文化

書評 フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが・・・』

2014.10.01

「陰謀」という名の歴史

もしも1940年のアメリカ合衆国大統領選で、三選を控えていた民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)ではなく、初の大西洋単独横断飛行を完遂した飛行士チャールズ・リンドバーグが当選していたら――アメリカの国民的英雄にして、公然たる反ユダヤ主義者であったリンドバーグが大統領となり、親ナチス政権が樹立されていたら、歴史はどうなっていただろうか?

ある一人の人間の台頭を機に大きく変容していく第二次大戦中のアメリカ像を、本書は壮大なスケールながらも丹念な筆致で描いていく。反ユダヤ色を強める社会の趨勢に耐えかね、連合国軍の兵隊に志願する人々、FDRの復活をひたすらに信じる人々、同化政策に巻き込まれた果てに、ユダヤ人迫害暴動に遭い殺される人々。「ありえたかもしれない」歴史のリアルさは、確かに現代に生きる我々の胸にも迫るものがある。

もっとも、このような「歴史の“もし(if)”」を描いた小説はそれこそ枚挙に暇がないし、またリンドバーグという登場人物にしてもクリスティの『オリエント急行の殺人』などの先例があることを考えれば、本書は決して斬新な発想に基づいているわけではない。

本書の読みどころは、実在する人間である作者フィリップ・ロスが、あたかも自身が「史実」とは異なる歴史のうねりを実際に生き抜いたかの如く追憶してみせる、その語り口にほかならない。切手収集家であったFDRに感化され、切手集め以外のことには見向きもしない、1940年当時の少年フィリップ・ロスの目に「リンドバーグのアメリカ」はどう映ったか、という視点が本書では徹底的に貫かれている。根っからのFDR支持者である両親の政治観を何となく理解しながらも、同化政策の寵児となった兄サンディの語る「ユダヤ人の知らないアメリカ」に、幼いフィリップは何となく魅力を感じてしまう。かと思えば、そんな歴史の重みなんて自分には御免だと、夜中に孤児院へ家出を企てることだってある。周囲の大人が「夢遊病」という一言で片付ける中、自分には確かに、自分なりの切実な行動原理――ロジック――があったのだと信じるフィリップの言葉には、不思議な説得力さえある。

考えてみれば、人々が「歴史」と呼ぶものにしたってそうなのだ。「歴史」として語られるものには、恐怖、痛み、そうした切実な現実のがまるっきり取り除かれている。フィリップはこう述懐する。「…リンドバーグの当選が私にもこの上なくはっきり思い知らせたとおり、不測の事態はいたるところ、すべてに関し広がっていた。そんな容赦ない不測の事態も、一八〇度ねじってしまえば、私たち小中学生が教わるところの「歴史」に、無害な歴史になってしまう。そこにあっては、当時は予想もできなかったことすべてが、不可避の出来事としてページの上に並べられる。不測の事態の恐ろしさこそ、災いを叙事詩に変えることで歴史学が隠してしまうものなのだ。」

反ユダヤ主義的風潮がいよいよ高まり、フィリップと彼を取り巻く人々の恐怖が最高潮に達した頃、「歴史」は意外な結末を迎えることとなる。評者は思わず声を出して驚くとともに、作者の器用さに脱帽させられた。――いや、このラストは果たして素直に受け取れるものなのだろうか――これでは、フィリップの「歴史」観と平仄が合わないのではないか? してみると、この意外な結末こそ、ベテラン作家の仕掛けた読者に対する最大の「プロット(陰謀)」なのかもしれない。=柴田元幸訳・集英社(薮)
著者はアメリカの作家。
1933年生。ユダヤ系アメリカ人の生き様を生々しく描いた『ポートノイの不満』が国内外で大きな話題を呼ぶ。
以後も精力的に小説を発表し、近年は村上春樹などとともにノーベル文学賞候補と目される。

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