研究の現在地 VOL.10 歴史から近代天皇制の合理性を問う 京都大学人文科学研究所 高木博志 教授
2024.10.16
高木博志(たかぎ・ひろし)京都大学人文科学研究所 教授
1988年に立命館大学大学院日本史学専修修了。北海道大学文学部助教授を経て、2012年から現在まで京大人文科学研究所教授を務める。専門は明治維新から1940年代にいたる日本の文化史・宗教史。
1988年に立命館大学大学院日本史学専修修了。北海道大学文学部助教授を経て、2012年から現在まで京大人文科学研究所教授を務める。専門は明治維新から1940年代にいたる日本の文化史・宗教史。
目次
天皇の代替わり儀式を研究「神話」を必要とする天皇制を問う
京都の「影」に注目
学問の特徴にあった施策を
書籍紹介 『近代天皇制と伝統文化』
天皇の代替わり儀式を研究
―具体的にどういった研究を。
政治との接点に注目して文化史や宗教史を研究しています。最初は国家神道からの出発です。その後、天皇の代替わり儀式である大嘗祭の歴史に取り組み、天皇制を文化史や宗教史から考えました。 大嘗祭とは、天皇が即位後初めて行う新嘗祭のことです。ここでは、占いで決めた「悠紀国」と「主基国」から米を献上させます。
天皇制に関する行事には「伝統的で固有」という印象があるかもしれませんが、実際には時代に合わせて変化しています。大嘗祭は7世紀後半、天武・持統朝の時に始まります。同時に天皇号が成立して、律令制も展開します。大嘗祭には服属儀礼としての側面があります。仏教が皇室に深く入ってきた時代は、大嘗祭よりも仏教儀礼の方が重要視されましたし、応仁の乱後、200年以上、途絶えます。江戸時代には、朝廷の領地が3万石程度しかなかったので、小規模な即位・大嘗祭を幕府の援助のもとに行いました。
明治時代初期の文明開化では、一度日本固有の伝統が否定されました。しかし1873年に岩倉使節団がヨーロッパを視察して以降、それぞれの国が独自の伝統を持っていることがわかり、日本政府は伝統文化の必要性を感じます。即位式は、普遍的な欧州君主制の戴冠式と同じ役割を果たす一方で、大嘗祭は日本独自の行事とされます。普遍性と固有性があるという意味で、即位式と大嘗祭がセットで重要になりました。
大嘗祭が国家統合の一環として、古代以来の地域社会を動員するという服属儀礼の理念自体は維持されます。大正の代替わりでは、日露戦争後の帝国主義のもとに成立した地域組織を動員しました。米を献上する斎田に選ばれたことが誉と考えられ、青年団や婦人会、学校組織など地域社会を動員する形で進みました。
―このテーマの難しさや面白さは。
私が学生の頃は歴史学の研究者が社会問題に取り組む思潮が今よりも強く、日本史を志したのも社会をより良い方向に変えたいという思いがあったからです。
もともと天皇制に関心がありました。私が子どもの頃は、戦争体験者が身近にいて戦争の記憶が近かったです。しかし、90年代ごろから戦後的な価値が急激に壊れて、社会が変化していくように感じました。様々な原因がありますが、集団として戦争体験者がいなくなったことが大きいと思います。戦争体験の世代が、昭和天皇の死をもって失われていく印象がありましたね。大嘗祭の研究をしていた大学院生の時に昭和から平成への代替わりを経験し、天皇制や儀式のあり方について考えました。
昭和大礼の時、大嘗祭は天皇が神になる行事だと『官報』に明記されていました。しかし現在の政府見解では、大嘗祭は単なる農耕祭祀の集大成で、戦前と違って天皇が神になる儀式ではないと言っています。自治体の税金を使って栽培した米を献上することは、その府県の住民が服属したことを意味します。現代の大嘗祭も、単なる農耕祭祀の集大成ではなく神になる儀式だと考えます。
「平成」の代替わりの時、大分県で行われた大嘗祭の違憲訴訟に参加しました。「主基国」に選ばれた大分県は、公費で米を斎田で栽培して献上することになっており、クリスチャンや市民が、公費で神道儀礼を行うことは政教分離に違反すると主張しました。私は、大嘗祭は古代以来の伝統行事ではなく、時代に合わせて変遷していることを学者として証言しました。「令和」の代替わりでも、京都府で行われた大嘗祭主基斎田抜穂の儀の違憲裁判に参加しています。
―中央と地方の繋がりにも着目する。
地域や現場から学ぶ機会が、学生の時から身近にありました。天皇制と並行して、自治体史にも取り組んでいます。これまでに札幌市や茨木市、生駒市などの自治体史に取り組んできました。
1990年代は、京都や奈良の文化財と天皇制の関係に注目しました。二都制をとるロシアの影響で、帝都・東京に対する伝統都市・京都で大嘗祭を行うことが旧皇室典範で定められます。京都のもつ歴史や「伝統」が天皇制をどう支えたのかを研究しました。近代の天皇制では、博物館や正倉院御物が宮内省の管轄になり、天皇制が文化を保護する役割がありました。
陵墓問題にも取り組んでいます。国際社会に向けて「伝統的」な記紀神話が目に見える形で続いていることを示すために、1889年の帝国憲法発布の年、天皇家が万世一系であることを示すために、120代を越える天皇に陵が割り振られました。2019年に世界遺産に認定された「仁徳天皇陵古墳」は仁徳天皇の陵とされており、この名称は旧宮内省が決めたものです。しかし、仁徳天皇の墓である証拠はないために、学会で議論された結果、歴史の教科書では遺跡名称である「大仙古墳」や「大山古墳」を併記するようになりました。何よりも実際の被葬者が分からないにもかかわらず、「仁徳天皇陵古墳」という名称で世界遺産に制定されて国際的な呼称が決まってしまったことは問題だと考えます。
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「神話」を必要とする天皇制を問う
―今の天皇制についてどう考える。
日本国憲法第14条では、平等原理が明記されています。人が平等であることと世襲制である天皇制は原理的に矛盾をはらんでいるので、特定の家が天皇を継ぐ天皇制の仕組みは問われるべきだと考えます。大嘗祭のあり方を研究し、象徴天皇制の維持にも史実とは異なる「神話」が必要とされていると感じました。
今は「象徴天皇制をよりよく運用する」という前提で考える研究が主流です。政治の世界では必要な考え方だと思いますが、研究者としては歴史に基づいて天皇制の根本を考える姿勢も必要だと思います。
―原理として平等原理と天皇制が矛盾することは理解できても、現実問題にそれを実施することは想像しがたい。
今あたりまえに感じている社会や通念が、歴史的な産物であることを理解することが大切です。現代の若者の風潮として、 政治・現代に関わらない、中立的なものが学問だという雰囲気も感じます。しかし、人間は現代社会の中で生きていますから、完全に社会や政治と無関係で無色でいることはありえないと思いますね。
―研究を通じて感じることは。
過去に比べると、現代は科学が発展し便利で恵まれた環境にあります。ただ、人間個人を考えると、時代とともに発展しているという感覚よりも、人はどの時代に生まれようと、どの階層であろうとその生は等しい価値を持つと思います。封建制や身分制など時代において様々な制約はありますが、世の中でよりよく生きようとする営みは共通していました。資料を通して、当時の生のあり方を尊重して見ることが必要と思います。
その上で、過去の倫理や文化は今と大きく異なるので、現代の価値観を押し付けないことを意識しています。当時の資料の中から読み解いて、どのような生き方があったのか迫ることが歴史研究の面白さです。
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京都の「影」に注目
―京都の研究にも取り組む。
祇園や舞妓や貴族など華やかな「光」の側面が注目されがちですが、京都の周りには遊廓や部落、墓地など「影」の側面も多く存在しています。差別・性・死を含めて、京都の複合的な実相を知ることで京都への興味が削がれるとは思いません。京都の自慢話を売りにすると、外国人にとっては日本のナショナリズムであり、自分の住む地域との共通点や違いを見出すことが難しいです。その意味で性や差別と関わる「影」の側面を見ることは、外国人にも普遍性があると言えます。
かつての京都の大きな特色として、遊廓や花街の多さがあります。1957年に売春防止法が施行されるまで、国家による管理売春制度である公娼制がありました。芸娼妓には税金がかかり、花街からの税収は京都府の大きな部分を占めていました。
江戸や明治期には中間層以上しか島原や祇園で登楼できませんでしたが、大衆社会の到来で都市の労働者にとっても買春が身近なものになっていきます。1920年代以降の大衆社会では、特に都市の場合は労働者向けに安価で買春ができるようになります。上等のうな重を2杯食べるとか映画を2本見るくらいの価格で1時間の買春が可能でした。
昭和戦前期の京都府の芸娼妓の数は人口比で日本一多かったのです。当時の統計から、京都市の20代から40代までの男性1人が年に平均8回も買春をしていたことが分かっています。花街に行くことは決して珍しいことではなく、市民社会と地続きでした。とは言え、娼妓は社会的に疎外されたサバルタン(※)でした。最近は、娼妓の置かれた悲惨な状況についても研究が進んでいます。
※編集部注
権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々をさす学術語。
権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々をさす学術語。
実は、遊廓の研究をしたきっかけは父(1925年生まれ)の存在もあります。父はリベラルな中学校の教師で、厳しかったからあんまり好きではなかった。しかし亡くなった後、同僚の先生に父が結婚前に遊廓に行っていたと聞きました。その意味で自分に身近な問題だったという意識が生まれて、偶然にも、今は父が行っていたという京阪沿線・橋本遊廓の研究をしています。
―京都の観光地化については。
外国人のカップルが、七条新地の遊廓が残る五条大橋の南東でウエディングフォトを撮る姿を見たことがあります。彼らは対岸にある古い町並みにのみ注目しており、かつて遊廓があったことを知らないのです。伏見稲荷や京都御所、平安神宮は外国からの観光客に人気があります。しかし、人気の神社は国家神道に組み込まれていた歴史があります。平安神宮に桓武天皇が祀られて、日露戦争期の戦意高揚に利用され、ナショナリズムそのものでした。中国や韓国では、日本の植民地支配の歴史を学んでいると思いますが、彼らの思想と観光での行動が切り離されていると感じます。歴史を知った方が、京都をより多面的に味わうことができるので、テーマパークに来るような感覚ではなく、光と影の歴史が蓄積された土地だと知ってほしいのです。
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学問の特徴にあった施策を
―今年で退職。大学に30年以上いて感じたことは。
大学全体で業績主義が強まっています。学部自治や教授会の議決が1番大切だという考えが20世紀まではありました。今では、各部局自治からのボトムアップではなく、総長や執行部からのトップダウンの働きかけが非常に強くなりました。2004年の国立大学独立法人化を経て、官主導の動きが21世紀に加速度的に進み、京大に対しても内閣や文科省の影響が絶大になっています。
人文学の特徴として、長い時間をかけて様々な学術資源を蓄積し、研究を進めることが指摘できます。世代を超えて形成される学問で、4、5年で成果が出るものではありません。
人文学を軽視する、視野狭窄な動きが非常に強くなっています。例えば、理系の分野に比べて、人文学では紙媒体の図書館資料やモノが重要です。資料をデジタル化して、図書館を統合したり規模を削減する考えもありますが、人文学では多様な学問領域や紙媒体・モノの原資料は重要な役割を果たします。一律な施策を行うより、それぞれの学問の特徴にあった対応が必要です。
また、特に独立法人化以降、専任の教職員も減少しています。図書館や事務室の職員の数が減り、非正規雇用など不安定なポストが増加しました。日本の大学の予算は先進国でも低いレベルであり、増加していません。その中で「改革」と称して競争だけを促し、短い期間で成果を出すことを求められています。
―ありがとうございました。
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書籍紹介 『近代天皇制と伝統文化』
著者は近代天皇制が、19世紀における君主制として近代国民国家とともに成立し、前近代以来の文化を再構築し創造した日本固有の「伝統文化」を不可欠としたと説明する。
ここでの「伝統文化」とは、前近代に起原しながらも、近代において欧米/中国・朝鮮との関係性のなかで近代に形成されてきたものを指す。
「万世一系」の天皇系譜の形成と不可分な伝統文化を、歴史意識や文化財とともに考えていく。
天皇制の変容や社会への定着の過程を辿りながら、現在にまで続く近代天皇制の全体像を描き出す1冊。