文化

新刊書評 坂口恭平『独立国家のつくりかた』 (講談社現代新書)

2012.08.01

「なぜ人間はお金がないと死ぬと勝手に思いこんでいるのか」「土地基本法には投機目的で土地を取引するなと書いてあるのに、なぜ不動産屋は摘発されないのか」本書はこうした疑問を探求した記録である。

筆者は、早稲田大学の建築学科に通いつつ路上生活者の家を調査して卒業論文としてまとめた。きっかけは、屋根にソーラーパネルがついているブルーシートハウスを見つけたことだった。中を見ると、拾いもので作られたその家はオール電化であり、「ホームレス」のイメージとはかけ離れたものであった。

そのような路上生活者の家をつぎつぎと調査するうちに、彼らは住む場所から食べ物まですべて0円で手に入れていることを筆者は発見する。その上で憲法25条の生存権を持ち出し、お金がなくては生きていけない、家賃を払わなくては住む場所がないという状況は生存権を脅かしていると指摘する。

そこで筆者は「不動産」ではない、車輪がついた動く家を作った。土地と定着していない動く家は、建築基準法では「家」ではなく、免許がなくても建てることができるうえに固定資産税もかからないという。筆者は駐車場にこの家を設置しようとして、「住まないこと」を条件に駐車場に置くことにする。現在の日本には「住むとは何か」を規定する法律は一つもないために、実際にはそこで生活するとしても、住んでいるかどうかは何とも決めがたいということだ。

このようにして筆者は、既存の社会の制度・慣習にとらわれない生き方を模索するようになる。法律を変えたり、政治に参加したりするのではなく、視点を変えて居場所をつくりだしていくのである。

そして筆者は、原発事故が起きても国民を真っ先に避難させない政府の対応に憤りを感じ、2011年の5月に「新政府」を樹立する。熊本県にある築80年の一軒家を首相官邸として、東日本から移動してきた人が無料で避難所として利用できるようにした。首都は、銀座にある、国と東京都の間で所有権が揺れて放置されている所有者不明の土地である。

筆者は新政府の政策の一環として、 ZeroPublicという取り組みを行っている。その目的は日本各地に日本国憲法第25条を守った安全地帯、すなわちシェルターをつくることだという。所有者不明の土地や余っているので使って欲しいと申し出のあった土地を用いて、0円で暮らすことのできる場所をつくりだしていく。もちろんその土地を売買したり、コンクリート基礎を埋めて勝手に不動産を作ったりはしない。利用権を提供してもらうだけである。

本書ではこうした新政府の構想のほかにも、様々な独創的な思想を展開している。「断定することで言動に責任をとれ」、「才能に上下はない」などといった筆者の思想も、この本の面白いところである。

評者は、この本を読んで自分がいかに消費社会の常識にとらわれているかということを自覚させられた。例えば次のようなことを指摘されてはっとしてしまった。

政府の試算によると日本では人口が今後数千万人単位で減少する。こうした中で、土地は確実に余っていくにもかかわらず、私たちはお金を払って土地を買い、そこに動かない家を建てる。しかし借金までして動けない家を建てることで、私たちは不自由を自ら買っているのかもしれない。

お金が無くても生きていくことはできる。それも、決して極端にみじめな生活だとは限らない。

必然的に消費が増えなければいけない成長ありきの経済は、人口減少下の日本では持続可能性に乏しい。お金が無くても、生きることに絶望しなくて済む社会。お金が無くても、人とのかかわりがあり、生きていて楽しいと思える社会。そうした社会こそが命を大事にしている社会といえるだろう。

あらためて、生きていくために何が必要なのか考えてみると案外必要な物は少ないのかもしれない。財政難や経済停滞が待ち受けている日本でサバイバルするために、本書を読むことをおすすめしたい。(P)

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