教習所体験記(2022.04.01)

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大学生のうちにとっておきたい資格として、自動車免許をおすすめする。自転車や徒歩では遠すぎる場所でも、電車や飛行機・バスが通らない場所でも、車で行くことが可能になる。そんな権利を手にするまでには、いかなる道のりがあるのか。ここでは編集員が自身の経験を振り返る。これを読んで免許取得のエンジンがかかるか、やめておこうとブレーキを踏むことになるか。いずれにしても、考えるきっかけにしてもらえれば幸いだ。(編集部)

目次


    9カ月ノロノロ教習記
    小心者の運転実録

趣深い世界観


入学当初は1回生の夏に免許合宿に行くつもりだった。しかし入学直前に感染症拡大が始まり、合宿を保留しているうちに2回生の夏を迎えてしまった。この頃にはバイトとサークルで予定が埋まるようになっていて、2週間のスケジュールを確保することが難しく、通いで免許を取得することにした。

技能教習の序盤は比較的スムーズに進んだ。加速・減速、カーブや右左折などの基礎的な操作はなんなく習得できたし、なにより車を運転することが楽しかった。このまま楽勝で免許取得まで駆け抜けられる、と思っていた。

S字で大苦戦


教習は2段階にわかれている。第1段階では教習所内のコースで運転するのに対し、第2段階に進むと一般道で運転する。第1段階の技能教習で、多くの教習生が苦しむ関門のひとつが「狭路」である。狭いS字カーブの道と、直角に曲がる道の2種類を、道路からはみ出ずに通り抜ける練習で、修了検定でもこの両方を行わなければならない。私が苦労したのはS字のほうだった。

S字のコースは、車輪が道路の外にはみ出ると「脱輪」となり、修了検定では大幅な減点の対象となる。S字の難しさは、運転席からは近い場所の視界が遮られるために、運転者の感覚と実際に車がある位置にズレが生じる点である。たとえば運転席からは車の前方約4㍍が見えない。そのため、カーブに差し掛かったと感じても、実際には車はカーブのだいぶ手前にいるのだ。この時点でハンドルを切ってしまうと、カーブを内側に大きく攻めることになる。前輪はギリギリ曲がることができたとしても、後輪が脱輪することになる。車の構造上、後輪は前輪よりも内側を通るためだ。

このS字を克服するため、いろいろなコツが存在する。内側の前輪が道の中央を通るようにする。運転席からみて、窓枠の横幅の3分の1のところに道の端がきたらハンドルを切る。あるいは、ハンドルを切る量を覚えてしまう……。どれもがそれなりに役立ちそうなのだが、なにせ毎回異なる教官から異なった方法を教わるので、1回の教習のなかで習得するのは難しかった。その結果、私は毎回の練習で脱輪をくりかえし続けた。

第一段階の教習が終盤に差し掛かっても、私のS字の技術は一向に上達しなかった。感覚をつかみ始めた頃に教習が終了し、次の教習では異なる方法を指示されるので、毎回ゼロからスタートする感覚だった。むしろ、どんどん下手になっているような気すらした。一度通り抜けるために2回脱輪したときには、私も教官も苦笑いであった。すると教官が「コツは忘れて、好きなようにやってみて」と言う。それでできるなら苦労しない、と諦め気味に再びチャレンジすると、どういうわけか初めて脱輪せずに通り抜けることができた。それ以降は、修了検定も含め一度も失敗しなかった。

私にもともとセンスがあったということではないだろう。最初から「好きにやって」と言われていたら当然脱輪していたはずだ。全く前進しないと思っていた時期にも、少しずつ微妙な感覚を身につけていたということなのだろうか。何にせよ、あれから4カ月経ったいま、その「感覚」をさっぱり忘れてしまったように思う。これから運転するなかで、S字コースのような道に出遭わないことを祈るばかりだ。

車線変更は恐怖との闘い


さて、S字との格闘を経て第1段階を終え、第2段階に進んだ。ここでは実際に路上で運転するのだが、道路状況を素早く把握して適切に判断することが最大の課題となる。歩行者、自転車、バスが行き交い、路上駐車や逆走自転車にも遭遇する一般道では、教習所内のコースでは直面しないような複雑な判断を求められるのだ。また、歪な形の交差点や、覚えたがすでに忘れてしまった標識など、不安要素は尽きない。

私は車線変更がすこぶる苦手だった。方向指示器で合図を出し、後方の車との距離を確認しながら車線を移るのだが、ミラー越しでは後方の車との距離がわかりづらい。ミラーに映る車が小さくなっていくなら、こちらの割り込むスペースを開けてくれていると判断できるはずだ。しかしそもそも、時速50キロで道路を走っている最中に視線を前方からそらし、ミラーに向けること自体が怖い。一瞬だけ、ちらっと見るのが精一杯で、後方車が近づいているか遠ざかっていくかなど判断する余裕はなかった。教官に「譲ってくれてるよ!」「きみ、度胸あるね(やや危険な割り込み、という意味だ)」などと喝を入れられながら教習は進んだ。

路上では周りの状況をよく見て、と必ず言われるはずだ。自分としては精一杯把握しようとしているので、教官の言わんとするところが理解できない。そういうとき、前を見ていないと前方車につっこむのではないか、という恐怖で、視点が前方に固定されていることが多い。ほとんどの人にとって、時速50キロで動く乗り物を操作するのは初めてなので、この恐怖は当然のものだ。怖いと感じるほど視野が狭くなり、その結果判断が鈍る。ミラーや左右を見る余裕があれば、車が少ないときに前もって車線を変更するなどの選択肢も生まれる。慣れてくれば多少余裕ができるものだが、まずは自分が怖がっているのだということを自覚しよう。

通いならマメさが肝要


通いでの免許取得を検討する人に伝えたいのは、何より難しいのは技能教習でも学科試験でもなく、スケジュール管理だということだ。大学に通い、バイトとサークルをこなしながら教習に通いつづけるのは思っているより大変だ。技能教習の予約は夏休みや春休みには取りにくく、思うように教習を進められないこともよくあった。第2段階の後半では、山岳教習や高速教習といった長時間の教習が続き、半日が潰れることもある。また、私は試験期間を控えた1月には全く教習に行くことができなかったこともあり、教習所を卒業したのは卒業期限の9日前だった。9カ月という長期戦を終え、もう教習所に行かなくてよいことが、免許取得の何倍も嬉しい。

こういったスケジュール調整と自己管理が苦手な人には免許合宿がおすすめだ。しかし、どうしても通わなければいけないのなら、予約のいらない学科教習は早めに受けきってしまおう。暇な日には、1時間の教習でも面倒がらずに教習所に行こう。免許取得の必須要件はマメさである。(田)

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9カ月ノロノロ教習記


周りが当たり前のように免許を取るのが不思議で仕方なかった。1回生の夏ごろからずっと免許の取得を父から勧められていたが、散々先延ばしにした結果、教習所に通い始めたのは2回生の9月である。免許がなければ将来困るだろうという義務感を無視できなかった。それでも通い始めるまでは不安がいっぱいだった。私はそれだけ車の運転が怖かったのである。

怖いんだから仕方ない


運転が怖いと言うと、たいていの場合は「誰でも運転しているのだから大丈夫だ」という励ましを受けるわけだが、みんなできているから自分もできるだろうという大雑把な論理で自信を持てるなら苦労はしない。あんなに大きな金属の塊を時速50㌔だか60㌔だかで走らせて、なぜ平気な顔をしていられるのか。しかも多くの人は道中で車をぶつけることも、他の車と衝突することもなく帰ってくるわけである。世の人々は何とも器用なものだと驚くばかりだ。

教習所の教官は威圧的だという先入観もあった。部活で顧問に怒鳴られた経験はあっても、車内という閉鎖空間で大人から理不尽に怒られる場面を想像すると、あまりいい気持ちはしない。また、友人から学科の教科書を見せてもらったとき、ページいっぱいにずらりと並んだ標識の数に驚いた。受験を終えてこのかた暗記という作業を毛嫌いするようになっていて、これを全て覚えなければならないのかと思うとうんざりした。

取り越し苦労


我ながら後ろ向きな思考だとわかってはいるが、当時の心情を素直に語るとこの通りである。だが教習所に通い始めると、おおかたの不安は払拭されることになった。

まず教官の話だが、私が指導を受けた教官は皆一様におおらかで教え方も丁寧だった。初めて車を扱う人間の不安などプロにはお見通しで、何をどうアドバイスすればいいかばっちりわかっているのだ。特定の教官が自分の教習を担当しないよう登録するシステムもあり、昔よりも組織の風通しが良くなっているのだろう。

学科の内容は、ネット上で取り組める練習問題も充実しており勉強しやすかった。特に標識などは、日常生活である程度目にしているから頭に入れるのが案外容易だ。何より路上教習で運転していると、学科の知識を頭に入れなければ安全に運転することなどできないと気づかされる。誰かの、そして自分の安全を守るためだと思えばさほど苦にならなかった。

そして肝心の運転については、やってみたらできたとしか言いようがない。基本的に教習所内では時速20㌔程度、路上では50㌔のスピードを出す必要があるが、他の車の流れにのりやすい一般道の方がむしろ走りやすく、速度を出すことによる恐怖感はあまり感じなかった。一般の車が教習車を気づかって運転してくれることも大きい。車線を変えようとまごついていると、たいていの場合は速度を落として譲ってくれた。左方優先の徹底と譲り合いの姿勢、これを忘れなければ安全に運転できると気づいてからは、落ち着いた気持ちで、時には楽しく運転することができた。

杖柱を失って


12月には卒業検定に、3月には学科試験に合格し、無事免許を取得した。運転への不安も克服して万事解決、晴れてドライバーデビューかと思いきや、そううまくはいかないのが運転というものである。というのも教習所を卒業した後は、教官にも補助ブレーキにも頼ることができないからだ。

教習で楽しく一般道を走ることができたのは、いざとなれば教官が補助ブレーキを踏んでくれるという安心感ゆえである。ところがひとたび免許をとれば、車を止めるには自分の使うブレーキだけが頼りだ。教官が経路を指示してくれることもないから、自分で道のりを決めて走らなければならない。当然のことをなぜ今言い立てるのかと疑問に思うかもしれないが、実際に運転してみると、自分が今どの道を走っているか認識するのは案外難しいのである。交通状況の判断と危険回避に精一杯になってしまい、よほど慣れた道でなければ全く見知らぬ場所に見えてくるためだ。

自分がいかに教官頼りだったか思い知らされ恥ずかしい限りだが、うだうだ言っていても運転は上達しない。どうしたものかと呟くと誰もが口をそろえて慣れるしかないと言ってくる。他人と自分の命をかけて路上に出るしかないと言うのである。ずいぶん無茶だと思うが、それ以外に道がないことは重々承知しているから内心閉口しつつも口ではそうですよねえと返している。一応、この記事を書いている翌日に両親を乗せて運転する予定だ。初めての教習で運転したときと同じように、やってみれば案外できたという結論になるとは思う。この一歩で自分の及び腰が少しでも改善されることを願っている。

巣立ちを見据えよう


こんな細かいことをちまちまと不安がっているのは自分ひとりのような気がしてきたが、私同様運転に何らかの気がかりを抱いている読者がいると信じて締めくくろうと思う。免許は必ず取れるから安心していい。むしろ取った後のことを想定して教習を受けることが重要だ。補助ブレーキも教官のアドバイスもない状態で運転することになる、この未来を想像し心構えをして実車教習に臨むだけで、漫然と教習をこなすよりもずっと、自力での運転に慣れるはずだ。授業やサークルとの兼ね合いの中、時間を捻出して教習所に通っていると、教官の指示に従って教習を終えるだけで手一杯になってしまうことはよくある。それを繰り返していると、十数回の教習などあっという間に終わって卒業を迎えることになる。教官から助言をもらえるうちに、進路変更や右左折のタイミングを可能な限り自分で判断し、どこを走っているかを視野を広くとって認識するように心がけてみてほしい。小心者からのささやかなアドバイスである。(凡)

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