〈寄稿〉百周年に寄せて ミツヨ・ワダ・マルシアーノ(京都大学文学研究科教授)「百周年にふさわしい映画」
2025.04.01
百周年おめでとうございます。1925年が『京都帝国大学新聞』の創刊年だが、20世紀ポピュラー文化の中枢と目されてきた日本映画の歴史と比較すると、1925年は実に興味深い時期だと言える。
1912年に日活関西撮影所が、そして1913年に日活向島撮影所が発足し、1920年には歌舞伎を本業としていた松竹が、東京蒲田村に映画撮影所を開設した。周知のように1923年に関東大震災が起こり、東京中心部は壊滅。東京の撮影所が機能不全となった後、スタジオを含め、それを担う多くの映画人たちが京都へと向かった。巨匠・溝口健二もその一人だ。向島撮影所が閉鎖になった後、1923年に京都の日活大将軍撮影所に移っている。谷崎潤一郎が震災の後、関西に移住したことはすでに良く知られているが、日本特有の芸術的感性について論じた『陰翳礼賛』(1933)が雑誌連載され、それが単行本化されたのが1939年であった。〈関西〉という場が、1925年前後の日本のポピュラー文化にとって大きな影響を与えたことは明白だ。
本日はこの場を借りて本紙に対する〈印象〉、〈期待〉、そして〈百周年にふさわしい映画〉について書こうと思う。
●印象
『京都大学新聞』に対する印象や思い出について一つだけ明記するならば、それは校正を大切にしている点だろう。2023年7月から一年間、月に一度の割合で劇場公開映画について映画評論を書いた。映画評担当の編集者から毎回校正依頼が届く。それは、単純な書き間違えを指摘するだけでなく、表現に対する疑問や推敲案が含まれていた。編集者とのこういったやり取りは、筆者にとって有り難いことであると共に、表現に対する他者の「声」に耳を傾ける良い機会を与えてもらったと感じる。このような度重なる交渉があって初めて、読みやすい文章が生まれるからだ。オンラインが中心になりつつあるニュース・メディア/新聞だが、内容の正確さや読みやすさは、時間をかけた地道な作業から生まれるのだな、という好印象を受けた。
●期待
日本社会では「忖度する」ことが必然のように考えられがちだし、「雄弁は銀 沈黙は金」という諺も未だに人々に好感を持って受け入れられている。しかし、新聞というメディアにはそうあって欲しくないと思うのは、読者の総意だと思う。総長を含む大学の管理運営機構に対しても、高名な大学教師に対しても、また京都大学を取り巻くコミュニティのどんなメンバーに対しても、同等に誠意を尽くしながら、読者にとって必要なニュースを、しかもわかりやすく書き続けていくために、記者及び編集者一同が知恵を絞りながら、魅力的な新聞であり続けて欲しい。
●百周年にふさわしい映画
京都あるいは京都大学を題材とした小説、マンガ、アニメーションは結構あるが、京都大学を素材とする映画は少ない。その一つ、黒澤明の『わが青春に悔いなし』(1946)はあまりにも有名だが、これは日本社会全体が戦争に巻込まれようとする1933年から始まっている。京都帝国大学で起こった思想弾圧事件、通称「京大事件」の年である。意匠・黒澤作品ということもあり、本作品はAmazonプライム・ビデオ、YouTube、Google Playムービー&TVといった多くのVODで鑑賞可能なため、興味のある方はまずは作品を鑑賞して欲しい。
もう一作は必ずしも京都大学に関係があるわけではないのだが、〈百年ひとむかし〉に思いを馳せるという観点から、安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』(2024)に言及したい。幕末の京都で、長州藩士を討つことを命令された会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)が、映画の冒頭で落雷に打たれ、あっという間に140年後にタイムスリップする。降り立った先は、東映京都撮影所。荒唐無稽なSFまがいの物語だし、自主制作ということもあり、視覚的なやすっぽさは拭いきれない。しかし、作品を見進めるにつけ予想以上に心が打たれる自分に気がつく。まず、会津藩士・高坂が、あたかも本当に140年前の武士に見えてくるのに惹かれる。そして、役者たちだけでなく、殺陣師、カツラやメイクの床山、衣装や照明係といった、廃れつつある時代劇の制作を、今まで細く長く継承してきたプロフェッショナルたちの仕事ぶりが、不思議なほど映像を通して感じられる。「質の良いエンターテインメントだな」と、映画を見終わった時に感じた人も多かったに違いない。キネマ旬報ベストテン2024年で、本作品は「読者選出日本映画」部門で堂々の2位となり、山口馬木也は「主演男優賞」部門の2位となっている。百年以上前に存在した男が、どうやって現代社会の中で生き残り、そして新たに生きる喜びを見出すのか?普遍的な人間の存在意義を考えさせられる本作を持って、『京都大学新聞』にもこのように逞しく生き残って貰いたいなと思いつつ、心からのエールを送りたい。
1912年に日活関西撮影所が、そして1913年に日活向島撮影所が発足し、1920年には歌舞伎を本業としていた松竹が、東京蒲田村に映画撮影所を開設した。周知のように1923年に関東大震災が起こり、東京中心部は壊滅。東京の撮影所が機能不全となった後、スタジオを含め、それを担う多くの映画人たちが京都へと向かった。巨匠・溝口健二もその一人だ。向島撮影所が閉鎖になった後、1923年に京都の日活大将軍撮影所に移っている。谷崎潤一郎が震災の後、関西に移住したことはすでに良く知られているが、日本特有の芸術的感性について論じた『陰翳礼賛』(1933)が雑誌連載され、それが単行本化されたのが1939年であった。〈関西〉という場が、1925年前後の日本のポピュラー文化にとって大きな影響を与えたことは明白だ。
本日はこの場を借りて本紙に対する〈印象〉、〈期待〉、そして〈百周年にふさわしい映画〉について書こうと思う。
●印象
『京都大学新聞』に対する印象や思い出について一つだけ明記するならば、それは校正を大切にしている点だろう。2023年7月から一年間、月に一度の割合で劇場公開映画について映画評論を書いた。映画評担当の編集者から毎回校正依頼が届く。それは、単純な書き間違えを指摘するだけでなく、表現に対する疑問や推敲案が含まれていた。編集者とのこういったやり取りは、筆者にとって有り難いことであると共に、表現に対する他者の「声」に耳を傾ける良い機会を与えてもらったと感じる。このような度重なる交渉があって初めて、読みやすい文章が生まれるからだ。オンラインが中心になりつつあるニュース・メディア/新聞だが、内容の正確さや読みやすさは、時間をかけた地道な作業から生まれるのだな、という好印象を受けた。
●期待
日本社会では「忖度する」ことが必然のように考えられがちだし、「雄弁は銀 沈黙は金」という諺も未だに人々に好感を持って受け入れられている。しかし、新聞というメディアにはそうあって欲しくないと思うのは、読者の総意だと思う。総長を含む大学の管理運営機構に対しても、高名な大学教師に対しても、また京都大学を取り巻くコミュニティのどんなメンバーに対しても、同等に誠意を尽くしながら、読者にとって必要なニュースを、しかもわかりやすく書き続けていくために、記者及び編集者一同が知恵を絞りながら、魅力的な新聞であり続けて欲しい。
●百周年にふさわしい映画
京都あるいは京都大学を題材とした小説、マンガ、アニメーションは結構あるが、京都大学を素材とする映画は少ない。その一つ、黒澤明の『わが青春に悔いなし』(1946)はあまりにも有名だが、これは日本社会全体が戦争に巻込まれようとする1933年から始まっている。京都帝国大学で起こった思想弾圧事件、通称「京大事件」の年である。意匠・黒澤作品ということもあり、本作品はAmazonプライム・ビデオ、YouTube、Google Playムービー&TVといった多くのVODで鑑賞可能なため、興味のある方はまずは作品を鑑賞して欲しい。
もう一作は必ずしも京都大学に関係があるわけではないのだが、〈百年ひとむかし〉に思いを馳せるという観点から、安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』(2024)に言及したい。幕末の京都で、長州藩士を討つことを命令された会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)が、映画の冒頭で落雷に打たれ、あっという間に140年後にタイムスリップする。降り立った先は、東映京都撮影所。荒唐無稽なSFまがいの物語だし、自主制作ということもあり、視覚的なやすっぽさは拭いきれない。しかし、作品を見進めるにつけ予想以上に心が打たれる自分に気がつく。まず、会津藩士・高坂が、あたかも本当に140年前の武士に見えてくるのに惹かれる。そして、役者たちだけでなく、殺陣師、カツラやメイクの床山、衣装や照明係といった、廃れつつある時代劇の制作を、今まで細く長く継承してきたプロフェッショナルたちの仕事ぶりが、不思議なほど映像を通して感じられる。「質の良いエンターテインメントだな」と、映画を見終わった時に感じた人も多かったに違いない。キネマ旬報ベストテン2024年で、本作品は「読者選出日本映画」部門で堂々の2位となり、山口馬木也は「主演男優賞」部門の2位となっている。百年以上前に存在した男が、どうやって現代社会の中で生き残り、そして新たに生きる喜びを見出すのか?普遍的な人間の存在意義を考えさせられる本作を持って、『京都大学新聞』にもこのように逞しく生き残って貰いたいなと思いつつ、心からのエールを送りたい。
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ 専門は日本および東アジアの映画。23年7月から1年間、計12回にわたって本紙に映画評論を隔号連載した。
