企画

教習所体験記2025

2025.04.01

運転免許といえば、大学生のうちに取っておきたい資格の筆頭だ。免許さえあれば、自転車や徒歩では遠すぎる場所でも、電車や飛行機・バスが通らない場所でも、車で行くことが可能になる。そんな権利を手にするまでには、いかなる道のりがあるのか。ここでは編集員が自身の経験を振り返る。これを読んで免許取得のエンジンがかかるか、やめておこうとブレーキを踏むことになるか。いずれにしても、考えるきっかけにしてもらえれば幸いだ。(編集部)

目次

【合宿】【通学】両方行きました
【通学】気が付けばドライバーの仲間入り
【通学】無資格者の妄言

【合宿】【通学】両方行きました


一番の趣味は旅行で、しかも街から街への移動に愉しみを見出せるタイプの人間だ――そう自負する筆者だが、意外にも運転免許を取得したのは2回生の冬ごろだった。体感的な平均よりもやや遅めの時期だ。車や運転に忌避感があったわけではない。「条件にあった教習所を探し、自身のスケジュールを数十時間分確保する」という入校までの一連の手続きを、ひたすらおっくうに感じていたのだった。筆者のような面倒くさがり屋は、特に京大生においてある程度の割合を占めることだろうし、本企画が少しでも免許取得の後押しになれば幸いだ。

衝動的に合宿免許へ


さて、教習所を決めたのは遡って2回生の初夏。なんだかんだ理由をつけて後回しにしていた「運転免許取得」というクエストが、ふいに頭のなかでポップアップしてきたのだ。鉄は熱いうちに打てということで、その日からインターネットで情報収集を始めた。免許取得への道筋は、2週間ほどの泊まりこみでみっちり学習する「合宿免許」と、数ヶ月ほどかけて自宅から学校へ通う「通学免許」のふたつに大別される。だが、筆者の眼中には合宿免許の選択肢しか存在しなかった。考えてみてほしい。徒歩数分で行ける大学への通学もおっくうがる人間が、通学で教習所に通い続ける自信を持てるわけがない。

南九州にある某教習所に申込の予約をしたのは、それから数日後のこと。入校日は8月中旬のお盆時期だ。繁忙期にしてはお手頃な価格と、「合宿免許くらいでしか行く用事がなさそう」というローカル感が魅力だった。

そして入校日前日。台風一過の快晴のなか、飛行機とバスを乗り継ぎたどり着いたのは、教習所の合宿施設だ。ペンションのような外観で、学校までは数キロの距離がある。最寄りのコンビニまでは歩くと20分で、あたりには田園風景が広がる――という、コンパクトな左京区とは趣の異なる合宿生活が始まった。

まずは教習所内で実技と座学をこなしていくわけだが、さっそくいくつか落とし穴があった。一つは人間関係について。よく理解していなかったのだが、合宿免許は友達どうしで取りに来る人が多いらしいのだ。しかも京都なぞからはるばる来る学生は相当珍しいらしい。すなわち、和気藹々といくつかのグループが食卓を囲むなか、筆者はひとり黙食を徹底する羽目になった(しかし数日後、同族の大学生から声をかけてもらえて救いがあった)。もう一つの落とし穴は、教習の空き時間の過ごし方だ。1日に実技教習が可能な時間は法令で定められている。実際に教習を受けるのは1日に数時間ほどで、あとは自由時間なのである。ここで合宿施設に気やすく戻れれば、あるいは市街地に出られれば選択肢も広がるのだろうが、あいにく教習所の立地的に実質的な行動の自由は大幅に制限されていた。その結果、図らずも近くのジョイフルに通い詰めることとなった。

緊急事態発生


教習自体はある程度順調に進み、修了検定を迎える。合格すれば晴れて仮免許取得、路上での教習(第2段階)が始まる……はずだったのだが、なんと筆者はギリギリ不合格。安全確認をいくつか失念してしまったのが原因だった。ショックを引きずりながら1日追加で補講を受けることに。

再検定は補講の翌日に実施された。しかし、ここで最大の落とし穴が。それはもう体調が悪かった。身体がだるく、喉が痛い。まだ動けはしたが、このままではまずい……。そう思いながらも再検定に望み、無事の合格を果たす。午後からさっそく第2段階の座学があったが、合格発表を聞いた時点でもう満身創痍だった。そのままフロントへ向かい、体調不良の旨を伝える。すると提案されたのは「とにかく一度家に戻る」こと。感染症対策で、発熱者は施設に置いておけないようだった。もうろうとする頭のなか荷物をまとめ、実家への帰路についた。

それから数ヶ月後。筆者は京都の某教習所に足を踏み入れた。結論から言うと、筆者は世にも珍しい「教習所の転校」を果たし、通学と合宿両方を経験した人間なのである。家に帰されたあとの選択肢は2つあった。「元の教習所に戻って第2段階から始める」か「通学で別の教習所へ通う」ことだ。教習期限や自身の予定を鑑みて、筆者が選んだのは後者だった。

元の教習所から教習原簿と仮免許証を送ってもらい、第2段階から教習を始めた。ちなみに教習所に前もってスケジュールを全て決めてもらうプランを選択したので、面倒くさがりでも(面倒くさがりながら)通学が継続できた。教習自体はすこぶる順調で、卒業検定も難なく合格した。

以上の個人的な経験をふまえて、これから運転免許取得を考えている読者にささいなアドバイスをしたい。まず、通学にするか合宿にするかはよく考えた方がいい。両方を経験してわかったのは、明らかに適性がわかれそうなこと。合宿は2週間ほど集中さえすればぱっと免許が取れ、通学に比べてリーズナブルな点で魅力的だが、急病や教習の遅れなどのイレギュラーが怖い。「合格しなければ基本帰れない」というプレッシャーもある。

通学の利点は自分のペースで進められ、しかも慣れた土地で運転できること。デメリットは費用感が高いことと、スケジュールが立てづらいことだろうか。京都の場合、車道に路駐・自転車が多く走りにくいのも考えものだ。とはいえ京大生であれば京都市内を運転する機会もあるだろうから、早いうちに道に慣れる点では悪くない。教習で京大付近まで車を走らせる教習所もある。

月並みだが、免許を持つと行動範囲がぐっと広がる。世界は左京区の半径1キロメートルだけではない。諸々の条件が許すのなら、大学生には免許取得をオススメしたい。(涼)

ジョイフルから見た付近の田園風景



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【通学】気が付けばドライバーの仲間入り


運転免許くらいは取っておいた方が何かと便利だろう。取るなら比較的時間のある今のうちに。やる気はなくとも理想だけは高く、「何だかかっこいいから」MT車にしよう。そんな軽い気持ちで筆者の教習所生活は始まった。

20歳を過ぎると「初めての○○」が減ってくるので、教習所に入ったときは初めて車が運転できるという高揚感でいっぱいだった。しかし、待ち受けていたのは、狭い教習所内でのルーティンワーク。教習車の前後を確認し、発車の手順を繰り返す。実際に運転できるのは1時間のうち20分ほどでスピードも出せない。大切なことだというのは頭でわかっていても、持ち前の怠惰もあって、次第に足が遠のいてしまった。

2月に入校したものの気づけば8月になっていた。教習所には期限というものがあるらしく、それを過ぎると「放校」になってしまうということを電話で告げられ、事態の深刻さに気が付いた。卒業できなければ、教習代を親に出してもらっている自分はどんな顔をして実家に帰ればよいのか。急いで電話で予約をとり、何とか卒業検定までを10月中に組み込むことができた。印象に残っているのは路上でのグループ教習だ。教習生3人で車に乗り込み、互いの運転を評価する。そこで気がついたのは、自分は運転が下手だということ。同じ授業数のはずなのに明らかに他2人の方が運転がスムーズだった。仮免許の試験は1回で受かっていたし、授業の補習もなかったので結構センスがあるのではと思い上がっていた筆者に現実が付きつけられた。その後は、危機感と謙虚さを取り戻して予定通りの卒業ができた。

卒業した後は京都の羽束師にある試験場へ向かう。アクセスが悪く、予約も取りづらいのでこれが中々面倒くさい。それでも、ここまで来ると運転のモチベーションが上がっているので、空いていた朝早くの試験へ向かった。何だかんだ言って真面目な性でもあり、しっかり対策して結果は合格。家族に連絡すると「遅かったな」の一言。とはいえ、これで堂々と実家に帰ることができるという安堵を抱き、ドライバーの仲間入りをすることができた。

ちなみに、運転免許の試験場ではさだまさしの『償い』が流れるという噂を耳にしていたが京都では特に何もやっていないようだった。帰りのバスの中でセルフで流し、ドライバーとしての責任を改めて胸に刻んだ。(省)

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【通学】無資格者の妄言


大文字山からは市内が一望できる。夜になると特徴的な建造物は見えなくなり、民家やオフィスの灯が目立つ。そして毛細血管のような碁盤の目も浮かび上がってくるが、これを形作る血液は自動車の光だ。自動車の免許を取って社会の血液となることに理由なき抵抗を感じるのは、京大生としての反骨精神か男子校育ちの逆張り精神かはわからない。ただ、そうした幼いイデオロギーよりも、機械を自分で操縦して自由に動ける世界を広げたい、というもっと幼い欲望の方が強かった。

さて、ここで一応申し添えておくと、僕はまだ免許を取得していない。教習所さえ卒業していない。もとはといえばもう少し早く卒業し、この「教習所体験記」に胸を張った有資格者の文章を書くはずだったが、前号発行の翌日に寝坊してしまい、予定が後ろ倒しになってしまった。とはいえ2月末の会議で体験記の執筆を宣言してしまったので、仕方なく紙面の左下に小さく駄文を添えようとしている次第である。

教習所に入所したのは12月だった。僕は逡巡する暇もなくMT車の免許を取ることにした。車にはAT車とMT車の2種類がある。この2つの特徴的な違いはペダルの数とギア操作だろう。AT車にはアクセルとブレーキの2つのペダルがあるが、MT車には加えてクラッチペダルがある。また、AT車は走行中、自動的にギアが調整されるが、MT車の場合、速度に合わせて運転手が自分でギアを調整しなければならない。その分、MT車の方が運転が難しく、教習日程が多く、教習に幾分かお金がかかる。さらに、今の日本ではAT車が主流で、MT車を運転する機会は滅多にない(好き好んでMT車を選ぶ場合は別だが)。ここまで来るとMT車の免許を取りたくなる。これは京大生としての反骨精神か男子校育ちの逆張り精神かはわからない。ただ、難しかったり時間がかかったりといったことは、諦める理由にはならない。やはり自分のギアは自分で決めなければならない。

今年4月の法改正により、新規でMT車の免許を取るにはAT車の教習を受けた後に追加でMT車教習を受けなければならなくなった。これによりMT免許取得のハードルはさらに高くなったといえよう。しかしやはり、難しいことは諦める理由にならない。免許証に「普通車はATに限る」というレッテルを貼られるよりかは幾分も立派である。さぁ、そこで新聞を読んでいる君、MT免許を取ろう! (燕)

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