〈百載無窮〉自転車操業で猛省 連載総括②
2025.04.01
※「百載無窮」のほかの記事はこちら。
(総括①から続く)
聞き取り取材は全部で30回実施し、計63人に話を聞いて記事化した(5面に一覧)。(史)が帰省にあわせて福岡で会った原さん以外の取材は、すべて筆者が行った。
話しながら思い出してもらえるように、なるべく複数人の予定を合わせて集まってもらった。「もう覚えてないな……」と言いつつ、同席者と話すうちにエピソードがたくさん出てきて、当時の情景がくっきりと浮かび上がった。
財政的に潤っていたバブル期でも、広告営業で先方に冷たくあしらわれて心に傷を負うことがあったと聞き、どの時代も何らかの苦労のうえに成り立ってきたことを実感した。人数が少なかった時期の在籍者の「存続にすべてを費やした」、「めっちゃ辛かった」という言葉は、言い表しがたい重みがあり、歴史を記録したいという意欲を掻き立てられた。
オンライン取材の5人を除き、58人には直接会った。終わったあとに食事に連れて行ってもらったり、同世代の久々の再会を喜んでもらえたりして、うれしかった。北海道や鹿児島の先輩にも会いに行きたかったが、作業スケジュールを考えて断念した。
というのも、気づけば自転車操業になってしまっていたのだ。本来は紙面の見返し作業をすべて終わらせたうえで、生じた疑問点を聞き取り取材するという流れが自然だったと思うが、実際には同時並行になった。複数の聞き取り取材原稿を抱えつつ、紙面の見返し作業も次号までにここまでやらないと……という状態だった。特に見返し作業は、入社確定前から参加していた(燕)ら10名近くの編集員が手伝ってくれたが、なかなか終わらなかった。積み重ねたメモの文字数は、計68万字を超える。
何を載せるか毎号ギリギリに判断する状態だった。その過程で、無理な日程で原稿確認を依頼してしまい、たくさんのミスを犯した。名前を間違えて記載したり、修正依頼を反映し忘れたり、意に沿わない画像を使ってしまったり‥‥‥本当に申し訳なく、お詫びしてもしきれない。不快な思いをさせるぐらいならやらなければよかったと思うこともしばしばあった。それは今号の100周年記念紙面にも似たことが言える。正直なところまたギリギリの日程で、ミスに怯えている。たくさんの関係各位からもらった寄稿はどれも貴重で、もっと時間をかけて向き合いたかった。すべての寄稿文にコメントをつけて載せようと思っていたが、作業が間に合わず断念した。せめてものお礼の気持ちをここに記す。
取材の成果は、紙面連載に加えて11月祭の展示と修士論文として結実した。展示では、博物館にありがちな長い説明文のパネルにはしたくないと考えて工夫した。聞き取り取材での発言を一言ずつ抜き出し、会場の講義室いっぱいに貼った。来場者が興味を持った発言があれば、自らその紙をめくってもらう。すると詳細の説明が載っている、という構成にした。(鷲)や(雲)らが、膨大な枚数の展示資料の貼り付けを夜通しやってくれた。300人以上の来場があり、手応えを得た。同じく11月祭で主催した講演会や(涼)に任せた文学賞も含め、100年目の年を盛り上げられたと思う。
一方、修士論文では、連載が長引いたのが誤算だった。論文用に新たに調査テーマを立てることも視野に入れていたが、時間が足りず連載の焼き回しのような駄作になった。博士課程に進学しないから評価が甘めだったというのは大いにあると思うが、審査委員の大学文書館・西山伸教授から「おもしろかった」と言ってもらえて安心した。指導教員の喜多千草教授は、研究対象にすると伝えたころから京大新聞を読んでくれているそうで、それもうれしい限りだ。
(扇)が地道に紙面データの不足を確認してくれているリポジトリ(紙面のウェブ公開)や縮刷版刊行に向けた作業が未完のまま卒業するのは心残りだが、引き続き差し支えない範囲で協力したい。
月並みだが、周囲のサポートに深く感謝している。毎度ギリギリにできる原稿を(鷲)らが校正してくれ、見返し作業もひとりでは絶対に終わらなかった。そもそも「見返し会」自体が(史)の提案で、言ってもらっていなければ諦めていただろう。なにより、通常発行を続けてこその記念事業だ。普段の紙面を意欲的に作り続けてきた全編集員に感謝する。連載同様、駆け足の総括となったが、今後の京大新聞に期待しつつ、いったんの締めくくりとする。(村)