文化

「偶像(アイドル)」推すやましさ 正視するために 『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』

2023.01.16

「KPOPとアイドルというシステムが、人[アイドル]が成熟する時間を与えない」。韓国のアイドルグループBTSのメンバーRMが今年6月に配信された動画で発した一言は、10年来のアイドルファンである私には耳の痛い言葉であった。というのも、アイドルと、アイドルを「推す」文化のなかに、労働上・人権上・ジェンダー観的な問題を見つけるのはあまりに容易い。「恋愛禁止」制度といったアイドル個人のプライベートを侵害する慣習、基礎的教育を犠牲にしての活動、しばしばファンと業界がアイドルに押し付ける「未熟であれ」という規範。それらに遭遇したとき、嫌悪感を覚えるだけではいられず、私自身がその構造とカルチャーに加担しているという事実に思い至るのである。

以上のような、アイドルを応援することにまつわる一種の後ろ暗さをテーマに、本書では9人の論者が各アイドルシーンに認められる問題性を整理し、他方でアイドルという文化の肯定的可能性に光を当てる。パーソナリティ、フェミニズム、「推し」心理といった視点から、アイドルを手放しに賞賛するわけでなく、かといって一切を否定的に断じるわけでもなく、忍耐強い「葛藤」を試み、着実に議論の土台を築く。

たとえば第3章では、女性アイドルが男性に対して従属的な立場に甘んじる歌詞を歌うとき、女性ファンがその内容に違和感を覚えながらも「沸いてしまう」場合について説明を試みる。ハロー!プロジェクトに属する女性アイドルたちは「主体的な女性像」を体現する存在と理解されがちだが、実のところそれに逸脱する歌詞や表現が少なくないことは、筆者の指摘するとおりである。ここで重要なのは、歌詞の主人公とアイドル本人とは別人であるということだ。主人公の体験する被抑圧的体験を、彼女を演じるアイドルでも、自身でもない他者のものとして認識できるからこそ、女性ファンは、自身が現実世界のジェンダー規範のもとで被るプレッシャーを外部化し、直視することができる。この「救い」は幾分危ういバランス下で成り立っている(あるいは成り立たない)ことには留意したいが、ファンは「正しくない」と感じる歌からも、このような方法でエンパワーされうるという。

一方で、近年のアイドル界の動向についての肯定的な言説にも、疑問を投げかける余地はある。第4章で例に挙げられるのは、近年KPOPアイドル界を席巻する「ガールクラッシュ」である。「ガールクラッシュ」とは、女性から好意や憧れを向けられる女性の意味で、「カッコいい」「強い」「自立した」容姿や曲調を打ち出す女性アイドルを指すことが多い。しかし「ガールクラッシュ」として受容されるために売り出されるアイドルは、果たして自立した主体的な個人と言えるだろうか。筆者は、このようなプロデュースの内幕で、その一見フェミニズム的なアイドル像に反した因習がまかり通っていることを指摘する。文化的実践のもつイズムが商業的戦略のうちに回収され形骸化するという事象は、アイドルに限らず多くのポップカルチャーの問題とも捉えられるだろう。

ファンが「葛藤」したところで、推し文化に潜む問題はなかったことになるわけではない。しかし、「偶像(idol)」という職能を果たす彼らが生身の人間であること、ファンダムを含めた文化的実践のあり方が実社会に少なからぬ影響を与えることを考えれば、私たちファンはその歪さに批判的視線を向け続けなければならないだろう。もしあなたもそう考える「ドルオタ」なら、その実演例としてこの本がもってこいである。(田)

書誌情報
『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/<推し>』
著者:香月孝史・上岡磨奈・中村香住編著 その他6著者
出版社:青弓社
発行:2022年

関連記事