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神頼み特集 〜あとは祈るのみ〜

2023.01.16

神頼み特集 〜あとは祈るのみ〜
共通テストが終わり、残るは2次試験のみ。これから長いようで短い、短いようで長い一ヶ月が始まる。共テで思うように点が取れず、2次で挽回しなければいけないプレッシャーに押し潰されそうな人。はたまた、予想外に共テが上手くいき、脱力感で体が机に向かわない人。生々しく迫ってくる「合格」と「不合格」の文字に、ついつい弱気になってしまう。そんな時は、神様の手を借りるのも悪くはない。そこで今回、受験生の学業成就にぴったりな神社をチョイス。どれも京大から気軽に参拝できる距離にある。神様なんて信じないと思っているそこのあなたも、気晴らしがてらに足を運んでみては?(編集部)

目次

北白川天神宮
北野天満宮
吉田神社
安井金比羅宮


北白川天神宮


近江へ続く志賀越道が北に進路をとる緩いカーブの途中、家並みの裏手を流れる白川にかかる石橋が、北白川天神宮の入口である。昔から石工の里として名高い白川の地にあって、地元の匠が明治に建てた万世橋は美しい勾欄が自慢だ。

川を渡り境内に入ることは、心身を清める禊の意味を持つ。耳を澄ませばさらさらと流れる川音が心地よい。鳥居をくぐった先には二本の老杉が並び、ごつごつした石段がご神木の間を斜めに登ってゆく。

ご祭神は少彦名命。ガガイモのさやの船に乗り、蛾の皮を纏った小さな神様で、大国主命とともに国を作り堅めた。害虫を払う呪術である禁厭や、病気を癒す医薬の祖神として信仰を集めている。

土地を鎮める産土神として住民に祀られてきた同社の歴史は平安遷都の頃に遡る。濁らない「てんしん」の読みは、創祀当初の社号「天使宮」の名残という。かつては今より数百㍍西に鎮座していたが、応仁年間に足利義政の手で現在地に遷された。

注連縄に付けて垂らす紙垂は、手前に3回折る「吉田流」が一般的だが、この神社では手前・向う・手前の順に折る「白川流」を守っている。他にも高く盛り上げた供物を頭上に掲げて献じる「高盛」や、矢を放ち悪疫災厄を退ける「御弓祭」などが、絶えることなく続いている。

石段を踏み外さないようにゆっくりと登って社殿に向かう。首を二度垂れ、柏手を打つ。目を閉じると、さわさわと風音が大きく聞こえる。何も願わずとも、静かに祈るだけで心が落ち着く。一礼して振り返ると、森の向こうにやわらかな陽光の注ぐ町並みが広がっている。人が少ない境内には木漏れ日が射し、不思議と寂しさは感じない。足場の悪い小径を、登りよりも穏やかな気持ちで下りていく。

受験本番のこの時期、試験の手応えがなかったり、勉強が捗らなかったりして、落ち着かない気持ちになることもあると思う。そんなとき、ここをお詣りしてはどうだろう。不安や焦りに苛まれた心が、少し軽くなるかもしれない。

橋を渡り、向き直って頭を下げる。顔を上げると、橋のたもとに植えられた桜が目にとまった。厳しい冬を迎え葉を落とした木々が、桜咲く春の訪れを待っている。(汐)

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北野天満宮


本殿。現在のものは1607年に造営された


冤罪で左遷され、失意のうちに亡くなった才人・菅原道真の御霊を鎮めるために建てられた、と言えば学校の授業などで聞き覚えのある人も多いのではないだろうか。全国に一万二千社ある天満宮の総本社であり、文化芸能や災難厄除をご利益とするが、やはり受験生にとって最も気になるのは入試合格・学業成就だろう。これは生前の菅原道真が幼い頃から和歌や漢詩に秀で、学問にも精通していた人物であったことに由来する。

菅原道真は丑年の生まれで、またその遺言で「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と埋葬場所を指定した。このように菅原道真と縁深い牛は、天満宮では神の御使いとされる。境内には多くの臥牛が奉納されており、これらは「撫牛」と言って自分の身体で良くなってほしい部分を撫でるとご利益をいただけるという。頭を撫でれば賢くなり、手足を撫でれば怪我が治るというように。その中でも、境内北西の牛舎にお祀りされている臥牛は最も古いものと言われ、江戸時代には既に「一願成就のお牛さま」と親しまれていた。一願成就とは一生に一度しか願えないが、どのような願いも必ず叶えてくれることを言う。それゆえにこの撫牛を目当てに来る参拝客が多い。筆者も幼少期、親に連れられて行った北野天満宮で、言われるままにこの撫牛の頭を撫でた。賢くなれますように。その甲斐あってか、昨年京大に合格することが叶った。普段頻繁にお参りをするような習慣は無いのだが、この時ばかりは御礼参りに伺った。そろそろ期末試験もあるので、また撫牛のご利益に与った方がいいかもしれない。

北野天満宮は地元の人だけでなく修学旅行生をはじめとする観光客にも人気の神社で、筆者からすると静かに気持ちを整えるには少々人の気配が多すぎる場所だ。しかし祀られているのは「学問の神様」と名高い菅原道真である。1年間学問に励み、その成果が問われる入試直前に縋るのにこれほど適した神様がいるだろうか。(楽)

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吉田神社


鮮やかな朱に染まる拝殿。奥には4棟の本殿が控える


正門を出て西側を向くと、真っ赤にそまる鳥居が目に留まる。創建は古く平安時代。平安京の守護神として設けられた吉田神社の大鳥居である。公卿・藤原山蔭が奈良の春日大社を勧請したのが神社の始まり。鳥居をくぐり、本殿へと続く表参道をゆく。社務所や拝殿が立ち並ぶ境内は、全体的に赤を基調としていて鮮やかだ。拝殿の脇には色とりどりの絵馬が飾ってあり、にぎやかな印象を加える。土地柄だろうか、絵馬には「京大合格」の文字が目立つ。4つある本殿のうち、第三殿の御祭神は学問の神様なのだそう。

参拝を終え、あたりを散策していると、幅の狭いゴツゴツした石段が急斜面に伸びているのに気づく。上空に茂る高木に包まれ、周囲と比べると少し薄暗く、トンネルのようになっている。案内板によると、この先には吉田神道を創始した吉田兼倶を祀った末社・神龍社があるらしい。このまま帰ってしまうと明らかに字数が足らない。そんな危機感に押され、参拝を決意する。下から見ると随分と高く見えるが、意外とすぐに登頂。石段を上がったところには、背丈2㍍ほどの祠がある。これが神龍社か。想像の半分くらいの大きさ。でもなかなか良い。周囲は胸丈ほどの石垣で囲まれており、神聖な雰囲気に包まれている。その中に一人でいると、神様の力を独り占めしている感がある。ちょうど社の周囲に高木が無いのも手伝って、この空間だけ暖かな日光が降り注いでいる。なんだか祝福されている気分になる。離れたところに、大きなキャンバスを首にかけ、祠をスケッチしている女性がいる。地元の方だろうか。どうやらこの空間に惹かれるのは私だけではないらしい。

石垣の先にはいくつか道が続いている。せっかくだから行ってみよう。傾斜の厳しい小道はところどころ岩肌が露出していたり、根が思わぬところから隆起していたりと変化に富んでいる。踏むたびにしゃかしゃかと鳴る乾いた落ち葉が耳に心地よい。視界が開けた。あっという間に頂上だ。木々の隙間から市内が一望できる。晴れた青空に心も穏やかだ。

一分一秒を惜しむ受験生にとって、わざわざ神社に参拝することは意外と難しい。そんな時こそ吉田神社だ。京大で試験を受けた後、気晴らしがてら参拝してはいかがだろうか。思わぬ発見が待っているかもしれない。(順)

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安井金比羅宮


縁切り縁結び碑。願いを託した形代に覆われている


「悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所」。東山安井の交差点を南に下れば、石造りの鳥居に掲げられたうたい文句が目に飛び込んでくる。安井金比羅宮はこの言葉通り、さまざまな「縁」に悩む人々が訪れる場所だ。

縁切り・縁結びの御利益は、祭神の崇徳上皇に由来する。保元の乱に敗れた上皇は讃岐の地に流されたのち、欲を断ち切って金刀比羅宮にこもり国家安泰を祈願した。この逸話から、悪縁を断つ祈願所としての信仰が始まったという。江戸時代の安永期に出版された絵入り地誌『都名所図会』には、「世人おしなべて安井の金毘羅と称し、都下の詣人常に絶ゆる事なし」との記述があり、当時のにぎわいがうかがえる。

そのにぎわいは令和の世に至っても衰えることがない。境内ではたくさんの参拝客が、白い紙札の形代を手に列を作っている。目当ては「縁切り縁結び碑」だ。幅3㍍の絵馬の形をした巨石だが、大量の紙が貼られ石肌は見えない。禰宜の杉田潤氏によれば、この碑は1980年に石刻画家・石田光造氏が制作したもの。先代の宮司が、「現代の人々に分かりやすく受け入れられるお参りの仕方を模索」し制作を依頼したという。中央には穴があけられており、願いを書いた形代を手に持って表から裏へ、裏から表へ穴をくぐる。最後に形代を貼り付け、悪縁を断ち良縁を結ぶよう願うのである。

形代や拝殿の左右にある無数の絵馬には、十人十色の願いが書かれている。恋愛や家族に仕事、病気や自身の意志の弱さとの縁切りを願うものもあれば、子宝祈願やライブのチケット当選に至るまで、縁結びの願いも様々だ。志望校合格もそのひとつ。大学院合格を報告し、御利益に感謝する絵馬がかけられていた。

縁を思い通りに切り、結ぶことは難しい。だからこそ、どんなに努力しても自信をもてないときがある。弱気な気持ちを願いに変えて、神様を頼りにするのもひとつの手だ。絵馬などの授与は9時から17時半までだが、縁切り縁結び碑への祈願を含め、終日参拝できる。皆さんが望む進路との縁を結べるよう願っている。(凡)

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