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〈書評〉悲劇を繰り返さぬための論理 『未来からの遺言 ―ある被爆者体験の伝記』

2025.10.01

〈書評〉悲劇を繰り返さぬための論理 『未来からの遺言 ―ある被爆者体験の伝記』
今から約50年前、高度経済成長も終わりに差し掛かった日本で、被爆者の声を集めようと立ち上がった人物がいた。本書の著者である伊藤明彦だ。彼は1971年に「被爆者の声を記録する会」を発起すると、自費による被爆者取材を開始。生活を切り詰めながら、被爆者の証言を録音テープに収め続けた。8年間で1千人余りの被爆者を取材し、この活動に一旦の区切りをつけた後、本書を書き上げた。

本書では、ある被爆者の鮮烈な語りから影響を受けて伊藤が構築した「被爆者論」が語られる。この「被爆者論」は明快で、しかもドラスティックだ。伊藤は原爆と被爆者の関係を、一般に考えられる原爆=加害、被爆者=被害者という図式だけでは捉えきれないと主張し、生き延びた被爆者の生活に焦点を当てることでこの固定観念を打ち砕く。原爆を、圧倒的な破壊力によって人間から「人間らしさ」を奪うものだと定義すると、原爆の後遺に苦しめられながらも「人間らしさ」を回復して生きていこうとする被爆者の営みは、原爆を否定する性質を帯びたものだと理解できる。そうすると、原爆によってその存在を一度否定された被爆者が生きようとすることで、原爆は被爆者に否定し返されるという新たな関係が見えてくる。被爆者をただ単純に被害者と捉えるのではなく、原爆を否定する者としての側面を照らし出そうとする態度から、平和を祈る語りに耳を傾け続けた伊藤の姿がうかがえよう。

さらに本書では、伊藤の「被爆者論」での原爆と人間の関係が一般化でき、被爆者以外の人々にも当てはまることが示される。人々が人間らしく生きようとする限り、たとえ被爆者でなくとも、「人間らしさ」を否定する原爆をなくそうとしないわけにはいかないと伊藤は語る。「人間の生命の力は(中略)結局のところ、原子爆弾を否定しつくすことになるのではありますまいか」。本書中に一貫する穏やかな文体がこの段に至ると静かに熱を帯び、原爆の異常性とその廃絶の必然性を読者に強く訴えかける。

伊藤は人間の生命の力のなかに「原爆を否定する」という本質を見出した。本書が初めて刊行されてから45年、世界では核兵器を抑止力とみなし、その存在を肯定する論理が生き続けている。国内でも核保有を求める声が少なくない。核兵器を保有しないことを非合理な「平和ボケ」だと切り捨てる言説も散見される。果たして本当にそうだろうか。核廃絶を求める伊藤の論は強固で、生きようとすることと核兵器を肯定することの間にある矛盾を鋭く指摘している。

本書で述べられるすべては、根強い核保有論に対し穏やかに、かつしたたかに反駁する。本書の題は、伊藤が被爆者の証言を聞くとき、まるで未来で起きる悲劇が語られているかのように感じ、「被爆者の語りは未来からの遺言だ」と思い続けてきたことに由来するという。私たちは平和のために、未来からの遺言をどう生かしていこうか。伊藤の論に触れることは、すなわち無数の被爆者の思いに触れるということである。戦後80年の今年、核兵器について多角的に考える一助としたい一冊。(梅)

◆書誌情報
『未来からの遺言―ある被爆者体験の伝記』
伊藤明彦著、岩波書店
2012年
1130円+税

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