ニュース

爆笑問題、教授と激論

2008.03.16

2月15日、京都大学法経第四教室でNHK「爆笑問題のニッポンの教養・京大スペシャル」の公開収録があり、爆笑問題と尾池和夫総長ほか6人の京大教員が「独創力」をテーマに討論した。

「爆笑問題のニッポンの教養」は、07年4月よりNHK総合テレビで放送されている番組。漫才コンビの爆笑問題(田中裕二・太田光)が各界の研究者とトークする内容。06年5月に東京大学で行われた「新入生と考える〈教養〉問題」と題したシンポジウムが番組開始のきっかけで、07年9月には慶應義塾大学でも「2030年の社会」をテーマに討論が行われた。

来場者は450人を超えほぼ満席。爆笑問題の二人が尾池和夫総長と共に入場すると歓声が起こった。京大からの出演者は尾池総長のほか、佐伯啓思(人間・環境学研究科)、阿辻哲次(同)、鎌田浩毅(同)、小山勝二(理学研究科)、山極壽一(同)、中辻憲夫(物質-細胞統合システム拠点長)(=いずれも教授、敬称略)の各氏。

一つ目のテーマは「独創性の条件」。議論が始まると、太田氏が「独創性のある人間は大学では受け入れられないのではないか」と提起した。「学生がとんでもないことを言い出したら教師はどうするのか?」との問いに対し、教授らが「証拠を出し合っていくのが学問。科学では新しい証拠が出て変わることを楽しむ」と答えると太田氏は「楽しめない」と真っ向から反論、「科学はルールと方法の下で仮説を立てるもの」とする教授らに「ルールや方法の下でしかできないことは科学の限界だ」と食い下がった。太田氏の執拗な挑発に「議論ができない」と教授が声を荒げ、白熱した展開となった。

二つ目のテーマは「どうすれば独創力は育めるか?」。教授陣から「独創のためには、批判をしつつ力を育む雰囲気と場所が必要」という意見が出ると、太田氏は「それは今の京大にあるのか」と質問。教授らは「京大は昔から反権力の精神だった。いまの権力を疑うのが独創というもの。京大は相対的に見ていいほうだ」(小山氏)、「京大は東大よりいい。競争して成果を出さなければいけなくなることに危機感がある。成果は出せても独創がなくなってしまう」(佐伯氏)などと答えた。「講義で出席は取らない。出ていない人は自分のことをしているから学生は放っておくべき。学生への締め付けが厳しいのは問題」(阿辻氏)と京大らしい意見も。

会場の学生が太田氏と議論する場面もあり、討論は予定時間を超え3時間以上に及んだ。討論を終えて教授らは「独創とは『おもろい発想プラス一般化する力・意欲』。今の京大には『おもろいやろ』、と言う力がない」(山極氏)、「伊達や酔狂と言うが酔狂で研究するのはいい。しゃかりきになるより酔狂に構えたらどうか」(阿辻氏)、「生きた時間を共有し台本が無いのが独創」(鎌田氏)、「独創力を養うことができたら苦労しない。好きなもので、かつ社会に役立つものをつきつめたらいい」(小山氏)などと結んだ。

「京大スペシャル」はNHK総合テレビで3月25日22時から放送予定。



◇過激な質問者としての爆笑問題と「ニッポンの教養」~収録後の会見から~

「文系と理系の枠を取り払った知のサロン」―いかにも京大のことのように聞こえるが、これは太田光氏が「ニッポンの教養」開始時に提唱していたものだ。サロンといっても、「ニッポンの教養」で太田氏と研究者が激論を交わす場面がしばしばあるように、京大的な穏やかなサロンとはやや雰囲気が違う。今回、議論の大半は「独創的であることを、大学および本人が堪えることができるか」という問題に終始したが、太田氏の挑発によって議論は「ぶっちゃけた」ものになった。収録後の会見で爆笑問題が「学生に熱気があった。前のめりになって聞いてくれたからこちらも盛り上がってしまった」と感想を述べる一方、教授の方も「ハイテンションになって噛み付いてしまった」(小山氏)と述べるように、うまく乗せられた形となった。

会見で太田氏の理想の「知のサロン」のあり方について聞くと、答えは意外にも「テレビ番組」だという。「他の活動もしているけどテレビの仕事が一番楽しい。大学の先生も、政治家も、ありとあらゆる人が出て、その場で喧々囂々やれて、視聴率が悪ければ終わるという構造のテレビが健全な気がする。サロンを作りたいというより、今やっているテレビにもっといろんな人が出るようになると面白い。『そこはカットしてほしい』ということも起こるけど、それはそこまでの覚悟があるわけで、次回また出て議論すればいい話。それが自分の望むサロンだと思う」。

では、大学はどうあるべきなのか。「大学にはどうなってほしいというのはあんまりない。学生のことは考えてなくて、むしろ先生の居られる場所が大学。ここに居るような大学の先生は、社会に出てちゃんと働いていけるのかなという気がして(俺も人のこと言えないけど)。そういう人たちを守っている場所は必要だと思う。だけど、風通しが悪くなって、世間一般と余りにも言葉が違う場所になるともったいない。だから先生に『ちょっと出てきてそれを教えてよ』と言う。その場所にテレビがなればいいと思う。テレビに出たくない人もいるだろうけど、出る人のほうに信頼を置く」。

太田氏が今回の収録について「学問やオリジナリティが云々より、人と人とが夢中になって話しているほうが、言葉を探して表現するよりインパクトがあったと思う」と語るように、「ニッポンの教養」とは、専門知識で語りたい研究者と、直観でわかりやすい言葉を求める爆笑問題とがぶつかり合う「コミュニケーション番組」なのだと改めて実感させられた。(税)

《本紙に写真掲載》

関連記事