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年間ルネベスト2012―京大生の読書録―【書評編】

2013.03.16

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83位 『聞く力』 阿川佐和子 文春新書/2012年

ルネで平積みにされとった阿川佐和子っちゅう人の『聞く力』を手にとってな、こない考えましてん。

これを書きはった阿川はんにとってはそら残念なことやけれども、うちら「グローバル京大生」は、「聞く力」なんちゅうもん必要あらへんのですわ。ほんなら、どないしてこないな本が、よりによってうちの生協で売れとるんやろ。きっとそらな、もう要らなくなってもうた「聞く力」なんちゅうしょーもないもんに対する、まあ言うてみるなら考古学的関心からに違いあらへんのです。

うちら時代をリードする「グローバル京大生」にとって「聞く力」が時代遅れのもんにすぎんことは、当局はんの公式見解になっとるんです。それを象徴してはんのが、そらあれどす、総長はん肝いりの新大学院「思修館」、つまりはその名前どすな。左に掲げさせてもろた「ルネベスト2013」で、見事1位の座に輝きはった『京都大学by AERA』で、総長はんのお言葉がこない紹介されてます。「(「思修館」の)名前の由来は『聞思修』(聞いてつける知恵、思索してつける知恵、実践してつける知恵)からで、大学院なので『聞』はいらないだろうと『思修館』としました」(p・106)

こら、よろしおすな。総長はんの言いはるとおりですさかい。いやしくもグローバル・リーダーの卵を称しとるんやから、それこそ人様の数だけ存在する意見、批判にいちいち耳を傾けとったら、なかなか実践まで漕ぎ着けんっちゅうもんや。その点、院生も学部生も変わりません。世間様が「決める政治」「決める力」を待望しとる昨今、そんな考え方が「グローバル京大生」に浸透するのは自然の理っちゅうもんです。

そらぎょーさん批判は出ますわ。しかしやな、そない「いけず」な批判を前に、うちらはこう喝破するんどす、「ええから、黙ってついて来なはれ」と。そらまあ簡潔、刺激的な一言ですわ。それに、「モンシシュウカン」なんてまあこらえらい語呂が悪い。これからの時代、耳を傾けることよりも、耳を傾けさせることの方が大切やっちゅうこっちゃ。

そやそや、今年から、うちんとこの入試で英語の「聞き取りテスト」が廃止されましてな。これもまあ、「聞く力」がもう必要あらへんちゅうことをえらいはっきり示しとるお話どすわ。そやさかい、「聞く力」なんちゅうもんは鴨川にほかしてしもたらよろし。これからは「決める力」がものを言うんどす……。

持っとった『聞く力』を棚に戻して、ぼちぼち店を後にしました。そや、肝心の内容に目を通しとらんかったけど、まあええわ。「グローバル京大生」たるうちにとって、人様の意見なんてどうでもええんやから。「うちはうち、よそはよそ」って言いますやろ? (薮)

16位 『ひだまりの彼女』 越谷オサム 新潮文庫/2011年

表紙には、淡い黄色の背景に、漫画家・西島大介氏の描いた少女が微笑む。帯の「女子が男子に読んでほしい恋愛小説№1」というフレーズは、一体何処で調べたんだよ、とツッコまずにはいられない。それが本書『陽だまりの彼女』である。

主人公は広告代理店の若手社員。そんな主人公は取引先との打ち合わせで、幼馴染の奈緒と再会する。かつては「学年有数のバカ」と呼ばれていじめられていた彼女は、知的な雰囲気を持った、仕事の出来る美女へと変身を遂げていた。突然のことに驚きつつも、二人は再会を喜び、プライベートでも交流を重ねていく。

今年の秋に映画化されることも決まった本書は、あくまで恋愛小説である。ここでわざわざこのように釘を刺すのには理由がある。その理由というのが、帯に掲載された、フリーライター・瀧井朝世氏の解説の抜粋だ。そこには「ベタ甘な恋愛小説と思わせておいて、おや、ミステリー要素もあるんだなと興味を掻き立て、途中からは悲恋モノ? と不安にさせながら、最終的にはファンタジーでもあったのだと発見させる。(中略)恋愛小説はあまり読まない、という人にこそお薦めしたくなる」とある。これを見て、ミステリ要素、ファンタジー要素を期待する読者もいるろう。本書では、ヒロインはある謎を抱えており、結末でその答えが明らかとなる。その答えのヒントとなる諸々の描写をミステリ要素、その答えをファンタジー要素だと瀧井氏は言っている。しかし、本書で描かれる結末は、ファンタジーというよりは寧ろ、いささか突飛なものだ。無理矢理にオチを作ったような感さえある。また、そこに至るまでのヒントも、確かにそうともとれるが、伏線というには少し必然性に欠ける、といったもの。そのため、ミステリ要素にしてもやや物足りない。本書はあくまで恋愛小説。ミステリ、ファンタジーといった要素には期待せず、ベタベタで甘い、二人の生活模様を楽しむ、というのが最も楽しめる読み方であろう。

恋愛小説好きなら、きっと楽しめる一冊だ。ベタ甘が大好物なら、手にとってみてはいかがだろうか。(待)

39位 『三匹のおっさん』 有川浩 文藝春秋/2009年

テレビ時代劇の革命児と呼ばれた作品がある。1963年から1969年にかけてフジテレビ系列で放映された「三匹の侍」は、過激な効果音を特徴とした殺陣のシーンがヒットを呼び込んでその後の新しい時代劇ヒーローの原型となった。そして本書『三匹のおっさん』は、その昔お茶の間を沸かせた丹波哲郎らが演じた三人の侍よろしく還暦を迎えた三人の男たちが地域社会にはびこる悪に立ち向かう姿を描いた一冊である。

還暦を迎えるということで長年働いていたゼネコンを退職し、アミューズメントパークに嘱託として再就職を決めた清田清一は周囲から老人呼ばわりされることを煙たがっていた。60歳の誕生日、息子夫婦と妻がいがみ合ったことから嫌気がさして家を飛び出したところ、偶然古くからの付き合いである立花重雄と有村則夫と酒を酌み交わすことになり、まだまだ自分たちは現役であることを確かめたい三人は街の安全を確保するための自警団を自分たちで立ち上げようと企てる。

いつしか清一の孫・祐希と則夫の娘・早苗も助けに入って、本格的にパトロールが始まったところ、かつて「三匹の悪ガキ」との悪評で名前が知られていた三人の元には次から次へと複雑怪奇な事件が舞い込むのであった……。

物語としては至ってシンプルないわゆる勧善懲悪を軸とした痛快活劇といったものであり、章ごとに締めの「一件落着」をちらつかせながら話は進む。しかし、事件に取り上げられている題材がご近所トラブルから動物虐待、スカウト詐欺、悪徳商法といった我々の身近で起こり得るトラブルを扱っているため、単なる爽やかな読後感といった一言に終わる一冊では決してないだろう。それぞれ焦点が当たるテーマが一重に片付く問題でないだけに、むしろ、手が届く範囲でそれぞれの長所を生かしながらブレることなく解決を目指す、といったオヤジたちの姿勢が、「勧善懲悪モノ」というお約束で最後は終わっていいと自然に思わせてくれるのかもしれない。

加えて、清一の孫・祐希と則夫の娘・早苗の高校生コンビが見せる、典型的な若者像に当てはまらない振る舞いや、所々に垣間見える恋愛要素といったものも読んでいて楽しいところだろう。表紙や章ごとに挿入された須藤真澄のイラストも全体の雰囲気にマッチしていて良い。いずれにせよ、こんなベタならアリだと思わせてくれる一冊にちがいない。 (水)

84位 『アメリカ版大学生物学の教科書』 D・サダヴァほか ブルーバックス/2010年

昨年10月、京都大学iPS細胞研究所長の山中慎弥教授が「体細胞のリプログラミング(初期化)による多能性獲得の発見」によりノーベル生理学・医学賞を受賞したのは記憶に新しい。受賞決定後は、テレビ、雑誌をiPS細胞の話題が席巻した。こうした中、iPS細胞、ひいては生物学そのものに興味をもった方も多いのではないだろうか。とはいえ、生物を受験時代に選択せず、どういった本から手を付けて良いのかわからない方も多いと思う。そういう人にお薦めしたいのが、講談社ブルーバックスの「大学生物学の教科書」シリーズ(全3巻)だ。

本シリーズの元となっているのは、MITの生物学の講義に使用される教科書『LIFE The Science of Biology』である。『LIFE』は9のパートに別れており、そのうちの「Cell and Energy」、「Heredity and the Genome」、「Molecular Biology: The Genome in Action」を訳出したのが本シリーズだ。それぞれ第1巻「細胞生物学」、第2巻「分子遺伝学」、第3巻「分子生物学」に対応している。

第1巻の主役は細胞である。細胞は、「生命の機能・構造上の基本単位」と位置付けられる。話は細胞の構造・機能から始まり、植物の光合成にまで及ぶ。「人体を構成する細胞はなぜ、バラバラにならず接着しているのか」、「植物は、なぜ光を浴びるだけで、生存に必要な有機物を合成することができるのか」といった興味深い疑問に対して解説が与えられる。平易な解説に加えてカラフルな図版によってさらに理解が深まる。また、章末には選択式のチェックテストがあり、理解度を図ることもできる。初学者でも挫折することなく読み進めることができるだろう。受験生時代、生物が得意だった人も十分満足する内容である。

一点、読む際に注意したいことがある。それは、各節の始めに書かれている見出しを目に焼き付けてから、本文に入ることだ。「この節は何を説明するためにあるのか」を意識しないと、文章に飲み込まれてしまい、理解すべき事柄を見落としてしまう。

そして本書を読了したら、『LIFE』(京都大学理学部中央図書室で第8版が貸出されている)と読み比べて、ミトコンドリア、酵素基質複合体といった学術用語を英語ではどう表現するのかを勉強してみるのも面白い。

評者は生物学の何たるかを完全に理解してはいない。その上で言うと、生物学は、難解な概念や数式が登場することはあまりなく、誰でも身構えずに学に始めることができると思う。折しも今年は「ヒトゲノム計画」(ヒトの設計図であるDNAの全塩基配列を解析するプロジェクト)が完了してから10年を迎える。遺伝子が社会に及ぼしうる変革の是非を論じるためにも、人々が生物学を学んでおく必要性は今後ますます高まっていくだろう。本書を足掛かりに生物学の世界へ踏みだすのも良いかもしれない。 (築)

71位 『読書術』 加藤周一 岩波現代文庫/2000年

まず心得ておきたいのが、この本は単なるハウツー本ではないと言う事である。「読書術」とは銘打ってはいるが、巷に溢れかえる凡庸な速読術とかそういう類の内容ではない。確かにこの本の中には速読術や精読術という章が設けられてはいるが、具体的な方法論に言及している箇所なんてほとんど無い。だから、一週間で何十冊も本を読みたいなど並外れた読書術を身につけたいと考える方はまず読むべきではないだろう。

それでは、加藤周一著『読書術』は何かと言えば、秀才・加藤周一がその膨大な読書経験より得た「本」に関するちょっと良い話を漫筆したエッセーである。たとえば、第1章「どこで読むか」。本を読むのに相応しいのは、机か寝室か、はたまた乗りものかという話が始まるのだが、17世紀の詩人・石川丈山を引きながら「読書は愛の営みに通じる」とか、「貨物船」か「イギリスの電車」が読書するのに一番ふさわしいとか、加藤周一流の品の良いレトリックを炸裂させながら文章をつむいでゆく。全くもって実践的では無いが、なんとも知的スノビズムを刺激する文章である。

『羊の歌』をはじめ加藤周一の自伝的著作において素晴らしいと感じるのは、これ以上に無いほどの学歴と知識量を持ち合わせておきながら決して驕らない、その語り口である。『読書術』でも、彼の超人的読書エピソードには事欠かない。たとえば、彼が高等学校時代に一日に一冊読むという主義を自分に課したというエピソード(4章)がある。カント『プロレゴーメナ』、西田幾多郎『善の研究』、ベルクソン『形而上学』、マルクス『賃労働と資本』……と一々読んだ著作を列挙し、でも2、3年しか続かなかったから失敗だったと振り返る。「いやいや普通の学生じゃあ2、3年どころか2、3日が関の山だ、何言ってるんだ」とツッコミを入れたくなる話だが、私みたいな文学かぶれは「やはり加藤周一は格好良いな」などとますます愛慕の情がわいて、ついニヤリとしてしまう。この憎らしいほど謙虚な語り口で書かれる自伝的エピソードは、まさしく読みどころの1つだ。

さりとて、この『読書術』が皮相的、スノビッシュで内容が浅薄かと言うと全くそんな事はない。先に言った様に、近年流行りの人間の心理的・生理的性質を利用した読書術に言及している文章は数少ないが、世界文学の展開(3章)や日本語と外国語の論理展開の比較(6章)についての考察は、別に加藤周一が大好きな文学かぶれでなくとも一読に価する。一般に、「どう読むか」ばかりがフォーカスされるハウツー本と違って「どんな本」を「どう読むか」を中心に据えて、文学含む活字媒体、日本語にわたるまで考察を加えているのが、この『読書術』の面白いところであり、初版から半世紀経っても色褪せないゆえんである。

年間数万という本が出版される現代社会、いわゆる古典も含めれば現存する本の数は無限大である。全力疾走で手当たり次第に本を追いかけるのも良いが、相当しんどい思いをせねばならない。そんな時代だからこそ、加藤周一著『読書術』は、自分は今「何」を「どう」読むべきかをせつせつと私達に考えさせるのである。(羊)

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