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【資料】教養・共通教育再編にかかわる 各種まとめ・報告(抄)

2012.10.16

緊急特集 「教養共通教育再編」を考える(2012.10.16)

学生と全学共通教育の現状について

【資料①】

様々な領域から多種多様な授業科目を提供し、その中から学生が自由に履修を選択し学ぶことによって、自ずから教養が身に付くとする考え方がある。これは、教養・共通教育の目的として、主体的・自発的に学ぶ意欲・態度の育成を重視し、授業をそのような主体的・自発的な学びの契機と位置づけるものであり、学生の多様な知的関心を触発するためには、できるだけ多様な科目の展開が望ましいと考えるものである。「学生の自由な学習を尊重する本学の伝統に依拠し基礎教育・教養教育の質的充実・強化を図ることが必要」(7)として現在の機構を中心とした体制へと移行する際にも基本的な方針とされたものであり、「自学自習」の精神を形式上最も反映したシステムといえよう。(中略)
 
こうした「『自由な学風』に根ざした教育は、必然的に、学生個々人の学術研究、勉学への強い興味、意欲を前提としている。しかし、自主的・積極的な勉学意欲が常にすべての学生に自然に備わっているわけではない。課題探求への主体的な意欲をより一層惹起するために、それを可能にする学習環境をカリキュラムと結びつけて構築することが必要である」(8)。また、学生は、入学時点において、必ずしも各学問領域について、それなりの見通しをもっているわけではないことから、約800科目・2500コマを超える授業の中から、自らの判断で体系的な履修計画を立てることが困難になっており、選択の自由を拡大するために、多くの選択肢を提供した結果、却って有意義な選択を困難にする状況を招いているといってよい。

さらに、教養・共通教育に対する学生の目的意識を欠いた受動的でお座なりな態度の増長により、定期試験の難易度を基準として、いわゆる楽勝科目に履修が集中する傾向などの問題を顕在化させている。これは、学生の意識や履修態度の問題だけではなく、カリキュラム上の問題に起因する面があることも否定できない。高校段階における科目履修の多様化と学習内容の削減等により、かつては高校段階で習得していた知識を、大学入学後において習得させる必要性も高まっている。特に、理系学部においては、初年次より相当数の専門基礎科目が必修とされ、他の教養・共通科目を履修することができる時間が著しく限定される状況になっている。このことが、自らの興味・関心とは別に、また体系性をなんら考慮することなく、A群又はB群科目を履修するという風潮に拍車をかけている。

伝統的な本学の自由の学風あるいは自学自習の精神は、授業科目の履修を契機として、その深奥やそれに隣接・関連する領域にも興味を抱き、自発的に、より深く、またより広く学びを進めていくというものであり、上に述べたような現状は、その対極に位置するものと言わざるを得ない。これまでも、このような認識に立って、新入生向け少人数セミナーの充実など、教員と学生あるいは学生相互の議論を通して学問への主体的な参加を促す「場」の設定に取り組まれてきたところであるが、本検討会においては、教養・共通教育の置かれている現状をより厳しく受け止め、今後も、本学が、真の意味において、自由の学風あるいは自学自習の精神を堅持していくためには、この点に関して、より一層の改善を速やかに図る必要があるとの認識に至ったところである。



【資料③】

いわゆる「ゆとり教育」の導入に見られた初等中等教育の学習指導要領の改訂による基礎学力の変化について、指摘が行なわれた。現在の初等中等教育の学習指導要領は、本学の授業担当教員の学生時代のものとは大きく異なっており、一般的な教養にかかる知識の修得に関して質的にも量的にも大きく変化しているが、この点に対する授業担当教員の配慮が不十分ではないかとの指摘があった。例えば「理科」およびいわゆる「社会科」について、現在の学習指導要領では、科目レベルで必修化されているものは、理科は11科目中2科目、社会は9科目中3~4科目であり、本学全学共通科目の現在の枠組みを議論した平成5年頃のものと比較しても、質的にも量的にも極めて薄くなっている。これは他の教科・科目についても同様の傾向といえる。さらに18歳人口の減少から学部入学試験の競争が緩和されたこととも相俟って、近年の本学入学者の基礎学力の変化および一般教養修得に関する水準の偏差は大きくなっており、これらは看過できないものとなっている。このような事情は、「京都大学の学士課程における教養・共通教育の理念について」(平成22年3月29日付、同4月研究科長部会にて報告)でも指摘されており、部局長会議・研究科長部会においては共通の認識となっている。

教養教育に限定すれば、この問題は、豊かな教養を有する人材の輩出を謳う本学の基本理念の実現の点からも深刻な問題といえる。大学における教養教育は、本来は、(4年制学部では)在学4年間を通して行なわれるべきものとも考えられるが、現実には、医学を含む理系学部では専門課程における実験・実習・演習等の制約から、1・2回生時(特に入学から1年半程度の期間)に集中的に行なわざるを得ない。さらに本学の事情をいえば、入学者全体の約7割が(高等学校で理科系の勉強をした)いわゆる理科系学生であるが、過去の教養教育の議論の中ではこの事実に対する認識が必ずしも十分であったとはいい難い。この約7割の理科系出身学生の中には、特に近年、本学の理系入試科目に特化した受験勉強を高等学校で行なっていたためか、いわゆる人文・社会科学に関する一般的知識・教養が著しく欠如する例が散見され、本学入学者を「高校4年生」とも位置づけた一般教養の修得の必要を説く声も聞かれる。すなわち、この約7割を占める理科系出身学生に対する教養教育としては、現行の「高度一般教育としてのA群科目」の水準が高度に過ぎるとの懸念があり、これらの科目に先立つ基礎的な内容の科目の充実がむしろ喫緊の課題との指摘がある。一方、約3割の文科系出身学生を対象とした理系学術の基礎・教養科目が不十分との指摘は従前からあるものの、その改善がいっこうに果たされないまま現在に至っていることも大きな問題である。

外国語の問題も深刻で、「卒業単位のための外国語」という極めて消極的な態度で履修する学生がいる一方で、将来のキャリア形成を考えて学外の専門学校等に自費で通って外国語の学習に取り組んでいる学生もいる。昨今本学で進められている「英語による科目」の導入を考慮した場合、(1)全学生に対する英語能力の向上とスキルアップ、(2)熱意ある学生に対する第二(あるいは第三)外国語学習の充実という2本立てで外国語教育の一層の充実を図ることも一つの方向であり、学部ごとのカリキュラム・ポリシーに沿ってこれまでとは異なる視点での議論が必要と考えられる。

【資料④】

学生の「自学自習」を本学の基本理念に掲げていること自体には意味が認められるが、これを論拠に学生を無責任に放置しているのではないかとの危惧が小委員会では指摘された。大学を取り巻く諸事情を考慮した場合、「本学は入学者に対してしっかりとした学力をつける」ことを教員自身が自覚すべきではなかろうか。これは本学の掲げる「自学自習」を妨げるものでは決してないはずである。現在のように個性も学力も多様化した本学入学者の実情を十分考慮し、また教員目線だけではなく学生目線にも立ち、「目的をもった学士課程教育」の充実のための卒業要件の在り方についての議論をお願いしたい。



カリキュラム設計の方向性について

【資料④】

現行のA群科目に焦点を当てると、新たな「人文・社会科学系科目群」における開講を前提に、人文科学と社会科学の学術の中から本学学生の教養の根幹となるべき内容を精査し、本学基本理念に謳われる「卓越した知の継承」にとって必要な基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目の開講を目指すべきとのことが本小委員会では強調された すなわち平成 25 年度以降の科目設計においては、現在開講されている科目の一つ一つを個別に精査し、基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目の充実が強く求められる。実際、いわゆる「ゆとり教育」の定着によって大学生の一般教養の水準が過去と比較しても低下していることは一般的に指摘される周知のことであるが、それに加え、高等学校での必履修科目の減少、また入学試験における教科・科目の選択の増加から、本学入学者の一般教養の知識水準は大きく多様化している。ゆとり教育によって大学入学以前の学習量が減少したことを考慮すれば、大学での授業を通した基本事項の理解の徹底の必要性は過去と比べても増加しており、いわゆる「基礎論」的科目の提供増加が強く望まれる。

しかしここで注意すべきことは、人文・社会科学の学術は厳格な知識の積み上げを要する数学や物理学等とは異なり、学習段階における積み上げ的な知識の必要性は明確ではない。すなわち基礎的(ファンダメンタル)な内容の理解の徹底のために「基礎論」を経て「各論」に至るという科目構成を形式的に厳守する必然性は数学や物理等よりも低く、授業展開の方法によっては「各論」の理解を通して「基礎論」的事項の理解に至る場合もしばしば見られることである。また社会科学に関する学術の多くは、高等学校レベルでの学習は過去も現在も極めて少なく、大学入学後に初めて接する学生も多い。従って人文・社会科学系科目群の科目設計の際に、「基礎論」「各論」の位置づけをすべての科目について一律に要求することが合理的とは考えにくい。さらに履修学生の教養の涵養に繋がる優れた講義は、当該講義の教員の教育的熱意に負うところも多く、形式的な科目分類を外的に過度に強制した場合、熱意ある個性的な授業展開を損なう可能性も危惧される。(中略)

一方で学生の所属する学部の視点から本学の教養教育の問題点を論じると、4年一貫の学士課程教育によって各学部が目指す人材像に向けた履修指導を行おうとする場合、現在のような極めて多様なA群科目の開講の中では、きめ細かな履修指導を行うことは殆ど不可能である。このため、学部は卒業要件としてのA群科目の単位数を指定するに留まり、結果として、多くの学生は卒業要件のためだけのA群科目履修という行動に至り、卓越した知の継承にとって必要な教養の涵養を各科目の履修を通して目指すという理想からはほど遠い実情となっている。さらに現在の全学共通科目は、開講科目をA群、B群、C群、D群の何れかに分類するため、教養教育の観点からも、あるいは(複数の学部にまたがる)共通科目の観点からも重要とは考えられないような科目が、A群あるいはB群で開講されてしまっているという事情がある。またそのような科目の幾つかがいわゆる楽勝科目化している場合も見受けられ、事態を一層悪化させている。このような事態を廃して教育の質の向上を目指した改善を行うため、学部側の希望としては、制度としての開講科目分類は別として、当該学部の教育において必要な教養的・基本的内容に係る基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目を、履修指導等を通して学生に提示しやすくすることが強く望まれる。具体的には、基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目では、同一科目名による複数クラス開講を前提に、履修指導あるいは卒業要件規定により、必要な学術の全学共通科目の履修を通しての定着が可能となる体制の整備が強く望まれる。

(1)平成25年度以降の人文・社会科学系科目群の各科目は、人文科学・社会科学の学術の中から、本学学生の教養の涵養に必要な基礎的(ファンダメンタル)な内容を精選して開講する。科目設計に当たっては、現行のA群科目の7つの系から「複合」を除く6つの系(哲学・思想系、歴史・文明系、芸術・言語文化系、行動科学系、地域・文化系、社会科学系)をこの新科目群の下部に据え、系毎に過去の開講科目に捕われずに科目設計を行う。
(中略)

(2) 各系では平成20年度のA群科目部会での議論のように、「基礎論」「各論」「ゼミ等」等の科目の適切な系統的分類を行い、6つの系で展開される知の体系の明示を心掛け、履修学生が分かりやすい科目構成に配慮すべきと考える。新たに設置される現代社会適応科目群は、具体的には「情報系科目」、「健康科学系科目」、「環境系科目」、「法・倫理コンプライアンス系科目」等に分けて科目設計等の議論を行うことを想定している。上述のとおり、「情報系科目」には現行の基礎情報処理を含む情報系科目の移行、「健康科学系科目」には現在の D 群の中で実習科目以外、A 群科目(複合系)の一部科目、および生物系一部科目の移行、また「環境系科目」には A 群科目(複合系)の一部科目、ならびに生物・地学系一部科目の移行等が想定されている。しかし、「法・倫理コンプライアンス系科目」は「議論のまとめ」に沿って枠組みは議論したものの、そこで開講される具体的な科目の検討は小委員会としては十分に行っていない。今後の科目設計や必要な学内調整を通し、多くの適切な科目の開講が期待される。

【資料②】

本学における英語教育の主たる目標が、学術研究に資する英語であることは「新カリキュラム報告」が指摘するとおりであるが、プレゼンテーションやディベートといった場面でのより実践的な英語力に対するニーズが、社会的にも、また、学生の側からも指摘されているところである。今後、このようなニーズの更なる高まりが予想されるところであり、このような点にも配慮して教育内容の充実を図る必要がある。 (中略)

・英語Ⅰ(1回生対象)については、クラス指定制度がとられている。現行における専門基礎教育の実施状況に鑑みると、限られた教員で1回生全員と再履修者を対象とする英語Ⅰを履修させるためには、クラス指定による履修者の振り分けは不可避であるが、教材、素材、指導法が、各教員の裁量に委ねられている状況において、学生に選択肢が一切ないこと、成績評価の在り方に基準がない点については、速やかに改善が求められる。

・ この点については、「新カリキュラム報告」において、「英語Ⅰの評価についてはクラス指定という性格上、一定の評価基準を設けることが公平性の観点から望ましい。成績は、優良可のうち優に相当する者が3割いることを目安とする。」とされているが、英語Ⅰの教材、素材、指導法が、各教員の裁量にほぼ全面的に委ねられている現状のままでは、統一的な評価基準を設けることは極めて困難であるし、仮にそのような基準の設定が可能になったとしても、授業内容が個々別々で教員ごとに異なっている限り、クラス指定のもつ問題を解消するものとはなり得ないだろう。

・ むしろ、英語Ⅰの教育内容について、「新カリキュラム報告」に記された内容を教材、素材、指導法のいずれについてもある程度共通化したうえで、ガイドライン(標準的なモデル)を作成し、成績評価の基準を設定するような方途が検討されるべきである。 (中略)

・ 初修外国語については、これまで、すべての学部において、少なくとも1言語の履修を義務付けてきているが、「各学部、学科、教官個人の教育観によって、単位数、科目数、選択必修の別等に関して様々な見解があり、本学全体としての統一的理念、方針が明確なわけではない」(「京都大学自己点検・評価報告書Ⅱ2000」)という指摘がなされてきた。 (中略)

・ もっとも、限られた時間での初修外国語教育の効果を考えたとき、そこで獲得された知識が多文化理解に十分活かされているとは言えない場合もあることから、それぞれの学士課程教育の中において、多文化理解を目的とするA群科目を初修外国語と関連付けたり、あるいは、それに代えるなどの方策も考え得るところである。各学部において検討された学士課程教育の在り方を踏まえながら大学全体として、初修外国語の充実を図ることが望まれる。

・ このような観点に立って実施される初修外国語教育については、各言語に関する基礎知識の習得を目的とするものであることを基本としつつ、そのうえで期待される学習成果・到達目標を検討し、履修科目数、単位数及び選択・必修の別等について、基本的な方針を定めることが適当である。



資料①:学士課程における教養・共通教育検討会「京都大学の学士課程における教養・共通教育の理念について」2010年3月29日

資料②:学士課程における教養・共通教育検討会「学士課程における教養・共通教育検討会報告書」2010年9月30日

資料③:全学共通教育システム検討小委員会「全学共通教育システム検討省委員会議論のまとめ」2011年9月21日

資料④:共通・教養教育企画・改善小委員会「平成25年度以降の全学共通科目の科目設計等について」2012年6月8日

 なお、資料の全文は京大ホームページ上で公開されている(2012年10月16日時点)。



教養教育の実施体制、単位設計について

【資料③】

現行の大学設置基準と本学通則に沿えば、教養教育を含めた教育課程の編成は各学部が責任を持つことであり、これは学部の権利でもあり義務でもある。昨今の大学教育にかかる議論ではアドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーの三者が一体で議論されているが、これはいわゆる「4年一貫教育」が、公表されている明確な指針をもって実施されることを論じるものである。教養教育に限定して議論を深めると、本学では、基本理念においては教養が豊かな人材の育成を謳い、通則第15条においても教養教育を規定し、また同第16条では科目分類として「教養科目」を規定している。従って各学部は、適切に、教養教育(教養科目)の履修を当該学部の教育課程に組み込むことが要請されている。また一方で、同第16条では、本学の開講科目を開講対象による区分として全学共通科目と学部科目とを規定しており、「京都大学における全学共通教育の実施に関する規程」では、全学共通教育において必要な科目の提供を担う組織として実施責任部局を定めている。これらを総合すると、求められる学士力あるいはディプロマ・ポリシーに向けた必要な教養教育のデザインは当該学部がその責任を担い、その実現に必要な科目の全学共通科目としての提供と実施は実施責任部局が負うこととなる。つまり全学共通教育実施責任部局、及びその協力部局は、各学部の目指す教養教育に必要な科目の共通科目としての提供と実施に対して責任を持つ組織であり、各学部に代って教養教育をデザインする組織ではない。ここで注意しなくてはならないことは、10学部の独自の教養教育に対する要請の全てを限られた教員の実施責任部局が負うことは不可能である。各学部の目指す教養教育を全学共通科目としてどのように協力して実施するかを調整する場として、全学共通教育システム委員会が存在している。この事情は、外国語および(理系学部の数学・物理等の)共通教育についても同様であり、今後の議論の中では、学部および実施責任部局の負うべき事項を再確認することが必要である。

【資料④】

京都大学通則第16条によれば(本学の学部)「科目の区分は、開講対象による区分として全学共通科目及び学部科目とし、教育目的・内容による区分として教養科目及び専門科目とする。」と記載されている。ややもすれば「全学共通科目=教養科目、学部科目=専門科目」といった思い込みによる誤解が見受けられるが、一般論からいえば、全学共通科目と学部科目、教養科目と専門科目の組み合わせにより、学部で開講される教養科目もあり得る一方、全学共通科目によって開講される専門科目も有り得る。実際、全学共通科目として開講される全学共通科目の一部は学部の専門科目(に準じる)扱いとしている学部もある。外国語については、科目の分類や卒業要件を詳細に記述していた平成3年改訂以前の旧大学設置基準においてさえ、(医・歯学部を除いて)必要単位数は「1ヶ国語8単位」であり、2ヶ国語以上の外国語は専門科目と分類することとなっている。これに対して現在の設置基準では、「教育上の目的を達成するために必要な授業科目を自ら開設」(現行の大学設置基準第19条)し、 (4年制の課程の卒業要件としては)「124単位以上を修得」(同32条)のみが規定されており、外国語も含めて、教育課程の編成に対する拘束は規定されていない。ただし、その編成に際しては「幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよう適切に配慮」(同19条第2項)することが求められている点には注意を要する。このように、現行の大学設置基準では外国語の扱いや教養科目の位置づけ、およびその必要単位数の一切は学士課程の教育設計に委ねられ、本学の運営においては学部専権事項と考えられる。すなわち、外国語に関しても、各学部が学部科目として開講するという可能性も排除はされていない。

今回の全学共通科目の科目群分類の変更に伴う卒業要件変更の検討に際し、各学部は教養科目と専門科目、全学共通科目と学部科目、ならびに外国語教育の位置づけについて、学士課程の目的と本学の教育を取り巻く諸事情を総合的に勘案した抜本的な検討をお願いしたい。現在の全学共通科目、特にA群科目と外国語に見られる諸問題には、全学共通科目を卒業要件の構成要素としてしか考えない学生の履修行動に起因する部分も考えられ、この機会に「卒業要件のために全学共通科目を履修する」という悪弊の一掃に対する有効な施策の検討が強く望まれる。

現在の各学部の卒業要件は資料3の通りである。大学入学までに学習する内容の軽減と多様化などから、学部(特に理系学部)では専門科目の導入のための新たな科目を開講する事例も見られる。また近未来に導入されるであろういわゆるキャップ制も視野に入れた場合、卒業要件に必要な全学共通科目の必要単位数をある程度圧縮する必要があると考えられる。すなわち、卒業要件に占める全学共通科目の単位認定上限は別にして、下限については必要に応じて削減すべきと考えられる。例えば、理系学部においてはA群科目の必要単位数が16単位の場合が多く見られるが、新たな科目群設計では現在のA群が整理されて人文・社会科学系科目群の質の向上が図られることと、またクラス配当科目時間割が窮屈である上に学部科目も別途開講される等の事情を考慮した場合、人文・社会科学系科目群の必要単位数を10単位から12単位程度とするなどの検討が望まれる。一方で、文系学部ではB群科目の必要単位数が8単位の場合が多く見られる。今後は基礎情報処理に関する科目や健康科学・環境問題に関する科目が現行のB群から現代社会適応科目群に移行されることを想定し、自然・応用科学系科目群の必要単位数を6単位程度に変更し、その上で現代社会適応科目群の必要単位数を2単位以上とするなどの検討が望まれる。

外国語については、本学出身者の英語力についての意見交換が行われ、在学中の継続的な英語教育の重要性が小委員会では指摘された。専攻学術によっては3回生以上で配付される授業資料等は英語である場合が多い一方、別の専攻学術では3回生・4回生で英語に触れる機会が少ないといった事情がある。各学部の外国語の配当に当たっては、単に必要単位数の規定だけではなく、継続的に英語の訓練を行い得る学習環境も考慮すべきと考えられる。継続的に英語に触れる学術分野では2回生までの英語の軽減、反対のケースでは2回生までの現行の英語科目の上に、3回生以上で専攻学術と関連した英語教育を学部科目として行う等の科目設計も、検討に値すると考えられる。また初修外国語については、今後もそれを継続して行う場合は、学部の人材育成の目標や関係専攻学術を考慮の上、卒業要件のための単位目的の外国語履修が生じないような施策が必要であろう。

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