〈寄稿〉百周年に寄せて 山本和利(松前町立松前病院医師)「よき友・伴侶・師と共に、 悔いのない青春を」
2025.04.01
30年前に京都大学学生新聞の記者を名乗るH君と総合診療科の医局で出会った。H君は京都大学病院に新設された総合診療科について教授に取材に来たのだが生憎不在であったため、偶々居合わせた私が対応した。話すうちに意気投合して、原稿を依頼された。その原稿は「総合診療部を訪れる患者:癒しを求めて」として学生新聞に掲載された。後に、その原稿は拙著『医療における人間学の探求』の巻頭を飾った。その原稿執筆を契機に総合診療への関わりが強くなったような気がしている。因みに、その後H君は某国立大学医学部に転入し、今では立派な児童精神科として活躍している。
さて、私は医師となって47年になるが、はじめの10年間を地域医療に従事し、その後30年間は大学に勤務し、定年後5年間を再び地域医療に従事して今に至っている。大学にいた30年間も地域医療に従事する医師の養成に携わってきたので、絶えず地域医療の充実に心血を注いだ人生ということになろう。
これまでの経験から、地域医療に従事する医師を養成するには、3つの点が大事であるという結論に達した。ひとつは、日本全体を見渡す医療政策(ミクロ合理性を追求しない)であり、医師・医学生への評価(数値で測れる指標だけで評価しない)であり、技術的合理性だけの追求ではない地域医療現場での実践(反省的実践家)である。
最近、紆余曲折の末、理想の医療を追求する小説を読んだので紹介したい。
それは『城砦』(A・J ・クローニン著)である。著者は1914年グラスゴー大学で医学を学ぶための奨学金を得た。首席で大学を卒業。その後、南部ウェールズの鉱山町で開業する。この時のことを『城砦』 に描いた。著者は私より50年早く生まれている。
50年前に私が大学に入学して、なぜか最初に読んだ小説が『城砦』であった。そして感動して母校の後輩に手紙を認めたことを思い出す。今振り返ると主人公Aと私の人生が似ているのである。医師の仕事に情熱を燃やす若き医師Aが赴任した先の指導医は脳卒中で寝てきりであった。Aは独学で突き進むしかないのだ。
卒後3年目の私が後期研修病院として赴いたのは原発の町の病院であった。そこには3人の内科医がいた。副院長を兼ねる医師はカルテにドイツ語で記載し、口頭で指示を出していた。私が居た3年間のうちに秘書の女性と駆け落ちしていなくなった。内科医長は黄疸であろうと何であろうと血圧だけを測って病室を出入りする人であった。最後の一人は高齢の台湾出身の医師で、心電図を逆さにして読んでいた。彼が処方した多量の服薬でよく患者が倒れた。外科医は勤務時間中の救急患者は断るが、時間外の救急患者は別に手当てが出るので診るという人だった。また勤務時間中は居ないのに、夕方から出勤して時間外手当をせしめている医師もいた。40年前の若輩医師の研修とはこんな状況であった。
本書は、主人公の若き医師Aが様々な苦難に立ち向かう半生を描いたものである。ある時は、医療制度に立ち向かい、ある時は、富や名声への渇望という自らの欲望に足をさらわれそうになりながら、希望の灯を絶やさない心の軌跡が描かれている。Aは「何のために生きるのか?」「何のために働くのか?」そんな人生の難問に出逢う。100年前の英国で遭遇する苦難や人生の落とし穴。いつの時代でも遭遇するのだ。
Aは奨学金を返すために鉱山の田舎町へ赴任する。理想が高く意欲は旺盛であるが、経験がない。運の悪いことに指導医は再起不能の寝たきりである。腸チフスも他院に勤める医師のつぶやきで思いつく(危うく見逃し)。衛生環境をよくするために行政官に訴えても埒が明かず、下水道を爆破するという快挙にでる。そんな中で素晴らしい伴侶Cに出会う(こんなにカネに惑わされず生甲斐を夫と追求する人は滅多にいないであろう)。貧乏でも幸せの日々。そして向上心も旺盛で、忙しい日常診療の合間に時間を捻出して勉学に励み、専門医の資格も学位も取得する。しかし、その後付き合った医師仲間が悪いのか、カネ儲けに走るようになり、Cとの仲も険悪となる(夫がカネを儲けると意気消沈する妻)。
そんな日々が続く中、外科手術で自分を頼ってきた患者が亡くなり、初心に帰る契機になる。医院を売却して、志の高い二人の医師と理想の医療を目指そうとしたとき、Aに不幸が襲う。さらに追い打ちをかけるように、医師免許剥奪の裁判に訴えられる。そこでの陳実がかっこいいのだ。果たして、医師免許は守られるのか。再び、理想の医療を仲間とともに目指せるのか。
本書を読んで、高く志を持ち続けるには3つのことが必要であると痛感した。よき友を持つこと、よき伴侶を持つこと、そしてよき師を持つことである。50年前の学生時代に私は本書のどこに感銘を受けたのか思い出せないが、現在に生きる若い医師や学生が読んで感動する本であることは間違いない。
若き学生諸君には、悔いのない青春を謳歌して欲しい。
さて、私は医師となって47年になるが、はじめの10年間を地域医療に従事し、その後30年間は大学に勤務し、定年後5年間を再び地域医療に従事して今に至っている。大学にいた30年間も地域医療に従事する医師の養成に携わってきたので、絶えず地域医療の充実に心血を注いだ人生ということになろう。
これまでの経験から、地域医療に従事する医師を養成するには、3つの点が大事であるという結論に達した。ひとつは、日本全体を見渡す医療政策(ミクロ合理性を追求しない)であり、医師・医学生への評価(数値で測れる指標だけで評価しない)であり、技術的合理性だけの追求ではない地域医療現場での実践(反省的実践家)である。
最近、紆余曲折の末、理想の医療を追求する小説を読んだので紹介したい。
それは『城砦』(A・J ・クローニン著)である。著者は1914年グラスゴー大学で医学を学ぶための奨学金を得た。首席で大学を卒業。その後、南部ウェールズの鉱山町で開業する。この時のことを『城砦』 に描いた。著者は私より50年早く生まれている。
50年前に私が大学に入学して、なぜか最初に読んだ小説が『城砦』であった。そして感動して母校の後輩に手紙を認めたことを思い出す。今振り返ると主人公Aと私の人生が似ているのである。医師の仕事に情熱を燃やす若き医師Aが赴任した先の指導医は脳卒中で寝てきりであった。Aは独学で突き進むしかないのだ。
卒後3年目の私が後期研修病院として赴いたのは原発の町の病院であった。そこには3人の内科医がいた。副院長を兼ねる医師はカルテにドイツ語で記載し、口頭で指示を出していた。私が居た3年間のうちに秘書の女性と駆け落ちしていなくなった。内科医長は黄疸であろうと何であろうと血圧だけを測って病室を出入りする人であった。最後の一人は高齢の台湾出身の医師で、心電図を逆さにして読んでいた。彼が処方した多量の服薬でよく患者が倒れた。外科医は勤務時間中の救急患者は断るが、時間外の救急患者は別に手当てが出るので診るという人だった。また勤務時間中は居ないのに、夕方から出勤して時間外手当をせしめている医師もいた。40年前の若輩医師の研修とはこんな状況であった。
本書は、主人公の若き医師Aが様々な苦難に立ち向かう半生を描いたものである。ある時は、医療制度に立ち向かい、ある時は、富や名声への渇望という自らの欲望に足をさらわれそうになりながら、希望の灯を絶やさない心の軌跡が描かれている。Aは「何のために生きるのか?」「何のために働くのか?」そんな人生の難問に出逢う。100年前の英国で遭遇する苦難や人生の落とし穴。いつの時代でも遭遇するのだ。
Aは奨学金を返すために鉱山の田舎町へ赴任する。理想が高く意欲は旺盛であるが、経験がない。運の悪いことに指導医は再起不能の寝たきりである。腸チフスも他院に勤める医師のつぶやきで思いつく(危うく見逃し)。衛生環境をよくするために行政官に訴えても埒が明かず、下水道を爆破するという快挙にでる。そんな中で素晴らしい伴侶Cに出会う(こんなにカネに惑わされず生甲斐を夫と追求する人は滅多にいないであろう)。貧乏でも幸せの日々。そして向上心も旺盛で、忙しい日常診療の合間に時間を捻出して勉学に励み、専門医の資格も学位も取得する。しかし、その後付き合った医師仲間が悪いのか、カネ儲けに走るようになり、Cとの仲も険悪となる(夫がカネを儲けると意気消沈する妻)。
そんな日々が続く中、外科手術で自分を頼ってきた患者が亡くなり、初心に帰る契機になる。医院を売却して、志の高い二人の医師と理想の医療を目指そうとしたとき、Aに不幸が襲う。さらに追い打ちをかけるように、医師免許剥奪の裁判に訴えられる。そこでの陳実がかっこいいのだ。果たして、医師免許は守られるのか。再び、理想の医療を仲間とともに目指せるのか。
本書を読んで、高く志を持ち続けるには3つのことが必要であると痛感した。よき友を持つこと、よき伴侶を持つこと、そしてよき師を持つことである。50年前の学生時代に私は本書のどこに感銘を受けたのか思い出せないが、現在に生きる若い医師や学生が読んで感動する本であることは間違いない。
若き学生諸君には、悔いのない青春を謳歌して欲しい。
やまもと・わり 札幌医科大学名誉教授。94年から京大医学部総合診療部講師を務めた。寄稿中の「H君」には、「京大新聞の百年」第十二回(24年7月16日号)で取材した。
