企画

浪人体験記2026

2026.02.16

あせつては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。
―夏目漱石

目次

合格、理論上は。
(不誠実な)浪人のすゝめ
泥臭さこそが誠実さ

合格、理論上は。


終わってみればあっけなく、今となっては浪人期の記憶は曖昧である。記憶のストレージには大学に入ってからの思い出が記録されていき、暗くどんよりとした浪人期の記憶は優先的に削除されているようだ。本当に都合のいい頭だと、我ながら思う。その記憶を思い起こそうというのだから、浪人体験記を書くのは正気の沙汰ではない、とも思う。

私の通っていた高校では受験シーズンが終わると、高校1年生に不合格体験記なるものが配られる。当時の私は2年後の自分が同じものを書いているとはつゆ知らず、勉強不足への後悔だとか、やってはいけない勉強法だとかをつらつらと書き連ねている先輩たちを友人と嘲笑していた。部活を引退してから頑張って勉強すればどんな大学でも受かるという「神話」にすがり、「今しかない青春」を謳い文句に部活、体育祭とイベントを満喫し、気が付いた時自分の目の前にはE判定の文字だけが残った。高3の11月である。そして次に気がついた時には、目の前には不合格の3文字だけが残り、通学先が予備校へと変わっていた。

浪人期の生活は両親の協力のお陰で非常に規則正しいものとなった。予備校が開くころに予備校に到着し、授業を受け自習室にこもり、自習室が閉まる頃に帰る。週に1回程度友人と近くの公園に走りに行き、気分転換をする。授業で分からないところがあれば、講師に聞きに行き、余裕がある時は英文の要約を作成し講師に見てもらっていた。「真面目な」浪人生である。

ここからは「真面目な浪人生」の私からアドバイスをさせていただきたい。合格のために私は何度も戦略を練った。京大の過去問に目を通して合格にはどういう能力が必要かを分析し、その習得に必要だと思われることを日頃の予備校の授業の予復習に落とし込む。そうした緻密な戦略を立て、私は何も勉強しないまま浪人初日にして「理論上の」合格を確信した。あとは実行あるのみである。ここで重要なのはルーティン化と持続性だと私は思う。まず1週間の計画をたてる。私の場合まず、予備校の授業を記入し、その予復習の時間を次に記入する。その後、英単語や古文単語など授業の予復習ではカバーしきれない部分の計画を記入する。持続性のために息抜きの時間も予定表に記入する。こうして作り上げた予定表を毎週同じように実行する。計画は狂う前提で少しゆとりをもたせ、模試の結果などを踏まえて適宜計画を変更する。大切なのは「理論上の合格」に必要だと考える必要最小限のことを確実に実行し続けることである。模試でそれが揺らいだ時はどうするか。原因を分析して、もう一度プランを立て直し、実行すればよい。模試で良い判定が出たならば、プランは正しいはずだ。それを実行し続けることによってのみ合格が手に入る。

ここまでなんとも胡散臭いアドバイスをしてきたが、この方法でやれば「理論上」は合格するはずだ。責任は負わない。健闘を祈る。(仁)

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(不誠実な)浪人のすゝめ


先日、生まれてはいないが育った町・松本のハタチの集いせいじんしきに出席した。臥雲義尚市長が、「20代のうちに経験しておいた方がよいことは『挑戦と浪人』である」と語った。どよめく松本市の20歳。2年に亙る浪人を経験し、成人式には出席できなかった苦労人の市長からの警句に私は胸を打たれたが、大多数の20歳が訝しむのも、あるいはもっともである。何回もやって成功するより、1回で成功した方がよくない?

私事で恐縮だが、というか以降全部私事だが、私は現役時代、小数点以下のデッド・ヒートの果てに一敗地に塗れた。思い起こすに、僅差であったがゆえに、浪人期には100%の力を尽くして勉強する心理になれなかった。朝から晩まで予備校に籠城して自習するなぞ模範的受験生の特権、と思いつつ日の落ちる前に帰宅した夏の日々。ただし、万事快調に浪人期を過ごせたかというと、必ずしもそうではなかった。

私が実際に戦ったのは、学力面というより精神面である。ストレスが胃腸にくるタイプなので、朝飯を食べたあと妙に気色悪くて寝込む、という日が秋頃頻発し、そのたびに私を陥れた共通テスト日本史B(当時)の、ある土器を「甑」かどうか見分ける問題を恨んだ。幸いにも年が明けると、結末が近づいて却って開き直ったのか、そういう日は減ったが、何らかの方法で不調をごまかしたい。私の場合の仕法とは音楽で、ロックバンド「緑黄色社会」の楽曲をリピートして「自分は強い」と思いこんだ。パワフルな曲調で「人生捨てたもんじゃない」というメッセージを流し込まれると、根拠はないがどうにかなる気がしてくる。共テも2次試験も、移動のときから聞き通した。英語でも聞いた方が力になりそうだが、精神が追いつかなければできることもできなくなる。

加えて強調したい点がある。浪人が「やり直し」に尽きるというのは、まったくの誤解である。浪人時代の勉強は、知識を増やすというよりも、箱の中にぐちゃぐちゃに詰めて雑然と記憶していた知識を整理するために、新しく「仕切り」を入れたというイメージである。箱に空きができたので、私はそこにthreshold(閾値)という単語を入れておいたのだが、大学はこの言葉が非常に好きなようである。雑駁たる知識のまま入試を突破できる猛者(!)もいるが、大学はほかでもなく、新たな知識を迎え入れる場所だ。その空き容量を確保するために高校のときの知識を1、2のポカンで忘れてしまうのは、否定はしないがもったいない。

要するに、自己研鑽として浪人には意義がある。修業とも近い。しかし、修業と違って、勉強では絶えず周りに気を散らされる。例えば騒音だ。先ごろの選挙なぞ大いに受験生を苛立たせたに違いない。街頭演説や選挙カーに「うるさい政治家糞食らえ」と思いながらも勉強し続けた受験生は、既に一つのthresholdを超えたと思う。(轍)

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泥臭さこそが誠実さ


私が新元号の発表を聞いたのは、某大手予備校・K塾福岡校のロビーだった。そこそこの成績で京大文学部を受験、順当に落ちて順当に浪人を決めたのが2019年3月。リベンジを果たしたのはその翌年のことだ。今や修士課程2回生、喉元過ぎた熱と言えばそれまでだが、私の浪人生活は総じて充実したものだったように思う。

そう感じるのは予備校の先生方との出会いがあったからだ。そもそも予備校講師は人気商売、京大志望クラスを教えるのは激しい競争を勝ち抜いたベテランの面々で、当然授業は面白くわかりやすい。加えて皆個性的で、例えばある世界史講師は学生運動による逮捕歴のため、高校ではなく予備校に職を得た人だった。「全ての学問は戦争を止めるためにある」と語るその先生の授業は臨場感にあふれていて、ナチスの所業やベトナム戦争の悲惨さを聞いて感じた痛みは、今でも胸に刻まれている。生徒の興味に対しても前向きで、ある英語講師は私がシャーロック・ホームズの原書を読んだと話すと、アメリカの名コラムニスト、ボブ・グリーンの作品をすすめてくれた。そして皆、入試改革や政権について、授業中に平気で文句を言う。公の場で政治批判をする教育者の姿は、堅実な公立高校に通っていた私にとって新鮮だった。部活の友人が同じクラスにいたため孤独感もなく、成績も順調に伸びたこともあって、苦しみよりも楽しさが勝る思い出になっている。

浪人経験をコンプレックスに感じたのは、むしろ大学入学後のことだった。自分はマルチタスクが苦手で、一定期間にひとつのタスクにしか集中できない。しかし大学にはやたら要領がいい人がいて、サークルに研究にバイトに趣味にと、同時並行的に時間を使っている。特にすごいなと思う人と受験期の話をすると、現役合格でありながら、LINEまで消して勉強していた自分よりは余裕があったことをうかがわせる。なるほど、情報の吸収と処理の速度が全く違うのである。能力の優劣自体を引け目に感じるのではない。自分は彼ら・彼女らと比べ、人生で成し遂げられることがずっと少ないのではないかと、怖くなるときがあるのだ。

しかし、弱気な自分を支えるのもまた、浪人経験で得た気づきだった。まずひとつ。少なくとも自分にとっては、下手に効率を求めるよりも、とにかく時間をかけてみるのが確実なやり方だということ。そしてふたつ。自分が決めた目標に自分の実力が足りていないとき、その不足分を埋めるため努力するのは当然だということ。なぜならその目標は、ほかならぬ自分が決めたことだからだ。受験であれ学生生活であれ、「自分はこうしたい、でもやっぱりできない、どうしよう」とうじうじして進まないのは、自らの選択に対して誠実とはいえないだろう。

私は今東洋史学の道に進み、この冬に博士後期課程進学を決意した。歴史学は集めた史料を読んで論を立てるが、例えばテキスト分析が主でセンスが必要な文学研究よりも、手数をかけてこつこつ進めるやり方が有効な学問と言える(と、私は考えている)。いずれにせよ、泥臭く時間をかけることこそが、私が自分の研究に対して守ることのできる誠実さなのだ。そう思えるのも、浪人を経験したからこそだ。目標達成にかける時間、手段、方法が人によって違うのは当然で、何が自分の支えになるかはわからない。受験生の皆さんはぜひそれを忘れずに、自分自身ができることを信じて、頑張ってもらいたい。(凡)

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