文化

精緻に語られる「裏切り」の裏側 太宰治『駆け込み訴え』

2023.09.16

本作は1940年、雑誌『中央公論』2月1日号に掲載された短編である。新約聖書に描かれるユダの裏切りに取材した翻案小説で、太宰の複数の作品に収録されている。

申し上げます。申し上げます。だんなさま。あの人は、ひどい――冒頭の興奮した男の語り口はいかにも世俗的だ。「駆け込み訴え」という題もあいまって、予備知識がなければ、有名な聖典に拠った小説とは思いもよらない。だが、つらつらと「あの人」の不満を並べ立てる男の独白を1㌻も読み進めれば、「ペテロ、ヤコブ、ヨハネ」ら使徒の名が連なり、男が不満を向ける「あの人」がイエスであることに気づく。

「訴え」の主は、イエスの弟子でありながらイエスを売った商人のユダである。彼はイエスに随行しながら会計を担当し、イエスが遊説先で起こす「奇跡」を、自らの経済感覚をいかして支えてきたと自負してきた。一方、金銭を扱うために無欲を解くイエスから蔑まれているとも感じ、決して打ち解けることのできない寂しさを抱えている。

ユダの孤独は、ベタニヤのシモンの家での食事の場面で象徴的に現れる。村の娘がイエスに香油を頭から注いだ。ユダは香油の無駄と娘の非礼を咎めるが、イエスは娘が自分の葬りの用意をしたと庇った。イエスが長く仕えた自分よりも村娘の肩を持ったために、ユダは強い嫉妬を覚える。嫉妬のためにユダはイエスを憎み、ついに殺意を抱くに至った。

最後の場面で、ユダはイエスにかけられた懸賞金を受け取る。「いやしめられている金銭で、あの人にみごと、復讐してやるのだ」。「金銭」はユダにとって、それをもってイエスに仕えた自負の象徴であると同時に、それによってイエスから蔑まれた劣等感や孤独の象徴でもあった。それをイエスの命と引き換えにすることは、ユダにとってイエスへの最大の復讐であり、裏切りだった。

イエスに対する期待と失望で絶えず揺れ動き、混乱するユダの心理が、「訴え」という形で精緻に語られ、ユダの裏切りを作家らしい切り口で解釈している。ユダの目を通して見ることで、宗教画や邦訳の聖書の文体からは想像もつかないような人間的な苦悩を垣間見ることができる。「走れメロス」「御伽草子」など、独特の世界が広がる太宰の翻案ものの一つ。現在は青空文庫でも簡単に読むことができる。ぜひ一読をお薦めしたい一篇だ。(汐)

◆書誌情報
『富嶽百景・走れメロス 他八編』
太宰治/著、岩波書店、
1957年5月発売

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