インタビュー

脇田真清 霊長類研究所助教・イグノーベル賞受賞経験者

2011.03.05

2010年に「二次元物質グラフェンに関する先駆的実験」でノーベル物理学賞に輝いたアンドレ・ガイムという科学者がいる。彼はかつて2001年に「カエルと力士を浮揚させるための磁石の使用」でイグノーベル賞を受賞している。ここで編集部では、一見おかしいと思われる研究ないしその研究精神が、後に多くの人から認められるような素晴らしい研究に結びつくのでないかと考えた(ノーベル賞がすべてではないけれども)。そこで今回、1995年にイグノーベル・心理学賞を受賞したことのある脇田真清助教(当時は慶応義塾大学在籍)を訪ねに愛知県犬山市の京都大学霊長類研究所に向かった。(丼・春・書)

イグノーベル賞とは



イグノーベル賞とは正統なノーベル賞(Nobel Prize)に反意的な意味を付加する「ig」という接頭辞を付けて卑劣な、あさましいなどの意味を持つ「ignoble」という単語にもかけてできたユーモアな賞のことである。ノーベル賞とは異なり人々を笑わせ、考えさせる研究に対して与えられる。サイエンス・ユーモア雑誌『風変わりな研究の年報』とその編集者であるマーク・エイブラハムズにより1991年に設立され、企画運営されている。授賞式は毎年10月、ハーバード大学で行われる。旅費や滞在費は自己負担。スピーチでは笑いをとることが求められる。スピーチ中に制限時間が近づくと、ぬいぐるみを抱いた幼女が舞台に上がって邪魔をしにくる。スピーチが終わると、観客が一斉に紙飛行機を投げつけるのが恒例。 この投げ終わった紙飛行機を掃除するのは、ハーバード大学の教授で、「光のコヒーレンスの量子理論への貢献」で2005年にノーベル物理学賞を受賞した世界的物理学者・ロイ・グラウバー博士。授賞式には、本家のノーベル賞を受賞した学者も多く出席している。共同スポンサーは、ハーバード・コンピューター協会、ハーバード・ラドクリフSF協会など。ちなみに、日本人学者はこの賞の常連であり、2011年2月現在、計20回行われた中で15回受賞している。

イグノーベル賞の受賞(95年)

―イグノーベル賞(1995年)の受賞理由を詳しくお聞かせください。

受賞理由はハトにモネとピカソの絵を弁別させたこと。

具体的には、サルを実験として使うときは指でボタンとかレバーを押してもらうのだけど、ハトの場合は例えばピカソの絵の時にくちばしでこのスクリーンを突付いてください、モネの時は突付いたらいけませんとする。その後で、いままで見たことのないピカソやモネ絵を見せて区別できるかを調べてみた。また、モネっぽい絵、つまり印象派の他の画家の絵を見せたり、ピカソとは別のシュールレアリストの画家の絵を見せたりしてそれらにどう反応するかも試してみた。

結果的に、それまで見せていないモネやピカソも区別したし、モネ以外の印象派の絵やピカソ以外のシュールレアリズムの絵も、モネっぽい絵やピカソっぽい絵というように反応した。つまり、ハトが絵を見分けたのは、見た絵を覚えたからではなくて、ヒトがそうしているように、こんな感じの絵がモネの絵だったりピカソだったりするという概念を形成したからなのです。

―実際にイグノーベル賞の授賞式には出られたのですか?

イグノーベル賞を運営している団体が旅費を出してくれなくて私費で行かなければならないこともあり行かなかった。授賞式に出たら、気の利いたジョークを言わなきゃいけないし。だから、通知を受けただけでした。私が受賞したのは1995年で賞設立から間もなかったので賞の存在すら知らなかった。

―当時、イグノーベル賞を受賞したときの反響はどうでしたか?

あまりなかったですね。でも、日本の漫画雑誌にもピカソとモネを見分けることのできるハトがいるみたいな挿絵が載ったことがありますね。あと何かの本の序文でもどうやら私たちの研究が紹介されているようです。

(※エドゥアール・ロネ『変な学術研究1 光るウサギ、火星人のおなら、叫ぶ冷蔵庫』(ハヤカワ文庫NF)を参照)

でもしかし、私がすごく感心したのは、この論文は専門家なら誰でも読んでいるジャーナルに載ったんだけども、万人が読むような雑誌ではないのに、それをうまく選考委員が見つけたということ。

科学者とは?

―もともと科学者志望だったのでしょうか?

就職活動もしようかなと思っていたのだけれども、理屈っぽく物事を考えるのが好きだったし、大学院にも合格したということで、なんだかんだで大学に残った。

ちょうどバブルのころだったこともあり「大学に残る」と親やまわりの人に言うと「バカだな」って反対されましたね。

―先生のご専門を聞かせてもらってよろしいでしょうか。

専門は比較心理学ですね。対象がヒトではなくヒト以外の動物で、それらの脳活動と学習の関連を調べていますね。しかし、自分の専門を何と言うのかを決定するのは難しい。一応書類では実験心理学としている。

―最近はどのような研究をなされているのですか?

サルがモノの形をどう認識しているかを調べている。幼児は鏡文字をかいてしまったりしますよね。それは図形の上下左右の特徴をうまく処理できないから起こる。それと同じようにサルが図形の上下左右をどのように認識しているか、というのを最近では研究しています。

そして、聴覚についても研究をしていて、例えば我々は音韻が同じでも順序の違う「サカ」と「カサ」の意味が違うことを知っている。でも、幼児は『となりのトトロ』でも出てくるけれど、「トウモロコシ」を「トウモコロシ」って言ったりするわけ。このように、音声言語では音素の順序を正しく認識することが重要。では、サルの場合は音声信号をどれだけ細かく認識しているのか、ということを研究している。

視覚の研究に関しては―たとえばいまさっき(霊長類研究所の最寄りの)犬山駅を降りた。では駅にあったイトーヨーカドーのハトの絵が描けるか―ということをやっている。ヒトはその絵を「ハト」という概念で見てしまうから実物をみていない。そのハトが右を向いていたか左を向いていたかは無視したかもしれないし、何かをくわえていたかどうかもわからない。記憶または認識しているのは実際よりもシンプルなものになっている。

ヒトは言語を扱う。だから映像を概念的に認識してしまう。一方、サルにはヒトみたく言語をもっていない。それでも、サルにも概念というものがあるかどうか―を調べている。

―実際にこの研究は何の役に立っているのですか?

直接的に何かの役にたっているとは言い難いが、もしもこの研究が成功すれば、脳の働きがわかる。科学者はある理論を応用して新たな実用的な技術を作る。

一方、古文書を解読して何の意味があるのかというのは見えにくいように、「はやぶさ」が宇宙からホコリを持ち帰ってきたからどうしたという人もいる。しかし、ある知識がいつどこで何かの役に立つかわからない。だから知識はもっていなければならない。僕は単純に知りたいから研究している。もちろん何かの役に立つとうれしいが。

最近の世間の流れをみていると実用さを求めるあまり近視眼的になりすぎて基礎研究の重要性がないがしろにされている気がする。今必要なことだけをやっていては、将来的に起こるだろう問題を解決できないし、第一、今だけ必要とされることはそのうち不必要になる。「知る」という行為そのものが有意義だということをわかってほしい。楽しいだけでは食べていくことはできないのだけれど。

―ところで、なぜ認知心理学を学ぼうと思ったのですか。

学部は文学部でした。もともと脳に関して興味があって、高校時代、心理学を専攻していた外国人が書いた脳についての本を読んだ。そこで脳について研究するには文学部に行けばいいんだと思い込んで文学部に入った。結局、文学部では脳のことを調べるための手続きを認知心理学の中で学び、脳のことを研究するためのテクニックとして行動分析学を学んだ。

―一応、文学部ということは文系ということですが理系の知識に関してはどのように補われたのですか?

「理系・文系」という区別はあまり好きではないけれど、解剖の技術は日本医科大で習った。霊長類研究所は理学研究科に属していますが「理系・文系」問わずあらゆる学部の出身者を大学院生として募集しています。

学問というのは普遍的なものを探求するから、最終的には文系とか理系とかの区別はなくなるんですよね。文系の人だってコンピュータの知識は必要ですから。

―科学者の日常について教えてください。

朝、研究室に来て、サルの飼育室に行く。隣の建物の実験室で実験。実験が終わるとおひるごはんを食べる。そして、実験のデータ処理をして一日の仕事が終わる。このようなルーチンワークを繰り返す。

論文は家でも研究室でも読む。休日は趣味の畑仕事をしたりしています。科学者という仕事は趣味と仕事の区別がつきにくいです。毎日が言うなれば「オン」みたいなものだから。よく言われるけど、企業で働く研究者と大学の研究者の違いとしては、大学の研究者はテーマの設定も成果を求めるのも自分自身ということもあり、すべて自己責任で研究しています。

学会に関しては、霊長類に特化した研究所はここだけで、サルを用いて研究している機関がちょこちょこあるだけなので、少ないけども霊長類に関わる研究者の参加する学会は年に数回あります。学会は大抵2日間あって、国際学会みたいに発表者が多いと発表件数が増えるので期間が長くなります。なぜ毎年学会を開くかというと、日頃メールでやりとりしている研究者が一堂に会して普段の研究についての理解の促進を図るために行う。実際に対面でコミュニケーションをとらないとわからないこともあるから。

大学と高校

―高校のころの成績はどうでしたか?

悪かったですね。愛知県のふつうの公立高校に通っていました。部活は弓道部でのんびりとした高校生活を過ごした凡庸な学生でした。文系コースにいましたから生物も学んだことはなかったが大学に入ってからでもなんとかこうしてやっていけています。

浪人もしました。その時に「予備校」というものに初めて通った。それから受験には「テクニック」というものがあると聞かされて問題が解けるようになった。だから、高校時代の成績なんか気にしなくていいですよ。

―研究型人間と受験型人間はやはり違うものなのですか?

たくさんいろんな知識を覚えて結果をだせる人としっかり考える能力のある人とは違う。基本的なことは当然暗記しなければならない。学校の勉強では「知っている」か「知らない」かが問題になるが、研究では自分で初めから考えなければならない。いままで誰かがやってきたことは誰でもできる。誰も今まで挑戦しなかったことをするには自分で考えなければならない。仕事としてやるなら、「いままでやったことないからできない」は通用しない。どの職業においても同じだけど。

―昨今、高専(高等専門学校)と大学の差別化が最近なされていない気がするのですが。

大学と高専の差異としては例えば、医学部は例外として、高専のようにある技術習得を目的としない分、大学では教養を身につけられる機会が多いということ。教養を高めておくのは研究にも必要になってくる。この点を考えないと、大学が就職予備校と変わらなくなってしまう。教養は幅広い視野を養う上で大切。

例えば、サルの研究家はサルとヒトの論文しか読まない。しかし、ネコの研究家はネコ、サル、ヒトの論文を読む。うっかりするとサルの研究者は,他の動物種を使う研究者よりも視野が狭くなってしまう。私の場合は視覚の研究を主にやっているけれど視覚だけではなく聴覚、触覚などの研究も調べてより包括的な原理がないかということにいつも注意している。

仕事は人間どうしがするものだから、どうせなら仕事に関する知識以外にもいろいろな知識のある人と仕事したいですよね。京大でも一般教養の単位は文系の学部でも、理系の学部でも取得しなければならない。一般教養はつまらないと学生に敬遠されがちだがいつどこで役に立つかわからないので積極的に受けてほしい。大学教員は一般的に「研究は一流、授業は下手」と言われるが、研究をしながらの授業の用意は大変。でも、授業はやはり関心を持たせないといけないと思って準備しているし、面白くないからと言って中身がないわけではない。楽しいことばかりが人生ではないし、学部時代にあれをやっておけばよかったと思うことは多々ありますから。

海外と日本

―日本以外の国での霊長類研究はどのようなものなのでしょうか?

アジアの近隣諸国ではよく聞かないですね。研究そのものが進んでいるのはアメリカ。学問で一番進んでいるのは総じてアメリカ。理由としては、学問にお金を費やすことのできる環境ができあがっているから。つまり、学問を財産とするのに(世間一般の)理解があるから。

しかし、アメリカがあらゆる分野をリードしているわけではない。文化が違うから簡単に優劣はつけにくいけれども、霊長類研究に関しては、脳の分野では日本は規模が小さいが、生態に関するものはリードしていると思う。北米大陸やヨーロッパには野生のサルはいないが、日本にはいるという理由があるかもしれない。

アメリカに対してヨーロッパはどうかというと、ヨーロッパのひとはものを深く考えるのが得意。実験結果の考察部分がヨーロッパの人はアメリカの人より優れている感がする。昔は今みたいにネットが普及していないから論文の請求を郵送でしていた。その頃、僕にはアメリカよりもドイツからよく論文の請求があったのを、学位論文の審査をしてもらった人に「きみの論文は考察がしっかりしているのだね」と言われた。まあ、考察がしつこいんでしょう。ヨーロッパには中学生から哲学の授業を組み入れているところもあるぐらいだから思考が深い。それでも、日本にはアメリカともヨーロッパとも違う日本独自の研究文化があればいいと思う。ナンバーワンはすぐにナンバーツー以下になりますが、オンリーワンは常にナンバーワンですから。

―最後に科学者を目指す人たちにメッセージをお願いします。

なにかやりたいことがあるなら、何か一つのことに没頭すること。オタクみたいに人から気持ち悪いと言われようが、その一つのことにこだわることが重要ですね。私自身高校時代になにかに熱中していた、ということはないですけど、脳のことには結構興味があった。

法学部の人は大体みんな大学に入る時は弁護士になるという。でも、実際はそんなことはない。大学に4年間もいると考え方ががらりと変わる。こんなやつ見たことないっていう種類のひとにたくさん出会うから。

他のアドバイスとしては、どんなことにもあてはまるけれど楽なことばかりしたらいけないですね。肉体的にも精神的にもダレてしまいますから。京大は歴史も長いし、数多くの偉人を輩出してきた。京大に入れば幅広い教養に裏打ちされた豊富な視点をもった友人に出会えるでしょう。そうした友人は自分を刺激してくれ、また時には自分の潜在能力を発揮するのを手助けしてくれるかもしれません。

霊長類研究所

―霊長研の先生はサル語を話せると聞いたのですが本当なのでしょうか?

松沢所長(※松沢哲郎教授。チンパンジーの「アイ」と「アユム」の研究で有名)は実際にチンパンジー語話していますよ、お客さんが来ると。「ハォー」って叫んでいますね。研究者は大体話せます。昔は僕も鳥の声も含めて出せたけどね。でも、話せるとはいっても会話のキャッチボールができるというわけではない。話せるというよりは声が出せるという具合。研究者は普段実験でサルに触れていると実際に話したくなるんですね。

―ありがとうございました


脇田真清(わきたますみ)
1966年愛知県生まれ 霊長類研究所行動神経研究部門助教。博士(心理学)。
慶応義塾大学博士課程修了後、大阪大学医学部寄附講座・認知脳科学講座助手を経て現職。
著書に、講談社ブルーバックス『新しい霊長類学』(共著)
紀伊国屋書店『霊長類進化の科学』(共著)《本紙に写真・図表掲載》

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