企画

京都大学新聞社 編集員が綴る 大学受験体験記2026

2026.01.16

受験に立ち向かい、長いマラソンのラストスパートに差し掛かった受験生へ。

これはかつての受験生たちが、応援の思いを込めた1ページだ。

まざまな思いをいだいているとは思うが、時に
くらく先が見えないと感じる日々もあと少し。
いごまで駆け抜けるあなたに向けて、4名の編集員がつづるそれぞれの
いけんが、背中を押せるなら幸いだ。(編集部)

目次

ためらわず、まっすぐに
駑馬どば十駕じゅうがすれば則ち亦之に及ぶ
愛と勇気を味方につけて
他人の評価に惑わされないで


ためらわず、まっすぐに


京大なんて、と思っていた。手が届くはずもないし、第一に地元・新潟からは遠すぎる。「地方公立高校から東大・京大を目指すならそれなりの覚悟が要る」と聞いたことがあるが、そこまでできる自信もない。それでも、きっと好奇心に答えてくれる京大に行けたらどんなにいいかと憧れる思いは、高2の私の胸に燻っていた。

「掴み取りに行く気概がなきゃ幸せになれない」。京大への憧れを決心に変えた言葉だ。高2の冬、ずっと白紙で出していた進路志望の欄をみて、副担任の先生は私に言った。「結局欲しいものを欲しいと言って掴み取りに行く人が、恋愛も進学も就職もうまくいくんだよ。あなたは遠慮して黙っているタイプでしょ?」つい遠慮してしまいがちな性格を見抜かれていたことに驚いたと同時に、視界が開けた思いだった。欲しいのだから素直に目指してみようと決めたこの日が、京大への道のスタートラインだったと思う。幸いなことに、私が決意さえすれば遮るものは他になかった。

京大への切符は、私が今までに望んだものの中で最も手に入れるのが難しいものだった。お気に入りだった図書室の右角の席から見える松林に沈む夕日と、どこかで鳴る17時のチャイムは、私にとって一日中勉強を頑張った証だった。塾に通わず手探りで進む受験生活に不安はつきものだったが、私には真摯に向き合ってくれる先生たちがいた。私が納得するまで労を厭わず付き合ってくれ、苦手だった数学を「頑張ってね」ではなく「頑張ろうね」と声をかけてくれた。進む道は違えど、降りしきる雪を横目にともに机に向かい、時に弱音を吐きあい、冗談で肩の力を抜いてくれる仲間がたくさんいた。家に帰れば、身体が資本だと食事に気を遣い、受験が近づいてもいつも通りの生活をする、いい意味でのんきな家族が支えてくれていた。両親は「頑張れ」ではなく「頑張りすぎるな」と口癖のように言ってくれた。どんな時でもメンタルが安定していたのは間違いなく周りの人の温かさのおかげだ。その有り難さに身が引き締まるような、少し泣きたくなるような思いを抱いたことを今でもよく覚えている。

自分で進みたい道を選んでも、それを叶えるためには他人から選ばれなければいけない。受験なんて不条理だ。そう怒ってみたこともある。けれどもそれに向き合っている期間が見せてくれたものは、今思えばたくさんあった。欲しいものを欲しいと言えること、手に入れるために全力を尽くせることは、実は大きな幸運だ。誰もが持てるものではない。その幸運を手にしたことが、努力の量や質よりも何よりも、長い受験期をたたかう強み、励みになるのではないか。「そんなの綺麗事で、なんの武器にもならない」と鼻で笑われるかもしれないが、自分は不利な状況にいると追い詰めるよりも、自分は幸運だと思って試験に臨んだ方が前向きでいいじゃないか、とでも反論しておこう。

最後に一つ。自信を失いかけた時は、あなたを信じてくれる周りの人を信じてみてほしい。きっと、力が湧いてくるはず。(悠)

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駑馬どば十駕じゅうがすれば則ち亦之に及ぶ


京大を目指すと決めたのは中学生の頃だったと思う。はっきりとは覚えていないが、身近に史跡がある京都で歴史を学びたいと思ったことがきっかけだろう。もう一つ挙げるとすれば、父が京大出身だったからではないか。父は私にとって「すごい人」だった。数学の問題をただ解けるだけでなく、複数の解法を思いつくのだ。そんな父を育んだ京大の環境に憧れていた。

高1から受験勉強を始めたが、数学や国語に苦戦した。数学は模試では3、4割しか取れない期間が長く続き、それが原因で、父には京大を諦めたほうがよいともいわれたこともある。それでも絶対に京大に行きたいと思い、標準的な問題を何度も解き直した結果、かろうじて戦えるレベルまでにはたどり着いた。国語は特に現代文が伸び悩んだ。何をやれば成績が伸びるのか見当がつかず、国語に向き合うときはいつも暗鬱としていた。一方、英語や社会は好調で、特に社会は模試で全国上位を取るなどかなり自信のあるものになった。今振り返ると、社会は自分の中での「精神安定剤」だったのだと思う。

共通テストはうまくいかなかった。1日目の地理歴史の一科目めでは頭がぼうっとして集中できなかったし、国語の時間配分を間違え小説を焦りながら解く羽目になった。2日目は数ⅡBの確率統計の問題で撃沈した。帰りの電車の中で、周りの受験生の顔が明るいのを見て惨めな気持ちになったのを覚えている。自己採点の結果を共テリサーチに出したが、DやEばかりで落ち込んだ。どこに出願するかも悩んだ。前期は絶対に京大に出すつもりだったが、後期は正直安全校に出すか迷った。しかし京大に受かる確率を少しでも上げたいと思い、それでも前期・後期ともに京大に出願した。

休日は昼ごろにようやく塾に行くという今までの勉強スタイルでは合格できないと思い、二次試験まで毎日朝5時台に起き12時間勉強することを決意した。二次試験までの私を支えてくれたのは学校だった。毎朝7時過ぎに登校し、自習室に向かう。これまで逃げてきた国語に立ち向かい、本文中の根拠に基づき解答することを徹底して過去問を解きなおした。国語も英語も日本史もしつこいぐらい添削を頼みに行ったが、先生はいつも粘り強く付き合ってくれた。勉強の息抜きとなったのが、11時頃に行く学食。先生用の温かいお茶を特別に飲ませてもらったり、ふらっと食べに来た先生と話したりした。

健康管理にも一層気をつけた。朝起きたらまずコップ一杯の「水」を飲む。これにより腸の蠕動運動が活発化し、目覚めるのだ。朝食では肉や卵などタンパク質を取ることを忘れないようにした。試験時の昼食もあらかじめ決めた。私はおにぎり2つ・サラダチキンスティック・豆腐と枝豆のひじき和えという3点セットをコンビニで買うことにした。京大受験のときに焦らないよう、併願校を受ける際にもシミュレーションした。

いよいよ二次試験がやってきた。この日も朝5時に起き、宿泊先から京大まで歩いて眠気を覚まし、イギリスのロックバンド・QUEENの『Don’t Stop Me Now』を聴いて自律神経を整えた。無事に着いたものの、試験はトラブルだらけだった。試験開始直前に湯島天神の格言が記された鉛筆を誤って机に出してしまい、危うく不正行為になりかけた。得意な英語で解答欄を間違えたため、最後まで解き終わらなかったときには本当に絶望した。しかし休み時間に教室の外に出て屈伸運動をしたとき、同じように屈伸運動している受験生を見つけ、少し勇気づけられた。最終科目の日本史で満点を取って合格してやると意気込み、なんとか走りきることができた。そして迎えた合格発表日。2・71点差で合格をつかみ取った。

最後に、試験に向かうあなたに次の言葉を贈りたい。

”Your concept of failure is not too far away from someone’s concept of success, so high have you flown.”

私の恩師が受験直前に会ったときに教えてくれた。カンマ以降がso that構文の倒置だということだけ明かしておこう。意味は共テが終わったらじっくり考えてみてほしい。(鳥)

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愛と勇気を味方につけて


高校に入って1年半くらい、私には友達が全くいなかった。受験で猛勉強を終え、一息つけるかと思ったら高校でも勉学で競わされる。私は帰宅部だったが、他の人たちは部活でキラキラな青春を送り、それでいてテストでも私を軽々飛び越えていく……。そんな世界で心が擦れて、誰にも心を開けなくなったのだ。学校では一言も喋らず、放課後は家に帰ってスマホを触り続ける毎日。腐っていたから定期考査の勉強は赤点を回避する程度しかやらなかった。トップ大学に入る夢は半ば諦めていた。

心が腐ると世界の全てを呪いたくなる。友達が多い奴が大嫌いだったし、行事ごとで一致団結を謳う奴には寒気がした。昼休みに教室の中央を支配し、大勢でガヤガヤ弁当を食べている奴は地獄に落ちればいいと思っていた。当時は人生が本当に楽しくなかった。

転機は2年生の修学旅行のときだ。鳴門海峡うずしおクルーズの船内、船べりに群がってはしゃぐ同級生を傍目に、私は離れたところで突っ立っていた。そこにクラスメイトの一人がやってきた。彼はサッカー部のイケメン。私が真っ先に呪う側の人間だ。ほとんど喋ったことはなかったが、何の気まぐれか彼は私に話しかけてきた。他愛無い話をしたあと、彼はこう言った。

「暗い顔してるなと思ってさ、そんなのもったいないよ。」

普段なら余計なお世話だと切り捨てるところだが、彼のさらりとした言い方に、思わず真正面から受け止めてしまった。うずしおを前に笑い合う同級生の端で、眼前の絶景に目もくれず暗い顔をする自分。客観視した途端に恥ずかしくなった。目の前の幸福をつかみ取る労をも厭い、不幸に甘んじていたことに気付かされた。そのときようやく「楽しい人生のためには腐っていてはダメだ」と理解できた。

京大受験は、腐った自分を変えるために私が下した大きな決断だった。中毒状態だったSNSはきっぱりやめ、放課後には同じく京大を目指していたクラスメイトを誘って教室で勉強するようになった。私が斜に構えず向き合えば、クラスメイトはみな優しい友達になってくれた。みんなで食べる昼食の格別な美味しさに気付くのが遅すぎたことは、後悔してもしきれない。腐らなければ幸せはどこにだって転がっていた。

ずっと一人でいた私にとって、友達のありがたみはひとしおだった。腐っていたころの怠惰は私の首をきつく絞め、模試ではC判定より上を取れないままだったが、友人が「本番までに絶対伸びる」と励ましてくれたから走り続けられた。試験前日は精神的に落ち着かず、試験に集中できるかさえ不安だったが、友人が「お前なら受かるよ」とLINEで背中を押してくれたおかげで、前を向いて全身全霊を出し尽くすことができた。

「愛と勇気だけが友達さ」。一見変なことを歌うアンパンマンは、実は真理を突いているのだと思う。受験期の私にとって、毎日教室で駄弁り、辛い時に励まし合う友達は、愛と勇気が具現化した存在だったし、彼らがいるだけで十分、前に進む理由になった。

受験という敵に追い詰められて、涙で顔が濡れ、力が出ないときもあるだろう。そんなときには友達に甘えるのが一番だ。きっと愛と勇気があなたを包んでくれる。友達が辛そうだったら助けてあげるのも忘れずに。試験当日、仲間と駆け抜けたあなたが元気100倍でパンチを放てるよう祈っている。(梅)

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他人の評価に惑わされないで


「これは落ちたなぁ」。二次試験の数学を解いている時の正直な感想だ。数学はそれほど苦手ではなかったはずだが、4問全て、手も足も出なかった。予想通り、数学が足を引っ張って不合格となった。京大ではなく東大に。京大受験に詳しい方なら気づいたかもしれないが、近年の京大数学は全4問ではない。私が解いていたのは東大文系数学だった。では、どうして現在京大に在籍しているのか。浪人したわけではなく、後期試験で京大法学部に受かったのだ。

2024年度入試まで、京大では法学部だけが後期日程に特色入試を実施していた。共通テストの成績や小論文などによって合否が決まる。

東大受験が終わってすぐに、小論文の対策に取りかかった。ここまで頑張ってきたからには、諦めることはしたくなかった。受験から解放された同級生が卒業旅行の計画を立てるなど浮かれている中、高校の自習室に通う毎日だった。少し前まで勉強に励む受験生で埋め尽くされていた自習室はすっかりがらんどうだった。

後期試験2日前に東大の合否が発表された。やはり、自分の受験番号はなかった。もしかしたら受かっているかもしれないというわずかな希望も否定されてしまった。とは言え、受かっているわけがないと覚悟していたので、すぐに勉強に取りかかれた。

後期試験は午後に実施されるから、東京に住んでいた私は新幹線で当日京大に向かうことにした。家を出る時にポストを見たら、ハガキが1枚入っていた。送り主を見ると東京大学と書いてある。不合格者用の点数開示のハガキだ。点数を見るか迷ったが、どうせ落ちているのだからと点数を見た。残り8点だった。流石に動揺したが、泣いている暇はなかった。初めての京大のキャンパスに胸を躍らせた勢いで試験を乗り切り、なんとか合格することができた。

今回の体験記で伝えたかったことは最後まで諦めないことの重要性だけではない。他人の物差しを捨て、自分の興味で志望校を選ぶべきということだ。

文科一類を目指して勉強してきたが、振り返れば「東大文一」という記号に執着していたのかもしれない。「東大は日本で一番だから」。大学の中身ではなく、偏差値の頂点という記号、そして周囲からの称賛に憧れていただけだ。こう感じたのは、東大に落ちたのが確定した時だ。自分がどうして東大に行きたかったのかを自問自答したとき、それぐらいの理由しか出てこなかった。

そんな空っぽの私を救ってくれたのは、京大出身の高校の先生がくれた言葉だった。「東大もいいが、京大は『面白い』ぞ」。先生は、京大の自由な学風や、一見役に立たないことに真剣に取り組むアカデミズムの面白さを語ってくれた。その時、私の中で偏差値という他人の物差しが消え、「面白そう」という自分の物差しが生まれた。もし私が、東大への外部評価だけの状態で後期試験を受けていたら、残り8点という事実に心を折られていただろう。東大でなければ意味がないと腐っていただろう。しかし、先生の言葉を通じて京大で学びたいという具体的な興味を持てたからこそ、私は8点の悔しさを振り切り、前を向いてペンを動かすことができたのだと思う。

憧れを持つのはいいことだ。だが、その憧れが「人からすごいと思われたい」という外部評価に基づいているなら、それは危険だ。逆境に立たされた時、その動機はあまりに脆い。早く大学の中身を見てほしい。そしてここが面白いという自分だけの理由を見つけてほしい。そうして選んだ道ならば、たとえあと8点で涙を呑むような挫折があっても、必ず次の場所で花を咲かせることができるはずだ。(法)

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