〈マンガ評〉理解不能が愛おしい 『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』
2025.07.16
©瀬野反人/KADOKAWA
本作の主人公は魔界と呼ばれる地域に住む「魔物」の言語を研究する人間、ハカバ先生だ。先行研究者に学んだワーウルフ語(犬の顔を持ち二足歩行するワーウルフという種族の言語)を基点に、旅中で出会う様々な魔物の言語を研究している。魔物は種族によってコミュニケーション方法が異なり、例えばラミア(手をもつ蛇)は、手と尾が地面を打つリズムの連なりで会話する。人間とワーウルフのハーフ・ススキの言葉を手掛かりに、ハカバと読者が共に他言語を解読していく。
この漫画の大きな特徴は、セリフの黒塗りだ。ハカバが聞き取れないもしくは理解できないセリフは黒塗りされ、文脈や状況による予測を余儀なくされる。初めて接する言語では黒塗りが大半を占めることもある。また、黒塗りでないセリフも油断できない。会話相手のセリフはあくまでハカバの解釈に過ぎず、その解釈は往々にして間違っているからだ。ハカバによる一応の仮説もコマ内に書かれるが、その仮説自体もよく誤る。結果、ハカバと読者は会話相手の表情や置かれている状況をもとに、とりあえずの仮定を何度も繰り返していくことになる。これが実際に言語を研究しているようで、非常に面白い。例えば「ラミア語の右手:タン・タン・タン、左手:タン・空拍・タンのリズムは、ワーウルフ語の『歩く』を意味するのではないか」や、「語尾が上がり調子の時は向かってくるイメージ、下がり調子の時は離れるイメージになるのではないか」といった具合だ。この理解も、もちろん根底から覆されうる。
もう1つ特徴を挙げるとすれば、魔物ごとの発声器官や認識能力(五感)の差に注目した点だろう。例えば人間は吸気による発音・唸り声・動体視力・嗅覚を必要とする言語が苦手。リザードマン(トカゲの顔で二足歩行する種族)は唇を閉じて出す音が苦手、といった具合だ。また、認識の癖が違うため、ハカバが虹を指して「これ、良い」といっても、色覚が弱く動体視力の良い種族は虹のそばを飛ぶ鳥を良いと言っていると勘違いしてしまう。このように発声器官や認識能力が異なるため魔界では公用語が存在せず、裏声やきしみ声など代用発音を用いたお互いに理解しうる混合言語が用いられる。これが種族間の交流ごとに様々に分化し、読者とハカバを苦しめる。しかし、種族間の差は決裂の原因ではなく、むしろ当然に理解すべきものとして描かれる。魔界では、相手が自分と異なる価値観を持ち異質なコミュニケーションをとることは当然と考えられ、お互いの認識の癖を考察し合う遊びなど相互理解を促進する仕掛けが多数存在する。
このように様々な視覚情報とハカバによる正否不明の言語情報を組み合わせ、読者それぞれが違った漫画の「読み」をする。電子版では読者コメントが読めるが、それぞれが見事に別々の解釈をしていて、かつどれも一定の妥当性を持つように見える。作中に明確な答えは書かれず、何度も読んでは解釈しなおす楽しみがある。
さて、キャラクター達を理解しようと観察していると、つい現実と重ねてしまう。相手を理解しようとすることを忘れてはいないか、「ヘテロゲニア」な物を切り捨ててしまってはいないか。「同じってうれしい。 違うってたのしい。」というキャッチフレーズをどこかで聞いたが、理解不能とは本来慈しむべきもの、楽しむべきものだという事を説教臭さを感じさせずに思い出させてくれる作品だ。漫画より小説が優れているという考え方にも一理あるが、そういう人にこそぜひ、この漫画に挑戦して欲しい。(雲)
◆書誌情報
『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~(1)』
瀬野反人著、KADOKAWA
2018年
580円+税
『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~(1)』
瀬野反人著、KADOKAWA
2018年
580円+税
