〈講演録〉身近な優生思想に立ち向かうには 「No More HATE CRIME」劇団態変・金滿里さんが講演(2016.12.1)

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7月26日未明、相模原の障碍者施設「津久井やまゆり園」で1人の男性が、45名の障碍者を殺害する事件が起きた。「障碍者なんていなくなればいい」といった優生思想を持った容疑者が、障碍者を殺したヘイトクライムであった。この事件から約4カ月がたった11月23日、殺傷事件から私たちに身近な優生思想を考え直す講演会が、大阪研修センター十三(大阪市淀川区)で開かれた。在日コリアン青年が運営するNGOのKEY(在日コリアン青年連合)が主催し、みずからも重度身障者で、劇団態変を立ち上げ身体表現芸術で優生思想を根本から問うてきた金滿里さんがこのヘイトクライムをどう考えるべきか自分の施設体験をもとに語った。(写真・構成 小)

いたるところに優生思想


私じしん、在日コリアン2世として生まれましたが、重度障碍者になった途端に、在日というコミュニティからはじき出されたと感じています。障碍者は抱えていくことができないから施設に行きなさいということになるのです。民族というものに障碍者を排除するところがどうしてもあります。だから、そういうものを取っ払って人間というものを直視する関係性を築き、個人としてものを考えて強くならなければならないという考えを育んできました。こういった考えを持つに至ったなかで、一番大きいのは施設での体験だと思います。

優生思想には非常に深い問題が潜んでいます。施設を無条件に必要としているということも、街が健常者を前提に作られているのも優生思想です。いたるところに優生思想があり、それに気がつかないで、浸った状態です。この状態を問い直すのは非常につらいですよね。

「無駄」の排除を象徴する2つの事件


政治的な問題と人間の根源的な問題の2つにわたって優生思想を考えていく必要があります。まず政治的な問題から言うと、やまゆり園の事件が起こる前に、「7月11日の事件」が起こりました。参議院選の翌日に、安倍が高江に機動隊を導入したのです。7月10日の選挙は安倍自民が圧勝したと言われていますが、3分の2には2議席足らず、公明や維新の力を借りないといけない状況は、はっきり言って圧勝とは言えません。沖縄では伊波さんが自民の候補に勝利しました。圧勝とされているけれどそうではないと安倍はどこかで気づいていたのでしょう。反対している住民を何が何でも追い払って土地をうばい、オスプレイのヘリパッドを作るために、武力権力を投じ、自民が負けたところへ選挙の翌日に腹いせをしたのです。その事件の約2週間後の7月26日、やまゆり園という施設へ元職員が夜中に押し入り、ガラスを打ち破って、ベッドに寝ている障碍者を次々と襲うという事件を起こしているんです。

2つの事件は非常に似通っています。邪魔になるもの、世の中がスムーズに進んでいくために排除したいもの、そういう「無駄」とされているものが、人里離れたところで殺されていくということの象徴だと感じています。障碍者施設はふつう、山奥の人里離れた辺鄙なところに造られます。さらにこのやまゆり園という施設は、大きな自衛隊の基地のすぐ横にあるんですよね。高江は、沖縄本島のなかでも陸の孤島だ言われていまして、あまり知られていません。私も「標的の村」という映画ができるまで本島にそういう場所があることを知りませんでした。とても行きにくく、住民の反対運動も支援しにくい環境です。隠されてずっとアメリカの軍事演習に使われてきたのです。そこに今度は非常に危険だと言われているオスプレイを配置するヘリパッドを建設しようとしている。これは、やはり政治的に市民が自分たちの生活の中に障碍者を取り戻すことを阻害していることと関連があります。ひとりひとりの市民が暴力をおしつけて知らないふりをしている。身障者を「社会のお荷物」だとして、人里離れた山奥の施設に入れてしまう。

政治的な問題は隠され、報道にも出ないようにされます。それは、やまゆり園で殺された人たちの氏名公表をしないと園長が発表したことにあらわれています。名前も何も公表されないということは、個人としての名前、顔、人格を認めないことにつながります。市民が事件を後ろめたく思わない方が政治・権力にとっては便利なのです。一方で、切り捨てたということに対して、市民が何も感じないということはないだろうと思います。だからこそ、今日のこのイベントもたくさん人が来てくれたのだと思います。9月12日に私たちが街頭アクションを行ったときも、200人近くの人が来てくれました。そのときも通行人たちの反応は良いです。このことに何かしらの興味や関心、自分の問題につながっているんではないかという直感を持っているのでしょう。ここに人間としての光があるかなと私は思います。権力というものは、武力も財力もあるわけですから、まともに立ち向かっても勝てるわけがありません。でも、人間から良心を奪い去ることまでできるのでしょうか。ここを私はじぶんの「劇団態変」の演劇を通じて問うてきました。

施設での体験


私は7歳から17歳までの10年間、大阪の中津にある整肢学院という施設にいました。非常に大事な時期を過ごし、そこでの体験があるからこそ、劇団態変のエッセンスも考えることができていると思いますし、今回の殺人事件を、他人事ではなく、いつ自分が殺されてもおかしくないということを突き付けられた事件だと考えています。施設の状況は劣悪で、「こんな非人間なことがあるんか」と扱いに憤りを感じた覚えがあります。昔だったからそういう状況だったのだろうと思われる方がいるかもしれませんが、今でもそんなに変わっていないということを最近私は知り、愕然としました。基本的に障碍者に対する考え方が同じなので扱い方も同じのままで改善されていません。職員は人間的に扱うことはしません。歩ける程度の軽度の子は野放しで、寝たきりや重度障碍者になれば、扱いはひどいです。

私は、おかしいと思うことを、ストレートに、素直に言う方でした。同級生に寝たきりの子がいて、その子がトイレのときには私が職員を呼ぶ担当でした。インターホンなんてものはなかったので、「おねえちゃん、○○ちゃんがおしっこですって」と地声で職員を呼んでいました。その子がおしっこをしたいと言うとすぐに呼んであげていて、前の呼び出しの10分後に呼ぶこともあったので、職員は「我慢して、5回のところを3回にしろ」と平気で言ってきました。私はその時大変腹が立ち、「おねえちゃん、おしっこは生理現象でしょ。5回のところを3回にすることなんてできるんですか」と抗議しました。そうすると、職員はそれ以上なにも言わなくなりました。重度だからということで扱いをかえられることを飲み込まず、常識的に考えておかしいことはおかしいと言っていたのです。そういう基本的な欲求、思いをきちんと、職員に伝えていくことが大事だと思います。

家族の面倒は見るな


健常者で介護に来ている人には、親兄弟の面倒は見るなよと私は言います。親兄弟の面倒は見なくて良く、他人が他人の面倒を見れば良いんです。めぐりめぐる、お互いの人生というのが、地球一周して来世につながっていくくらいの意識で良い。結局、家族の中で面倒をみるということは、温かいのではなく、家族の都合で面倒をみるということなのです。その個人の自由は聞き入れられません。だから、施設の延長は家庭だと思っています。そういうものではなく、一般の生活の中で、親兄弟関係なく生きて自立していく、そこにいろんな人が関わっていく。介護は誰もがやるべきです。そうすれば、障碍者がもっと生きやすくなります。健常者の都合で障碍者を縛ってはいけません。「誰かのために誰かが犠牲になる」という考え方が一番差別だと思います。

私は優生思想と健常者幻想というものをセットにして使うようにしています。これは、私が劇団態変を始める前にやっていた「青い芝の会」の運動が作り上げた思想です。障碍者はどう逆立ちしても健常者になるわけではない。だけど、健常者になるように教育され、健常者に憧れ、そうなりたいと思わされる、幻想を持たされるのです。

私なんかは、健常者の介護で日常的に体を触られるんですが、瞬間瞬間に優生思想、健常者のペースでものを考えて体を動かそうとする感覚や感性、価値観をものすごく感じます。でもそれが差別だといっても仕方がありません。だけど感覚を、どうしてそう感じたのかを伝えたいと思っています。「その方向でねじられると私はアカンのや」という状況では、黙っていてはダメで、そっちに動いてはいけないということをきちんと伝えるなど、介護者と丁々発止相談してやっていきます。ひどい事例があった時にはあとで理由をきちんと伝えるようにしています。そこに健常者側の差別意識が潜んでいることがあるんですよね。はっとしたときに自分の感覚に気づく機会があれば、障碍者とかかわる意味はすごくあります。これは頭で考えても実際にやらなければ分かりません。だから介護をする意味があるわけです。

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