企画

解かずに読む 共通テスト書評

2023.02.16

1月14日と15日に大学入学共通テストが実施され、受験者数は47万人にのぼった。今年も共通テストに出題された著作の書評を掲載する。悩まされた傍線部分、迷った選択肢もあるだろう。しかし短い出題箇所だけでなく作品全体に目を向けてみれば、面白い読み物ぞろいだ。二次試験の準備が佳境のいま、あえて共通テストを「読んで」振り返ってみよう。(編集部)

目次

真の読書においては著者と自分との間に対話が行われるのである。倫理,政治・経済 第2問『読書と人生』三木 清
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな」国語第3問 『俊頼髄脳』源 俊頼
我々が自己利益のために他人から略奪し他人を害するようになるなら、社会が崩壊することは必然だ。倫理,政治・経済 第1問 『義務について』キケロ―
君たる者其の賢を求むるを思はざるは無く、賢なる者其の用を効すを思はざるは罔し国語第4問『白氏文集』白居易
味覚のほかは視覚こそが子規の自身の存在を確認する感覚だった。子規は、視覚の人だったともいえる。国語第1問 『視覚の生命力——イメージの復権』柏木 博
景色を望むには、むしろそれを限定しなければならない。国語第1問 『小さな家』ル・コルビュジエ
しかしそれが絶望であることがはっきり判ったこの瞬間、私はむしろある勇気がほのぼのと胸にのぼってくるのを感じていたのである。国語第2問 『飢えの季節』梅崎 春生
解かずに「観る」共テ 世界史第2問 映画『アンダーグラウンド』



真の読書においては著者と自分との間に対話が行われるのである。
倫理,政治・経済 第2問『読書と人生』三木 清


三木清(1897―1945)は京都帝大哲学科出身、『善の研究』などで知られる西田幾多郎の師事を受けた哲学者である。本書『読書と人生』は、1924年から41年にかけて発表された寄稿11本を収めた論集だ。内容は自身の読書歴を語るものから西田との思い出を綴ったものまでさまざま。倫理・政経の第2問で引用された箇所は、「哲学はどう学んでゆくか」と題した読書入門の末尾だった。

哲学を学び始める際に何から手をつければよいか。それを見極めるのは難しいと三木は語る。自然科学の場合とは違って、哲学はそれ自体の定義さえ「立場によって異って」おり、「立場の異るに従って、入口も異る」からだ。それでも各学派の違いにとらわれていては始まらない。哲学一般を理解する手がかりは何か、三木は読者に助言する。一流の哲学者の著作を読んで哲学的精神に触れてみるとか、自分の問題意識に基づいて適する学派を見つけるといった具合に。平易な文体と明確な論理が読みやすく、近寄りがたいと感じていた哲学が近しいものに見えてきた。

彼が語る読書法は哲学分野に限定されない。読書一般を論じた「如何に読書すべきか」でも、「どう学んでゆくか」と類似する主張が書かれている。すき間時間に読書をして習慣化すること、専門分野以外の本を読むこと、古典を味わう一方で新刊にも手を伸ばすこと、云々。一見ありきたりな読書法ばかりだが、彼自身の読書経験に基づいた盤石さがある。無駄な忙しさを解消して本を読めば心を落ち着けることができるし、一般教養を身につければ自分の専門を相対化することが可能となり、現代の問題意識に根差した新刊に触れることで古典が活きてくる。かつて言い聞かされたはずの主張に明確な根拠が与えられ、確かなものになっていくのはひとつの快感である。

しかし、倫政で引用された部分にはどうしても納得できない。彼は言う、自分のなかで問いが生じる読書、その問いが著者との対話につながっていく読書こそが「真の読書」であると。書き手との対話は確かに重要だと思う。でもそれだけが「真の読書」だと断定できないのは、私がある作品の自然描写に圧倒された読書体験があるからだ。風と木漏れ日がページからあふれ出した、それは私の言葉では太刀打ちできない衝撃的な感動だった。ある思想を主張する本と文学とを一緒くたに考えるのが的外れだと言われれば反論しづらいのだが、本に描かれたある感情が胸に迫って、作家の言葉にひれ伏すしかないことはありうる。その喜びは、著者と対等に言葉を交わすのとはまた違った喜びだ。

三木は私の疑問もそうか、と受け入れる気がする。彼はこう言っている。自分の読書経験から得た教訓を他人に聞かせることは、老人が自らの過ちを振り返りながら青年に教訓を与えるようなものだと。そしてその教訓を守るに留まる青年は、「進歩的な、独創的なところの乏しい青年である」と。私には私なりの読書のやりかたというものがあって、それはこれから何十年もの時間をかけて本を読み続けることで確立していくものなのだろう。確かな自信と根拠に基づきつつも、自分の読書法を押し付ける説教くささのない、好感が持てる読書論だった。「学生は世の中へ出た者に比して遙かに多くの閑暇をもっている筈だ」、この言葉にはぐうの音も出なかったから、ひとまず隙あらばスマホを手に取るのはやめにしようと思う。(凡)

『読書と人生』
三木 清(著)
講談社、2013年
1200円+税

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「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな」
国語第3問 『俊頼髄脳』源 俊頼


古文では、源俊頼著『俊頼髄脳』が出題された。和歌に秀でており、勅撰和歌集の撰者にもなった著者が、古今東西の歌やエピソードを交え、和歌について説いたものである。源俊頼という名前に馴染みがない方もいらっしゃるかもしれないが、百人一首に収録されている「うかりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを」という和歌の作者と紹介すれば、俊頼の和歌の実力を感じることができるかもしれない。

書評を書くということで、原典を借りて一通り読んだ。が、面白さが分からなかった。ページを繰る手はどんどん遅くなっていき、読み通すのにかなりの時間を要した。残念だが「時間のある春休みに読んでみては?」とおすすめはできないな……という感想に至った。徹頭徹尾「優れた和歌」のエピソード、古今東西の故事の詰め合わせ。昔の和歌は素晴らしくて、今の和歌はなっとらん!とずっと怒っているように思えるほどだった。胃もたれした。

ところで、共通テストで出題されたのはこんなエピソードだった――歌僧に連歌の上の句を詠ませてみたところ、それがあまりに上手だったので、誰も下の句をつけられなかった。どうしていいかと考えているうちに興醒めしてしまい、準備した宴は台無しになってしまったとさ――俊頼はこの本の中で、連歌の上の句について「下の句に完結を任せるのではなく、上の句だけで表現したい内容を完結させるべきだ」と述べている。歌僧が詠んだ上の句は「紅葉が焦がれ、漕がれていくのが見える美しい船ですね」。こんな上の句を詠まれては、貴族たちが下の句をつけられなかったのも無理もない話だ。

出題部分では省略されているが、その後、事の顛末を知った天皇は貴族たちに「あなたたちではなく私の恥だ」と謝罪する。そのことでさらに彼らの肩身は狭くなっていく。問4の先生の発言にもあるように、原典では俊頼からのメッセージで締められている。内心で下の句をつけられた人はいたのだろうけれど、連歌を好まない人は気恥ずかしくて言い出せなかったのだろう、と慮ったうえで「よしなし事なれど、かやうの折の料に、おもなく好むべきなめり」(意訳:連歌はたわいのない遊びだけれど、このようなことを起こさないためにも、恥ずかしいと思わず好むべきであろうよ)。ここまで本を通して「良い和歌」をずっと説いていたはずの俊頼が、最後の最後に和歌の出来ではなく「作り上げること」に言及したことがかなり異質に感じた。1000年近く前の日本でも、場を白けさせないことに重きが置かれていた。それは和歌の達人とて例外ではなかったのかもしれない。そんな想像をかき立てられた。(匡)

『新編 日本古典文学全集87・歌論集』
橋本 不美男、有吉 保、藤平 春男(いずれも校注/翻訳)
小学館、2001年
4657円+税

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我々が自己利益のために他人から略奪し他人を害するようになるなら、社会が崩壊することは必然だ。
倫理,政治・経済 第1問 『義務について』キケロ―


マルクス・トゥーリウス・キケロー(BC106―43)といえば、共和政ローマ末期の「内乱の1世紀」に活躍した政治家として、聞き馴染みのある方も多いだろう。彼は古代ギリシア思想やヘレニズム哲学を修めた学識者であり、明確かつ優雅な話術に自信を持つ実践的な弁論家でもあった。

本書で論じられる「義務」は、今日的な「しなければ/してはならない」の意味でなく、道徳的行為の実践を指す。それは徳の実現を目指す限り不可避である点で、「義務」と言える。キケローによれば、動物がおのずから生存に必要な食料や住処を求めるように、人間は、理性の分有者として「真実で単純で純粋」なものを求める。そのような自然本性に従った義務の遂行は、「道徳的高貴さ」との一致を果たす。

道徳的高貴さは、真なるものへの洞察/人間社会の維持/不屈の精神/秩序と中庸という4種類の義務からなる。キケローは、中でも、社会的共同の意識に由来する人間社会の維持を、最高位の義務と定めた。ここに引用箇所とのつながりが見えてくる。キケローは、人同士の社会的結合を高めるために、他者危害の禁止や私有財産の保護が最も尊ぶべき正義であると説いた。これは功利主義哲学者として知られるJ.S.ミル(1806―73)が提唱した、「他者に危害を加えない限り個人の自由は保障される」という他者危害原則に似通っている。が、他者危害を禁止する理由を、理性と言語から生じた人間同士の普遍的な連帯という自然法の発想に求める点に、ミルとの違いがある。

本書は、現実の場面を想定した実践的かつ具体的な道徳観を持つのが特徴である。文中では、義務に関わる行為の例として、国政における為政者の振る舞いや商人と客のやりとり、親族・友人関係まで幅広く取り上げられる。状況に応じて道徳性の条件が変化する議論はやや場当たり的にも見えるが、自らの生活に引き寄せて考えることができ、一定の納得感も得ることができた。

本書執筆の背景には、共和制の崩壊に伴う、キケローの政治的権威の失墜がある。紀元前63年、執政官となったキケローは、選挙に敗れたカティリーナ一味が国家転覆を企てたクーデターに直面した。キケローが首謀者に死罪を下して謀反は鎮圧されたが、陰謀の背後にいた平民派の政治家カエサルらにより、死刑判決の不当性が糾弾された。政界から追放されたキケローは、失意の中、カエサルが独裁官に就任する前46年から自己の死を迎える43年に、今日に残る哲学的著作を多く執筆した。そうした背景を踏まえると、引用部は、失われゆく共和制への嘆きにも感じられる。(桃)

『義務について』
キケロ―(著)、泉井 久之助(訳)
岩波書店、1961年

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君たる者其の賢を求むるを思はざるは無く、賢なる者其の用を効すを思はざるは罔し
国語第4問『白氏文集』白居易


白居易、字は楽天。唐の玄宗と楊貴妃の悲恋をうたった「長恨歌」で有名な詩人で、『白氏文集』は彼が自選した詩文集である。ただし出題されたのは詩ではなく、彼が試験に備えて作った予想問題と模擬答案だった。受験生に対してわざわざ本番で受験勉強のことを思い出させるのも酷な気がするが、漢文や歴史の授業で登場する偉人も同じ立場だったと思えばなんとなく親近感がわく。

出題された予想問題は、賢者の登用について問う内容だった。君主は誰もが賢者を用いたいと思い、賢者は誰もが君主の役に立ちたいと思っている。なのになぜお互いが出会わないのか、賢者を探す方法はないのか。この問いに対し模擬答案ではこう答える。互いが出会わないのは君主と賢者の間、朝廷と民間との間に隔たりがあるからだ。賢者を求めるには、似た性質の人間が交友関係を築くことを利用して、賢者の同類である人物を推薦させるのがよい、と。

これは『白氏文集』第46巻の「策林」からの引用である。「策」は試験官が題を設定して政治上の意見などを尋ね、受験生が作文で回答する科目である。白居易は礼部の「進士科」と吏部の「試判抜粋科」に及第したのち、皇帝の面前で行われる「制科」に備えて予想問題を作り、79編を「策林」に収めた。序文では「凡そ応対する所の者は、百にその一二を用ひず」と語っているから、予想した問題を回答に直接生かす機会は少なかったのだろう。なお、晴れて制科に合格し805年、35歳で官僚となった。下級官僚の家柄出身としては大出世である。

模擬答案は白居易の個人的な信念ではなく、さまざまな古典の記述に基づいて作られている。出題された答案は、『易経』にある「方は類を以て集まり、物は群を以て分かる」という考え方をもとにしたものだという。白居易の時代からは1500年以上隔たった文献の記述を使っているわけだが、古典がその時代の問題意識に基づいて解釈され、脈々と受け継がれていく文化のあり方には感服させられる。

「線は針に因りて入り、矢は弦を待ちて発す。線矢有りと雖も、苟くも針弦無くんば、自ら致すを求むるも、得べからざるなり」。漢文の情趣は対句と比喩にあると思う。針の無い糸、弦の無い矢は力を発揮できないのと同じように、賢者を登用するには同類の人間が必要だと説いた一節で、対句のリズムが味わい深い。訓読は中国語を日本語に読み替えるもの、1200年以上昔に編み出された力技ながら、時間と場所を隔てた人々の言葉を私たちの手もとへ届けてくれる。漢文不要論なるものが取り沙汰される世の中だが、中国の詩文に息づく古典の存在、それを日本語の形で味わえる訓読という技、その奥深さを考えたうえでの議論なのだろうか。(凡)

『新釈漢文大系104 白氏文集 八』
岡村 繁(著)
明治書院、2006年
9000円+税

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味覚のほかは視覚こそが子規の自身の存在を確認する感覚だった。子規は、視覚の人だったともいえる。
国語第1問 『視覚の生命力——イメージの復権』柏木 博


現代文では、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエの建築物における窓をめぐって、ふたつのテキストが出題された。そのうち、『視覚の生命力——イメージの復権』では、デザイン史を専門とする著者が「視ること」とイメージ、また視覚文化のもつ生き生きとした力について論じる。

文字あるいは音声言語と、図像あるいはイメージといった視覚的なものは、人文学における主要な地位を奪い合ってきたという。筆者によれば19世紀から20世紀にかけて、文字によるコミュニケーションを上位に位置づける近代的な悟性中心主義にしたがって、人文学は文学を中心とした科学に再編された。イメージはその間従属的な立場に甘んじることとなる。しかし1980年代半ばに、イメージへふたたび関心が向けられ始め、その復権ともいえる流れは今日まで続く。

無論、デジカメやスマホといったデジタル・メディアの登場もこの潮流をいっそう勢いづけた。この20年の事情を付け加えるなら、Instagramが文字ではなくイメージを投稿の中心に位置づけた画期的なSNSとして登場したし、YouTube上に誰もが気軽に映像を投稿できるようになった。そうして、撮影され共有されるイメージはかつてなく膨大な量となった。

出題箇所では、正岡子規が病床から舶来物の窓ガラスを通して室外の景色を楽しんだというエピソードに始まり、コルビュジエ建築における窓に話題は移る。窓には換気や採光といった機能もあるが、なによりコルビュジエは窓を外界を切り取るためのフレームと考えた。両親のために湖畔に建てた「小さな家」には、彼の窓に対する哲学が見て取れる。子規にとっての窓ガラスは素朴な、コルビュジエの窓はより計算された、視覚装置であったと筆者は論じる。

「視覚の人」子規について、他の箇所ではより詳細に述べている。子規の体は21歳から結核菌に蝕まれ、30歳を前にしてほとんど寝たきりとなる。病床で記した日記『仰臥漫録』には、数年前には庭の中を歩くことができればよいと思っていたものの今では座ることも望めない、という切なる苦しみが綴られている。寝返りも打てないほどになった子規の楽しみと言えば、食べることと見ることだけであった。彼を元気づけようと、6畳の部屋に友人達が鯉や金魚を持ち込み始める。やがて部屋の中は骨董品や絵画、植物といった品々で溢れるようになった。ただそれらを「視ること」が、体の動かぬ俳人をどれだけ楽しませたか。日記に書き連ねられた目録が雄弁に語る。

まさに「イメージの氾濫」と呼べる今日の事態にあって、私たちの生活における視覚的表現の存在感は増す一方であろう。本書で紹介されるエピソードに次のようなものがある。列車の登場時、乗客には車窓の景色を楽しめるだけの動体視力が備わっていなかった。やがて人々の知覚が変容し、景色を見ることが可能になったというのだ。真偽を疑いたくなるような話ではあるけれども、デジタル・イメージの急速な蔓延に伴って、我々の知覚・認識の様態はひょっとすると変わりつつあるのかもしれない。

古今東西からの硬軟さまざまな話題によって「視る」を再考する一冊。気になる章だけ読んでみるのもよいだろう。語り口も難しくない。(田)

『視覚の生命力――イメージの復権』
柏木 博(著)
岩波書店、2017年
2800円+税

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景色を望むには、むしろそれを限定しなければならない。
国語第1問 『小さな家』ル・コルビュジエ


ここでは、第一問で出題された『視覚の生命力――イメージの復権』と『ル・コルビュジエと近代絵画――二〇世紀モダニズムの道程』の両テクスト内に引用された、コルビュジエ著『小さな家』を紹介する。

スイスとフランスにまたがるレマン湖のほとりに、「横たわる細長い箱」のような建物がある。モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエが隠居する両親のために設計した「小さな家」である。本書は、敷地の見つけ方から細かな意匠に隠された意図まで、「小さな家」にまつわるさまざまをスケッチや写真を多用しながら説明する、コルビュジエ本人による解説書である。

奥行き4㍍、長さ16㍍、高さ2㍍半。延床面積60平米の「小さな家」は、住宅は「住むための機械」であるというコルビュジエの建築哲学を体現している。居住に必要な機能はコンパクトに仕上げ、過剰な装飾やスペースは排すべきという思想だ。快適性と合理性を追求して下図を書き上げたコルビュジエは、それに見合う敷地を求めて旅に出る。1923年、「ぶどう畑がひな壇のように重なる」この湖畔に敷地を定めた。

間取りを見ていく。北側の玄関から入ると、左手に広々とした居間が開け、その先に主寝室と浴室が続く。これら3部屋が共有する南側の壁面には「この家の主役」である長さ11㍍の水平窓が開く。日光の照り返すレマン湖が画面いっぱいに広がり、奥にはアルプス山脈がその雄大さをたたえている。目の前を横断する太陽の光を水平窓が休まず取り込むため、室内は常に光に溢れる。

敷地の東部に位置する庭は四方をぐるりと壁に囲まれていて、外を見渡せない。しかし南方の壁面に一辺が背丈ほどの穴が空いていて、これが共通テストの本文で言及された「視覚装置としての窓」である。本文の引用にあるように、壁を立てて視界を遮ることで「四方八方に蔓延する焦点をかいた退屈な景色」を退ける。そして南方の壁に穴を開けることで風景を「限定」し、「景色を望む」。本来地続きであるはずの自分と風景に壁を挟むことで風景を外部化し、その上で窓を穿つことで外部としての風景を眺め入ることが可能になるのだ。

至る所にコルビュジエの気遣いが確認できる。屋根に登ると、そこには屋上庭園が広がる。盛土に生い茂る草花が、夏は暑気を断ち、冬は寒さを防ぐ断熱材の役割をはたす。また一家の飼い犬が退屈しないよう、柵付きののぞき穴と小さな踏み台が庭に用意された。踏み台を登って穴をのぞくと道行く人々の足元に目線が合う。のぞき穴から門扉の柵まで20㍍も疾走できるよう、限られた空間で最大の配慮を心がけた。

以上のように「小さな家」は魅力的で手の込んだ建築だが、納得しきれない点がいくつかある。

まず、湖と山々の南面の景色を最大限に魅せる反面、残る3方向の景観には無頓着な態度だ。両サイドはともかく、本書に挿入された写真を見る限り、北方にはのびのびと広がる丘陵地に住居が点在しており、壁で遮断するには惜しい牧歌的な景色が広がる。そしてなにより人々の生活のある北面へ背を向けて人影のない南方に視線を集中させることは、「小さな家」の居住者をひどく孤独に追いやってしまうことだろう。

また、俯瞰的に観ることで立ち上がる違和感も共有したい。周囲の家々は傾斜した屋根を被り、外装はとりどりに彩色されている。そこにポツンと現れる「白い箱」は街並みと調和しておらず、場違い感を禁じ得ない。さらに幾何学性を強調した輪郭は人工物感が強く、のどかな自然風景にはミスマッチだ。事実、本書の末部でコルビュジエは敷地の町長がこれを「自然に対する冒涜」と評し、同種の建物の建設を禁じたことを明かしている。自然を最大限に観るための建築が、傍目に見ると自然を破壊しているかのように映るのは皮肉である。

コルビュジエ本人による平易な文章と豊富な挿し絵で成る本書は、彼の建築のエキスを無媒介に、そして軽やかに読者へ提示する。建築について門外漢であっても、臆せず手にとってもらいたい一冊だ。(順)

『小さな家――1923』
ル・コルビュジエ(著)、森田一敏(訳)
集文社、1980年
1500円+税

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しかしそれが絶望であることがはっきり判ったこの瞬間、私はむしろある勇気がほのぼのと胸にのぼってくるのを感じていたのである。
国語第2問 『飢えの季節』梅崎 春生


恥ずかしながら、「梅崎春生」という名前を聞いてもピンと来なかった。検索してようやくわかった。なるほど、『桜島』の作者か。それなら聞き覚えがある。同作を代表作とする戦後文学の旗手で、『沈黙』の遠藤周作や『ひかりごけ』の武田泰淳とも交流があったという。

出題のあった「飢えの季節」は『文壇』昭和23年1月号が初出。梅崎の最初期の短編小説だ。戦後の食糧難を生きる平凡な一人の男を描いた作品で、出題範囲は全体の5分の1ほどを占める結末部だった。

小説は「その頃の私は、毎朝四時に眼がさめた」という書き出しから始まる。空腹から朝4時に眼が覚めてしまい、起き上がるまでの数十分間、「豚肉の煮たものや秋刀魚の焼き立て」、それにうなぎの蒲焼や肉の揚げ物を想像しながら布団にもぐる。それが「私」の習慣だった。

「私」は2時間ほどかけ、郊外から御茶ノ水の広告会社まで通勤する。食事は昌平橋の食堂で摂るのを常としていたが、金欠のためごくわずかしか食べられないというわけだ。

主人公のモノローグで、物語は淡々と進んでいく。腹を減らしながら仕事に行って、腹を減らしながら家に帰る。「私」の空想上で出てくる食べ物が、いちいち「ふかし芋」や「黒麺麭」など時代背景を伺わせるのは面白く、戦後期の雰囲気はよく伝わってくる。だが話は実に盛り上がらないし、なんだか平凡な隣人を観察している気分だ。

さすがに出題部分だけあって結末部は良かった。「大東京の将来」をテーマにした自社広告の企画として飢えのない都市を構想した「私」だったが、それは会長にとっては全くの的外れのものだった。会長は材木や電灯や土地といった自社の利益につながる話題を持ち出し、対する「私」は、「理想の東京」を考える事業も「たんなる儲け仕事にすぎなかった」と悟る。勘違いしていた「自分の間抜けさ加減」に、「私はだんだん腹が立ってきた」のだった(傍線B)。

問2はその理由を考えさせる問題だ。正答から引用しよう。「自分の理想や夢だけを詰め込んだ構想を誇りをもって提案した自分の愚かさにようやく気づき始めたから」(選択肢5)。なんと共感しやすい感情であることか。求められていない自分語りは、いつだって愚かで恥ずかしい。

さて、結局食えない給料であることを知った「私」は会社を辞める。「飢餓の季節」は解消されず、それでも「私」は生きる。何も進展がなく現代の読み手としては若干退屈だが、戦後がそういう時代だったと言われてしまえばそれまでだろうか。

おさまりのよい小説という印象だった。(涼)

『梅崎春生作品集2』
梅崎 春生(著)
沖積舎、2004年

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解かずに「観る」共テ
世界史第2問 映画『アンダーグラウンド』


世界史Aでは映画『アンダーグラウンド』(1995年)を見た生徒たちの会話文について問われた。第二次世界大戦から90年代の内戦まで、50年にわたるユーゴスラヴィアの波乱に満ちた歴史と、そこに生きる2人の友情を描く作品だ。

物語は41年の首都ベオグラードから始まる。共産党員のマルコが入党させた電気工・クロは「同志のために」金品を盗む義賊を自称し、闇社会で成り上がった。空爆とともにナチスが侵攻し都市を統治下におくと、2人はティトー率いる対独パルチザン闘争に参加する。第二次大戦末期、荒廃した首都でクロは暗躍するも大けがを負い、マルコは彼とその一族を地下室にかくまう。

それから20年後、ベオグラードはティトー率いるユーゴ連邦によってドイツの占領を脱し、共産主義国家を築いていた。ティトーの側近となり不自由なく暮らすマルコだが、気がかりなことが。彼は20年の間クロたちを地下に留め、彼らに地上は未だ対ファシズム戦中であると偽っているのだ。しかしマルコと妻ナタリアは、地下生活を続ける人々への嘘に満ちた生活に耐えられなくなっていく。そんななか地下空間がひょんなことから破壊されると、クロは息子ヨヴァンを連れ、祖国解放戦争に加勢しようと地上へ脱出する。

3時間弱と長く、ストーリーも幾分複雑だが、ブラスバンドの軽快な演奏が物語を力強く推し進める。作品は監督の母国ユーゴへの思慕とノスタルジーに貫かれているものの、作中に生きるユーゴの人々はみな欲深い俗物たちだ。彼らは金を盗み、喧噪と諍いを好み、惚れた相手を「結婚式」へと強引に連れ去る。反対に、占領側のドイツ兵の悪行はついぞ描かれない。題材は政治的であり、語り方は愛国的であるに違いない。しかしそれは特定の国の政治的正当性を主張するようなものではなく、ある人とその「祖国」との、分かちがたい結びつきを描こうとするのである。

結末は悲劇的だ。行方不明の息子を探して内戦下の国土で部隊を率いるクロは、捕らえた武器商人の殺害を命じる。ところが殺された商人はマルコとナタリアであった。絶望したクロは、井戸の水面に息子の姿を見て身を投げる。

地下で偽りの20年間を過ごした登場人物らは、揺れ動く歴史の波間に祖国を見失ってしまう。そして、かつて金と力を欲しいままにした成り上がり者たちは、祖国喪失後、不可避的な運命に流されていくように悲惨な末路をたどる。ユーゴという国も、地下室に存在した理想郷も失われ、地上にもはや生きるべき場所を見いだせない彼らは、地下のもっと深く、川底へと旅立つのだ。

銃声、歴史、闘争、人々の生と死をコミカルかつ騒がしく引き回し、度重なる戦争という圧倒的な現実すら喜劇的な祝祭の雰囲気のなかに引き取ってしまう映画的手腕が光る。見て損はない。(田)

ユーゴスラヴィアの歴史
1918年、南スラブ系民族の国家として独立したセルブ・クロアート・スロヴェーン王国は29年にユーゴスラヴィア王国に改称。41年にはバルカン半島に侵攻したナチス・ドイツが首都ベオグラードを空爆し王国を制圧した。独立当初から王国内では、セルビア人主導の政府に反発するクロアチア人の民族運動が存在したが、枢軸国支配下でクロアチアが独立すると民族抗争は激化。ティトーの率いるユーゴ共産党はパルチザン部隊を組織し、ドイツ占領軍とクロアチア政府に抗戦した。46年にはティトーを大統領とするユーゴスラヴィア社会主義共和国連邦が成立した。ティトーの指導力の下、ソ連と一線を画す独自路線をとったが、彼の死後、91年から共和国が相次いで脱退。これにセルビアが反発し内戦状態となる。

『アンダーグラウンド』
エミール・クストリッツァ監督
1995年/171分/フランス・ドイツ・ハンガリーなど共同制作

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