番の違いは予算の規模だと述べた。また、スポンサーの有無も大きな違いだと話す。テレビドラマは放送局の倫理観に基づいて作る必要があり、内容も「おとなしくなりやすい」。配信ドラマは、地上波では流してもらえないテーマを扱うこともでき、また完成してから配信すればよいので、制作期間に余裕がある分、質を高めやすいという利点もあると語った。
最後に、フィクションの持つ力については、「止まらない戦争に無力感を感じている」が同時に「細々となら現実世界に影響を与えられるのでは」と野木氏は言う。実際『アンナチュラル』をみて法医学者になった人に会ったことがあるそうだ。「フィクションが現実を変えられるかは、いかに作品が社会と接続するかの問題」だと言い、いわゆる「社会派」と言われる社会問題を扱うドラマを制作する際は、その背景となる構造に目を向けていると語った。「メディアには力があるので、構造に目を向けなければ、当事者への暴力になりうる。エンターテインメントだからこそ気を付けなければいけない」。そのうえで、ドラマを通じて社会問題を知る「間口を広げる」ことができたらと話す。「何か届くと信じて作る。それを受け取った一人ひとりによって世界が変わることはあり得るかもしれない」と、フィクションの可能性に期待を込めた。
最後に設けられた質疑応答では、どのような時にやりがいを感じるかを問われ、「映像や演技が組み合わさって脚本より面白いものができた時、報われたと感じる」と語った。また、作品に込めたメッセージを届けるモチベーションについて問われると、「届けたい人を明確に意識して、そこに目掛けて投げるようにしている」と答えた。また、質疑応答の終了後に、野木氏から「最前列でずっと手をあげてくれているから」と指名する場面も。指名された観客は、現在医学部を目指して何年か浪人していると明かし、デビュー前の「暗黒時代」に何を考えていたか尋ねた。野木氏は、脚本家以外にやりたいことはなく、「何がなんでもなるのだという不退転の決意をもって、35歳になってもデビューできなかったらシナリオ学校に入って学び直そうと思っていた」と明かした。質問者に対しては、「少し離れて息抜きできる逃げ場があると救われる」と自身の派遣社員時代の経験を語り、「なせばなるということもあるので頑張ってほしい」とエールを送った。
講演の整理券配布には多くの人が列を作り、30分ほどで整理券はすべてなくなった。中には京都府外から足を運んだ人もおり、人気脚本家登壇の反響は大きかった。(悠)
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〈ドラマ評〉人生と愛の高らかな賛歌 『ちょっとだけエスパー』
野木亜紀子は一貫して、現実に根差したオリジナル作品を書き続けてきた。故に本作でSFをどう調理するのか、期待が高まる反面不安もあった。
人生に行き詰まっていた文太(演:大泉洋)は怪しい会社「ノナマーレ」に採用される。ノナマーレは不思議なカプセルで社員を「ちょっとだけエスパー」に変え、ミッションを達成させることで「世界を救う」という壮大な目標を掲げる会社だった。体に触れることで他人の心を読む能力を得た文太だったが、寝ている男の目覚まし時計を5分早める、カフェで相手を待つ男の携帯を充電切れにするなど、与えられたミッションは意味不明なものばかり。さらに社宅では、文太を夫だと信じて疑わない謎の女性・四季(演:宮﨑あおい)が待っていた……。
「SFラブロマンス」を謳うわりに、本作の序盤は文太と四季たちのほのぼのとした日常や、市井の人々に関わる小さなミッションが描かれる。「世界を救う」というハリウッドばりに壮大な目標と、深夜ドラマのようなゆるい展開がちぐはぐで、序盤は今ひとつ物語に入り込めなかった。とはいえ、そこは稀代のストーリーテラー・野木亜紀子。中盤からは「世界を救う」という目標の意外な真相や、四季の正体が徐々に明らかになっていく。7話からはSF色がいっそう濃くなり、ばら撒かれた謎が怒涛の勢いで明かされてゆく快感がたまらなかった。序盤の展開が肌に合わなくとも、最後まで見る価値は必ずある。
エスパーの能力を「ちょっとだけ」に設定したのが、本作の巧みな点だ。念じるとものをほんのり温かくできる円寂(演:高畑淳子)、なでまわすと花を咲かせられる桜介(演:ディーン・フジオカ)、動物に命令ではなく「お願い」ができる半蔵(演:宇野祥平)など、文太以外のエスパーの能力も小さなものだ。だからこそ、ミッションをマーベル作品のような浮世離れした戦いなどではなく、あくまでも日常の延長線上に設定でき、SFに明るくない視聴者にも敷居を低くしている。また、長いものに巻かれてしまう文太、考えるより先に体が動く桜介のように、ノナマーレの人々は完全無欠のスーパーヒーローではないからこそ、かえって視聴者の共感を呼ぶ。
本作はSFの側面に注目が集まりがちだが、ラブロマンスとしての完成度も負けていない。文太と四季の仕事上の夫婦関係は、月日を経て真実の愛へと発展していく。だが、偽りの繋がりには必ず終わりがやってくるものだ。大泉洋のペーソス漂う演技と、宮﨑あおいが醸し出す底抜けの透明感が、儚い愛の物語を静かに盛り上げ、視聴者の目を釘付けにする。
そしてもう1つ注目すべき軸が「自己愛の再生」である。「必要とされたかった。誰かに愛されたかった。(中略)自分を、この世界を愛したかった」。最終話の円寂のモノローグが象徴するように、ノナマーレの人々は愛にまつわる哀しい過去を抱えている。カプセルを飲む前、社会から見捨てられ、自分すら愛せなくなっていた彼らの顔は絶望に満ちていた。だが、ミッションを通じて顔も知らない他人を助けるうち、彼らの顔には笑みが戻る。それはきっと、誰かを救う=愛することを通して、もう一度自分も愛せるようになったからだろう。本作は世界中の他人を救う物語であると同時に、自分自身を愛し、救う物語でもあった。
本作に派手さはないし、社会派色が強いわけでもない。でも「生きて、自分と誰かを愛そう」という制作陣のまっすぐなメッセージに、未来への希望が心の中で芽生えた気がした。胸がじんわりと温まる思いがした。画面の向こうの円寂の念が、評者にもちょっとだけ届いたようだ。(晴)
◆ドラマ情報
脚本 野木亜紀子
演出 村尾嘉昭、山内大典
制作著作 テレビ朝日
放送 2025年10月21日~12月16日、毎週火曜夜9時
脚本 野木亜紀子
演出 村尾嘉昭、山内大典
制作著作 テレビ朝日
放送 2025年10月21日~12月16日、毎週火曜夜9時
