企画

教習所体験記2024

2024.04.01

春は始まりの季節。「何か新しいことを始めてみようかな」。そんな読者に、自動車免許の取得をオススメしたい。免許があれば、遠方にも短時間で容易に行けるようになるからだ。ここでは二人の編集員が自身の経験を振り返る。免許をとりたいとエンジンがかかるか、やめておこうとブレーキがかかるか。どの道に進もうとも、新生活を走り抜ける一助になれば幸いだ。(編集部)

目次

【合宿】「旅行」気分の合宿
【通学】最高速度での免許取得

【合宿】「旅行」気分の合宿


恥ずかしながら、僕には計画性がない。先輩たちの「合宿は旅行みたいなものだよ。すごく楽しかった!」という笑顔も後押しして、免許の取得には日程に強制力のある合宿を選んだ。教習の行き先に決めたのは、山形県天童市。源泉掛け流しの温泉宿に泊まれるということで、さながら湯治気分で高校の友人2人と向かった。

目的はただ一つ、最短日数での免許取得。普段から危なっかしいとよく言われる筆者に友人がかけた言葉は「山形県警が免許を与えないことを願う」なんて冗談だったけれど。

危険運転事故多発タイプ


そんなわけで、遠路はるばる山形へ向かった。旅行にでも出かけるような気分で降り立ったものの、待っていた強面のおじさんたち。ちょっと不穏な雰囲気に違和感を感じ、聞きなれない山形弁に圧倒されるばかりだった。そして感じていた違和感は、配布された時間割を見て確信に変わった。毎日朝から夕方まで授業と教習が詰め込まれ、休みの日は1日たりともなかった。日程の短さを売りにしていたわけではないのに、およそ2週間にわたってほとんど休みのない日程を課されるようだ。旅行気分はとっくに醒め、免許「合宿」という言葉の意味が分かったような気がした。

そして受験させられた「適性検査」と呼ばれる試験も、僕の不安を駆り立てる。その名の通り運転への適性を測る試験だそうだが、真剣に真摯に取り組んだ結果「危険運転事故多発タイプ」という診断を下された。あまりに直接的に「運転に向いていない」という事実を突きつけられ、意気揚々とやってきた自信も、希望も、もうとっくになくなっていた。友人の冗談も現実味を帯び始め、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。

人生初の


恐る恐るハンドルを握ってみると運転は予想以上に楽しく、強面のおじさんたちも2人きりになると太陽のように優しかった。そういえば遊園地のゴーカートが好きだったな、なんて幼少期を思い出しながら教習を重ねる内に、毎日の実習が楽しみにすらなっていた。速度を出すのはたしかに怖かったけれど、一度覚悟を決めてアクセルを踏むと爽快感が勝った。ほんまは運転向いてるんじゃないか、と傲慢な思いも抱き始めていた。

しかしハプニングは突然に。ある日の集合時間は朝の6時30分。友人と「起きられるか分からへんな!」なんてお決まりの冗談を言っていたら、目が覚めるとバスはとっくに行ってしまっていた。タクシーで教習所に向かうと、仏頂面のお姉さんが僕らを待ち構えており、薄暗い部屋で渡されたのは原稿用紙。人生初の反省文を山形で書くことになるとは全く想定していなかった。成人3人が頭を捻って「遅刻してごめんなさい」という文章を書くのは、我ながら滑稽だった。

しかし、もし通いで免許を取ることを決意していたら、寝坊で教習に行けないことばかりだっただろう。合宿で厳しく指導してもらうことを決めた自分の選択は間違っていなかったように感じる。しかし、今思い返しても朝の集合時間は早すぎだろう。

顔を出した欠点


仮免許を取得して順調に路上教習を消化していたある日、教習所の近くで歩道の縁石を歩いていると、車で通りがかったおじさんに注意された。それほど厳しい口調で注意された訳でもなかったけれどついカッとなって言い返してしまい、彼は面食らったような顔で過ぎ去っていった。

教習所に戻ると、先ほどのおじさんが待っており、教官だった彼にもう一度しっかり怒られてしまった。それだけでなく、友達にも「お前の悪いところはそういうところだ」と怒られ、喧嘩になった。ずっと一緒にいた高校時代にも喧嘩したことはなかったのに……と落ち込み、今すぐ関西に帰ってしまおうかとも考えた。

しかし、誰がどう考えても悪いのは僕だろう。冷静になると、自分の短所が出てしまったことへの恥ずかしさだけでなく、大人になったつもりでいた自分が、いつまでも子供のままであったことを突きつけられた。教官と友人に謝罪したものの、この罪が消えることはないだろう。

初日に受けた適性検査も間違っていなかったのだろう。例えば今後、運転中に「あおり運転」をされたときに落ち着いた判断ができるような、落ち着きのある大人になりたい。

見たい景色は


紆余曲折あったものの、予定通りに最短日数で卒業させていただき、晴れて運転免許を手に入れることができた。ありがたいことに運転する機会に恵まれ、ペーパードライバーにはならずに済んでいる。免許を取りたての僕の助手席に座ってくださった先輩や親には感謝してもしきれない。今後の目標は、初心者の助手席に座れるようなドライバーになることだ。「危険運転事故多発タイプ」になってしまわないよう、いつまでも緊張感を持って運転したい。

免許合宿は旅行のようなものだとおっしゃっていた先輩方は嘘を言っていたのだろうかと思うくらいに厳しい合宿だったけれど、おそらく人生で2度とない経験ができたことには満足だ。なにより、欠点を注意してもらえたことがよかったと思う。

免許を取って良かったことは多々あるが、1番は行動範囲、行ける場所の選択肢がとても大きくなったことだと思う。免許を持っていない友人とドライブに行ったときに「あなたと来なきゃ見られなかった景色ですね」と言われ、ちょっと大人の階段を登ったような気がした。たくさんの人が言うように、運転する上で慢心は一番の敵だ。慢心せず今日も安全運転で、これからもいろんな景色を見られればいいなと思う。(匡)

公園に置かれていた「王将」のモニュメント。天童市は将棋の駒の生産量日本一を誇る


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【通学】最高速度での免許取得


道路交通法84条は以下のような一文である。「自動車及び一般原動機付自転車を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許を受けなければならない(一部省略)」。公道を自動車で運転する際には、運転免許が必要だ。これは、自動車の運転が時に命や財産を奪いかねない危険な行為であることに起因する。特定の技能・知識を有するものにだけ、運転免許を与え、罰則無しで運転できる地位を付与しているのだ。

1年前、京大新聞の「ドライブ紀行」に参加した。ドライバーが一人しかいなかったため、終始運転を続けていた先輩の姿を見て、「自分に免許があれば」と痛感した。その後、すぐに入所手続きを済ませ、免許取得に挑戦した。

通学で免許取得を目指す場合、ネックになるのは取得までの日数だろう。多くの場合、予約が取りにくいなどの事情が相まって3・4ヶ月程度を費やすことになる。しかし、幸運なことに私の通った教習所では予約枠がとてつもなく空いていた。予約はネットから可能で、定期的に予約状況をチェックすることで、以前から入れていた予約の前後に空きが生まれることもある。「これを使わない手はない」。そう考えた私は、とにかく予約を入れまくった。授業の合間や休みの日をうまく使い2日に1回のペースで教習所に通った。その結果、入所から2ヶ月程度で免許を取得し、ドライバーとして公道を走り始める事ができたのである。

ユーチューブが先生


第1段階では、教習所内の小さなコースで運転の基本的技能を身につける。S字やクランクといったコースが最初の難関だ。はじめてのクランクで全く感覚をつかめなかった私は危機感を覚えた。その結果行き着いたのがユーチューブである。「クランク 攻略」など検索すると解説動画がたくさん出てくるのだ。これらを何度か視聴していると、不思議とコツが頭に入ってくる。「このあたりでハンドルをすべて切るのか」「ここまで来たら絶対に脱輪しないのか」。多くの場合、次の教習でどんな練習をするのかが、しおりなどに記載されているので、それをもとに「予習」をしていくのがおすすめだ。十分に予習を済ませれば、実践の場でも余裕が生まれる。そして、動画を視聴するうちに「はやく車に乗って、今学んだことを実践したい!」という気持ちが生まれてくる。気がつくと、新たな予約を入れていた。こうしてスムーズに教習を進め、あっという間に仮免許を取得。公道デビューすることになる。

公道デビュー


公道では、教習所内のコースとは違った難しさに直面する。こちらが安全運転を心がけても、ほかのドライバーが危険な運転をすることがあるからだ。事故を回避するには、安全確認を入念に行う必要がある。昔から、変に真面目なところがあった私は、必要以上に安全確認をしていた。発進する前、右左折の前など、教官から「そんなに確認しなくても大丈夫ですよ」と声をかけられることもしばしばあった。このクセは未だに抜けていない。安全のために「確認しすぎ」などない気がするのだ。

教習では毎回、最後に教官からアドバイスをもらうことができる。改善点だけでなく、良かった点も指摘してくれるのだが、これをすぐに忘れてしまい、次回同じ指摘をされるのはもったいない。そう思った私は指摘された内容をすべてスマホのメモに残すことにした。こうして、すべての教習が終わる頃には、膨大な量の弱点集が完成した。教習の前に見返すと、自分の弱点が把握できるだけではなく、「今日はここを意識しよう」など小目標が設定できたので、良かったと思う。

最後の難関


ここまで制限速度いっぱいで駆け抜けてきた私は、入所から2ヶ月弱で卒業検定の日を迎えた。ここまで、追加の補修などはなく、教習所にさらなる「課金」をしたくなかったため何としても1回で合格してやろうと意気込んでいた。当日の朝は早く、9時前には集合する必要がある。念入りにアラームをかけて就寝した。

しかし、目覚めは教習所からの電話だった。寝坊したのだ。自らの失策に対する悔しさと、いまから教習所に行って「課金」しなければならない虚しさでしばらく茫然自失だったのを記憶している。

再検定の日、今度はしっかり目覚めて、一足先に待機室にいると聞き慣れた声がした。担当の教官が最後の挨拶に来てくれたのだ。「君なら大丈夫だと思う。今日は1コースだからここに気をつけてね」など声をかけてくれた。その言葉に勇気をもらったのだが、一方で、私が寝坊した検定の日も同じように待機室まで足を運んでくださったのか、と考えると申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

試験が始まった。試験中、教官は何も発言してはいけない決まりなのだが、年配の教官はブツブツ言葉を発していた。まもなくゴールを迎える直前、何気ない右折で教官が「もっとスピードを出せ」と怒鳴り始めた。私の次に検定を受けていた学生も、同様に小言を言われていたと記憶している。なにはともあれ、試験には合格したものの後味が悪い1日となった。公道ではルールを守ることや、マナーの良い運転への意識が低いドライバーも存在する。今振り返ると、最後にその事実を身を持って教えてくれた出来事だった。

スタートラインに立って


教習所を卒業し、晴れてドライバーとなった。下宿の身ではあるが、カーシェアサービスの普及などもあって、運転の機会には恵まれていると思う。この1年弱でいろいろな道を運転し、ドライブは趣味の一つにもなった。だが、はじめて車を運転したときの気持ちは今も変わらない。「自分のミスで人の命を奪うかもしれない」「同乗者に怪我を負わせるかもしれない」。適度な恐怖心を持ったまま、安全なカーライフを送るつもりだ。(爽)

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