企画

〈百載無窮〉京大当局への取材のあり方の変化

2025.04.01

※「百載無窮」のほかの記事はこちら

ここでは、私自身が記者として京大当局へ取材を行うなかで感じた2017年前後の京大の組織としてのあり方の変化について、具体的な経験を述べてみたい。取材について、ある種の裏話というか、取材元に関わることなどを公にすることは御法度のような気もするのだが、一方で、公の記録に残りにくい部分を書き残しておくことの意味も何かしらはあるだろうと考えた。

京大新聞のニュース記事を書くにあたっては、対象の事案に関わっている京大の部署に取材を申し込むことがある。これが2017年頃の変化の以前は、直接当該部署の人と連絡を取り対面で時に対面で取材をすることが可能であった。私が書いた記事について言えば、「軍事研究資金受け入れない 67年の申し合わせを確認」(2016年7月1日)では、部局長会議の議事録を教育推進学生支援部厚生課から入手した上で、研究・企画・病院担当理事・副学長の湊長博氏に電話で取材をすることができた。同年の「安全管理の課題明らかに 京大病院の実験室火災」(2016年8月1日)に関連する取材では、事務本部棟で、放射性同位元素総合センターの教職員や施設部の職員などに取材をさせてもらった。翌年の3月には、「懲戒対象・手続きを明文化 学生懲戒規程を改める」(2017年4月1日)に関わる取材で、教育推進学生支援部の学生課長に直接話を聞かせてもらうことができた。こうした取材が2017年頃のある時期から難しくなり、すべて広報課を通じて取材依頼をするように誘導されるようになり、直接の取材も難しくなっていった。組織として、バラバラの回答をしては困るからという利害があるからなのかもしれないが、情報公開連絡会が2016年3月以降「中止」となったこととも相まって、オープンな取材がしにくくなったことは事実である。

そして、このような組織文化の変化と関連すると思われるのは、懲戒規程の明確化後の学生処分の頻発と、2017年10月以降の構内巡回警備員の配置である。名目として党派活動家による教育研究環境の阻害を防ぐためとはしつつも、その範疇を越える学生の処分や監視も行われるようになった。その延長上で、2017年12月の立看板規程の発表と翌年5月の同規程施行もとらえるべきではないかと思われる。いずれにしても、学生の存在そのものや学生による異議申し立てを「リスク」とみる組織文化が大学に形成されつつあったということができるのではないだろうか。

取材をしていて感じたこのような大学のあり方の変容は、ある方面ではよく言われる2015年11月就任の川添信介理事の就任や、2015年の国立大学法人法の改正(教授会権限の弱体化)とはまた少し違った位相での、京都大学という組織の中で、特にその上層部において起きていた変化に起因するものではないかと思う。とはいえ現時点でそれを立証するだけの資料は持ち合わせておらず、このことの検証は後世の人々に委ねるしかない。(小)

2016年7月1日号

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