文化

〈教習所特集〉 教習所ことはじめ 編集員体験談

2010.04.08

自動車学校は、運転免許を取るためには避けては通れない場所である。もし避けて通ったとすればどうなるか。例えばそれは挨拶、御礼、名刺交換も分からない学生が就職活動で面接に赴くのに似ている。知識皆無の素人が株やギャンブルに手を出すのに似ている。親に捨てられた猛獣の子が、狩りの術を知らないまま大自然に放り出されるのにも似ている。エントリーシートの書き方を熟知していても、ありあまる資産、立派な爪と牙、そして自動車という文明の利器を所有していても、規律、順序、秩序体系を無視しすれば、または邪気のない純粋な無知であっても悲惨な事故や結果を招来する。私はここでたくさんのことを学んだ。道路は暴走族やパトカーではなく、道路交通法というものが支配していることを知った。交差点付近でちかちかと三色に輝く奇妙な照明は飾りの一種ではなく、なんと信号機だった。自動車の燃料は我先に殺到する人間の欲望ではなく、ガソリンだった。到底信じ難い、絶対嘘だと思うかもしれないがこれが本当だから驚きである。

ところで合宿と通学の違いは何か。金額的には通学で取るのとそう大差ない。短期間で取れるのはさる事ながら、それは通学では決して味わえない知られざる合宿寮の世界を垣間見ることにあるだろう。寮にはやはり、色々な人物が集結していた。私が入校したのは今年3月下旬だったが、入校初日、18歳の男が事故経験の有無を記入する書類を眼前にして「欄に書ききれないんすけど」と言い放ったその時から予感はしていた。入学前の大学生グループはいたが少数派である。いたのは就活前の3回生、謎の30代のおっさん、事故で免許剥奪されたお兄さん、2児の父親の永住外国人。そして京大の寮と一番違うのは、ワルっぽい、と言うより本当にワルな彼または彼女たちの存在だ。18歳でまだこれほど喫煙人口がいるとは、たばこ税の税収も当分安定的と思われる。ところで教習所に来て唯一残念だったのは、私が髪をやや明るい色に染めていたため仲間かと勘違いされ、すれ違うたび「お疲れ様です」と挨拶されることだ。確かに髪の色は識別子であるらしく、私は非常に困惑し、恐怖し、口もきけない。いや、よく考えれば挨拶は社会的マナーであるし、それに応えない方が失礼千万、冷や汗をかき当惑している私こそどうにかしていると言われるだろう。そう、外見違えど人間みな話せば分かる、話せば分かるのだ。車に乗れば誰だって信号は守るし、挨拶すれば誰だって挨拶を返す。交通法規と社会的常識の何が違うのだろうか、私は学ぶべきもののうちの一方を学ばないまま、彼らと挨拶もまともに出来ぬまま卒業してしまうのではあるまいか…。などとぶつぶつ2週間ちかくぼやき続けていたものの、一緒に来ていた友人が先に卒業して帰京したため、一人ぼっちの私にとうとう話す機会が到来する。「次、卒倹?」凍りつく私をよそに気さくに話しかける。目つきが異様に鋭く恐れていたその男、話してみるとなかなか悪い人間ではなく、高校2留後中退し今に至る自らの経歴を語ってくれた。私が卒倹前の試験を3回も落ちたことを話すと「バカだね」。ふと、そういえば学歴というやつは何の役に立つのだっけ、という問いが頭の中でこだまする。…もういい、忘れてしまった。教習所は交通マナーのほかにも、他の色々な何かを学ばせてくれる可能性はある。京大から一歩足を踏み出して教習所へ、社会勉強しに行くのも悪くはないだろう。(鴨)

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