文化

〈書評〉『戦争と農業』 藤原辰史

2017.11.16

「食」から世界を物語る

我々が生きていくために必要な行為は「食」であり、その「食」を支えるのが「農業」であり、同じく生きていくために欠かすことができない。本書では、我々にとって最も身近である「食」「農業」を根幹に据え、題名にあるような農業と戦争の関係というミクロな視点から、食を通して今我々が抱えているマクロな問題にまで話を展開していく。講義形式の形態をとり、敬体を用いた丁寧な語り口で説明を進める一冊だ。

本書は六講の構成となっており、まず第一講、第二講にかけて、農業と戦争それぞれにおける技術史について説明をしている。ここで筆者は、戦争と農業を思いもよらない観点から結びつける。技術の中には農業にも戦争にも使えるものが存在しており、農業の技術が軍事技術の発展につながり、また逆に軍事技術が農業に転用されることもあるのだ。具体的には、トラクターの製造に使われていた技術を戦車の製造に用いること、化学肥料を作る技術で火薬を作り出すことなどが挙げられる。このデュアルユースと呼ばれる対応関係を、筆者は分かりやすく説明している。京大では米軍研究費の受け入れについて問題になっているが、この問題を考える際には「デュアルユース」という概念を外すことはできないだろう。

第三講では食という行為から民主主義について論を進める。印象的だったのが、福祉政策の中心に食を据えるべきだという提言だ。確かに毎日の食事を保証することは安心感を与え、それは幸福のためには必要であり、この考えには強く同意する。そののち、第四講で今抱えている食の問題について、栄養価が低く健康に悪いジャンクフードなど企業に利潤が出るための仕組みができてしまっていることや、飽食と飢餓の二極化が進んでいるということを挙げている。今回は問題点のあぶりだし方については述べないが、砂時計モデルというのを用いた秀逸な説明がなされていた。

第五講では問題解決に向け、一度原点に戻り、食べることとは何かについて定義しなおす。筆者は、自然と人間の繰り広げる広大な網へ参加することだ、と定義していた。この章には、「どこまでが食べる行為?」という見出しがあったのだが、15分ほど考え込んでしまった。読者の方はどのように考えるのだろうか。

そして、最終章では、食べることを面倒だと感じている現代人を引き合いに出し、育てることに主眼を置く遅効性を求めるべきだという意見をまとめる。そして、我々がどのように行動するかまたは何を考えるべきかについての筆者の考えが述べられる。その一つに挙げられていた「食べる場所は、情報収集や知を鍛える場所であり、アイデンティティーを見つける場所である」という表現は、一人でスマホを使いながらご飯を食べることの多い我々に特に説得力がある。他の例もいずれも理にかなった方法であり、筆者の独自性が本書で最も表れていると感じた。

本書を読むことで、読者は知識の習得だけでなく「食」について考えるきっかけを得ることができる。ぜひ多くの人に読んでほしい。(轟)

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