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哀しみを超えた言葉を 詩人・和合亮一氏が語る

2011.11.14

10月8日、人間・環境学研究科地下大講義室にて、同研究科学際教育研究部及び新宮一成・精神医学的精神分析学プロジェクト主催の和合亮一氏による講演会「これからを生きるために・詩の礫」が行われた。同氏は福島県生まれの詩人。第4回中原中也賞受賞するなど「若手詩人の旗頭的存在」と目される。東日本大震災での被災をきっかけにツイッター(短文を投稿・閲覧するコミュニケーション・サービス)でも詩を発表している。

和合氏は自らの被災体験を交えながら、ツイッターを含むインターネット上のネットワークに苦手意識があるにも関わらずツイッターで詩を発表し始めたきっかけや、震災後における言葉の役割について、また、魂を鎮めること、哀しみを超えた哀しみを表す言葉を模索することについて語った。

和合氏は、余震や放射能の不安がある中で、20年間詩を書き続けてきた思想がなくなってしまった自分自身に気づいたこと、それがとてもみじめで情けない体験であったことについて話した。

ツイッター上で詩作をはじめたきっかけについて、詩人としての本能が「言葉を残したい」と、すがるように「幼い表現」、「そのままの表現」、「地震に向かって喧嘩を売っているような言葉」を吐き出したのだと述べた。そうするうちに鎮魂の詩を書く事、そして哀しみを超えた哀しみを表す言葉を模索するようになったという。

また、震災から半年たって、自分の中で震災の時間が薄れてゆく中で、詩集『詩の礫』を読むと震災を思い出すという。それゆえ、記録は非常に大事なことだとも言った。『詩の礫』を読んで震災を思い出すと言う読者は、震災直後よりも半年ほどたった現在の方が多いのではないか、と思うそうだ。

和合氏は、今はまだ(具体的に)何かは分からないが、哀しみを超えた哀しみを表現する感情が必ず生まれると思う、それを見つけるためにこれからも福島で言葉を紡いでいきたいと述べ、最後に「決意」という詩を朗読して講演を終えた。

編集員の視点

強力な事実を前にして、言葉は無力になるのか。それとも、強力な事実が言葉に力を宿すのか。後者だとしても、震災を理由に単純な言葉に回帰してしまえば、日本の言論や思想は進歩しないままであるだろう。被災者の感情を詩に残すことで、震災が忘却されずに留められるならば、言葉は無力ではないと思う。(P)

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