文化

〈生協ベストセラー〉 A.R.ルリヤ『偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活』(岩波現代文庫)

2010.12.24

ときは1920年代、ソ連。心理学者の著者のもとへある男がやってくる。名前を「シィー」と伏せられる彼は新聞記者であり、デスクからここへ来て自分の記憶力を調べるよう指示されたのだ。著者は好奇心から検査を行うが、早くも一回目のテストで当惑し、狼狽する――シィーには記憶量にも、記憶を維持できる期間にも、限界が見られないということに。本書は被験者シィーを、30年に渡って観察し分析した著者による小さな本である。

ところで「記憶」と一口に言っても、その記憶期間や記憶対象物によって様々である。本書はひとりの人間に対して様々な角度から考察を加えた。その全体像を俯瞰するよりも、評者はここで最も関心を引いた記憶について述べたい。それはすなわち、われわれが持つ最も初期の記憶だ。人によっては小学生低学年か、幼稚園児か、さらにそれより前に何を見たか。評者は哺乳瓶が転がるさまを記憶している。おそらくたいていの人は、何か視覚的な情報と、それに付随する情報しか残っていないだろう。新聞記者ののちに記憶術者となったシィーは、自身の一歳前の記憶について次のものを見る。部屋の調度品、母親のベッド、ゆりかご、茶色い壁紙…。母親を、何か身をかがめるとよいことがおきる、『すばらしいもの』と知覚していたということ、夕方『こう』なって泣きだしたこと。

幼児期の記憶に関して、その前半はわれわれの記憶に見るものとそう相違ない。それはものをそのまま記憶するシィーの特殊な能力に由来する。後半からは読んでぎょっとした。その記憶は、シィーの「共感覚」に由来する。共感覚とは何か?【表】を見てほしい。共感覚は、ある感覚がほかの感覚を引き起こすことを言う。そしてシィーは共感覚が極めて発達しているために、記憶が感覚に補われて強固なものにも、逆に不安定なものにも転じる。では電話番号を舌先で感じる男が、果たして一般人と同じ精神世界を持ちうるのか。一歩進んだその問いの答えを知りたくば、この良書を読むと良い。(鴨)