京大生の読書傾向を覗き見♪ 年間ルネベスト2025
2026.03.16
本企画では、昨年1年間に京大生協ブックセンター「ルネ」で売れた書籍のランキングと、そこにランクインした本から編集員が選んだ3冊の書評を掲載する。厳しい寒さも緩み、日に日に近づく春の足音に胸が膨らむ今、気になる本を手に取って、静かな春の訪れを堪能してはいかがだろうか。(編集部)
第28位 哀しくも愛すべき教授のお仕事 『国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ』
第41位 身近な土の千夜一夜物語 『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』
沖縄県がかつて琉球王国という国家だったことは広く知られている。今では同じ日本でも、琉球語や首里城の存在から、異国としての歩みに思い至らずにはおけない。琉球が日本に属するようになった出来事として、中学や高校で学習する「琉球処分」の名前を知る人は少なくないだろう。だが「処分」がなぜ、どのように行われたのか、と聞かれて、まともに答えられる人はどれほどいるだろうか。1つの国家の終焉にとって、戦争や滅亡ではなく「処分」というのはあまりにさらりと響く。なぜ琉球は「処分」を受けることになったのか?琉球側の抵抗はなかったのか?こうした素直な疑問に答えてくれるのが、「琉球処分」を題する本書である。
本書ではまず、1420年代の琉球統一以来続いてきた中国への朝貢や、江戸時代初頭の侵攻に伴う島津氏への服属を挙げ、幕末以前の琉球の歴史を概観する。琉球は島津氏に服属した後も、外交や内政を裁量でき、中国への朝貢を継続していた。ここから、琉球は日本の一部ではなく、日中双方に服属する1つの国家だったことが確認される。続いて著者は、他国への朝貢による服属が、西洋の主権国家原則には相容れない部分があると指摘。明治政府の琉球併合に向けた動きは、日本が西洋に倣って主権国家として振る舞う過程で生じたものだと論じる。
幕末以降は、欧米諸国と琉球との間に結ばれた条約や、冊封関係に基づく東アジアの伝統的な国際秩序と主権国家原則の受容をめぐって、日本と琉球・清の間で生じたすれ違いが問題となる。本書ではこの点について、関係各国の主体が、琉球の政体や、琉球併合を断行する日本の姿勢をめぐり、どのような認識をもっていたかを、多くの史料を援用して多面的に描き出している。処分を日本近代史の中にのみ位置づける一面的な理解を越えて、琉球や清はもちろん、東アジア諸国、欧米列強を含む国際関係の中で捉えなおすことができるように配慮されている。
琉球王府は一貫して日中両属の維持を求め、併合に抵抗した。清も冊封関係を主権国家原則と両立可能と見なし、琉球王国の存続を支持していた。一方、日本は中央集権体制の確立や主権国家原則の受容のため、属国である琉球の併合を必然視し、強い意志をもって処分を断行した。こうした処分の一方性は、本書の随所で直接引用される、明治政府の官僚や琉球王府の高官たちの発言や記録を通じて、強く意識される。
本書の副題『「沖縄問題」の原点』でも示されるように、一方的な併合はその後の沖縄統治の特殊性に結びついた。たとえば、処分後の沖縄県では、統治安定化のために旧慣維持の方針が取られ、県民の参政権獲得は他県に遅れた。教育においても言語や風習の同化が図られ、大和人と琉球人の間には植民地的な上下関係が存在した。本書が描くこうした歴史的背景を踏まえて、戦後の基地問題や、沖縄独自の政治運動・社会運動の展開を眺めた時、その起源を琉球王国という国家を一方的に併合した琉球処分に求める著者の論も、納得感を持って受け止められる。
沖縄は戦後に至っても、日本返還の遅れや在日米軍施設の集中といった、本土とは異質な政治的問題を抱えてきた。しかし、沖縄が現在日本に属する以上、そうした問題の解決は本土を含む全国の有権者の判断に委ねられることになる。この構造の遠因が、琉球の自主決定権を剥奪した琉球処分にあるのなら、その背景に対する十分な知識を持たずに「一方的」な判断を沖縄に押し付けることは望ましいだろうか。中学・高校で習う日本史の知識だけでは一面的な理解にとどまりがちな「琉球処分」の実態を、様々な立場から立体的に描き、読者を奥行きのある理解へと誘う本書は、「沖縄問題」を考えるすべての人にとって、判断の下支えになる教養を提供する一冊だ。(汐)

世の中には、働く大人があふれている。そして、実はよく知らない仕事も。大学生にとって身近な働く大人に、教壇に立つ大学教員がいる。本書は、国立大学で教授として働く著者が、大学教員としての30年間の経験をもとに仕事の実態とその変化を赤裸々につづったものである。本書を通じて大学教員のお仕事をのぞいてみよう。
大学教員というと、自分の興味や好きなものをとことん追究し没頭する研究者のイメージが強い。しかし、本書を読んでわかるのは、研究に没頭してもいられない実情である。もちろん、国公立か私立か、専門分野が理系か文系かなど、一口に大学教員とはいっても事情は様々であり、本書の内容はあくまで著者の経験に基づくものに限定されている。
大学教員には研究者としての顔と、教育者としての顔の2つがある。しかし、その裏で驚くほどの事務的な業務をこなしている。膨大な量のメールの返信と書類の作成・確認に加え、多種多様な会議がある。各部局の意思決定機関である教授会や、教授会の議題を決定し原案を作成する執行部会議、そして日常業務を担当する各種委員会。複雑で巨大な大学という組織においては「会議のための会議」を行わなければいけないのだ。文部科学省の調査(2025)によれば、労働時間のうちの研究時間の割合はなんと32%だという。さらに、国から交付される予算が減る中で、外部資金獲得のためには学会・研究会を通じて人脈を作り、研究の機会を広げたり、学界に自らの研究を発表して売り込んだりといった「営業」の仕事もかかせない。研究室に閉じこもってはいられないのだ。
次に働き方に着目してみよう。大学教員に対しては「裁量労働制」という、実労働時間に関わらず、あらかじめ規定された時間を働いたとみなしてその分の賃金を払うシステムが適用されている。この制度は研究という終わりのない業に向き合う研究者に適しているが、残業手当がつかないという問題もある。通常の教育・研究以外の学内業務は研究者としての評価・業績にはつながらない上に、研究時間を奪われることにもなるため、負担を避けたいというのが教員の本音だ。
大学の長期休暇を教員はどのように過ごしているのだろう。授業が行われない期間は最も集中して論文が書けるため、執筆に勤しんだり、海外に出張して国際学会に参加したり、フィールドワークや実験を進めたりなど、授業時間の制約を受けず研究できる時間だ。学生がいない閑散としたキャンパスでも、研究室や事務室の中は絶えず動いている。
正直なところ、本書を読んで大学教員に憧れを抱く、という人は少ないだろう。むしろ、「大学教授のお仕事」はなんだか予想以上に大変そうで、思っていたのと違うと思われるかもしれない。けれどもこの世に楽な仕事など、そうないだろう。それに、本書は教員の実態と本音を明かしているが、悲観的なばかりではなくどこか明るい。そこに著者の、仕事への思い入れが見られる。その証拠に、大学教員の仕事には何の魅力もないかという問いかけには「『NO』と答えたい」と断言している。見えない苦労を知って教壇に目を戻せば、講義をする先生の姿も一味違って見えるかもしれない。きっと大学教員だけでなく、他の職業にも同じことが言える。働く大人の、自分からは見えない仕事に思いを馳せるきっかけを、本書からもらった。(悠)

「人類が作れないものはなに?」と聞かれて、読者は何を思い浮かべるだろう。タイムマシン?どこでもドア?不死の薬?実はもっと身近なものがある。「土」だ。誰もが関わり、あまりに身近で軽視してしまいそうな土。しかしこの土を、人類はいまだに一から作れない。本書では、土の成り立ちや生物との関わり、著者による土づくりへの挑戦、そして土の再定義が、地球史のスケールで描かれる。身近すぎて見過ごされがちな土を、無数の生命による巨大なシステムとして捉えなおす一冊だ。
そもそも土とは何だろう。本書の冒頭、こう定義される。「岩石が崩壊して生成した砂や粘土と、生物遺体に由来する腐植の混合物」(本の中で定義は徐々に変化していくが)。ここで問題になるのが「腐植」だ。生物の遺体をミミズやヤスデが細分化して腐葉土を作り、細菌やキノコ、カビが更に分解して腐植を生成する。腐植の中で化学構造が特定できている物質は数十万種類に上ると言われる。だが、それは全体の数%に過ぎない。多くの腐植のレシピはブラックボックスの中にある。つまり土は単なる物質ではなく、生物の共同作業の産物なのだ。生成の過程に無数の生物が関わるため、シャーレの微生物1種ではとうてい再現できない。自然の営みによって1㌢の土が作られるのには100~1000年かかると言われる。その薄切れ1枚ずつが難解なパズルなのだから、土を作るのは容易ではない。
このように、生物と土は深く関係している。土があるから生物は生存し、進化する。生物がいるから、土は生まれる。互いを前提とするため、生物の死滅した土地で土を作ることは困難だ。ここで著者が提唱するのは、既存の土を使った土づくりだ。荒廃した土地で土を作るには、例えば微生物群の豊かな土を散布し、土地にその微生物群を定着させればよい、ということだ。著者はそれを実験する。墓石制作時の岩石粉末や火山灰、NASAの火星再現「土」をそれぞれ天然林に埋設する。しばらくすると、素材に応じて異なる微生物群が定着することが判明した。これを土づくりに使えばよいのではないか。本書の醍醐味の1つは、他者の仮説の紹介に終わらず、著者自身が土を掘り、実践する点にある。汗を流して土づくりに励む著者の様子が、本書を活き活きとさせる。
読後、日常の風景が変わって見えた。鴨川の亀石、下水溝の蓋、ベランダの床。あらゆる場所で、秘密裏に土の生成が進んでいる。目の前の風景は、途方もない数の生き物が関わる、ずいぶん面倒で再現性のない営みの上に成り立っている。少し途方に暮れる。小さな人類が、ずいぶん大きなことをしでかしている。
正直本書は、文系の評者には難解で骨が折れた。しかしイラストや日常に落とし込んだ例え(ラグビーのスクラムや栗饅頭)のおかげで、クククッと含み笑いしながら読み切ることができた。本書の目的として著者は「読者の知識の多様性と冗長性を高める」ことを挙げている。実際、本書は「この情報関係ある?」という文章が頻繁に登場する。しかしこの文章構造自体が、多様で冗長な微生物の組み合わせから成り立つ「土」のようで、分厚い知識の地層をニヤニヤと眺めるように楽しめる一冊だ。(雲)

目次
第33位 意外と知らない「琉球処分」を捉えなおす 『琉球処分「沖縄問題」の原点』第28位 哀しくも愛すべき教授のお仕事 『国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ』
第41位 身近な土の千夜一夜物語 『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』
|
順位
|
書名
|
著者
|
販売冊数
|
||
|---|---|---|---|---|---|
|
1
|
成瀬は天下を取りにいく
|
宮島未奈
|
179
|
||
|
2
|
成瀬は都を駆け抜ける
|
宮島未奈
|
139
|
||
|
3
|
まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書
|
阿部幸大
|
126
|
||
|
4
|
思考の整理学
|
外山滋比古
|
116
|
||
|
5
|
正欲
|
朝井リョウ
|
88
|
||
|
6
|
京大生、出町にダイブ!
|
青木悠
|
86
|
||
|
7
|
大阪・関西万博ぴあ
|
|
78
|
||
|
8
|
アルジャーノンに花束を
|
ダニエル・キイス
|
77
|
||
|
9
|
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
|
三宅香帆
|
74
|
||
|
10
|
論理的思考とは何か
|
渡邉雅子
|
72
|
||
|
11
|
ユダヤ人の歴史
|
鶴見太郎
|
68
|
||
|
11
|
国宝 上
|
吉田修一
|
68
|
||
|
13
|
暇と退屈の倫理学
|
國分功一郎
|
65
|
||
|
14
|
中動態の世界
|
國分功一郎
|
64
|
||
|
15
|
国宝 下
|
吉田修一
|
59
|
||
|
15
|
同志少女よ、敵を撃て
|
逢坂冬馬
|
59
|
||
|
17
|
会社四季報業界地図 2025年版
|
東洋経済新報社
|
58
|
||
|
18
|
四畳半神話大系
|
森見登美彦
|
56
|
||
|
18
|
夜は短し歩けよ乙女
|
森見登美彦
|
56
|
||
|
20
|
成瀬は信じた道をいく
|
宮島未奈
|
53
|
||
|
21
|
三体
|
劉慈欣
|
52
|
||
|
21
|
汝、星のごとく
|
凪良ゆう
|
52
|
||
|
21
|
あいまいさに耐える
|
佐藤卓己
|
52
|
||
|
24
|
金閣寺
|
三島由紀夫
|
51
|
||
|
24
|
コンビニ人間
|
村田沙耶香
|
51
|
||
|
24
|
物語化批判の哲学
|
難波優輝
|
51
|
||
|
27
|
傲慢と善良
|
辻村深月
|
50
|
||
|
28
|
NEXUS 情報の人類史 上
|
ユヴァル・ノア・ハラリ
|
49
|
||
|
28
|
夜行
|
森見登美彦
|
49
|
||
|
28
|
国立大学教授のお仕事
|
木村幹
|
49
|
||
|
28
|
現代思想入門
|
千葉雅也
|
49
|
||
|
32
|
「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない
|
三宅香帆
|
45
|
||
|
33
|
成瀬は天下を取りにいく
|
宮島未奈
|
43
|
||
|
33
|
琉球処分
|
塩出浩之
|
43
|
||
|
35
|
NEXUS 情報の人類史 下
|
ユヴァル・ノア・ハラリ
|
42
|
||
|
36
|
リサーチ・クエスチョンとは何か?
|
佐藤郁哉
|
41
|
||
|
36
|
街とその不確かな壁 上
|
村上春樹
|
41
|
||
|
36
|
何者
|
朝井リョウ
|
41
|
||
|
39
|
カウンセリングとは何か
|
東畑開人
|
40
|
||
|
39
|
食権力の現代史
|
藤原辰史
|
40
|
||
|
41
|
問いの立て方
|
宮野公樹
|
39
|
||
|
41
|
方舟
|
夕木春央
|
39
|
||
|
41
|
サピエンス全史 上
|
ユヴァル・ノア・ハラリ
|
39
|
||
|
41
|
土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る
|
藤井一至
|
39
|
||
|
41
|
フッサール入門
|
鈴木崇志
|
39
|
||
第33位 意外と知らない「琉球処分」を捉えなおす 『琉球処分「沖縄問題」の原点』
沖縄県がかつて琉球王国という国家だったことは広く知られている。今では同じ日本でも、琉球語や首里城の存在から、異国としての歩みに思い至らずにはおけない。琉球が日本に属するようになった出来事として、中学や高校で学習する「琉球処分」の名前を知る人は少なくないだろう。だが「処分」がなぜ、どのように行われたのか、と聞かれて、まともに答えられる人はどれほどいるだろうか。1つの国家の終焉にとって、戦争や滅亡ではなく「処分」というのはあまりにさらりと響く。なぜ琉球は「処分」を受けることになったのか?琉球側の抵抗はなかったのか?こうした素直な疑問に答えてくれるのが、「琉球処分」を題する本書である。
本書ではまず、1420年代の琉球統一以来続いてきた中国への朝貢や、江戸時代初頭の侵攻に伴う島津氏への服属を挙げ、幕末以前の琉球の歴史を概観する。琉球は島津氏に服属した後も、外交や内政を裁量でき、中国への朝貢を継続していた。ここから、琉球は日本の一部ではなく、日中双方に服属する1つの国家だったことが確認される。続いて著者は、他国への朝貢による服属が、西洋の主権国家原則には相容れない部分があると指摘。明治政府の琉球併合に向けた動きは、日本が西洋に倣って主権国家として振る舞う過程で生じたものだと論じる。
幕末以降は、欧米諸国と琉球との間に結ばれた条約や、冊封関係に基づく東アジアの伝統的な国際秩序と主権国家原則の受容をめぐって、日本と琉球・清の間で生じたすれ違いが問題となる。本書ではこの点について、関係各国の主体が、琉球の政体や、琉球併合を断行する日本の姿勢をめぐり、どのような認識をもっていたかを、多くの史料を援用して多面的に描き出している。処分を日本近代史の中にのみ位置づける一面的な理解を越えて、琉球や清はもちろん、東アジア諸国、欧米列強を含む国際関係の中で捉えなおすことができるように配慮されている。
琉球王府は一貫して日中両属の維持を求め、併合に抵抗した。清も冊封関係を主権国家原則と両立可能と見なし、琉球王国の存続を支持していた。一方、日本は中央集権体制の確立や主権国家原則の受容のため、属国である琉球の併合を必然視し、強い意志をもって処分を断行した。こうした処分の一方性は、本書の随所で直接引用される、明治政府の官僚や琉球王府の高官たちの発言や記録を通じて、強く意識される。
本書の副題『「沖縄問題」の原点』でも示されるように、一方的な併合はその後の沖縄統治の特殊性に結びついた。たとえば、処分後の沖縄県では、統治安定化のために旧慣維持の方針が取られ、県民の参政権獲得は他県に遅れた。教育においても言語や風習の同化が図られ、大和人と琉球人の間には植民地的な上下関係が存在した。本書が描くこうした歴史的背景を踏まえて、戦後の基地問題や、沖縄独自の政治運動・社会運動の展開を眺めた時、その起源を琉球王国という国家を一方的に併合した琉球処分に求める著者の論も、納得感を持って受け止められる。
沖縄は戦後に至っても、日本返還の遅れや在日米軍施設の集中といった、本土とは異質な政治的問題を抱えてきた。しかし、沖縄が現在日本に属する以上、そうした問題の解決は本土を含む全国の有権者の判断に委ねられることになる。この構造の遠因が、琉球の自主決定権を剥奪した琉球処分にあるのなら、その背景に対する十分な知識を持たずに「一方的」な判断を沖縄に押し付けることは望ましいだろうか。中学・高校で習う日本史の知識だけでは一面的な理解にとどまりがちな「琉球処分」の実態を、様々な立場から立体的に描き、読者を奥行きのある理解へと誘う本書は、「沖縄問題」を考えるすべての人にとって、判断の下支えになる教養を提供する一冊だ。(汐)

『琉球処分 「沖縄問題」の原点』
塩出浩之著
中央公論新社(中公新書)
2025年
塩出浩之著
中央公論新社(中公新書)
2025年
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第28位 哀しくも愛すべき教授のお仕事 『国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ』
世の中には、働く大人があふれている。そして、実はよく知らない仕事も。大学生にとって身近な働く大人に、教壇に立つ大学教員がいる。本書は、国立大学で教授として働く著者が、大学教員としての30年間の経験をもとに仕事の実態とその変化を赤裸々につづったものである。本書を通じて大学教員のお仕事をのぞいてみよう。
大学教員というと、自分の興味や好きなものをとことん追究し没頭する研究者のイメージが強い。しかし、本書を読んでわかるのは、研究に没頭してもいられない実情である。もちろん、国公立か私立か、専門分野が理系か文系かなど、一口に大学教員とはいっても事情は様々であり、本書の内容はあくまで著者の経験に基づくものに限定されている。
大学教員には研究者としての顔と、教育者としての顔の2つがある。しかし、その裏で驚くほどの事務的な業務をこなしている。膨大な量のメールの返信と書類の作成・確認に加え、多種多様な会議がある。各部局の意思決定機関である教授会や、教授会の議題を決定し原案を作成する執行部会議、そして日常業務を担当する各種委員会。複雑で巨大な大学という組織においては「会議のための会議」を行わなければいけないのだ。文部科学省の調査(2025)によれば、労働時間のうちの研究時間の割合はなんと32%だという。さらに、国から交付される予算が減る中で、外部資金獲得のためには学会・研究会を通じて人脈を作り、研究の機会を広げたり、学界に自らの研究を発表して売り込んだりといった「営業」の仕事もかかせない。研究室に閉じこもってはいられないのだ。
次に働き方に着目してみよう。大学教員に対しては「裁量労働制」という、実労働時間に関わらず、あらかじめ規定された時間を働いたとみなしてその分の賃金を払うシステムが適用されている。この制度は研究という終わりのない業に向き合う研究者に適しているが、残業手当がつかないという問題もある。通常の教育・研究以外の学内業務は研究者としての評価・業績にはつながらない上に、研究時間を奪われることにもなるため、負担を避けたいというのが教員の本音だ。
大学の長期休暇を教員はどのように過ごしているのだろう。授業が行われない期間は最も集中して論文が書けるため、執筆に勤しんだり、海外に出張して国際学会に参加したり、フィールドワークや実験を進めたりなど、授業時間の制約を受けず研究できる時間だ。学生がいない閑散としたキャンパスでも、研究室や事務室の中は絶えず動いている。
正直なところ、本書を読んで大学教員に憧れを抱く、という人は少ないだろう。むしろ、「大学教授のお仕事」はなんだか予想以上に大変そうで、思っていたのと違うと思われるかもしれない。けれどもこの世に楽な仕事など、そうないだろう。それに、本書は教員の実態と本音を明かしているが、悲観的なばかりではなくどこか明るい。そこに著者の、仕事への思い入れが見られる。その証拠に、大学教員の仕事には何の魅力もないかという問いかけには「『NO』と答えたい」と断言している。見えない苦労を知って教壇に目を戻せば、講義をする先生の姿も一味違って見えるかもしれない。きっと大学教員だけでなく、他の職業にも同じことが言える。働く大人の、自分からは見えない仕事に思いを馳せるきっかけを、本書からもらった。(悠)

『国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ』
木村幹著
筑摩書房(ちくま新書)
2025年
木村幹著
筑摩書房(ちくま新書)
2025年
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第41位 身近な土の千夜一夜物語 『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』
「人類が作れないものはなに?」と聞かれて、読者は何を思い浮かべるだろう。タイムマシン?どこでもドア?不死の薬?実はもっと身近なものがある。「土」だ。誰もが関わり、あまりに身近で軽視してしまいそうな土。しかしこの土を、人類はいまだに一から作れない。本書では、土の成り立ちや生物との関わり、著者による土づくりへの挑戦、そして土の再定義が、地球史のスケールで描かれる。身近すぎて見過ごされがちな土を、無数の生命による巨大なシステムとして捉えなおす一冊だ。
そもそも土とは何だろう。本書の冒頭、こう定義される。「岩石が崩壊して生成した砂や粘土と、生物遺体に由来する腐植の混合物」(本の中で定義は徐々に変化していくが)。ここで問題になるのが「腐植」だ。生物の遺体をミミズやヤスデが細分化して腐葉土を作り、細菌やキノコ、カビが更に分解して腐植を生成する。腐植の中で化学構造が特定できている物質は数十万種類に上ると言われる。だが、それは全体の数%に過ぎない。多くの腐植のレシピはブラックボックスの中にある。つまり土は単なる物質ではなく、生物の共同作業の産物なのだ。生成の過程に無数の生物が関わるため、シャーレの微生物1種ではとうてい再現できない。自然の営みによって1㌢の土が作られるのには100~1000年かかると言われる。その薄切れ1枚ずつが難解なパズルなのだから、土を作るのは容易ではない。
このように、生物と土は深く関係している。土があるから生物は生存し、進化する。生物がいるから、土は生まれる。互いを前提とするため、生物の死滅した土地で土を作ることは困難だ。ここで著者が提唱するのは、既存の土を使った土づくりだ。荒廃した土地で土を作るには、例えば微生物群の豊かな土を散布し、土地にその微生物群を定着させればよい、ということだ。著者はそれを実験する。墓石制作時の岩石粉末や火山灰、NASAの火星再現「土」をそれぞれ天然林に埋設する。しばらくすると、素材に応じて異なる微生物群が定着することが判明した。これを土づくりに使えばよいのではないか。本書の醍醐味の1つは、他者の仮説の紹介に終わらず、著者自身が土を掘り、実践する点にある。汗を流して土づくりに励む著者の様子が、本書を活き活きとさせる。
読後、日常の風景が変わって見えた。鴨川の亀石、下水溝の蓋、ベランダの床。あらゆる場所で、秘密裏に土の生成が進んでいる。目の前の風景は、途方もない数の生き物が関わる、ずいぶん面倒で再現性のない営みの上に成り立っている。少し途方に暮れる。小さな人類が、ずいぶん大きなことをしでかしている。
正直本書は、文系の評者には難解で骨が折れた。しかしイラストや日常に落とし込んだ例え(ラグビーのスクラムや栗饅頭)のおかげで、クククッと含み笑いしながら読み切ることができた。本書の目的として著者は「読者の知識の多様性と冗長性を高める」ことを挙げている。実際、本書は「この情報関係ある?」という文章が頻繁に登場する。しかしこの文章構造自体が、多様で冗長な微生物の組み合わせから成り立つ「土」のようで、分厚い知識の地層をニヤニヤと眺めるように楽しめる一冊だ。(雲)

『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』
藤井一至著
講談社(ブルーバックス)
2024年
藤井一至著
講談社(ブルーバックス)
2024年
