文化

新刊書評 R・パワーズ著/木原善彦訳『幸福の遺伝子』(新潮社)

2013.06.01

彼女(ミス・ジェネロシティー)が幸福なのはなぜ?



「幸福」が何らかの生物学的要因によって決定されるとしたら? いや、それどころか、「幸福の遺伝子」が存在するとしたら? パワーズが本書『幸福の遺伝子』(原題はGenerosity:An Enhancement)の中で打ち立てるのは、そのような問いである。SF的設定、メタフィクション的技巧などを駆使しつつ、本書は「人間とは何か」という究極の問いに肉薄してゆく。

筋書きは、難解で知られるパワーズの作品にしてはいたって明快である。スランプに陥った作家ラッセル・ストーンは、ある芸大で「創造的ノンフィクション」の授業を担当する。そこで受け持った学生の一人、「ミス・ジェネロシティー」ことタッサディト・アムズワール ――内戦で多くの家族を失ったアルジェリア系移民――は教師とクラスメートに対し、そのあまりにも過酷な半生を生き生きと語る。彼女は血塗られた故郷をこう描写する ――「そうは言っても、あの場所はとても美しい。できれば皆に間近で、港から町を見てもらいたいと私は思う。きっと誰もが感動するだろう。生命にあふれる町。私たちの家(シェ・ヌー)。」

タッサの横溢、包容力(ジェネロシティー)を前に、ラッセルは困惑する。彼女の感情高揚性気質には、何か遺伝的(ジェネティック)な要因があるのではないか? ――研究機関、メディア、市民はこの屈託ないアルジェリア系移民を、半ば狂乱的に追跡する。最先端の遺伝学、優生学を縦横無尽に網羅する博識と、上質な詩を思わせるような言語をものす作者の筆力はまさに圧巻である。

タッサを通じて巡り逢う人物たちも魅力的だ。その一人、遺伝科学者トーマス・カートンは「幸福の遺伝子」を求めてタッサに接近する。遺伝子操作に対する意見を求められたカートンの一言に、読者はただ動揺するほかない――「人は長生きすると同時に、より良い人生を送りたいと考えています。……倫理なんてしょせん、変化の後追いをするだけです。」 科学と倫理の関係は、もはやニワトリと卵の問いのように決定不可能なものとなる。では「幸福」はどうだろう? 幸福を感じる”から”体内に化学反応が起こるのか、それとも……。

パワーズが本書を書き上げたのは2009年だが、それから数年が過ぎた今、遺伝子治療に対する期待と警戒は、まさに作者の想像をなぞるかのように加熱した。再生医療の進展は言うに及ばず、高精度の出生前診断が日本でスタートしたことも記憶に新しい。DNA分子構造の発見者ジェームズ・ワトソンはかつて、「科学者が神を演じるのでなければ、誰が演じるのか?」と述べたという。このような科学の万能感に対して、パワーズはどう応答したのか。結末は一見それを提示しているようだが、作家の筆致は単純な解釈をかわしてみせる。それに答えを出そうとすることも、神に近づこうとする「出しゃばり」にほかならないのだから。(薮)

リチャード・パワーズ(1957年―):アメリカの作家。写真家アウグスト・ザンダーの写真に鼓舞されて執筆したデビュー作『舞踏会へ向かう三人の農夫』が文壇の称賛を得る。代表作に『黄金虫変奏曲』、『ガラテイア2・2』、全米図書賞受賞作『エコー・メイカー』など。

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