映画評論 Season 2 第8回 「性的マイノリティ不在」国のクィア・シネマ 『クイーンダム/誕生』
2026.02.16
ジェナ・マービン © Courtesy of Galdanova Film LLC.
昨年末から立て続けに、ジェンダー・マイノリティの存在が認められていない国からのクィア映画の傑作を観た。1つは、中国黒竜江省で旧知の友人や地元の俳優と20年にわたり作品を作り続ける耿军監督の作品『ベ・ラ・ミ気になるあなた』(2024)であり、もう1つはロシアのクィア・アーティスト、ジェナ・マービン(本名:ゲンナジー・チェボタリョーワ)のドキュメンタリー『クイーンダム/誕生』である。この2作品から湧き上がる「それでも表現せざるを得ない」という力強い姿勢に心が揺さぶられた。
ゲンナジーからジェナへ
ゲンナジーは、首都モスクワから約1万キロ離れたロシア北東部にあるマガダン州の田舎町で生まれ育った。極寒の町で、ゲンナジーは祖父母に育てられ、子どもの頃から自分が「クィア」であることを自覚していたという。スカートを穿いたり、頭髪や眉毛を剃ったり、学校の舞台で無言のパフォーマンスを行ったりしながら、自己のアイデンティティを表現するゲンナジーは、そのために家族や多くの友人と対峙しながら成長した。「ただ道を歩くだけで、怒鳴られたり殴られたりすることすらある」ほど、マガダンの保守的な価値観に反発し、ゲンナジーはSNS(TikTokやInstagram)を通して「ジェナ・マービン」という新しいペルソナを築きあげた。TikTokでジェナに向けられた「いいね数」は2030万を超えている。
ジェナとウクライナ戦争
新しい自分の可能性を見極めるためジェナはモスクワのデザイン学校へ進んだが、2022年2月24日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始する。本作を既に撮影中だったジェナは、戦争に対する抗議のため下着だけを纏った体に有刺鉄線を巻き付け、20㌢は優にあるハイヒールを履いて、極寒のモスクワ市街を無言で歩くパフォーマンスを行った。結果、警察に逮捕されてしまう。その直後、同年4月から合法化される強制徴兵を逃れるためにジェナはパリへ亡命する。映画内では後にジェナが難民認定を受けたこと、数少ない理解者であった祖母の臨終に立ち会えなかったことが知らされる。
パラ・テクストとしての本作
ドキュメンタリー映画として本作を観ると、幾つか気になる点がある。まず1つ目は、製作陣と、ジェナとの「共犯関係」が強く感じられることである。映像から見受けられるジェナは、常にファッション雑誌のモデルのようで感情を顕わにすることが少なく、悲しみや喜びは、ジェナの涙に落とし込まれている。これらはジェナの「演技」——カメラの存在を十分に認識しながら、自分で自分を演出する行為——のように窺える。ジェナは、家族や友人、通りすがりの人とも口論をするが、その発話はいつも不自然なほど理路整然としている。しかし、それがどうも私には腑に落ちない。彼らが作り上げたかった「ジェナ・マービン」というペルソナが、この作品を通して造形されている気がする。
もう1つ気になったのは、本作が、ドキュメンタリー映画として新しい発見や驚きを提供するのではなく、むしろSNSのための「パラ・テクスト」の役割を果たしている点である。パラ・テクストは、テクストの理解を助ける付随的な要素とされ、テクストとコンテクスト(文意)を結ぶ役割を果たす。ジェナはSNSを通して社会に認知され、その後本作が出来上がったことは明らかなのだが、私には、本作が、SNSでは表現される事のなかった「ジェナ・マービン」というクィア・アーティストの大きな物語を補完するためのバックストーリーでしかないという印象を受ける。ガルダノヴァ監督はインタビューで以下のように述べている。「当初のアイデアは、ロシアの数人のドラァグクイーンを追いかけることでした。最初に出会った候補のひとりがジェナでした。一緒に時間を過ごした後、私はジェナの芸術性と勇気に魅了されました。」監督が惹かれたジェナの魅力が、この作品から批評的な眼を奪い取ってしまったのかもしれない。
それでも本作を見ることを勧める理由
ドキュメンタリー映画が、SNSのパラ・テクストであることは、果たして否定的なことなのだろうか?必ずしもそうではないかもしれない。今までにも「伝記映画」といったジャンルでは、映画が別のメディアの補完的な役割を果たしながら、二次的な興味深い作品として登場することがあった。ロックバンド・クイーンのフレディ・マーキュリーの生涯を描いた『ボヘミアン・ラブソディ』(2018)などはその好例である。
このような「伝記映画」とは別の観点から本作のパラ・テクスト性を受け入れる理由は、実際にジェナのSNSのアカウントを見ると理解できるかもしれない。SNS空間で視覚化されたクィア・ドラァグ・パフォーマンスを補完しプロモートすることが、少なくとも現在社会で必要とされていると感じるからだ。異性愛規範への疑問視、また逸脱が許されない社会に対して声を上げることは、たとえテクストを補完するパラ・テクストであったとしても、本作品が「ジェンダー・マイノリティは不在である」とする国家イデオロギーというコンテクストを、少しでも変えていくことに違いないのだから。こういった意味において、『ベ・ラ・ミ気になるあなた』や『クイーンダム/誕生』によって、私は心を揺さぶられるのかもしれない。前者は、中国国内では未だ公開されておらず、後者に関して言えば、ジェナもガルダノヴァ監督も現在はパリに在住しており、ロシアには今も帰ることが難しい。
◆映画情報
原題 Queendom
監督 アグニア・ガルダノヴァ
上映時間 91分
京都ではUPLINKにて2026年1月30日(金)より公開
原題 Queendom
監督 アグニア・ガルダノヴァ
上映時間 91分
京都ではUPLINKにて2026年1月30日(金)より公開
