文化

〈書評〉171ページの漫才 『火花』

2025.11.16

〈書評〉171ページの漫才 『火花』
文学部で国文学を学ぶ評者は、芥川賞作品を遡って読んでいる。その流れで面白さに気づいたのが、本作『火花』だ。作者はお笑いコンビ・ピースのボケ担当、又吉直樹。芸人の書いた芥川賞受賞作としても話題になった。主人公は売れない漫才コンビ「スパークス」のボケ担当・徳永。熱海で出会った天才肌の先輩芸人・神谷に心酔し、乞われるままに彼の伝記を書き始める。必然的に2人で多くの時間を過ごすようになり、売れない漫才師として共にもがく。こんな2人の日常が、作品を通して描かれる。

本作には、作者の漫才師としての日常が色濃く染み出している。先輩芸人とのエピソードに顕著で、作者のエッセイ『東京百景』と比較すればよく分かる。例えば『東京百景』のエピソード、先輩芸人が食事前に消費者金融でお金を借りてまで後輩の自分に食事を奢る「八十二 ルミネtheよしもと」や、先輩との会話でベージュのコーデュロイパンツを酷評したが、実は先輩が自宅に持っていた「四十 三宿の住宅街」は、そのまま神谷とのエピソードに活きている。作者の人生が小説に活きるのは当然のように思えるが、作者が芸人であることで、独自の視点とエピソードになっている。

本作は終幕の方法に批判がある。終盤、「スパークス」は解散ライブで、全て逆の事を言う漫才をする。会場は泣き笑いに包まれ、神谷も「スパークス」の漫才を初めて認めた。この漫才の形式に比喩されるように、「火花」は逆転して「花火」となったのだろうか。祭りの中、プロポーズの言葉を告げる個人花火が上がる。企業花火と比べて矮小なそれを、むしろ観客は祝福し、万雷の拍手を送る。ここで終われば美しい。しかし物語は終わらず、神谷の下品で、哀れですらある「お笑い」の下に終幕する。ネット上ではこのラストを「気持ち悪い」「どう考えても不要で不快」「グロくて感動できない」という意見もあった。しかし、この台無しな終幕こそが、本作を芸人・又吉直樹による作品だという事を克明にする。神谷は作中で、お笑いの哲学として、美しい世界を台無しにすることが肝心だ、そうすれば現実を超越した圧倒的に美しい世界が現れる、と語る。作品を構成するいくつかのエピソードでも、この美しい物をオチで台無しにするという手法が用いられる。そして、ラストの神谷の台無しなお笑いによって、作品全体もまたこの哲学に取り込まれ、1つの漫才として完成する。

本作は、文学を愛す漫才師による、文学的で美しい文章と、フリ・オチの利いたくすりと笑えてどこか哀しいエピソードに魅力がある。「どうせ芸人が書いたという話題性だけで芥川賞獲ったんだろ」と読まずに批判する態度を、私は批判したい。もっとも、授賞から何年も経ってから読んだ評者が言っても説得力がないが。(雲)

◆書誌情報
『火花』
又吉直樹著、文藝春秋
2017年
1200円+税

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