複眼時評

柴田一成 理学研究科附属天文台長 「全国同時七夕講演会に寄せての想い」

2010.08.06

元来私は人前で話しをするのが苦手で大嫌いである。子供のころは、絶対に人前に出たがらなかった。他人に挨拶すら言えなかった。外出するときは、いつも母親の後ろに隠れ、家にいるときは一人で図鑑など見て空想にふけるのが好きだった。自宅近くの山を見るたびに「あの山の向こうには何があるのだろう?」とか、「自分はどうしてここにいるのだろう?」、というようなことばかり考えていた。テレビっ子だったので、鉄腕アトムや月光仮面に出てくる、人里離れた山奥で一人研究にふけるマッドな博士にあこがれた。教師にだけは決してなりたくなかった。それがどうだろう。最近の私の生活は、子供のころにあこがれた「博士の生活」とはまるで異なる生活だ。講義、講演、プレゼン、スピーチなど、人前で話すことばかりだからだ。かと言って、不幸な生活を送っているわけではない。人前で話しができなかった「シャイな子供」が50年たって、何とか人前で話しができるようになったという予想外の生活をむしろエンジョイしている、と言った方が良いかもしれない。人生とはかくも予期せぬ展開の連続だということを実感している。

さて前おきが長くなった。こんなことを書いたのも、つい先日、七夕の週に、「全国同時七夕講演会」なる企画で、1週間のうちに、小学校2校、中学校2校で出前授業をし、さらに週末には枚方市駅前の七夕市民講演会で講演したからだ。本当は人前で話しをするなど、今でも恥ずかしくて、すごく勇気が必要なのだが、いざ宇宙や星、太陽に関する講演や授業を始めると、子供たちや市民の方々の興味深々の顔つきや、最新太陽の映像を見たときの驚きの声などに、すっかり乗せられてしまって、こちらまで楽しいひと時を過ごしてしまうのだ。私はそもそも銀河や星間雲の美しい画像を見たり、太陽面の激しい爆発の映像を見るのが大好きなのだが、そのような大好きな画像や映像を、子供たちや市民の方々にも同じようにおもしろがってもらえる、というのは、これ以上の幸せはない、と感じるのである。その上「今日の話には感動しました」とか、「とってもおもしろかった」とか言ってもらえると、どんなに忙しくても(恥ずかしくても)、また講演しよう、という気になるのである。根は単純で調子乗りの性格なのだ。

ちょっと自分のことばかり書きすぎたようだ。この小文の趣旨は別のところにある。上記の「全国同時七夕講演会」は、昨年、ガリレオが望遠鏡で宇宙を初めて見てからちょうど400年経ったのを祝う「世界天文年」に合わせて日本天文学会が企画した催しものである。私は昨年から天文学会の副理事長を務めている関係で、私が中心になってこんな企画を推進することになった。企画の中身は単純だ。七夕の週に「同時に」全国各地で天文学会や天文教育普及研究会の会員が、ボランティアで講演会を開催する、というものである。最初は本当に同じ時間に企画することも考えたが、多くの人の参加を可能にするために、七夕の週の前後週末を含む1週間くらいの間に全国で一斉に講演会を企画しませんか、という呼びかけを行った。私がやったのはその呼びかけと、各企画の情報を集めて、全国に発信することである。その情報集めと発信は私一人の力では不足なので、花山天文台のPDの前原君と西田君にも手伝ってもらって大いに助かった。この企画で何よりも驚いたのは、この全くのボランティアの企画に、全国の天文学者や天文教育普及関係者が100人以上名乗りをあげ、参加してくれたことだ。これは全く予期せぬ結果だった。天文学会と天文教育普及研究会合わせてたかだか2000人あまりの集団から100人以上もの人がボランティアで講演会を開いたのだ。日本の文化レベルも捨てたものではないと、ちょっと嬉しく、また誇らしくなった。しかも、本当は昨年だけで終わるはずだったのが、参加した子供たちや市民の人々から、ぜひ来年も続けてほしい、という声が次々と聞こえてきたので、今年もやることになったのだ。

これは何を意味するのだろうか?と色々考えている。文化レベルが高い、とちょっと上品ぶって書いたが、たぶん根っこはそんな高尚なことではないだろう。人前で話すのが恥ずかしくて嫌いな私でも、子供たちや市民の方に乗せられてしまうくらい、「宇宙の話はおもしろく、わくわくする」のではないだろうか? 実は「宇宙」とだけ書いたが、私の最近の講演は、宇宙から太陽、地球、生命まで出てきて、ついには宇宙人や宇宙文明の話も登場する。すると天文学や物理学だけではこと足りず、地球科学、化学、生物学、さらには文明学や社会学まで必要になる。要するに「学問」がおもしろいのだ。これはどうも私だけではないらしい。「全国同時七夕講演会」に登録された講演タイトルを見ると本当に色々ある。宇宙の始まり、ブラックホール、七夕にちなんだ星の話、一方、七夕やガリレオを歴史的、文化的な観点からとらえる話もある。今年は「はやぶさ」で盛り上がったが、昨年は日本で46年ぶりの皆既日食で盛り上がった。そして講演者の人々も、講演を聞きに来た人々と同様に自分の大好きな話を、楽しみながら話したのではないだろうか? おもしろい楽しい話は自分に近い仲間だけに話すのではもったいない。もっと多くの人に伝えたい、ということがあったのではないだろうか?

そういうことを考えるにつけ、昨今言われている「理科嫌い」は不幸な現象だと思う。本当はこんなにおもしろいことはないのに、本当のことを知らないばかりに、おもしろさ楽しさを知らず、つまらない無駄な時間を過ごしてしまう、という不幸。だから私はそこのところに多少の責任と罪悪感を感じてしまう。たぶん、小中学校の先生方も理科の本当のおもしろさを、知らないのではないか。理科のおもしろさを知らない先生から理科を学べば、多くの子供たちが理科嫌いになるのも無理もないと思う。

というわけで、自分(私)一人が講演や出前授業をやるだけでなく、もっと組織だって普及活動をすべきだろう、と考えて、数年前からNPO花山星空ネットワークなる活動を推進している。出発点は、古い望遠鏡があまり活用されていない(のがもったいない)、というところにあったが、京大花山天文台の古い望遠鏡や施設などを市民に開放して、理科のおもしろさを一人でも多くの人々、とくに子供たちに知ってもらおう、という活動である。講演会や見学会もある。いずれも本物、あるいは本物(のおもしろさ)を知っている研究者に接することができて、楽しいひとときが過ごせる、というのが売りである。(趣旨に賛同いただける方、ぜひ参加しませんか。参加希望者は
    http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/hosizora/
まで。)

さらに今年は上記の全国同時七夕講演会の一環として、京都府教育委員会との連携で七夕出前授業なるものを企画した。まず身近な大学院生2人がボランティアしますと申し出てくれたので、私を入れて3人が七夕出前授業に行きますと京都府教育委員会に申し入れた。しばらくたって、教育委員会の方から、小中高合わせて、何と49校から出前授業に来てほしいという依頼が来た。これには、さすがの私も開いた口がふさがらなかった。同時に学校の先生方は、いかに「本当のおもしろい話」を聞きたがっているか、あるいは、子供たちに聞かせたがっているか、ということが、よくわかったような気がした。それで使命感に燃えて、京大の宇宙関係の教員、PD、大学院生などにボランティアの呼びかけをした。最初は10人を集めるのが目標だったが、これも驚くべきことに何と30人が申し出てくれた。理学部だけでなく工学部や生存圏研究所、さらには文学部の先生、京大卒業生や近隣他大学の研究仲間までもが応えてくれたのだ。これには、2年前にできた宇宙総合学研究ユニットの連絡網が大いに役に立った。しかも一人で2校や3校も担当してくれる人が何人もいたので、結局49校のうち47校まで出前授業を担当することができた。上記の全国同時七夕講演会のときも驚いたが、今回もたいそう驚いた。今回はさらにPDや大学院生の諸君のボランティアも多数あったから、私としてはこんな嬉しいことはなかった。まことに人生とは予期せぬ驚きの連続である、と実感する今日この頃である。

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