文化

法学会秋季講演会

2014.12.16

12月11日、法経本館第四教室で「法学会秋季学術講演会」が開かれ、今年度を最後に退官する法学研究科の大石眞教授と小野紀明教授が講演した。

大石教授は、「憲法と宗教法の交錯」と題して講演した。

まず宗教法の意味の説明から始め、宗教や宗教団体に関する世俗的な規範を指すものを「宗教法」、宗教や宗教団体の内部的な自治規範を「教会法」と呼ぶと前置きした。

その上で、法・国家と宗教との関係を解説。信教の自由を保障している国であっても、国教制や公認宗教制をとっていることも多く、国の基本原理が宗教制度にまで影響している場合は少ないと述べた。

次に、宗教法が法のどこに見られるかを説いた。火葬が一般的でないヨーロッパでは、葬儀や墓地についての法規程があることが多いが、そういった規程がない日本でも、信教の自由や政教分離の原則、宗教法人法など、宗教に関連した規程があることを示した。

続けて、宗教ごとの教会法の具体例を挙げた。そして、宗教団体が教会法と国の法律との調整を強いられたり、教会法上の義務と市民法上の義務とが対立したりする場合があると指摘した。

最後に、「宗教法や宗教制度を考えるとき、宗教法上の規範だけでなく、教会法上の規範にも注意する必要がある」と問題提起し、講義を閉じた。

小野教授は、「戦後日本の精神史―三島由紀夫と平野啓一郎―」という題で講演した。

最初に、政治思想史の研究を始めたきっかけや研究の過程を振り返り、自身が最終的に研究対象としたハイデガーへと話を移した。ハイデガー存在論において、「存在者」とは人間の生きる「世界」の中にあり意味や名前をもつものを、「存在」は「世界」の外にあり意味や名前のないものを指すと説明した。そしてハイデガーの思想を用い、三島由紀夫と平野啓一郎の思想を解釈した。

紹介したハイデガーの思想は2種類ある。1つ目は「突破」の思想だ。存在と存在者とを対立するものと捉え、理想としての存在へと、存在者に甘んじている自分自身を「突破」させようとする考え方だ。2つ目は「両義性」の思想。この考えは、「突破」の思想とは対照的に、存在と存在者は両義的なものだとする。ハイデガーは本来「両義性」の思想をもっていたが、一時は「突破」の思想に移り政治への関与を深めていたという。

小野教授は「突破」の思想が三島に見られると話し、例として『金閣寺』を取り上げた。学僧が金閣寺を燃やしてしまうという小説だ。小野教授は「吃音者だった学僧は、言葉が支配している現実世界で疎外感を感じていた。そこで、金閣寺を焼くことで、くだらない言葉や意味、役割に支配された存在者の世界から、完全なものである存在の世界へと『突破』しようとしたのではないか」と説いた。そして、後に政治化した三島自身も「突破」の思想を抱えていたとみられると分析した。

一方「両義性」の思想は平野に影響を与えているのではないかという解釈を披露した。示したのは平野が唱える「分人主義」。「人は自己の内面を隠し生きているのではなく、場面ごとに違う姿で自己を表しながら生きている、とする考えだ」とこれを説明した。そして「分人主義は内面の自己と、表に出ている自己とを区別しない。これは存在と存在者とを区別しない『両義性』の思想と結び付けられる」と強調した。

この講演会は春季と秋季の年2回開かれているが、秋季はその年度で法学研究科を退任する教授がいる場合、その教授が講演することになっている。大石教授は総合生存学館へと移り、小野教授は退職する。

会場には学生や法学研究科の教授が集まり、両教授の法学研究科教授としての最後の講演に耳を傾けた。講演後には両教授に花束が贈られた。(B)

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