〈書評〉橘木俊詔著『安心の経済学』

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福祉国家という希望


現在は、「リスク社会」が声高に叫ばれ、日々直面するリスクにいかに対処していくかが問われている。本書は、そうした不確実性の高い社会の中で私たちが人生の各所で迎えるリスクにどう向き合い、どのように安心のある生活を送るかを主題とする。それと同時に、その安心を確保する主体についてもあるべき姿を探っていく。

本書でいうリスクとは、生まれてから死ぬまでに際する様々な選択に関わるものだ。主要なものでは、幼青年期にうける教育から勤労期における就業や失業、引退期における医療や介護を指す。こうしたリスクは、基本的にはそれを抱える個人が引き受ける必要がある。ただし、経済的格差などの優劣は容易には変えられないし、災害や失業といった偶然に背負ってしまうリスクは個人では抱えきれないので、民間や公共の制度が引き受けるべきものだ。しかし、どこがどこまでを担うかという程度や役割については見解が分かれ、そこがまさに本書の大きなテーマとなっている。

著者の大まかな主張は、国家が福祉の役割を強力に担うこと、いいかえれば福祉国家の実現である。その理由として、日本で伝統的に福祉の担い手であった家族や企業の役割の低下をあげる。かつて、介護、貧困や失業などへの経済的援助は家族がその役割を担い、企業は社員の福利厚生の充実化や解雇規制の強化といった形でセーフティ・ネットを提供することで福祉に貢献してきた。現在ではそうした傾向は薄れているにも関わらず、国家がそれを補強することができていない。つまり、公共部門が弱いため個人の安心した生活が保障されていない例が多くある。失業保険制度や生活保護制度、解雇規定など全般にわたり綻びが生じてきているという。

また、著者は福祉の担い手をめぐる議論の前提として、社会保障のあり方を考えなければならないと付言する。国家を担い手とみなす著者の立場は普遍主義に位置づけられ、日本の現状は共同体主義として対比することができる。著者の言葉をもとに、社会保障に即して言えば、普遍主義は「個人の特性や属しているグループとは無関係に、すべての人に同一レベルの福祉サービスなりセーフティ・ネットを提供する考え方」を言い、共同体主義は「共通の特性をもった人たちが選別されたコミュニティを形成し、…その人たちだけで社会保障制度を持つこと」を表す。現在の年金制度や医療制度は後者の考えに基づく部分が大きい。著者は、「職業やその他の特性とは無関係に、最低限の社会保障なり生活水準を保持することが」理想的だと主張する。普遍主義に基づいた福祉国家は国民全員に安心を与え、人生にリスクをかけることができる。そして、豊かな生活を保障し、活力ある社会を生み出すからだ。しかし、高い税負担を伴うので人々の不満は根強いなど、福祉国家の実現には課題も多い。

評者の認識でも、現在に目を向けると、労働者派遣法の改正による一部労働者の生活の不安定化といった経済的弱者の拡大や、それにも関連する貧困率や未婚率の上昇など個人の可能性の追求が妨げられている傾向がある。家族や企業によって十分に果たせなくなった福祉の役割が公共部門によっても補完されないという問題は改善されるどころか悪化しているのではなかろうか。そうした問題は本書執筆時2002年から変わらない課題なのだろう。

それでは今後どうしていけばよいのか。評者は、基本的には福祉国家を支持しつつも、国家に頼り個人の責任が曖昧になる不健全な雰囲気が生じて、逆に社会の活力が失われかねないかという、個人主義的な立場からの懸念にも妥当性があると思う。それはさておき、何に価値を置き、いかにしてそれを実現するかは一様ではない。どのように私や私たちの「安心」を確保するかは、まさに、著者を招く本紙主催の講演会でテーマとする「日本はこれからどのような社会を目指していけばよいのか」にかかっている。リスクを抱える全ての個人が関わる問題としてしっかりと認識したい。(千)

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