文化

浪人とはなにか? ―高校と大学の狭間で―

2016.01.16

高校生にとって、今だ経験したことのない浪人。その実態は、謎に包まれている。ここでは3人の浪人経験者が自らの体験を語ることで、知られざる浪人について解き明かしていく。これを読んで、浪人について少しでも考えて頂けたら幸いである。

キミも本気で浪人してみないか?

浪人……なんて美しい響きなんだろう。私にとって浪人は、あまりに甘美な思い出なのだ。とはいえ、多くの受験生にとって、浪人は絶対に避けたいものであろう。しかし、私は浪人の経験者として、浪人ほど素晴らしいものはない、と確信している。なぜなら浪人は、絶対不可能と思われる志望校合格への道筋を、切り開くことができるからだ。この体験記を読んで、一人でも多く、浪人を決意する者が現れてくれるならば、幸いである。

さて、何から話そう。ともかく、私は現役時のセンター試験で、900点満点中493点しか得点することが出来なかった。もちろん京大入試は足切り。私大を受けなかったこともあって、その他大勢の人よりも、1か月ほど早く浪人が決定した。もともと全国模試の偏差値は、20台と30台の間を推移していたこともあり、当然といえば当然だった。そもそも高校時代は、家庭学習はおろか、授業すらまともに受けたことがなかったのである。

その年の4月、浪人するのは1年だけ、と親に約束して、私は予備校の門を叩いた。それを機に、このままではダメだと思い立ち、1年間、死ぬ気で勉強をやり抜くことを、己に誓った。そのときは、勉強をやれ、勉強をやれ、となんだか背中を押されているような、妙な感じがした。今まで、勉強意欲を一度も感じたことがない私にとっては、初めて襲われる不思議な感覚だった。

言うまでもなく、それからの努力は凄まじかった。暇さえあれば、常に勉強をするよう、強く心掛けた。机に座ってないときでも、ありとあらゆる壁に英文や公式を書いた紙を貼って音読した。お風呂、トイレ、冷蔵庫、電柱……。

電車で音読、公園で音読、通塾路で音読した。公園のベンチに横になりながら、空中に指で英語を書いた。1日に16時間勉強するのが、次第に当たり前となり、調子がいい時には、18時間を突破するほどであった。夢の中にまで参考書が出てきて、目が覚める頃には、もうその参考書の復習は終わっている、という現象が日常茶飯事となりつつあった。このような極限的勉強スタイルを実践してから、まるで別人のように頭が冴えだした。偏差値が40の壁を越え、そして50台に乗り、やがて60を突破するまで、大して時間はかからなかった。

私はいつの間にか「優等生」になっていた! 高校の時、「一度でいいからあなたが勉強する姿を見てみたい」と、母親に泣きながら言われたのも今は昔。気が付けば、英語も、国語も、数学も、すべて京大合格に手の届く範囲となっていった。

そうして来たるセンター、二次試験の両方を突破した私は、見事、京都大学に合格することが出来た。至誠天に通ず、とはまさにこのことだろう。高校の友人は、皆、私の合格に対して「ありえない」と連呼していたが、不可能を可能にするのが浪人なのだ。一人でも多くの受験生が浪人し、憧れの志望校合格を掴み取ってくれることを、願ってやまない。(河)

おまえも浪人生にしてやろうか!

すべての現役生へ、現役合格が正義だと思い込んではいけない。すべての浪人生へ、なにも浪人したことを愧じる必要は無い。浪人というのは、うっかり現役合格してしまった人々は決して経験することのできない、貴重なモラトリアム期間なのだ。

「浪人生に休日はない」などという根性論がはびこるこの世の中。私が通っていた某K予備校(通称・監獄)にも、似たような文言がでかでかと貼り出されていた記憶がある。土日も休まず予備校へ通い、文字通り朝から晩まで勉強に打ち込んでいたある夏の日、突如ある疑念が頭をもたげた。「青春の白銀の扉を開いたばかりの19歳の夏という期間を、果たして勉強なぞに費やしていていいのか? もっと見るべき世界が外には広がっているのではないだろうか?」それからというもの私は、土日は必ず予備校を休み、家で睡眠学習に没頭するようになった。

この悟りが私にとってたいへん大きなものであったことは間違いない。本来休日である日にわざわざ登校して勉強することに如何ほどの価値があるというのか? 読書、外食・ゴロ寝など、やりたいことをやる方がよっぽどしあわせになれる。苦労すれば成功できるという考え方をもししているのなら、今すぐその考えは捨てておしまいなさい、と私は自分に言い聞かせた。今この瞬間がしあわせに感じられない以上、たのみのない未来のために必死こいて準備をするのはむなしいことなのだ。こういうことを言うと高校や予備校の教師からの評判はうなぎ下がりなのだが。

浪人という期間を経ることで、自己の世界観が刷新されるということは往々にしてあると思う。高校や大学に縛られた生活は窮屈だ。勉強や交友関係に絆されて、自己の解放を実現できないまま学生生活を終えてしまうのは実にもったいない。

浪人生は高校生と大学生の境界に属する人間、いわばマージナル=マンなのである。このきわめて繊細で哲学的な時間を利用しない手はないだろう?さあ諸君、今こそ参考書を捨てよ。そして、町へ出よう。(杏)

やっぱり諦めが肝心 合格の先に見えるもの

忘れもしない2011年3月10日、家族に車で連れて行かれて合格発表を見に来ると、そこに私の受験番号はなかった。口を利くことなく家まで帰り、布団を被って長いこと眠った。翌日の午後4時を回った頃、ようやく布団から抜け出してテレビをつけると、画面の向こうは大騒ぎとなっていた。東日本大震災が起こったその日、私は浪人になっていた。

宅浪を決め込んでいた私に対し、母は予備校の案内を差し出した。理数の受験勉強をまた一年続けるのは苦痛だったものの、文転の一年間に賭ける度胸もなく理系コースに入学。年間およそ100万円の授業料が心に重くのしかかる。こうして負債の意識に満ちた予備校通いが始まった。

浪人の一年間は長くてきつい。これから始まる空白をいかにして埋めようかと思った。しかし予習に復習にと一日は泡のように消えていった。趣味の語学は続いたものの、あとの時間はゲームやネットで気晴らしをする他なかった。

怖れていた空白は自然と埋まったのに、思い返してみると当時の記憶がまるごと滑り落ちている。思い返すべきことは何もない、精神の鍛練だなんてとても言えない。

結局は一年二年浪人して志望校に入るより、とにかく大学生になった方が得るものは大きいのではないか。仮面浪人するために私大に入学し、なんだかんだ言っても楽しそうな知人の話を聞くと、そう思うことがある。もっとも重要なのはその身分ではなく、そこで作られる人間関係だろう。浪人の一年間よりも、入学した学部学科を自分の中で受け入れられず、クラスやサークルを通して友達一人作らなかった大学での三年間の方が、私にとってはずっと大きな損失だったのかもしれない。

高望みはしないでおこう。落ちたら潔く諦めよう。今の状況に見切りをつけて、早めにスタートを切るべきだ。こうでしかない自分を受け入れ、身の程をよく知っておくことだ。京大生だから驕っているのではない。この私自身が苦労しているからである。

2012年3月10日、入試日以後はニートのように暮らしていた私は、その日も自宅でニュースを見ながらそうめんを食べていた。せっかくだから一応確認しておこうと母親に言われ、私は死んだ目で合格発表のページをスクロールしていた。思わずもそこに私の受験番号があったがために、今も私は良くも悪くも身分不相応な学生生活を送っている。(交)

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