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〈百載無窮〉「本学」と呼ばない

2025.04.01

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2〜4面の「総集編」で見たように、京大新聞の構成員の間には少なからず批判精神が受け継がれている。それを示す一例として06年入学の中川氏は、「他の大学新聞は「本学は」と書きがちだけど、うちは「京大は」と書く。大学にとって都合が良いことも悪いことも淡々と報じる」と述べている。一歩引いた立場で捉えるという意味合いで、自称的な「本学」ではなく「京大」と書く。この教えは、後輩にあたる15年入学の(賀)氏らへの聞き取り取材でも言及されており、認識として受け継がれていることがうかがえる。さかのぼると、戦前の学友会新聞部だったころは「本学」という表記が基本だ。終戦後の「関西一円」を対象としていた『学園新聞』の時代は、区別のために各大学の名前を表記しており、その中で京都大学を指す場合は「京大」と書いている。『京都大学新聞』への改題後は、「本学」という表記はそれ以前と比べて少なくなっている。

他の大学新聞を見ると、「本学」という表記は珍しくない。「本学」を使うからと言って批判的な視点が全くないわけではないものの、少なくとも京大新聞においては、大学の呼び方に媒体としての性格が反映されていると言える。(村)

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