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〈講演会〉15年の知的感動、共有 貴志俊彦教授 定年退職記念講演

2025.04.01

〈講演会〉15年の知的感動、共有 貴志俊彦教授 定年退職記念講演

満洲国・情報処制作のポスター。通称「Ms.満洲」(貴志教授提供)

3月21日、2010年度から地域研究統合情報センター、2017年度から東南アジア地域研究研究所で研究した貴志俊彦教授が、定年退職記念講演「15年の軌跡に刻まれた視覚表現」を京都大学稲盛財団記念館にて開催した。講演は「関西弁で、早口でお送りします!」との言葉より、軽妙にスタートした。教授が過去15年間に出会い驚きと刺激を受けた写真やポスターといったビジュアルメディアが、研究活動とともに紹介された。

貴志教授が視覚表現研究に深入りするきっかけとなったのは、満洲国のビジュアルメディア研究だ。1932年3月に満洲国が成立し、その広報機能を強化するため、情報処という組織が設置された。情報処が作成したポスターの内、現在教授が確認できたのは一人の女性が描かれた「新興大満洲國」の一種のみ。これは一般に「Ms.満洲」と呼ばれ、モデル女性の正体に注目が集まっていた。教授と朝日新聞社の合同調査の結果、彼女は満洲に移住し、広報映画に偶然キャスティングされた日本人女性だと分かった。映画のワンシーンがそのままポスターに使用されていたのだ。「満洲国の施策において、企画者・施策者だけでなく、国のシンボルすら日本人というのは示唆深い」と教授は言う。満洲関連では他にも、1933年に作成された「五族協和」を表す絵ハガキが残っている。これは満洲国の行政機関・国務院の正面階段の上り口にあったレリーフをもとに作られたが、絵ハガキ版では五族を表す人物の内1人が、白系ロシア人にすり替えられている。五族とは従来「和・朝・満・蒙・漢」を表すとされてきたが、この発見は「五族協和」の概念が揺らいでいた事を示唆するという。

朝日新聞に保管された戦前・戦中写真である通称「富士倉庫資料」の調査にも携わった。写真の史料的重要性は、被写体そのものだけでなく、その裏面にもある。講演では台湾神社の祭りを映した写真が紹介された。裏面は、台北の憲兵隊本部や台湾軍報道部の検閲印でびっしりと埋められている。文字史料以外に、写真や図像の検閲もあったことが示される。

京大人文研にも、戦後70年間秘蔵されてきた写真がある。戦中、中華民国華北地域で事業経営を行った華北交通株式会社が日本語話者に向けて作製した広報写真群だ。労働者に宣伝するため、エキゾチックな景色や治安の良さをアピールする写真が目立つ。しかし、占領地での人心の安定を図る宣撫宣伝工作や、総動員体制が現地で行われていたことも克明に写されている。また、中国の家屋を日本風にアレンジした日本人の生活写真がある。畳を敷きちゃぶ台が置かれるが、押入れに襖はなく、布団がはみ出す。被写体の女性は華北の気候に合わない和服を着ている。現地の日本人が不安定な生活ながら生活様式を崩さなかったことが示唆されるという。こうした写真群の意義は、日本側が中国の社会をどのようにとらえ、演出しようとしたかを示すことだと述べた。

講演では他にも、教授が毎日新聞社との共同プロジェクトにて発見した前線で働く新聞社特派員の写真や、戦時中の天然色写真、英領インド軍が岡山、鳥取、島根を占領し、ヒンディーやムスリムが港を闊歩していた可能性を示す占領期の地図など、貴重資料が紹介された。

最後に、若手研究者へのアドバイスを求められた教授は、熱く言い放った。「今の若手は優秀だ。国際感覚、技術、理解が非常に優れている。ある意味羨ましいし、この人らをライバルにせなあかんのは悲しい時すらある。若手にアドバイスなんかあるわけない。君らは私のライバルなんや!」。会場にいた人々は、若手をライバルと呼ぶ教授の衰えぬ研究熱に敬意を抱くと同時に、負けてたまるかと熱を上げた。講演は、熱い拍手のうちに幕を閉じた。(雲)

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