文化

コロナ禍を「こころ」から考える 第5回京都こころ会議シンポジウム

2021.03.16

2月21日、第5回京都こころ会議シンポジウムが開催された。「こころとコロナ危機」をテーマに、それぞれ医学、仏教学、心理学を専門とする3名の教員が講演した。

最初に、山本太郎・長崎大学熱帯医学研究所教授が「Withコロナ時代の見取り図」をテーマに講演した。新型コロナウイルス感染症の特徴や現状を解説し、コロナの根絶はできないとした上で、どう向き合うかが大切であると指摘した。ウイルスは宿主がいなければ存在できず、宿主と敵対したいわけではないと述べ、排除するのではなく折り合いをつけて共存していくことの大切さを解説した。

次に、熊谷誠慈・京大こころの未来研究センター准教授が「仏教のこころ観から考えるコロナ危機」をテーマに講演した。まず、仏教用語である「因縁」の意味の説明を交えながら、コロナの現状を解説した。「因」は主原因、「縁」は間接の条件のことであり、コロナが「因」である危機は、コロナが収束すれば消滅する。その一方で、コロナが「縁」である危機は、コロナが収束しても別の要素が副次的原因となって生じうる。熊谷氏はこれらを分ける必要性に言及しつつ、コロナが「縁」である危機の根本原因の解決は難しいことを認識した上で、自己と他者の弱さを受け入れる生き方を仏教から学ぶことができるのではないかと指摘した。また、弱者のための仏教として、律宗の叡尊教団のエピソードを話した。鎌倉時代に、叡尊教団はハンセン病患者を救済しようとし、多くの患者が治癒したと考えられた。しかし、当時はハンセン病は不治の病であり、実際には、ハンセン病ではない皮膚病の患者が混ざっていて、彼らが治癒しただけであった。熊谷氏は、このエピソードは医学的に無意味だと決めつけるべきではなく、ハンセン病患者の心の治癒ができた点で重要であると指摘した。さらに、日本仏教は現在、衰退・消滅の方向に向かっているとした上で、教団の利益のためではなく、世のために心の課題に向き合おうとするならば、復活するだろうと述べた。講義全体を通して、悪しきこころが悪しき行動、さらには社会の危機やコロナ危機につながると指摘し、個人が自らの心の状態を知り、悪しき心の作用を抑制することや他者に対する寛容さを持つことの重要性を強調した。

次に、田中康裕・京大大学院教育学研究科教授が「コロナ危機と心理療法」をテーマに講演した。危険性を過小評価する心理である「正常性バイアス」と対照的な症例として、「異常性バイアス」に言及した。「異常性バイアス」とは、陰性と判定されても「コロナに感染している」と揺るぎない確信を持っているという症例であるという。これについて田中氏は、コロナの特徴である、無症状、感染経路不明といった「不明確性」と通じるところがあると述べた。また、「トラウマとは出来事それ自体ではなく、出来事を見る方法である」というユング派の精神分析家のヒルマンの言葉を引用し、こころは出来事を使うと述べた。その具体例として、感染拡大以降の求職者の中には「コロナが免罪符となり気が楽になった」と話す人がいたことを挙げた。さらに、心理療法家としては、コロナで頻繁に聞くようになった「三密回避」について、コロナ以前から聞いたことがあるという感覚を持っていたと述べた。その例として、葛藤を抱えられずに悩むことができない学生の存在を指摘した。彼らの生活様式には、自分の中で抱え込むはずの思いをSNSでさらけ出す「密閉回避」、集団から距離を取って孤立する「密集回避」、親密な関係を回避する「密接回避」が見られ、これらによって彼らは不安を抱えられないと述べた。こういった心理的な「三密回避」がコロナ以前から存在していて、コロナによって物理的距離を保つ必要が出てきたことで、問題が加速し、外在化したと指摘した。

最後に、コロナ危機がこころに与える影響について、複数の分野からの見方を踏まえた上で、講演した3教員と河合俊雄・京大こころの未来研究センター長が討論を行った。

「京都こころ会議」は、2015年4月に発足し、複雑化した現代世界に生きる人間のこころの究明を試みながら、シンポジウムを開催してきた。2020年度は、「こころと限界状況」というシンポジウムを秋に予定していたが、2021年10月17日に延期となり、今回のテーマでの開催に至った。当日には、約350人がオンラインで視聴した。(凜)

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