文化

〈映画評〉「世紀の問題作」を乗り越えて 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』

2024.11.01

〈映画評〉「世紀の問題作」を乗り越えて 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』

ジョーカー(右)とリー(左)。© & TM DC © 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

アメコミ史上屈指の名悪役、そのバックボーンを描いた『ジョーカー』(2019)。R指定映画としては当時最大のヒットを収めたが、その過激なストーリーから激しい論争が巻き起こった。映画の影響は現実世界にも及び、社会的弱者がジョーカーを抗議活動のアイコンとして用いた一方、アメリカから遠く離れた日本でも、ジョーカーに扮した男が電車内で無差別テロを起こすなど、ジョーカーの狂気は制作陣の手中を飛び出し、正邪を問わず世界中に伝播していった。そんな「世紀の問題作」の続編が、今作『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』である。

物語は前作の2年後から始まる。コメディアンを目指していたが、社会から疎外された末に狂気に吞み込まれ、殺戮を繰り返した「ジョーカー」ことアーサー・フレック(演:ホアキン・フェニックス)。精神病院で看守に虐げられる生活を送るさなか、院内で謎の女性・リー(演:レディー・ガガ)と出会い、彼女に魅せられていく。一方、アーサーの殺人罪を問う裁判も始まる。アーサーに下される判決、そしてリーとの関係の行方は……。

大ヒット作の続編として大きな話題を集めていた本作だが、評価は思いのほか芳しくない。アメリカの大手映画評論サイト「ロッテントマト」でも、前作の支持率が評論家68%、観客89%だったのに対し、今作は共に32%(全て11月1日時点)。なぜここまで否定的な意見が増えたのだろうか。

理由の一つが、作風の大転換だろう。前作が一貫して陰鬱なトーンで描かれていたのに対し、今作は「歌唱シーン」が用意され、前作よりもかなり明るい印象を受ける。重苦しいスリラーを望んでいた観客は肩透かしを食らったはずだ。

もう一つの理由はストーリーだろうか。2時間強の物語は薄暗い病院と法廷のシーンが大半を占めるほか、主として「ジョーカー」ではなく「アーサー」にスポットが当たり、観客が期待していたようなジョーカーの凶行は描かれない。その上、終盤は前作のメッセージを全否定するかのような展開を辿る。シーンの構図が前作の冒頭と鏡写しになる美しい結末ではあるが、今作は「ジョーカーの大暴れを期待していた人」や「前作が好きな人」ほど受け入れられない映画になっているのだ。

だが、今作が「アーサーの物語」であることには意味があるはずだ。作中、アーサーを支持する人々は「ジョーカー」を祭り上げているだけで、アーサー本人には微塵も興味を示さない。アーサーが法廷で弱音を吐いた途端、人々は彼を貶す。その姿は、アーサー自身には目もくれず、ジョーカーが活躍しないことに苛立つ我々鑑賞者と重なる。名前や事績にばかりこだわり、その下にある等身大の姿は気にも留めない――そうした我々の愚かさを、制作陣はアーサーにスポットを当てることによって暴こうとしたように思える。

そして、前作の裏をかくような構成にも制作陣の意図があるに違いない。前作の終盤でジョーカーへと変貌し、理不尽な社会から解き放たれたかのように思えたアーサー。だが、結局今作でも彼の人生は何も好転しないばかりか、更なる悲劇に見舞われることとなる。こうした展開や作風の転換に込められているのは、狂気を伝播させてしまった前作と向き合った制作陣の、「暴力では何も変えられない」というメッセージではないだろうか。

歌唱シーンの挿入や控えめなストーリー展開など、前作とはあまりにも趣が異なることから、不評の多さにも頷ける。だが、それだけで今作を鑑賞候補から外すのはもったいない。ご自身の目で、アーサー・フレックという男の行く末を見届けてほしい。(晴)

アーサー・フレック。© & TM DC © 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved



◆映画情報
監督 トッド・フィリップス
制作・配給 ワーナー・ブラザーズ映画
公開 2024年10月11日
上映時間 138分
映倫区分 PG12

関連記事